ミュータント VS ニンジャ
いつの頃からか、この街には色々なものが流れついてくるようになった。
もともと移民の国であるから様々なひとがいて当然ではあるが。
東の大洋を越えてA10弾道弾が2発飛来して、反応兵器と呼ばれる爆弾を炸裂させた結果、首都が崩壊してからは。
ひととも獣ともつかぬ、様々なものが流れてくるようになったのではあるが。
今、彼女の目の前に座っている死神のような漆黒の長衣を纏ったおとこは別格であった。
彼女は、カウンターの後ろにある棚から得体の知れぬ安いウイスキーを取り出すと、おとこの前にあるグラスへと注ぐ。
彼女は、無表情のままグラスを傾けるおとこの顔を、猛禽のように鋭い瞳でみつめる。
彼女は美しくはあったが、その鋭い瞳と顔に深く刻まれたいくつもの皺が近寄りがたい印象を与えていた。
おとこは、そんなことには一切気にかけたようすもなく、さして旨くもなさそうに酒を飲み干す。
眼差しで求められるまま、彼女は酒をつぎたした。
そのおとこの無表情な顔は、東洋人のようだ。
腰には、ひとふりの刀をさしている。
何年か前に映画で見た、東洋の島国でサムライと呼ばれる騎士が帯びる剣と似ていた。
彼女もまた、腰には45口径という物騒な銃弾を装填した軍用拳銃をさしていたが、そのおとこが腰にさしている刀はもっと違う忌まわしいものを帯びているようだ。
それは、あたかもひとの血を見るために産み出されたものであるというかのような。
何か狂おしい呻きが聞こえてくるような。
そんな剣である。
そして、そのような刀を身に付けているそのおとこが、彼女には魔かもののけの類いのようにも思えたのだが。
グラスを傾けるその姿は、どこにでもいる平凡な東洋人のようでもある。
おとこは突然、ふと眼差しをあげた。
それとほぼ同時に、銃声がした。
おそらく、拳銃弾を撃ったおと。
おとこは、影のような黒い姿でゆらりと立ち上がった。
彼女は思わず、声をかける。
「やめときな、かかわり合いにならないほうがいい」
おとこは、不思議なものを見るような瞳で一瞬彼女のほうを見たのだが。
何も口にせず、店の外へと向かう。
彼女はカウンターから出ると、おとこの後に続いた。
彼女は、灰色の空から降る日差しに少し目をしかめる。
廃墟のようなメンフィスの街は、しんとしていた。
三度目の世界大戦が終わってもう5年はたつが、あいかわらず荒廃した街である。
国境が近く、最後まで激戦があったせいなのかもしれない。
その荒れ果てた大通りに。
軍用ジープが二台停まっていた。
そして、黒い十字を襟につけた軍服を纏うおとこたちが五人。
MP40短機関銃を、構えて立っている。
ひとりだけ軍用拳銃を構えたおとこがおり、そのおとこの拳銃の先になにかがいた。
ひとのような。
ぼろ屑のような。
獣のような。
魔のような。
それは、ずた袋みたいな毛布を纏って地を這うように歩く。
軍用拳銃が、もう一度火を吹く。
トルグアクションという独特の機構を持った拳銃が、カートリッジを吐き出す。
銃弾は、その地を這うように歩くものから大きくそれた。
まるで目を瞑って撃っているかのような、はずれっぷりだ。
いつのまにか黒衣の東洋人は、地を這うものと黒十字の軍人との間に立っていた。
その姿は。
真昼に現れた、漆黒の幽霊のようである。
「そこを退け」
黒十字の軍人は、叫ぶ。
おとこは、それにこたえるように刀の柄に手をかけた。
彼女はその瞬間、刀がたまらない声ですすり泣くのを聞いたような気がして、ぞっとする。
いかにその黒衣の東洋人が手錬であろうとも、四丁の機関銃を前に一本の刀では為す術もないはずなのであるが。
おとこは当然斬れると思っているかのように、刀に手をかけている。
黒十字の軍人は、不吉なものを感じているのか少し表情を曇らせて言った。
「それが何か知っているのか?」
軍人の問いに、東洋人は首を振る。
軍人は、吐き捨てるように言った。
「そいつは、ミュータントだ」
黒い。
立ち上がった死のような、その東洋人は静かに言った。
「これは、おれのだ」
その瞬間、軍人たちから緊張の色が消えた。
変わりに、少し侮蔑の笑みを浮かべると、無言のままジープで引き上げて行く。
黒衣のおとこは、地を這うものを立たせる。
ぼろ布の間から垣間見えたのは、おんなの身体であった。
それもひどく艶めかしい、成熟した身体である。
おとこは、荷物を担ぐようにそのおんなの身体を肩にかつぐ。
「判っているのか」
彼女は、苛立った声でおとこに言う。
「それは多分ひとの姿をしているが、ひとではない。前の大戦で使用された反応兵器が生んだミュータントだ」
おとこは、遠いところから聞こえてくるような声でこたえる。
「ひとの姿をしていれば、おれには十分だ」
おとこは歩き出すと、背中で彼女に言った。
「ひとの姿をしたものは、ひとの理に縛られるのだからな。二階の部屋を借りるぞ」
彼女はおとこを、見送るしかなかった。
おとこは、荷物のようにミュータントと呼ばれるおんなをベッドに投げ出す。
そして、無造作にその身を覆っていた布を剥ぎとる。
おんなの姿が、顕になった。
身に付けているものは下着だけで、それもあちこち破れて肌が露出している。
陶器のように白く輝き、爬虫類を思わせるぬめりをもった肌だ。
妖艶、といってもいい身体だった。
おとこはうつむいた顔をよく見るために、顎に手をかけると前を向かせる。
おとこは、はっと息を飲んだ。
その瞳のある部分には、ひとの目はない。
変わりにあるものといえば、水晶のような輝きをもった球体である。
その奥で、七色の光が火花を散らしていた。
おとこは、それに邪悪なものを感じると、後ろにさがり刀を抜く。
片刃の冬の夜空に輝く星を思わせる輝きを放つ、刀身が姿を顕した。
悲鳴のような、声にならぬ音にもならぬ血に飢えた叫びをあげるように、その刀は輝いてみせる。
沈みゆく太陽の輝きみたいに獰猛で、死のように荘厳な凶悪さを備えた輝きが。
ミュータントの瞳が放つ水晶の歌を思わせる輝きとぶつかりあい、空間を捩らせるようにあたりの景色を歪めてゆく。
おとこは、身体が麻痺してゆくのを感じながら。
ミュータントの黒い髪が、生きているように蠢くのを見た。
おとこははじめて理解した。
その髪は、意思をもった生き物であると。
おんなはその髪を宿したいうなれば、乗り物にすぎない。
主はその髪のほうであり、おそらくミュータントと呼ばれるべきは、その髪なのだと。
そしてその髪は新たな餌食を求めて、おとこに触手を伸ばしていた。
それは。
戦慄的な快楽を約束した侵略である。
おとこは、気がつくとミュータントが女神のような神々しさを帯びていることに気がつく。
その生きた髪は、ひとのこころに麻薬のような快楽を与え、思うがままに操るらしい。
おとこは、感じていた。
その侵入者が、おとこのこころの奥底にある扉を開こうとしているのに。
遥かいにしえより、何万もの血のいけにえを喰らいつづけた、その怪物が眠る。
封印された扉をを開き。
この世界へ、再び虐殺と絶望をふりまこうと望んでいるかのような、その容赦無き快楽の触手を感じながら。
しかし、それは一発の銃弾によって途切れさせられる。
おとこは、彼女が大きな軍用拳銃を構えて立っているのを見た。
彼女は、足元に転がるミュータントの生首を見る。
おとこは、一刀のもとにミュータントの首を、切り落とした。
おんなを支配していた髪は、その宿主から生命力の供給を絶たれると生きてはいられぬようだ。
今では動かぬ、髪でしかない。
おとこは、不思議そうに尋ねる。
「なぜ、おれを助けた」
彼女は、肩を竦めて言った。
「あんたをミュータントに食わせたほうが、よくないことが起きる気がしたのよ」
おとこは。
夕暮れを渡る風のように。
そっと、微笑んだ。
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