神食らう母の子は裂かれ出で 単話

 八月の中頃、祭りに沸く神社の中で、一人、少女は庭を見る。外では商店街の住民が出す屋台の活気や、少年少女の声が合唱の如く響き合っていた。それとは正反対に、神社の、誰もやって来ない池の前は、やけに静かである。そこに立ち入るのは、その場所を知る、少女と、その家族と認められる者か、以前に立ち入ったことのある、知り合い程度であった。少女はその家の家主でもあり、静かに、自分の持つ神社の敷地で行われる祭りが、早く終われと願っていた。


「後ろの正面だーあれ」


 鈴を鳴らすような声を震わせて、少女は歌う。それは、自らの背に立つ、一人の青年を指していた。


「花火の日の臭いがする。鉄と硫黄の臭い。それに、染みついた知らない臭い」


 淡々と、その青年に少女は語る。振り向いた目線の先、あったのは、正座をして、少女の目線の低さと合わされた、燃え盛る炎の瞳。少年らしさを持つそれは、短い黒髪と似合って、昼の近い太陽の光を跳ね返す。


「お兄さん最近、いつも来るわね。お暇なの?」


 少女が問うと、青年は胡坐をかいて、ヘヘッと笑った。


「暇なわけじゃあないけどさ。人混みが嫌いでね。此処は落ち着くから」

「逃げて来たのね?」

「そうだね、そうさ」


 青年の子供染みた笑みとは対照的に、魂の抜けているような少女の赤い瞳が、光を抜ける。青年は一瞬、眉間に皺を寄せると、またへにゃりと笑う。


「でも屋台は好きだよ。妙に高いタコ焼きとか、焼きそばとか。お嬢さんはそういうの嫌いか? 君もずっとここにいるようだけど」


 クスクスと鼻を鳴らす少女は、青年の問いに、指を回して答えた。


「好きよ。でも体が重いから、外には出ないの。本当はね、お祭りの仕事があるから、私もここで座ってるだけじゃダメなんだけどね。でも、皆がやってくれるって言うから、ここで待っているの」


 癖のない真っ直ぐな黒い髪を揺らして、少女は青年の方に、足を向ける。対面した二人は、畳の上に互いに指を出す。繊維を撫でるように、少女は指の腹を擦った。


「何を待ってるんだ? 皆って誰だ?」


 青年がそう首をかしげると、少女は笑う。


「お祭りが終わるのを待ってるの。皆っていうのは、私の旦那さんと、そのお友達」


 へらっと笑う彼女は、旦那さんという言葉を、照れくさそうに語る。柔らかそうな頬が、更に柔らかく膨らんだ。目を細める彼女は、青年の少しつまらなそうな顔を覗き込んだ。


「お祭りが終わらないと、皆私の相手をしてくれないから、つまらないの」


 貴方も同じよね、と少女は言う。青年はそんな少女の目を見て、また首を傾げた。


「俺は、俺は、なあ」


 語るように、呟くように。青年は細く声を紡ぐ。


「祭りが終わるまでに、やることがあるから、なあ」


 だからさ、と、続けて言った。


「祭りが終わる前に、さよならだ。君とは」


 ふと、青年が少しだけ寂しそうな表情をする。だが、それは幻想だったと言わんばかりに、彼はニッと歯を見せて笑った。それに呼応するように、少女もにっこりと微笑んだ。


「また会える?」

「いや、それは無理だな」

「そっか」

「残念か?」

「いいえ、私に挨拶していなくなる人は、いっぱいいたから」


「そうか、それは、それは」


 青年が言う。手にかけたのは刀の柄。そして鞘。少女と自分の前に、抜き身の日本刀を彼女との壁のように置く。


「辛くは無いか?」


 刀越し、青年が問うと、少女は笑った。着物の裾で口を押え、腹を摩り、舌なめずりして、青年と目を合わせる。


「いいえ! 全然! だって、皆、私のお腹の中だもの!」


 少女の赤い瞳が、改めて、狂気を垣間見せた。青年はフッと溜息を吐く。キラキラとした少女の笑みが、眩しくて仕方がなかった。


「全員、食べてしまったのか」

「全員、食べてしまったわ」


 青年が再び問う。合わせて答える少女は、笑顔を崩さなかった。


「それこそ、私が今、一番成さなければいけないことだから」


 追の言葉を重ねる少女は、ふっくらとした唇を動かす。ギラリと歯が真昼の高い太陽を反射させた。ごく普通の少女の歯が、酷く恐ろしく見える。青年は日本刀を畳に突き立てる。


「成さねばならないこととはなんだ?」


 青年の問いに、少女はただ、静かに笑うだけだった。裾で隠された唇が再び現れると、青年はもう一度、声を現す。


「成さねばならないから食らうのか? 食らうことが成すことなのか?」


 哲学的な言葉を吹き掛ける青年に、少女は盛大に笑う。それは声を上げて、フラフラと、立ち上がって。そして、何事も無かったように、柱に体重をかけて、再び畳に伏せる。


「ンフフッ」


 齢十二か十三の少女の声には思えなかった。腹の底からの声が、青年の決心を同調させた。


「どっちもだよ。お腹が空くから食べるの。美味しそうだから食べるの。この子達の為に食べるの。食べてカミサマになるの」


 少女の鈴のような声で、言葉は続く。


「私がカミサマになるの。イザナギ様のお嫁さんになるの。ミカボシ様と一緒に壊していくの。ミカボシ様が寂しくないように、ツクヨミ様と一緒に遊ぶの」


 少女は自分の膨らんだ腹を摩り、青年に言った。


「人の肉を持ったカミサマと、カミサマになった人の肉。その間に生まれた子供は、どんな子になるんだろうね」


 細められた目が、少女の嬉々とした感情と、その淵にある、作られたような感情を表す。心臓を掴まれたような感覚が、青年を襲った。突き立てた日本刀を、青年は取る。


「さあね。きっと、永遠にわからないよ」


 淡々と、静かに、青年は言う。片手で持った日本刀を、少女の心臓の辺りに添えた。逃げない少女が、人形に見えた。あぁ、人形なら、斬っても刺しても何も叫ばない。

 青年が、少しだけ、前に進む。それだけで、鍛えられた薄い刃が、少女の体を進んだ。


「まだ人間であるうちに。今日呼ぶ神を食わぬ前に。すまない。もっと前に決心付けばよかった」


 懺悔のような。謝罪のような。許しを請うような。青年は唱え続ける。目が開かれて、こちらを見続ける少女の目に、言葉を吐き続けた。日本刀を何度も肺と心臓に入れる。


「良いのよ。遅くても早くても、結果はどうあれ一緒だった」


 絶命したはずの少女の喉から、そんな声が聞こえた。青年はぴたりと手を止める。もう一度、少女の目を見た。瞳孔は開ききっている。死んでいる。大丈夫だ、と言うように。


「いや、同じじゃなかった。早ければ、俺は三人も殺さなかった」


 青年は少女の胎に刃を入れる。縦からばっさりと裂く。それは子宮。それはまだ半年しか母の体にいなかった、二人の胎児。一人は日本刀で切れ、胴が二つに分かれていた。一人は今のところ無事だが、産声も何もない。きっとそのうちに、無酸素で死に絶えるだろう。

 フッと、青年は溜息を吐いた。三つの死を確認した。あぁ、今日自分がやることは、終わった、と。少女の為にあったのだろう、茶と、茶菓子を口にする。


「商店街で売ってるやつだな。にしても良いの食ってんなあ。土産に買ってくか」


 独り言をぶつくさと、少女の着物の裾で拭った日本刀を鞘に戻しながら唱えた。茶菓子を全て平らげると、青年は縁側から屋敷の外に出た。胸ポケットから財布を取り出して、札の数を数える。祭りの人混みを進むが、誰も彼に散る血飛沫を気にしない。平然と、へらへらと屋台を見ながら、青年は神社を後にする。

 そういえば、祭りで商店街の店は皆休みじゃないか、と、青年は気が付いた。後ろを振り返って、あの茶菓子の店が無いかを目配せする。いや、売っていないな、と、青年は再び帰路に戻った。


 その耳に微かに、赤子の泣き声を聞く。


「はあ?」


 青年は、思わずそんな声を上げた。神社からの声だと、後ろを振り返る。いや、あれは産声をあげられるほど育ってはいなかった。


「あ、すみません。ちょっと眠いみたいで」


 振り返った青年の傍で、一人の女性が、そんな事を言った。少し目立つ着物を着こんでいた彼女の腕の中では、生まれたばかりの、双子の赤ん坊が泣いていた。


「いや、良いさ。赤ん坊は元気に泣くのが一番だ」


 そうして、青年は双子の赤ん坊の泣き声に押されながら、また帰路を進む。そういえば、あの双子の、薄っすら見えた目は、赤色だったなと、記憶を付ける。産毛は黒だった。

 青年は、手に残る黒髪赤目の少女の感触を、握り拳で消して歩く。暫くして、後ろから、悲鳴と泣き声が聞こえた気がしたが、夕日を浴びて、青年は姿を消した。

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病魔は氷嚢の悪夢を食らう 神取直樹 @twinsonhutago

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