吸血鬼 VS ニンジャ
そこは、屠殺場へといたる道のようでした。
わたしは、その薄闇に満たされた地下牢獄の一室に蹲りそう思っていたのです。
鉄格子の内側のその部屋のなかには、何もありませんでした。
部屋のすみに排泄用の穴があるきりで、屠殺場へゆく家畜ですらもう少しよいところに住まわされるのではと思いはしたのですが。
一体なぜ神に祈りを捧げるための教会の地下にこのような地下牢獄があるのか、多少不思議ではあったのですけれど。
もしかすると、かつて魔女狩りでとらえられたひとたちを閉じ込めるための場所であったのかもしれないとも思いました。
それであれば、このわたしは何か神に背くような罪を犯したとゆうのでしょうか。
この教会に来てからの記憶は曖昧で、はっきりとはしないのですが。
わたしは新聞の募集広告を見て、この元廃村の教会で貧しいひとを助けるための仕事につくはずであったのです。
けれども、気がついたときに居たのはこの地下牢獄でした。
廊下から少しだけ漏れてくる光で、かろうじて夜の訪れと朝がくるのを知ることができます。
まわりの牢獄からすすり泣く声がするので、わたし以外にも何人もおんなの子たちが閉じ込められていることは、判っていたのですが。
わたしは朝がきてまた夜が訪れるまでの間におんなのこたちがひとりずつ減ってゆくのに気がつきました。
つれさられたおんなのこたちは、二度と戻ってくることはありません。
彼女たちはわたしの憶測ではありますが、殺されていったのであろうと思います。
そのような不吉な気配が、ここには満ちていました。
わたしの閉じ込められている牢獄は、廊下の端にあると思われる入り口から、もっとも遠いところにあるようでした。
おんなの子たちが連れ去られるのは一日一人づつ、入り口に近いところから連れていかれているようです。
おんなの子は昨日、とうとうわたしの隣の牢にいたおんなの子が連れ去れてゆきました。
今、この地下牢獄に残っているのはわたしだけです。
日に食事は二回。
いつも、二回目の食事が終わり、夜が訪れる直前におんなの子は連れてゆかれる。
今日はもう二回目の食事が終わりましたので、もう暫くすればわたしの番がくるはずです。
不思議なことに。
本当に不思議なことなのですが、わたしにはそれほど恐怖はありませんでした。
いえ、恐怖がなかったといいますか、今まで散々恐れを抱きながら幾夜も過ごしてきたものですから、むしろわたしに与えられるのが死であるにせよ、この待ち続ける気が狂いそうな状況がやっと終わるという気持ちが強かったのです。
それでもわたしは自然に、自分の身体が小刻みに震えるのをとめることはできません。
正直、もう自分がどんな感情を抱いているのかもよく判らなくなっています。
そして、わたしはとうとうこの地下牢獄にひとが入ってきたのを感じました。
わたしの神経は極限まで研ぎ澄まされておりましたので、この地下牢獄でどんな音がしても聞き漏らすことはない状態です。
少し、奇妙な足音がしていました。
いつも聞く革靴の足音ではなく、もう少し柔らかな音。
わたしは張り裂けそうな胸を押さえて、鉄格子の向こうへと目をやります。
そこに、影のようなおとこが佇んでいました。
わたしにはよく判らないのですが、東洋風の黒い長衣を纏っており布製らしい不思議なブーツを履いています。
腰には反りのある長剣を提げ、薄闇で見る限りでは顔立ちは東洋人ふうでした。
闇の中からじっとわたしを見ているそのおとこに、声をかけてみました。
「あなたがわたしを、殺すのですか」
おとこは、ぽつりと言葉を返してきます。
「驚いたな、あんたは正気を保っているのか」
わたしは言葉を返せず、おとこを見つめ続けていましたが、おとこはすらりと腰の剣を抜きました。
それは、とても驚くほど。
本当に驚くほど美しい剣でした。
片刃で少し反りのあるその刃は、月の光を帯びているように蒼ざめた輝きを放っており。
ひとを殺すための道具とは信じられないような優美な姿を持っております。
「狂っているなら斬り捨てていこうかとも思ったが、正気なら解き放っておく」
一瞬、それは夜空に稲妻が走るような感じで。
わたしの目には捕らえられぬスピードで剣が動いたようです。
そして、信じられないことが起こりました。
わたしの前の鉄格子が斬り落とされていたのです。
わたしは、生まれたての小鹿みたいな足取りで牢をでました。
おとこは鞘に収めた剣にむけるわたしの眼差しに答えるように、言いました。
「斬鉄剣という。驚くほどのものではない。それはさておきどうする?」
わたしはその問いの意味をはかりかね、おとこの顔を見つめました。
おとこは、感情を感じさせない落ち着いた口調で言葉を重ねます。
「ここに残るか、おれについてくるか。いずれにせよ命の保証はしかねるが」
わたしは、殆ど迷わず言葉を返しました。
「あなたについて行きます」
これ以上ここにとどまることに、耐え切れないというのもありましたが。
何が起こるにせよ、ここで起こることを見届けて死のうと思ったのです。
おとこはそれ以上何も言わずに踵をかえすと、入り口に向かって歩きだしました。
わたしは少しよろめきながら、彼のあとに続いたのです。
わたしたちは、地下から地上へと階段を昇りました。
そこは教会の礼拝堂です。
沈みゆく夕日がその場所を赤い光で満たしていました。
そこは静寂と、血の匂いに満ちています。
長椅子が並ぶその場所に、五人のおとこたちが倒れていました。
そのおとこたちには、見覚えがあります。
地下牢獄を監視し、わたしたちに食べ物を運んできたり地下牢獄からおんなの子たちを連れだしていったおとこたちでした。
みな、銃をてにしており刀で斬り伏せられたようです。
床は深紅のカーペットを敷き詰めたように紅く染まっていました。
わたしは少し、不思議に思います。
おとこたちは銃を持っているのに、なぜ撃たなかったのだろうと。
おそらく、銃を撃てば地下牢獄に銃声が聞こえたはずなのに。
斬鉄剣を持ったおとこは、黒い長衣を影のように揺らめかせながら二階へと向かう階段へと進みます。
あの幽霊のように存在感のないおとこが、夕闇の影にまぎれて忍び寄り斬り捨てたということなのでしょうか。
わたしはそのことを問いかけることのできないまま、おとこの後に続いて階段を昇ります。
わたしたちは、そしてとうとうその部屋へと、たどり着いたのです。
いつしか陽は沈み、西の空から射す残照が部屋を紅く染めていましたが。
その赤い日の光とは別に、深紅の血が部屋をその香りとそれが放つ紅い光で満たしているようです。
全裸のおんなが、部屋の中心で逆さ吊りにされており、その下には流れ落ちる血を受け止めるために浴槽が置かれていました。
逆さづりにされたおんなの子は、おそらく昨日地下牢から連れ去られた子だろうと思います。
一昼夜吊るされていたであろうその子は、既に絶命していたようでしたが、わたしはその子に駆け寄り助け出したいと思いました。
けれど、わたしの足はすくみ、一歩も動くことができません。
吊るされたおんなの側には、なにか魔のような恐ろしい。
いえ、見た目はとても美しいおんなの姿だったのですが、とてもこの世の存在とは信じられないような魔物としか思えないような。
そのおんなが立っていたのです。
そのおんなの髪はそれ自体が光を発しているかのような黄金色に輝いており。
肌はマイセンの陶器でできているかのように、滑らかな白い光を発しているようで。
そして身に纏ったドレスは、流された血と呼応するように紅い輝きを放ち。
わたしは、そのひとが現実のものではなく夢の中から零れおちたのではと思ったのです。
何よりそのひとが浮かべている笑みは。
とても楽しげであり、一切の翳りをもっていないようで、その笑みを浮かべたひとがここであれほどの血を流し続けたのだと思うと、わたしはとてもぞっとしたのでした。
刀を手にしたおとこは、一歩前へと出ます。
おんなは、朗らかに笑いながらおとこに問いかけました。
「おまえがわたしの命をとりにきたというのか」
そういいながら、手に拳銃をとります。
華奢な手には似合わない、無骨な輪胴式の大きな銃でした。
おとこは無言のまま、刀を正面に構え、もう一歩前に出ます。
おんなは皮肉に口を歪めると、拳銃をおとこに向けました。
「無粋だな。名くらい名のればどうかな」
おとこの身体はまるで本当に影となったかのように気配が希薄です。
さらに無造作におとこは前にでると、呟くように言いました。
「名を訊ねるのであれば、まず名のるものだろう」
おんなはくすりと笑いました。
「わたしは世紀を越えて生きてきた魔だよ。名などいくつも使い捨ててきた。そうだな、エリザベート・バートリというのがこの数百年で最後に使った名かな」
エリザベート・バートリと名のったおんなは精確に銃口をおとこに向けたまま、楽しげに言葉を重ねます。
「なんだ、わたしは名のったのにおまえは名のらぬのか」
「ヒャクキという」
「ほう」
エリザベート・バートリのサファイアのように青い瞳が面白がるように輝きました。
「ヒャクキ。東洋の言葉でハンドレッド・デーモンを意味する語だな。たいそうな名を持つようだが、このわたしを斬ることができると思うのか。世紀を越える吸血鬼である、このわたしを」
ヒャクキはさらに一歩前にでます。
もう、バートリとの間にある距離は10フィートもないかと思えました。
「吸血鬼かなにかは知らないが。ひとの姿をとるのであれば、ひとの理に縛られることになる。そうであえば斬ることができる」
ヒャクキの身体がふっと霞みます。
銃声が轟きました。
その時にはヒャクキの影は三つに別れていたのです。
銃弾はヒャクキの影を貫いただけで。
黒い影たちは三方からバートリに襲いかかり、刀が雷光のように閃きました。
ことりと。
バートリの首が地面におちましたが、その口元にはあの笑みが浮かんだままで。
バートリは何ごともなかったように自身の首を拾い上げます。
バートリの腕に抱えられた首は、ヒャクキに語りかけました。
「残念だな。吸血鬼は首を斬れば死ぬはずであるが、わたしはそうはいかぬということだ」
「なるほど」
ヒャクキは頷くと、刀をかかげました。
その刀身は夜空で瞬く星のようにキラキラと輝きはじめます。
その光は次第に脈動を強め、わたしがそれに魅いられてしまうほど、力強い爆発的な光の点滅へとなってゆき。
気がついたときには、わたしの意識が闇にのまれていました。
それはまるで、頭の中で星が炸裂したかのようです。
わたしは再び意識を取り戻しましたが、身体の自由は無くしていました。
わたしの思考と身体は、さっきの光によって切り離されたようです。
「なるほど、ヒャクキ。お前は術に落ちたことまでは気づいたようであるが」
バートリは。
首を斬られたわけではなく、銃口をヒャクキに向けたまま、微笑んでいました。
地面に落ちた首は、吊るされていたおんなの子のものです。
わたしたちは、幻覚を見ていたということなのでしょう。
そして、ヒャクキはさっきの光でわたしたちを術から解き放ったということでしょうか。
けれども。
「気を込めた光を刀身から放ち、麻薬の香りで見せられている幻覚から目覚めたのはいいが、その様でわたしを斬れるか?」
バートリは、無造作にヒャクキに近づきます。
ヒャクキもまた自分の身体の自由を失っているようです。
バートリは、右手に銃を持ち左手を血に満たせていました。
バートリは手にした血を口に運び飲み干します。
「血とは、焔なのだよ」
バートリは独り言のように、語りはじめました。
「だから紅い。燃えているから命を支える。その焔は、ひとの意識を身体から切り離すこともできる。が、おまえはそうなる前に意識を自ら飛ばしたようだが」
バートリは。
嘲るように笑う。
「その有り様では、死ぬしかあるまい」
突然。
ヒャクキの全身を闇が包み込んだように見えました。
それほどまでに濃厚な死の気配が、ヒャクキの身体を包み込んだのです。
ふっと、笑みがヒャクキの口元に浮かびました。
それは殆どバートリと同じ種類のものです。
「オレモマタ、セイキヲコエル魔デアルカラ」
バートリは、後ろな下がろうとしましたが。
ヒャクキの振り上げた刀は稲妻のように降り下ろされます。
バートリは、拳銃で刀を受けました。
12インチほどある銃身が刀を受けたのですけれど。
無骨な銃身はあっさり斬り落とされ刀身が真っ直ぐバートリの心臓を切り裂きました。
「斬ることができる」
ヒャクキは、呟くように言い終えます。
その気配はもとの希薄なものに戻っていました。
今度はバートリの身体から、血が迸ります。
バートリは夢みるように呟きました。
「ああ、見るがいい。焔が、焔が燃えさかる。これが血だよ。全てを焼きつくす。ああ、わたしの意識も燃えてゆく」
バートリは、床に倒れ伏しヒャクキを見上げています。
「しばしの別れだ。この世界が焼き尽くされるその日にまた、わたしは戻る」
そして、バートリはそっと瞳を閉じたのです。
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