「私」が語る強烈なお話でした。ただ、「私」だからこそ、口にしない部分も、それに負けないくらいの凄みがありました。
「私」にひどい仕打ちをする「あの子」が、単なる悪意の塊りではなく、物を考え、何かを感じ、まわりとのギャップにとても喘いでいる、そんな風に「あの子」が生々しい一人の人間として浮き彫りにされている様な気がしました。
それに、初対面の「あの子」が「私」に辛辣な言葉を浴びせる際には、「あの子」がうつむいて逡巡するだけの理性を持っていたにもかかわらず、看過できずに感情を爆発させる。また、今の二人が顔を合わせる時には、別人の様に変わった今の「私」に「あの子」が気付くのか? その時の反応からも、「あの子」にとって、「私」の存在が決して小さくないように感じました。
なので、最後まで読むと、とても強いショックを受けました。
また、ショックの余韻として、賢くきれいであろうとした果てに、「あの子」の様になってしまうのか、それとも、多少の理性を捨てでも、多くを手にした「私」の様になるのか、自分なら、どちらを選ぶか?、もしくはどちらになってしまうのか?、そんな問いを投げかけられている様な気がしました。
それから、最後に、変わり果てても、理性をもって顔を上げて一言浴びせる「あの子」と、人の姿を保っていても、その行いは過去の「あの子」や、さらに今の「私」が言うところの「人間」と違っている。そんな最後の最後で二人の交わすやり取りが、追い討ちの様に響きました。
落ちぶれた中学時代のいじめっ子を、順風満帆の人生を送る今、あざ笑いに行く。
あらすじにするとそれだけの話だが、それを描き出す筆致に凄まじい情念がこもっている作品です。一言一句、読むこと自体が焼き付くような読書体験を残す。カクヨム公式レビューの紹介から気になって来たのですが、読んで良かった!
どういう人間が加工されてしまうのか少し気になりましたが(転落した、というのも一口に言って広いので)、そこは語られなくても物語としてまるで問題がない。逆に言えば、人が人でなくされてしまう社会がこの世界の人に受け容れられているということで、ゾッとする感触が多段重ねになって読み取れます。
ポリティカル・コレクトネスという考えが広まり、少しずつ人に優しくしようという心がけが広がる(広がろうとする)昨今ですが、いじめっ子だった「あの子」の描写は、「ああ、話しても無駄なのだな」とという断絶を感じる存在で、リアルさと非現実さの両方が合わさって感じられました。
人間の醜悪な部分をどろどろとえぐり出し、それを肯定するようなディストピアな世界が背景に広がる。しかし、それでいて描き出されるのは、毒のように人を蝕む「美」であると感じました。美しさは良いもののように語られるけれど、それは時として脅威であり、暴力である、と。
大変楽しませていただきました。ありがとうございます。
余談:似たようなあらすじの話がカクヨムにあったな……と思ったら「アゲイン 高校の同級生が、ペットショップで売られていました。」の作者さんだったのですね。もしかすると世界観がつながっているのでしょうか。興味深いことです。
物語の舞台となるのはヒューマン・アニマル加工技術によって、人間を動物のように改造できるようになった世界。
そんな世界で、中学生時代に自分を支配していた少女が人魚になったという噂を聞いた「私」は、イケメン婚約者を連れて水族館へ様子を見に行く……。
当たり前に人権が奪われるディストピアな世界観、あらゆるボキャブラリーを駆使して「私」を「醜いし、きもちわるい」と非難する当時の彼女、その影響で歪んでしまった「私」の語り、という3つのグロテスクな要素が見事に調和して、何とも言えない独特な魅力を醸し出している。
『優雅な生活が最高の復讐である』という言葉もあるが、中学生のころからすっかり様変わりした「私」は人魚となった彼女を観て何を思うのか、そして彼女の目に今の「私」はどう映るのか。
人と人魚、この再開が二人にもたらす結末とは?
短くシンプルな話だからこそ、何とも言えない読後感を残す一作だ。
(新作紹介 カクヨム金のたまご/文=柿崎 憲)
とんでもない作品に出会ってしまった。まさか、ウェブ小説サイトでこのような小説にめぐり合うことがあろうとは、、、
悪魔的、と書いたが、悪魔的とは人間的という言葉の、ある極端な方向を取り出したものである。この小説の語り手である女性は、ひたすらに人間的だ。それが読者に共感性と、自己恐怖とでもいうべき感覚をもたらす。また、語り手と対になるあの少女(と言っていいのかわからないが)は、人間的でないと言えよう。神と人間ーー畏れ多くもそう形容してしまえる中学時代の関係。それは悪魔とそれに苦しめられる人間、のようにとれるかもしれないが、本当の悪魔は人間の内に存在するものであり、やがて悪魔は神をその座から引きずり下ろす……いや違うかもしれない。その様に捉えることもできるだろうが、この作品はもっと混沌としている。混沌としているのに、読者はそこにある共感を見出すことが出来る。それが非常に恐ろしいのである!!!
最後のシーンは、まるで高尚な絵画を見ているような気にさえなる。誰か本当に絵にしてくれたら私は買います。
(支離滅裂な文章になってしまい、申し訳ありません。しかし読後のこの熱をもって、この感動を表したかったのです、、、)