ニンジャ・マスト・ダイ

憑木影

迷い家

貴方様は、わたしの身体を抱き締めるとまるで息の根をとめるかのように。

わたしの中の命そのものを、吸い出そうとしているかのように。

強く強くわたしの唇を吸った。

わたしは貴方様の鋼のような抱擁の中で、ゆるゆると溶けていきそうな、ここちになる。

貴方様はわたしを抱き締め唇を吸うことで満足したように、唐突にわたしの身体を離すと。

夢の中にいるような眼差しでわたしを見つめながら、ゆっくりと話をはじめた。


月は驚くほど天高いところに輝いており。

その山道はその傲慢なまでの月光の輝きを受け、真昼の海の中ように蒼白く明るかった。

そのおんなは、さすがの貴方様もぞっとするような異様な様であったそうで。

もちろん貴方様自身も黒の着流しに太刀を一本腰に差したきりという、見ようによっては夜の山中に迷い出た物の化の類いとも見えたのだけれど。

そのおんなは、そんな貴方様とは比べ物にはならないほどの。

異様さであったのだと。

そう、あたかも冬の夜に狂い咲いた桜のような。

薄く紅い色に染め上げられた着物を身に纏い。

水に溶けた血の色をあたりに撒き散らして。

そのおんなの回りは光る泡に包まれているように、つやつやとした淡い紅の明るさに満ちていた。

見事に結い上げられた黒髪は、むしろこの深い山中では不自然であり。

その両の目はどこを見据えているのか判らないように、深く彼方に向けられていて。

そして、紅い唇は別の生き物のようにおんなの口許で艶めかしくうごめいていた。

笑うように。

嘲るように。

楽しげに。

哀しげに。

貴方様は、なるほどこのような物か、かみの類いが出てくるのであるなら、村の古老たちが夜山にはいるなというのも頷けると思いながら。

腰に差した刀の柄に手をかけた。

おんなは今度こそ、くすりと笑うとこう語りかける。

「おまえは、あたしをかみと思いながらも斬ろうとするのかい」

まるで貴方様のこころを見透かしたような、物言いだったけれど。

貴方様はその整った顔に、なんの表情も浮かべぬまま。

そう、いつもの調子でこうかえした。

「かみであろうとひとの姿をしたものであれば、ひとの理に縛られる。だからおれは、かみであっても斬ることができる。ひとの姿をしている限り」

おんなは何を思ったのか満足げに頷くと。

水の中で魚がするりと身を翻すように。

皓々と光る月の下で後ろを向くと、歩き始めた。

何事もなかったかのように。

いや、実際何事かがあったわけでは無かったのだが。まだこの時点では。

貴方様はこのままおんなと別れれば、事なきを得ると思ったのだけれど。

貴方様はおんなの後に続くことにした。

おんなと貴方様は、ゆっくりと夜の山道を歩いてゆく。

月に照らされ、偽りの昼間のように明るい夜道を。

貴方様は、歩いていった。

決しておんなは速く歩いているようには見えず。

むしろゆっくり歩いていたのだろうけど。

貴方様は、おんなを見失っていた。

そして、夢から目覚めたように唐突に。

貴方様は、その屋敷の前に立っていた。

それは山の中にあるにしては、驚くほどしっかりとした造りの立派な屋敷である。

あたかも神殿のような風格のある佇まいを、持っていた。

貴方様はその山中にあるにしては、壮麗な屋敷の中へと無造作に踏み込んでゆく。

庭を通り抜け、縁側から建物の中へと足を踏み入れる。

ひとの気配は全くないのだが。

廊下も室内も、手入れが行き届いているようで、ひとの住まない廃屋だとはとても思えない。

けれど、貴方様が見て回るどの部屋にもひとはおらず。

これだけの屋敷を維持しようと思えば、数十名の使用人がいるはずだと思いながら。

貴方様はその大広間にたどりついた。

その大広間には膳に馳走が盛り付けられ並べられており。

これから、何かの宴が開かれるように見えたのだけれど。

やはりひとの気配はさっぱりなく。

あるいは、これからひとが集まるのかとも思ったりもしたのだが。

この屋敷の中あるいは、屋敷の外にも気配はない。

膳に盛り付けられた馳走は、見たこともないような肉や肴、煮物、焼き物、揚げ物であり。

貴方様は突然、ぞくりとした。

判ったからだ。

そこに並べられているのがなんであるのか。

先程のかみであるおんなは、貴方様に気づかれることなく、貴方様の命を奪い。

ここに馳走としてならべたのだ。

そう気づいたとたん、隠れている必要が無くなったというかのように。

大広間のそとに無数の気配を感じた。

それはどれをとっても、ひとのものではなく。

かみのものであり。

なるほど、おれはかみの食事として命を奪われたのだなと、ひとりごちる。

そうすると、外のかみどもが、囁きはじめるのだ。

(驚いた)

(驚いた)

(ひとのくせに、我らに気づいた)

(我らの食物のくせに、我らに気づいた)

貴方様は面倒になり。

すらりと刀を抜いた。

月の光を受けて、鋼の輝きが広間に鋭く浮き上がる。

ざわざわと、ざわざわと。

ぎしぎしと、ぎしぎしと。

かみたちが騒ぐ。

踊る。

動き回る。

どんどん、がさがさ、姿は見えぬが、かみたちが広間のまわりで騒ぎ回った。

なぜかかみは、入ってこれない。

貴方様が刀を抜いたせいなのか。

何か大きなものが歩いて行き、長いものがのたくってゆき、小さきものが駆け抜けてゆき、濡れたものが這いずってゆき。

異形のものが夜の光を浴びて浮かれ騒いでいるような。

貴方様は目をとじて。

自分の命のありかを探し見つけ。

刀を振り上げた。

かみたちのどよめきを無視すると、貴方様は刀を振り下ろす。

ああ、とかみたちは溜め息をもらすと。

去ってゆく。

去ってゆく。

海の潮がひいてゆくように、かみたちが屋敷の回りから遠ざかってゆくのが判った。

貴方様は、ゆっくりと刀を鞘に納める。


「それで貴方様は、」

わたしの問い掛けに、貴方様は少し眠たげな眼差しをわたしに向けた。

「命をその屋敷に置いてきなさったのですか?」

「判らん」

貴方様は無造作に懐から、半分に割れた椀を出すと畳にころがした。

「おれの命が盛られていた椀の片割れはもらってきたがな。半分だけ」

貴方様は面倒くさそうに、わたしをもう一度抱き締めた。

「もしも貴方様が屋敷に命を忘れてきなさったなら」

貴方様は不思議そうに、わたしを見た。

「わたしのそれを差し上げましょう」

貴方様は少し笑うと、もう一度わたしの唇を吸いなさる。

息の根を止めるように。

わたしの命を吸い出すように。

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