05. traffic

 やがて顔を上げた環の息は整っていた。

そしてすぐに左手を軽く上げようとしたが、思いとどまった。

後ろをふり返り、道の端へと駆け寄った。

すぐに翔太に連絡しようとした(左手を上げたのはその動作だ)のだが、その位置で会話に没頭していると、通りかかるクルマの邪魔になると気づいたのだ。


 今ではクルマが歩行者と接触する事を恐れる必要など無かったが、環が心配したのはむしろクルマの走行の邪魔をしてしまう事だ。

人の移動とモノの流通を最適化する事によって、交通量は二十年前の半分以下になった。

交通事故で毎年数万人が死傷するという、さながら熾烈な内戦のような状況が半世紀以上にわたってつづいていた事もあった。

今の環のような若者にとって、そんなことは野蛮すぎて、とても想像できない。

しかもそれが特に極限状態であるとも意識されず、平穏な日常の片隅に毎日数十人が命を落とし、数百人が重症を負う剥き出しの暴力が位置づけられていたなど、ほとんど冗談のように思えてしまうほどだ。


 今日では当然、クルマは人を避ける。

中・長距離移動の場合は、クルマは専用幹線を走る。

今環が立っているような細かい裏通りには、専用のクルマが歩行者と連携しながら走る。

ある歩行者が次にどの方向に進みたいかは明らかだし、歩行者が不意に思いつきで方向転換しようとしても、歩行者の体が動くよりも先に歩行者の意志は感知され、クルマは予期する事ができる。

歩行者の動きが最も予測不能になるのは集団でおしゃべりしながら歩く場合だ。

こういう時には、歩行者が自分でもほとんど意識しないままに方向転換する事があるので危険だ。

ただしこの場合でも、その集団のおしゃべりの内容から類推する事で、方向転換を予測するのはかなりの程度まで可能になる。

そして、もし万が一歩行者とクルマが衝突したとして、クルマは柔らかくて軽いので、歩行者が重症を負ったり、まして死亡するという事はあまり起こらない。

「人を殺せてこそクルマだ」という変質狂は、いまやモータースポーツの世界にしか喜びを見出せなくなっている。


 さらに、クルマが歩行者を気遣うように、歩行者もクルマを気遣う。

環が立っているその道は少し曲がっていたから、近づいてくるクルマはまだ環の視界には入っていなかった。

しかし道の向こうから環のほうに近づいてくる一群のクルマがいることを、環は感知したので道の端に寄ったのだ。


「翔太」

 道の端に寄ると、環は軽く左手を上げながら呼びかけた。

手の動きと、声と、頭蓋骨内のチップで、通話を開始したのだ。

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