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そこは、見たこともない屋根裏部屋であった。
不思議と埃っぽい感じはあまりなくて、普通に人が生活しているのではないかと思わせるような小綺麗な部屋だった。
敷物が敷いてあり、手造りだろうか、部屋にも本にもサイズがぴったりの本棚が壁面に沿って置かれ、カーテンのない斜めの窓は、打ちつけては滝のように落ちる雨水を流し、その向こうの夜空を薄らと映し出している。
「わあ」
更に大きく聴こえる雨音に掻き消されたが、愛名は、屋根裏部屋を見回して感嘆の声を上げていた。
壁時計の指す時刻は正確で、湿度以外に不快な要素もなく、長いこと放置された場所ではないことを物語っていた。
微かにラベンダーの香りがする。
誰の部屋なのだろうか。
まさか、今も住んでいるのだろうか。
「誰か、居ますか」
思わず、声をかけてみる。
返事はない。
ほっと胸を撫で下ろし、正方形の入口から、部屋の中へと上がった。
蒸し暑い。長時間は居られないと思ったが、置いてある物が気になる。
高温多湿の環境に適さない物も沢山あった。本やCDのほか、機械類、プリンターやスキャナーなどのPC周辺機器。
仕切りの大きい棚に収納されているのは、アナログ盤のレコードと、ブルーレイが出回るまで一時期は映像の主流であったLD、レーザーディスクだ。
棚の上には、リボンを着けた二つの
中には、古くて立派なアルバムと、アクリル絵の具、色鉛筆、彫刻刀など、中途半端な画材と小物が雑多に収納されていた。
愛名は、迷うこともなくアルバムを手に取った。ページをめくると、まだ若い母の笑顔と、殆ど記憶にない父と思われる男性が隣に写っていた。同年代の仲間との集合写真もある。
母のウエディングドレス姿もあった。ドレスはおそらく集合写真の中に居る誰かが縫ってくれたものだと以前に聞いたことがある。手作りのブーケを持ち、目立ち始めたお腹を守るように手を添えた母の写真は美しかった。
続けて見てゆくと、生まれたての赤ちゃんの写真と少しずつ成長した記録が、母の手書きのコメント付きで年代順に整理され、お洒落にレイアウトされて貼られている。そのコレクションは三歳まで続いていた。
別冊の分厚い色紙のほうは、表紙にMANAと印字されており、中には八枚の
引き伸ばして額縁に入れた写真もあった。公園で遊んでいる幼い愛名の写真だ。
初めて見るものばかりだった。リビングに置いてあるアルバムには、似たような時期の写真もあったが、数はとても少ない。そして父親の写真は一枚もなかった。
「お父さん」
父親は、愛名が幼い時に亡くなった。
難治性の病が悪化し、療養の為、遠くに滞在している時に死亡したのだと聞いていた。
大人たちは、父のことを語りたがらない。病状が、思い出すのもつらいものだったからだと言うが、本当の事情は、愛名にはわからない。
母以外の人は、事実を知らないのかもしれない。夫婦の間のことなんて、当事者以外には知りようもないのだから。
母は多分、父のことを思い出させる物を全部、この部屋に集めたのだろう。最後まで捨てることが出来なかった物たち。思い出。忘れ形見。
愛名は、部屋の蒸し暑さも、許可もなく見ていることの後ろめたさも全部忘れて、ひたすらに父の面影を追っていた。
雨の音さえ、もう愛名には聴こえてなかった。
知りたい。父のことを、母の悲しみの本質を。
愛名は、棚の収納物を一つ一つ確かめた。何か父の生前の様子がわかる手がかりを求めて丁寧に見ていると、一冊のスケッチブックを見つけた。
鉛筆で描かれたデッサンのような絵は、自画像だろうか。絵の片隅に父の名前がサインしてある。
ページを
ホラーの挿絵のような不穏な顔には色彩がなく、見ていると気分が悪くなるような決定的な暗さが、どの絵にも共通している。
最後まで見終えた時、愛名は気づいていた。
父の病気というのは、身体的なものではなく、精神の病ではなかったかと。
そして死因は、自らの意思による人為的な事故、つまり自殺ではないのか。誰もが話を避けたがるのも、それなら辻褄が合う。
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