ニンジャVs九十九神
黒い着流しに身を包んだそのおとこは、傍らに刀を無造作に置き、杯を傾けていたのだが。
ふと、気がついて顔をあげる。
それまで闇に包まれていたはずの部屋の隅に、白い月影が差し込み、そこにおんなの姿を浮かび上がらせていた。
薄墨色に、血を滲ませたように紅い花弁が散る様を描いた着物を身に付けた、そのおんなは。
凍り付いた水のように白い月影のもとに、骨のようにしろい肌をした顔を晒し。
火を喰らったかのように紅い唇を、笑みの形にゆがめて座っている。
驚くべきなのは、いくら夜の闇に紛れていたとはいえ、おとこにその部屋へ入ったことを気どらせなかったことではあるが。
黒い着流しを死神のように纏ったおとこは、平然と杯の酒を飲みほすと。
半ばひとりごとのように、ぽつりと呟いた。
「おんなを頼んだ覚えは、ないのだが」
おんなはその言葉に、恐縮したように深々と頭を下げると。
夜空を渡る風のように、静かな声でそっと言った。
「何かの間違いなのでは、御座いましょうけれど。このまま戻れば、わたしは主に叱られてしまいます」
おんなは月影の下に、血を含んだように紅い唇と、濡れたように黒く輝く瞳をさらす。
「どうかあなた様の側に、置いてくださりませんか」
おとこは無情に澄んだその瞳に、ふっと笑みの色を浮かべると頷いて見せる。
「ここにいるのは、構わない。構わないのだが、ただ」
おとこは、薄い唇に冷淡な笑みを浮かべ、言葉を重ねる。
「おまえは、ひとではあるまい」
「はい、わたしはもので御座います。判りますか」
おとこは、すんと鼻をならす。
「そりゃあ、判るさ。おまえは九十九神だな」
「そのとおりで、御座います」
おんなは再び、深々と頭を垂れた。
おとこは、皮肉に口を歪める。
「折角ものとしてこの世に産まれたというのに、苦しみ足掻くのが性といってもいいひとになるとは、因果なことだな」
おんなはすっと顔をあげ、黒い瞳で真っ直ぐにおとこを見る。
「そうで御座いましょうか」
「そうだろうが」
おんなは、ゆっくりと首を振る。
「そもそも、ものなどというものが、ほんとうにあるとお思いですか」
おとこは、少し瞳を曇らせる。
「どういうことだ」
「ものは皆、汚されているのです」
「ほう」
おとこは、面白がるようにおんなを見る。
「なにに汚されているというのだ」
「言葉に、です」
おんなの紅い唇は、血を滴らせるように言葉を重ねる。
「ひとは、言葉で、名でものを覆ってしまうのです。言葉を、そして名をつけられたものは、もう無垢なものではいられません。そこにはひとの、恋情や憎しみや哀しみが、入り込んでしまうのです」
「なるほど」
おとこは、嘲るような笑みを口元にはく。
「それでおまえも、恋情を身に宿しているというか」
おんなは、全てを切り刻むかのように残酷な月影に身を晒し、燃え盛る炎のように紅い唇を、にいっと笑いに歪め。
こう、言った。
「いかにもわたしは、あなた様が愛しゅう御座います」
何かが堰を切ったかのように、おんなは言葉を重ねる。
「あなた様を抱きとう御座います。あなた様とひとつになりとう御座います。あなた様の血と肉を」
黒い瞳が、白い月影の中で、漆黒の炎をあげたようだ。
「喰らいとう御座います」
おとこの動作は、流れるようであった。
闇色の影が舞うように、おとこは立ち上がり刀を抜く。
真冬の夜空を駆け巡る蒼ざめた稲妻のように、引き抜かれた刀が降り下ろされる。
かたりと。
割れたしゃれこうべが、床に転がった。
いや、それはしゃれこうべのように見える、陶器の杯である。
おとこは、白い月影のもとで無惨に割れた杯を冷ややかに眺めると。
刀を納め、再び酒をその酷薄な唇へと運ぶのであった。
ニンジャ・マスト・ダイ 憑木影 @tukikage2007
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