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 母は、父のことをどう思っていたのか、愛名まなは心のどこかでずっと気になっていたけれども、聞くことも出来ず、知る術もなく、有耶無耶になったまま十歳の誕生日を過ぎていた。

 父は重い病気で、自宅療養さえも難しい状態で離れ離れになり、そのまま亡くなってしまったのだと聞かされていた。

 おそらくその話に捏造や嘘はないと思う。だけど情報として何かが足りない。その何かを知りたかった。


 愛名は、父の描いた絵を見ているうちに、語られなかった真実を理解したような気がした。

 職業のはっきりしなかった父。画家であるというのなら作品の一つくらいはあってもいいはずだ。愛名は、この部屋にあったスケッチブックで、父の絵を初めて見たのだった。

 父は何に追い詰められていたのだろうか。希死念慮。家族としてそんな父に対し、母はどんな思いで接してきたのだろう。

 当然、周囲からは理解されることなく、孤独な日常が続いていたに違いない。

 母はきっと、その頃のつらい気持ちを蒸し返したくはないのだ。


 残された者は、それでも生きなくてはならない。たとえどんなに苦しくても時は流れ、現実は進んでゆく。

 変わらないスピードで、生きる者の生命と少しずつ引き換えるように、時は流れてゆく。

 時は、悲しみも憎しみも悔しさも全部、緩やかに流しては記憶の角を削ってゆくのだろう。

 ちょうど、あの斜めの窓に降り注ぐ土砂降りの雨のように。

 勢いを保ったまま、雨はまだ激しく降っていた。雨音も止む頃には、ここで見たことも全て忘れた振りをして、帰宅した母と、いつも通りの会話をするだろう。

 それでいいと思った。


 愛名は、手に取った物を慎重に元に戻し、巻き戻しのフィルムみたいに、正方形の板を開いた入口から梯子を伝ってリビングに降りた。

 秘密の扉を閉めると、夢から醒めたような不思議な気分だった。

 梯子を片付け、床を傷つけていないか確かめながら軽く拭き掃除をしてから、シャワーを浴びて寝る用意をする。


 一度に多くの衝撃を伴う情報を得て、愛名は少し疲れていたが、母が結婚して自分が生まれた当時の幸せそうな笑顔に救われた気がした。

 父のことは、結局はっきりとはわからないけれど、母の愛情だけは、今も生きていることが感じられた。

 あのすっきりと手入れされた部屋の様子は、密やかな現在を語っていた。

 母は多分、あの部屋に棲む父の残した何かと今も寄り添って暮らしているのだ。それは底知れぬ孤独とも言えるし、豊かな情緒でもある。


 いつか大人になったら、母は真実の全てを彼女の口から語ってくれるだろうか。

 愛名は、それを必ずしも強く望まない自分は、屋根裏部屋に居た小一時間の間に随分と大人になったものだと感心した。

 まるで他人事ひとごとみたいで、何だか可笑おかしい。

 思わず笑ってしまった顔が、バスルームの鏡に映っている。その笑顔が、さっき見た父の写真にあまりにも似ていたので、自分の顔なのに近づいて二度見してしまった。

 母は、そんな娘の顔を見て毎日世話をしていたら、孤独など感じる暇もないだろうと、愛名はその時、確信したのだった。


 雨音は、シャワーの音で遮断され、もう聴こえなかった。

 いつの間にか、ずっと心の中に降り続けていた微かな雨もあがり、小鳥のさえずりが聴こえるような穏やかな思いが広がっていた。

 屋根裏部屋の夢を見たと言ったら、母は信じるだろうか。あの部屋を見たことを察して、許してくれるだろうか。それとも……。


 愛名は、屋根裏部屋のことを考えながら眠りに就いた。

 雨音は、一時に比べて大分静かになっている。

 目を開けると、そこには少しばかり湿っぽくて斜めの窓が嵌め込まれた見たこともない部屋があった。壁沿いのサイズがぴったりな本棚、機械類、レコード……

 愛名は、梯子から屋根裏部屋へ上がり、斜めの窓に降り注ぐ大雨の激流を見た。

 夢かうつつか幻か知れない見たこともない風景が記憶の断片と交差して、大粒の雨に打たれたような鈍い痛みと、冷たい衝撃と、少しの不快感と不思議な爽快感と、悲しみと安堵と、希望と絶望と過去と現在と死者と現実と父と母と部屋と私と私と母と、交錯する思い、愛と悲しみ。確かにあった温もり。


 平穏の幸福。


 愛名は、夢の中で、母におかえりと挨拶をして、晴れ渡る青空を見上げた。

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屋根裏部屋 青い向日葵 @harumatukyukon

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