SPSS 2020-3 未来はいつも刺激的


 伸ばした手の先すら見えない暗闇。

 虫の声も、鳥の羽ばたく音さえ聞こえない、耳が痛いほどの静寂。

 打ち寄せる波の音が、吹き付ける風の音が、早鐘の様に音を立てる心臓の音が、同じリズムを刻んでいるのに、不安が音を消し去ったかのよう。


「まったく……驚かせんじゃねっての……。思わず泣きそうになっちまってたじゃねえか……」


 そんな静けさに耐えられなくなったかのような、震えた声が闇に響く。


「ふ~ふふふ~ん。え? 何ですか?」


 その声に返して来たのは、少々弾んだ少年の声。


「い、いや……リ、リオには内緒な? 面目ねえ……情けねえとこ見せちまったっなって……」


 九郎も負けじと明るい声を無理やり出す。


「そんなこと無いですよー? ……その……キュンとしました」


 少し照れたような声色。からかわれているような、それでいて好意が溢れんばかりの台詞に、九郎の心はキュンでは済まない。


「はははは……そうっかぁ……。俺は今心臓がギュンと縮んでっけど……」


 危うげなフォルテの台詞に、九郎の背中には滂沱の冷や汗が伝っていた。


☠ ☠ ☠


 一時間くらいだったのだろうか。

 女性陣が皆いなくなり、呆然と固まっていた九郎を気遣ってくれていたのか、むさくるしい男共が暫くの間つきあってくれていた。

 しかし九郎の余りの落ち込みっぷりに、見ていられなくなったのか、一人、二人と櫛の歯が掛けるように姿を消し、気が付けば九郎は一人、食堂にポツンと取り残されてしまっていた。


 落ち着いて考えてみれば、馬鹿な妄想なのだろう。

 しかし九郎はこの時、『不死者』となり『化け物』となった自分の『ありえた未来』を幻視してしまっていた。

 今は好意を寄せてくれている少女達も、いずれ自分の元を去って行くのではないか。

 永遠とも呼べる時を生きる『不死者』であっても、互いに愛を誓い合ったとしても、『絶対』などこの世には存在しない。


 運よく彼女達のハートを射止める事が出来、今は賑やかに暮らせているが、未来は誰にも分からない。

 そんな不安が九郎の心を支配し、どうしようもない寂しさを覚えてしまっていた。


 そんな思いを抱いていた時、再び扉が開かれたのなら、九郎が取る行動は決まっている。

 たった一時の孤独に負け、気持ちを落ち込ませていた自分の元に戻ってきた天使。

 それが誰であっても感激は一入。我を忘れて抱きついてしまっていた。


「や、やっぱ皆にも内緒な!」


 その時を思い出し、九郎は照れくさそうに頭を掻く。

 寂しさを感じて後輩に抱きつくなど、大人の男としてあってはならない。

 例えその見た目が美少女であっても、後輩(男)に涙ながらに抱きつくなど、羞恥に身悶え思い出しては布団の中で転げまわる事請け合いだ。


「言いませんってば……。僕だけの宝物にするんですから!」

「いや……出来ればフォルテにも忘れて欲しいっつーか……。ああ……穴があったら入りたい……」

「………………穴……」

「な、なんでもねえよ!? で、でよ……俺どこに向かってんだ?」


 新たに生まれてしまった黒歴史に顔を歪めた九郎は、現実から目を逸らすかのように周囲を見やる。

 何となく流れのままにフォルテに外に連れ出されてしまったが、新年の幕開けを迎えるにはあいにくの曇り空。星も月の明かりも差さない真っ暗闇の中を歩いていると、新たな不安が湧き出して来る。


 暗闇を見通す目を持つフォルテに先導されてはいるが、彼を刺激する行動に出てしまった直後だけに、ヘタすればこのまま暗がりに連れ込まれて「アッ――!!」な展開になりかねないと言う不安が……。


「だ、抱きついちまってなんだけどよぉ……俺にその気はねえって言うか……」


 嫌な予感が頭を過り、九郎は慌てて予防線を張る。

 他人の嗜好をとやかく言う趣味はなくとも、自分に被害が及ぶとなると話は別だ。


「そんな事いいながらクロウさん、僕の手ぎゅっと握ってくれてるじゃないですか」


 ところが彼の言う通り、今の九郎には全く説得力が無かった。

 本気で嫌ならその絡め取られている腕を振りほどけば良い。暗に仄めかした彼の言葉は尤もなのだが、今の九郎にはそれが出来ない。

 どれだけ貞操が警鐘を鳴らしていても、「孤独よりはマシ」との思いが、彼の手を離さない。


「これが『口では嫌々言いながら』って奴ですね! クロウさん!」


 九郎の心を知ってか知らずか、フォルテは恥らう素振りを見せながらも、ここぞとばかりに甘えていた。

 いつの間にか九郎の傍に寄ってきて、腕を絡め取るように両手で抱き、体を摺り寄せてくる。


(フォルテは男! フォルテは男!! フォルテは男!!!)


 九郎は必死に自分に言い聞かせる。

夢魔サキュム』の種族特性なのか、華奢な体躯と高い声色。香る汗の匂いすら、女のそれと間違えるような、妖しい色香に眩暈がしてくる。

 しかし例え美少女の見た目をしてたとしても、フォルテはまごう事なき男の子。

 行き着く先は薔薇の名を冠したどどめ色の未来しか待っていない。


(フォルテはきっと男の娘! って馬鹿野郎!! 願望混ぜ込んでんじゃねえっ、俺!)


 なのに心が言う事を聞かない。

 人の温もりと言うのはこれ程抗い難いのか。

 このままでは本当にソッチに逝ってしまう――九郎の危機感が最高潮に達したその時、


「も~! 真っ暗じゃ分かんないよ~! ベルちゃん、お願いっ!」

「え? クロウ来たの? デンテ、どこ?」

「お、お待ちください、ベルフラムさん! 後生です! 後生ですからっ! あとちょっとだけ! 先っぽだけでもっ!」

「え?」


 暗闇の奥から華やいだ少女達の声が聞え、九郎に救いの女神の手が差し伸べられる。


「てっめぇぇぇっ!! フォルテに手を出すんじゃねえって言ってただろうがっ!!!」


 女神は怒声と共に殴りかかって来ていたが――。


☠ ☠ ☠


 墨を落としたかのような暗闇が、オレンジ色の光に掃われる。

 ベルフラムが魔法の灯りを灯したのだろう。

 九郎は尻餅をついたまま目の前に広がる光景を、ぽかんとした間抜け面で迎えていた。


 赤や青。緑や黄色。白や紫と色とりどりの花が咲き乱れ、蝶が舞い、鳥が飛んでいた。

 地上の楽園である『サクライア』に住んでいても、これほど色鮮やかな光景は見た事が無い。――九郎がそう思った瞬間、目の中に星も飛ぶ。


「お前のっ! 言葉をっ! 一応っ! 信じてっ! たんだぞっ!」


 現状を把握するのが一瞬遅れた。

 九郎はリオにマウントを取られたままであり、タコ殴りにされている最中だった。


「すまぶっ! 俺がどうにかしてたっ! それにまだ未遂でふぶっ!」  


 謝罪の言葉を口にしながらも、九郎は安堵に胸を撫で下ろす。

 危うく禁断の園に足を踏み入れるところだったのもあったが、それ以上に彼女達が自分から離れてしまった訳では無かった事に、体の力が抜ける気がしていた。


「クロウ様……」「…………ま」


 ただ――どう見ても状況は宜しく無い。

 いつもであれば、九郎が攻撃されていたらすぐさま駆け寄ってくる姉妹の引きつった声。

 今の九郎は別段リオに何発殴られようとも、痛くは無い。

 が、しかし子供達のその目は痛い。

 暗闇の中から一点光の渦中に放り込まれ、まだぼやけたままの目にも、容易に幻視できてしまう、父親のアブノーマルなエロビデオを見つけてしまったような娘達の目は。


「ご、誤解だかんな!? 違うかんな!!」

「何がっ! 違うって! 今てめえっ! どこに手を入れてやがったっ!」

「姉さん! 止めてよっ! あともうちょっとだったのに!」

「そうですわよ、リオ! あともう少し堪えて頂けてれば、サワリくらい見れたかも知れませんのに! あと一押し! あと一刺しでしたのよ!?」


 慌てて弁解する九郎。

 リオの腕に縋るミスラとフォルテは、止める振りして九郎に止めを刺しにきている。

 九郎の孤独感を和らげてくれる声であっても、尊厳や面目は助けてはくれない。


(くぅ……オラぁこんな星の定めに生まれちまってるんか……)


 いつもと変り映えの無い騒がしい日常風景。

 しかし賑やかさが戻った事は喜ばしいが、自分がネタ元では騒ぐに騒げない。

 そして「それでもこっちの方が良い」と思っている自分に、九郎は苦笑を溢し息を飲む。


(マジかよ……)


 九郎は自分が置かれている状況も忘れて目を瞠っていた。

 降り注ぐリオの怒りの鉄拳も、もう意識の外。心に痛い筈の罵声すら、遠くに聞こえる雨音の様に耳に入って来ない。


「今すっごい音がしたけど……クロウ、大丈夫?」


 心配気な声と共にベルフラムが駆け寄ってくる。

 燃えるような髪と同じ、緋色の衣装を身に纏い、慣れない衣服に若干走り辛そうにしながら。


「これこれ、ベル嬢や。あんまり走ると転ぶぞぉ」


 若葉色の衣装に身を包んだシルヴィアがその後に続く。


「タイミング間違っちゃったかなぁ……。ねえねえ、レイアさぁん。ボク、先走っちゃった?」

「ぴっ!? いえ、私にもまだ状況がっ! それよりアルトリアさん……帯を引っ張らないでくださいっ! さっき食べたばかりのお蕎麦が出ちゃいますぅぅう!」

「ありゃ……ごみん……。それよりの胸の方が苦しく無い? ミスラちゃんは『この衣装は胸を小さく見せてこそ映える物なのですわっ!』って言ってたケド……」

「胸も苦しいですけど、お腹も苦しいんですっ! アルトリアさんは太らないから……ズルいですぅぅぅ」


 その後に続くのは、艶やかさの極みの様な装いのアルトリアとレイア。

 紺と藍。

 じゃれ合った所為でサラシが緩んだのか、零れ落ちそうな白い胸元をより際立たせる夕闇の色。


「ねーちゃ……。クロウしゃま、今……」

「しっ! 私達は何も見なかった! いいわね!?」


 最後に続くのは耳を塞ぎたくなるような気遣いと共に現れた、デンテとクラヴィス。

 自分の煩悩の数を痛感せざるを得ない揃いの紅白の装い。

 彼女達二人は他とは違った趣だったが、これぞ正装と思えるほどに可愛く映るのは、遺伝子に刻まれた何かがあるのか。


「俺……いつの間にか死んじまってたんか?」


 九郎の口から思わずとんちんかんな言葉が零れる。

 つい先程、『不死者』故の寂しさを幻視したばかりの男が口にするには、余りにも滑稽な台詞。

 しかし、九郎の目の前に広がった既視感のある、ありえない光景を考えればそれも当然だった。

 彼女達が身に纏っていた衣装は、この文化形態が様々なアクゼリートの世界に於いても見ることは無かった、和服――所謂『振袖』(デンテとクラヴィスは巫女服だったが)だったのだから。

 懐かしの衣装に身を包んだ少女達に、九朗は言葉を失いただただ目を奪われていた。


「な~にを寝呆けた事言っちょるんじゃ……」


 シルヴィアが悪戯っ子の顔でシシと笑う。

 感想を聞くまでもなく、「ドッキリ大成功!」なのは一目瞭然だからか、呆けたまま惚ける九朗に満足気だ。


「――ま、儂も驚いたがの。粋な事を考えるもんじゃ。コレ・・はお主の故郷の衣装じゃろ?」


 ただ余りにも九郎の表情が感極まっていたからか、シルヴィアは袖を翻して照れくさそうに続けた。

 自分も今日の今日まで晴れ着の事は聞かされていなかった――暗にそう仄めかしたシルヴィアの言葉で、九郎はミスラに目を向ける。

 だんだん状況が掴めて来れば、おおよその答えには行きつく。

 日本の文化を知る者は、この世界に於いて『来訪者』を除けば彼女だけだ。


「新年早々眼福が拝めるかと思いましたのにぃぃぃ…………………。……いえ、その……あの……

 ……………………喜んで頂けましたか?」


 九郎の視線に気付いたミスラは、あわてて髪を整えながらはんなりとした笑みを浮かべた。

 言動があんまりすぎて自発的に目を逸らしていた部分もあったが、改めて見てみると、彼女も振袖姿だった。

 白を基調とした振袖と彼女のスカイブルーの髪のコントラストが美しい。

 他の者達よりは着慣れているのか、着こなしも堂に入っており、本当に黙っていれば非の打ち所が無い美少女なのだと痛感させられる佇まい。


「もしかしてリオも――――ぶべっ!?」


 ならば彼女も振袖姿なのだろうか? ――九郎が視線を移動させようとした瞬間、再びリオの拳が頬にめり込む。

 一時の九郎の平穏は、ミスラとフォルテの制止があってこそだった。


「ちょっと姉さん! 服が汚れちゃうっ! あんなに気にして直前まで着ようとしなかったのに、これじゃあ全然意味無いよ!?」


 強制的に逸らされた視線の先では、フォルテが姉を宥めるのに躍起になっていた。

 その彼も九郎を迎えに来た時に羽織っていた外套が乱れ、紅白の目出度げな巫女服が覗いている。

「その衣装で誘惑してこようとしていたのか……」と思わなくも無かったが、白髪のミステリアスな彼に良く似合っていて、九郎は気まずさを覚えて目を逸らす。そして固まる。


「話は終わっちゃいねえぞっ! おらっ! 何呆けてやが――――」


 いきなり黙りこくった九郎の視線の先をリオは追い――彼女も固まる。


「………………」

「………………」


 一瞬訪れる沈黙。


「ちょっとスースーしません。この衣装……」

「もう、レイアさん! これがこの服の正しい着こなし方だって、ミスラちゃんが言ってたでしょ? でも、ボクも苦労して織った甲斐があったよ! これ自体が下着だなんて、クロウのいた世界はエッチだなぁ」

「え!? そうなの!? 下着は着けないってそう言う意味だったの!?」

「むぅ……慎ましやかと言えん事も無いが……いきなり恥ずかしゅうなってきたぞい」

「いえ……一番下に羽織っている薄い衣装が下着の代わりでして……」

「え? 騙したの!? ミスラちゃん、ボクを騙したの!? ボク、エッチな下着だって聞いたから頑張ったのに!」

「お、落ち着いてくださいまし! アルトリア様! 『あ~れ~』は本当ですからっ!」

「ホント? それも嘘だったら、ボク怒るからね?」

「あ~れ~って?」

「あのね、この帯をね――」


 空気を読んだのか読んでないのか、無言の二人の間に流れる少女達の会話が全てを物語っていた。

 リオの顔が見る見る赤く染まって行く。


「…………見たか?」


 俯いていたリオが涙目で九郎を睨む。

 もう見た事も無いほど彼女の顔は真っ赤だ。


 リオはずっと九郎の腰に跨り拳を振るっていた。

 怒りに我を忘れ、乱れる衣服を気にする事無く。

 和服と言う衣装は前開きの形態になっており、そんながさつな行動に出ればどうなるのかは自明の理。


 いつも露出が多いリオの、すらりと伸びた黒い足の、何気に見た事が無かったその先が、肌蹴た裾からお目見えしており……。


 砂漠の何処かに羞恥心を落っことして来たと思っていたリオにも、まだ羞恥心が残っていたのか――と、九郎は変な感慨を抱きながら口を開く。

 

「い……一応……拝んどくか? ぶへらっ!?」


 テンパった末に出た返しがこれでは、こうなるのもまた自明の理。


「これだからお高い服は嫌なんだよっ! 布地が多いのに肝心な場所がちっとも隠れやしねえ!」


 強制的に夜空を見上げさせられた九郎の耳に、リオの悶えるような悲鳴が響いていた。


☠ ☠ ☠


 東の空が白み始める。


「どういう事じゃ? まだ夜中の筈じゃろう?」


 年明けを前にして白み始めた空に、シルヴィアが目を見開く。

 他の者も同様だ。

 時空を捻じ曲げた様な光景に、ポカンと口を開いている。


「お、サクラぁぁァァアアア。お前もおめかししてもらってたんかぁぁ! 可愛いよ! サクラ!」

「キュイッ!」


 皆の驚きにニンマリしながら、九郎はサクラを抱きかかえ、先程彼女達全員にも伝えた言葉を繰り返していた。

 驚かせよう、喜ばせようと企んでいたのはお互い様だったようだが、自分の企画も驚いて貰えたようで、九郎も満足気だ。


「……まんま鏡餅やん。なんや。手ぇ合わせたらええんか? 蜜柑は?」


 注連縄しめなわ紙垂しでで飾られたサクラを眺め、龍二がぼそっと呟いていたが、九郎は「似合っていれば問題無い」とばかりに聞き流す。


「くっ……迂闊でしたわ……。サクラさんはクロウ様側だった事を忘れていました……。まさか航路を変えているとは……」


 その横でミスラが射し込む朝日に目を細めながら、悔しそうにしていた。

 九郎が思った通り、一連のドッキリを企画したのはミスラだった。

 男共も協力させられていたのか、いつの間にかいなくなったと思っていたファルア達も、今はシルヴィアの晴れ姿を肴に、再び酒盛りを始めている。


「ねえ、クロウ。どうして航路を変えると時が縮まるの?」


 太陽が東から登る。

 そんな毎日目にしていた当たり前の事を、さも不思議そうに尋ねてくるベルフラム。

 ハーブス大陸の約半分を占める巨大国家、アプサル王国の貴族に生まれた彼女にとっても、想像も出来なかった世界の形。地平線に沈む夕日を。水平線から登る朝日を目にしていても、彼女は「世界が丸い」と言う常識には思い至っていなかったようだ。


「世界は丸いからですわ……。正確に言うのならばこの世界はどちらかと言うと卵型なのですが……。我々が住むこの大地は万物を引き寄せるでしょう? それと同じく、太陽もまた大地に見えない紐で繋がれ、その状態で周っているのです。光が照らすのは常に球体の半面だけ。ハーブス大陸が昼の時、我が故郷アルムがあるケテルリア大陸は夜なのです。東に舵を取ればそれだけ夜明けは早まりますの」


 それでこそ解説のしがいがある――九郎がにんまり笑みを浮かべたその時、不貞腐れたままミスラが言葉を奪って行く。

 彼女はあらゆる地図を見る事が出来るこの世界で唯一世界の形を知る者。地動説と天動説が逆だが、この世界に於いては彼女の方が知識は上。

「水平線が見えるからこの世界も丸いだろう」との安易な思いつきで舵を切った九郎に、口を挟む隙は無い。


「いつも驚かされてばかりでしたから、年始だけでもと思いましたのに……」


 オチをかっさわれてしまい口元を引きつらせた九郎を見上げ、ミスラはプクッと頬を膨らませる。


「最近は自重してるつもりなんだがなぁ……」


 言外に責められている気がして九郎は所在無く頭を掻く。

 本人が動いていないとワーカー落ち着かないホリックなので、色々雑用を引き受けていつも忙しく走り回ってはいるが、政治に長けたミスラやベルフラム、アルフォスやベーテを擁する『サクライア』に於いて、九郎の仕事は実は少ない。

 だから九郎は折を見て『サクライア』の暮らしを良くしようと、一人で考え突っ走り、皆を呆れさせることも多々やらかしていた。


 ミスラはそんな九郎のやらかしに頭を痛めていた者の一人である。

『サクライア』の実質的な運営を与る彼女は、意趣返しの目的もあって今回のドッキリを仕掛けたようだ。


「いや、充分びっくらしたぜ? マジ心臓止まっかと思ったもんよ」

「止まっても変わんねえじゃねえか……てめえは」


 九郎が正直な胸の内を明かすと、リオの鋭い突っ込みが割って入る。

 ただ着物のおくみを握りしめたままでは、その切れ味も文字通り片手落ちだ。


「そりゃそうだけどよ……。でも、嬉しかったし感動したのもマジだぜ? ありがとな、ミスラ」


 まだ仄かに顔が赤いリオに苦笑を返し、九郎は再び気持ちを伝える。

 彼女自身が言ったように、今回の企画は悔しさからもあっただろう。また彼女の出自や、趣味嗜好から、日本文化に対する興味や憧れもあったように思う。しかしそれだけでは無かった。

 九郎を喜ばせようとする気持ちが無ければ、このような企画を企む筈がない。

 

「…………卑怯ですわ。いきなり真面目になさるなんて……らしくありませんもの」


 九郎の素直な感想に、ミスラははつんとそっぽを向いた。

 透き通るほど白い肌を持つ彼女の照れは、他の者以上に分かり易いが、「今は言わぬが花」と九郎は無言で朝日に目をやる。


 朝焼けが暗かった海を白く染め、波がキラキラ輝いていた。

 気持ちが洗われる様な清々しい夜明け。

 しかし今日一日を振り返って九郎は思わず苦笑を漏らす。


(まったく……)


 騒がしく五月蠅く喧しい年越しは、九郎自身が望んだ物だ。

 少々やり過ぎな感も否めないが、皆でワイワイ騒ぐことの楽しさは、何物にも代えがたい。

 ただ――どこかで「大人になれよ」と囁く自分がいる。

 成長しない体ではあるが生きた年月で言えば、九郎も今年で25歳。落ち着きはじめても良い頃だ。


(変わんねぇな……俺は……)


 なのに「これでいいじゃねえか」の声の方が大きい事に、九郎は呆れの想いを抱く。

 永遠の命を得ても少しも変わらない。

 平穏を望む気持ちもあるにはあるが、それは決して繰り返されるルーチンでは無い。

 楽しく騒がしく、胸が躍る日々。何が起こるか分からないからこそ、人は毎日必死に生きようと思えるのでは無いか。

 それは九郎がこの世界に降り立ってから――いや生前からも変わらない考え方だった。


「そんじゃ、フィナーレといきますかっ!」


 変わらぬ自分に辟易しながらも、変わらぬ意気込み確かにした九郎は、朝日に背を向け歩き出す。


「クロウ! どこに行く気?」

「折角の年明けイベだ! 派手に始めねえと締まんねえだろ!?」


 ベルフラムの声に九郎は気取って片手を上げる。

 何と無くしんみりしてしまって幕が下りそうだったが、そうは問屋が卸さない。

 九郎が企んでいたのは、騒がしく、刺激的で、楽しげな年越しだ。

 最後を締めるに相応しい、幕の下ろし方と言うのがある。


「………………くふっ」

「……すまん。アニキ……」


 龍二の呟きも、ミスラの押し殺した微笑もその背中には届かなかった。


☠ ☠ ☠


 射し込む朝日に照らされ、黒い影が幾本も伸びていた。

『ライア・イスラ』の口元――サクラの寝床兼漁場である千畳敷のように折り重なった岩場に、幾本もの筒が立てられていた。


「しゃくら、デンテとおそろいでしゅ」

「キュキュキュ」


 い~っと白い歯を覗かせるデンテとサクラが戯れている。

 九郎が建てた巨大な門松は、確かに『ライア・イスラ』の牙の様だ。


 そんな全長1kmを優に超える、『ライア・イスラ』の口元には、巨大な門松の試作品かと思えるような、残骸が幾つも並んで立てられていた。


 誰かを忘れてはいないだろうか。

 いるだけで強烈な存在感を放ち、九郎を輪に掛けたようにお調子者で騒がし好きな男を一人。

 正月に対する思い出も充分あり、常日頃から「娘に良いところを見せたい」と意気込んでいる男を。


(ミスラは本当に粋な事を考えおる。トリを務めるのはやはり吾輩! 吾輩もクロウ殿には散々驚かされてきた身! それに天にいるであろうミツハに見えるようにとの取り計らいも、中々に気が利いておる)


 無数に立てられた筒のうち、一際大きな筒の中で、カクランティウスはニヨニヨしていた。

 クロウに対する『ドッキリ』を打ち明けられたのは今朝の事だ。

 あのいつも突飛な事ばかりを考える、不思議な『不死者』の青年を驚かす悪戯に、カクランティウスは一もにも無く飛びついていた。

 目に入れても痛く無い愛娘の頼みと言うのも、彼のヤル気に拍車を掛けた。


「ねえ、何する気? クロウっ!」

「やっぱ年明けくらいはちゃんと締めねえとな! いっくぜぇぇっ! ごぉぉぉっ!」


 揚々とした鬨の声が、自分の出番のカウントダウン。


「よぉぉぉんっ! ほら、一緒にっ!」


 場を沸かす九郎の声にカクランティウスの胸は高鳴る。


 魔法があるアクゼリートの世界に於いて、あまり重要視されていない火薬も、彼の国、アルム公国に於いては重要な産業物の一つである。

 カクランティウスがミスラの餞別に送った花火を、九郎は祭りのフィナーレにと考えていたようで、「皆には秘密で」との言葉と共に、手伝っていたのは彼自身だ。


『さぁぁぁあああんっ!!』


 男同士の約束を違える事には、カクランティウスも多少呵責を覚えた。

 しかし相手の思考を読んでしまうリュージの前に、隠し事など出来はしない。


(スマぬな……クロウ殿……。決して吾輩、約束を違えた訳では無い故……)


 心の中で僅かな呵責に言い訳し、カクランティウスは拳を握る。

 甲高い笛の根の様な音が遠くから順に次々空へと登って行く。

 年甲斐も無く沸き立つ心に、カクランティウスは口元は引き上がる。


(ミスラを驚かせられぬのは口惜しいが、奴の驚く顔というのも、それはそれで胸が湧く。これも……奴を身内に加えると言う覚悟が出来た所為かもしれぬな……)


 数百年の年の差があっても、カクランティウスは九郎に不思議な縁を感じていた。

 長い月日を共に旅した事も理由にあるが、それだけでは無い。

 九郎がそう思っていたのと同じように、カクランティウスも九郎に若かりし日の自分を見ていた。


(もうすぐ奴も息子になると思えば、この悪戯も……? ふむ?)


 近付いてくる笛の音と共に、奇妙な感慨を抱きながらカクランティウスは来る時を待ちわびる。

 花火と共に打ち上げられる自分を目にして、九郎はどういった反応をみせるだろう。

 お株を奪われた事に悔しそうにするのか、それともトリを飾った自分に尊敬の目を向けて来るのか。

 期待に胸を膨らませたカクランティウスは白み始めた空を見上げ、突然夜に戻った視界に眉を寄せる。


「にいいいいいいっっっ!! いひっ!?」


 九郎の気色の悪い声がカクランティウスの頭上から降ってきていた。

 しかし顔は見えない。

 巨大な筒の中、闇を見通すカクランティウスの目に映るのは、一糸纏わ硬そうな尻。


「かっ!? カクさん!? ナンデ!? 何でいるんスかっ!?」


 どうやって見ているのかはもう聞くまい。

 この男が無い目で物を見れる事は知っている。


「おのれ、ミスラっ!! たっ、たばかったなっ!!」


 しかし何故――その答えにも、カクランティウスは直ぐに行きつく。

 強請るような媚びるような、娘にしては珍しい物の頼み方だった時点で訝しんでおくべきだった。


「いぃぃぃぃぃぃちっ♪」


 愛娘の興が乗りに乗った喜悦の声。


「ちょっと、ミスラ! タンマっ! カウントダウン止めてくれっ! ってひっ!? カクさん、暴れねえでくれ! 尻が抜けねえ!」

「あああ゛! 迫ってくる! 山がっ! 山が崩れっ!」


 にわかに騒がしくなる、一等巨大な筒の中。


「ゼロっ♪」


 弾ける轟音。響く笛の根。情けない男の悲鳴と、自分の恐怖に慄く叫び声。

 様々な音が混ざった光が、天高く昇って行く。


「なんだかあの光を見ると、ボク、ムラムラしちゃう」


 アルトリアの余りにあんまりな感想。

 ミクロの世界に造詣が無い癖に、何故ソレを思い浮かべられるのか。


「あら? 鋭いですわね。アルトリア様。そうです! あれは殿方が発する命の一滴! ああ……とうとぅぃ……」


 こちらは違って確信犯の声。

 娘の聞いた事も無いはしゃいだ声がカクランティウスの耳にも届き――。


『あっ――――!!』


 夜空に見た目だけは綺麗で雄大な、汚い花火が咲いて散った。

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不死者(ノスフェラトウ)に愛の手を! SS置き場 赤丸そふと @akamarusoft

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