屋根裏部屋

青い向日葵

1

「ごめんね。明日の昼頃には帰って来る予定だから、何とか頑張って留守番しててね。何かあったら、何時でも構わないから、すぐに電話するのよ」


「わかった。大丈夫。気をつけてね、ママ」


「ありがとう、愛名まな。行ってきます」

 母は、生憎あいにくの大雨の中、どうしてもキャンセル出来ないお客様との面会の為、一張羅である上等のパンツスーツに身を包み、まるで洗車しているみたいに激しく大量の雨水を浴びている車に乗り込んだ。

 会社へ寄って書類を持ち出してから、日帰りでは難しい距離の出張へ後輩を伴って出掛ける。

 愛名を家に一人残して一泊するからと会社を途中で抜けて、食事や身の周りの支度をしに一旦帰宅していたのだ。


 愛名は、一泊は初めてではあるが、留守番なら慣れているし、母の仕事のこともよく知っている。

 我儘なお客様が多いなと思う。いい大人が、嫌がらせみたいな行為をあからさまに仕掛けてくるのを何度も見た。

 それでも母は、営業の仕事を辞めなかった。愛名を育て、生活を維持する為だけではない。何というか、女としてのプライド、母親としての意地、そんな心理的なこだわりが、母の仕事への原動力の一つなのだと思う。 愛名は子供ながらに、同性として何となく理解出来るような気がした。

 雑草のようにしなやかに強く、母は、男性中心の会社で文句も言わず管理職を務めていた。


 雨は、一際激しく降っていた。

 台風が接近しているとテレビの天気予報が解説している。台風の中心部は遥か遠い南のほうにあり、雨だけが列島全体にバケツの水をぶちまけたみたいに降り続いて、各地で記録的雨量を観測しているのだった。

 窓を叩く音は、夜の闇が深まるのに合わせて強くなった。


 愛名は、鳴り止まぬ雨音の中、一人でも怖くなかった。

 大雨も雷も自然現象にすぎない。永遠に続くわけでもない。いつかまた穏やかな晴れ間が戻り、世界は光に満ち溢れる。そんなに希望的な解釈でもないけれど、天気に一々騒いでいたら、生きてゆけない。

 そんなことよりもっと、人は人の力で何とか出来ることを解決するべきだと愛名は思う。

 人と人との関わりだとか、人と自然との関わりだとか。もう手遅れなのかもしれないが。


 愛名は、こうも音がうるさいと眠れないような気がした。テレビも飽きたし、本も全部読んでしまった。宿題も終わった。

 さて、どうしたものかと天井を見上げ、ぼんやり考えていたら、ふと、天井の板が一枚、何となく周囲に比べて浮き上がっているように見えた。

 正方形にかたどられた木の板が、部屋のやや奥のほうの中央に、貼り付けたようにめ込まれている。


「こんなの、あったっけ」


 独り言を口にしながら、近づいてよく見た。

 電球を替える時に使う脚立を持って来たが、天井には手が届かない。脚立を仕舞ってある物置きには確か、梯子はしごがあったはずだ。

 愛名は、梯子を引き摺って持って来た。長く伸ばしてストッパーで固定し、天井の正方形の板を押してみる。板は容易く持ち上がり、扉のように開くことがわかった。

 梯子の上端を引っ掛けて、少し揺らして固定されたことを確かめると、愛名は開く天井へと登った。

 四角い扉を押して開ける。真っ暗な空間から湿っぽい空気が押し寄せた。


「暗くて見えないな」


 愛名は、一度梯子を降りて、懐中電灯を持って来た。

 再び天井へ登る。

 扉を全開して、空間を照らした。

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