「私好きな人がいるの」 後
「嘘つき」
独り言を呟いても昨日みたいに彼が現れることも無く、虚しさで満たされるだけだった。
“また、会おう”なんて言っておいて、私を期待させておいて、何が“絶対に消えない”だ。
だから私は期待なんかしたくなかったッ! だから私は、人を遠ざけて来た。
勝手に踏み込んでおいて、置いていっちゃう奏くんなんて──大嫌いだ。
また、私は泣いていた。これで泣くのは何度目だろう。どんどん心が弱くなって、感情が……出て来てしまう。
大嫌いな筈なのに、私の体は次の日も引き寄せられていた。
その日も彼は、来なかった。
期待するのは止めよう。そう押し付ける度に苦しくて、涙が溢れた。
その日の夜も、彼を思っては眠れなかった。
もう一度だけ、触れて欲しい──、と私の心は悲鳴をあげるのだ。
またその次の日、遅い目覚めで部屋の窓から屋上を見上げると、彼はそこに居た。
「奏、くんっ」
ガバッと身を起こすと、私はもはや着慣れてしまった病衣を纏って、着の身着のまま走り出していた。狭い視界など気にも止めず、会いたくて走るのだ。
何処のアオハルかよ、と思わなくも無い。けれど、彼は言っていた。“一度きりの人生だから、後悔したくないんだ”と。
私は何度も彼の言葉を思い出した。自分の価値を認めて欲しくて、彼の言葉が嬉しくて、辛くて、“ドキドキ”するんだ。
「私もっ、後悔したくないっ」
例え、どんなに辛い未来が有ろうと、私が死んで彼を苦しめようと‥、そんなの知らない。
奏くんが、受け止めてよ──。
バンッと開かれた扉……。それから、彼が振り向くのが分かる。
私、ここに居るよ。
でも、言葉に出来なくて、忘れられてたらどうしよう‥‥なんて不安で、彼の姿を見るのが怖くて、彼とは反対にいつもの椅子へと足は進んでいく。
自分でも緊張しているのが分かった。うまく地に足が着かず、ふわふわしていて不安だ。
「隣、座っていい?」
「……」
「失礼」
「……」
「良い天気だね。桜は散ってしまったけど、空が青くて綺麗だよ」
そんな会話の始まりを踏まえた在り来りの挨拶を、彼は敢えて選んだ。
気を遣われていることは分かっている。それでも、私が弾けるのを止められない。
「……
「え?」
「座って良いなんて言ってない!!」
違う、そうじゃない。私はそんな事を言うために来たんじゃない。
伝えたい事があったんだ。
だけど、自分の感情が思い通りに動かせない。これじゃ、駄々を
それなら私は、何を彼に求めているのだろう。
浅ましい、と思った。卑怯なのでは無いかと、嫌になる。
知っていたが、私の本性は所詮こんな奴なのだ。
「ごめんね」
あぁ、どうしてそんなに優しいの。酷いことを言っているのに、君は嬉しそうに優しい笑みを浮かべる。
「許さない」
「じゃあどうしたら許してくれる?」
「今すぐ、抱き締めて」
「私、安くないからね」
大事なことなので伝わって欲しいと思うのに、睨みつけてしまう。
「そうなんだ。余計に可愛いのに気付いてないでしょ?」
ケラケラと本当に面白そうに笑われてちょっぴり不快になる。しきりに「天然」と言われるのはなんだか小馬鹿にされている気がした。
天然と連呼されても意味を知らない。彼は意地悪で聞いても教えてくれないし、更に笑われるから私はポコを呼び出す事にした。
「Waking up assistant. ID Poco.天然の意味を教えて」
『最適化された情報を読み上げます。天然とは、自然に生み出されたもの。また、人の手が加えられていないもの。参考資料を端末に送信しました──』
んー?? つまり、どういうこと?
こっちは真面目な話をしているのに、彼は楽しそうだ。私の何が彼を笑顔にするのだろう。
もういいや。分からなくても良いか。彼が私との時間を楽しそうにしていれば、何でもいい気がしてきた。
「明日は? 来てくれるの?」
「来れると思うよ」
「絶対だからね」
それ以降は会話を必要としなかった。ただ私は、奏くんの温もりに包まれていた。
次の日は、約束通り彼が来てくれた。沢山、お話をした。
「ねぇ、桜ってどんな色なの。もう、思い出せないの」
「赤色を真っ白で薄めたピンク色だよ」
そんな誰でも知っているだろう事を、私は嘘みたいに喜んで聞いていた。
話は日が暮れるまで続いた。
「明日も教えてくれる?」
「勿論、明日は緑について話そうか」
来る日も来る日も、私達は色について話し合った。
例えば、空の青だけでも数え切れない色が有って、遥か昔から先人達は宝石を砕いたり、花から抽出した色を調合したりして幾千もの
私には赤と黒しか馴染みが無いけれど、この世界は色で溢れているという喜びを彼が楽しそうに語るものだから、一度見てみたいと……同じ世界を知ってみたいと、思ってしまう。
生きる事を是としなかった数日前が嘘のように、彼に夢中になっていた。
ある日、彼は私にプレゼントをくれた。
「栞さんに渡したい物が有るんだ」
それは、涙の雫のような綺麗な輝きをしていた。
「僕の好きな空色のトパーズ。栞さんに着けていて欲しいな。きっと似合うと思う」
彼は、‥‥奏くんはそっと私の首へ手を回すと、何も言わせないまま空色の輝きを私の一部にしてしまった。
空の色が分かる訳じゃない。けれど、これは空の色なんだ。奏くんの、色なんだ。
後から石言葉を調べると、一番に“誠実”がきて、希望や幸運が並んでいた。
奏くんらしいと思った。
私は誰かにこの喜びを伝えたくなった。今、とても幸せなんだ。
「ねぇ、お母さん。私、好きな人がいるの」
胸元から空色の雫を取り出すと、母は泣き出してしまった。
どうしたのだろうか。母が泣くのは、いつもの事だ。だけど、今日は一段と激しく泣くものだから私は不安になった。
「お母、さん?」
私は母に愛されている。だからこそ、私は母をこれ以上悲しませたくなんて無い。
生まれたばかりに苦労をさせた。生まれたばかりに、母の人生を台無しにしてしまった。
なのに、いつ死ぬか分からない子供を、本気で愛してくれた。
辛かったと思うんだ。私を育てるなんて、普通の親に出来る事じゃ無いってことも。
知ってるよ。
お父さんが居ないのも、世間が冷たいのも、私が居るから離れて行くんだって。
お母さんの愛した人を、お母さんの周りの人を、切り離したのは……私なんだ。
でもね、そんな私が恋しちゃ駄目なんだって分かってるけど──。
「私、幸せなの」
遂に母は、声を出してわんわん泣き出してしまう。
何事かと集まってきた看護師さんや、通りすがった患者さん達までも私を見て泣きだした。
でも、散々浴びせられた嫌な視線じゃなかった。
どうしたの? 皆、泣いちゃった。
「私、好きな人がいるの」
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