SPSS 2020-2 不死者の未来
師走の言葉をしみじみ感じる年の瀬。
あっという間に迫った年明けを前にして、皆が忙しく走り回っていた。
「おい、クロウ! これ……サクラの親戚じゃねえのか? 食って良いんかよ?」
「リオ、おまっ……エビとサクラの違いも分からねえのか!? しょうがねえなぁ……心配すんな! サクラからGOサインは出てっから!」
伊勢海老と言うよりはどこぞの怪獣映画を思い浮かべてしまいそうな巨大なエビを前にして、お約束のようにビビるリオに嘆息しながら、九郎も忙しく走り回っていた。
「ね~クロウ? どう?」
「ん! 美味え! 流石アルト! 田舎の味って感じ」
「ん? それって褒めてるの? む~……ま、いっか」
「クロウ~! こっちも味見して頂戴!」
「おう、分かった! ……やっぱベル、料理の腕上がってんじゃん!」
「美味しい? 良かった! やっと昔の勘が戻ってきたかな?」
「クロウ様……こちらも」
「レイアには既に抜かれた感があんなぁ……」
「コルル坊、ほれ」
「やっべ! 奈良漬を何でシルヴィが知ってんだよ!? オリジナル? ……マジか……」
平時であれば甘酸っぱい「あ~ん」イベントも、今限りに於いては浸っている余裕など無い。
今や九郎の身内は20人を超える大所帯。作る料理の量が違う。
台所を預かる者として、やらなければならない仕事は山積みだ。
ちなみに、これだけ料理上手な美少女が揃っていると言うのに、九郎が台所の責任者なのは、本人が料理好きなのもあったが、彼の持つ
燃料となる薪は豊富にある『サクライア』と言えども、微妙な火力調整や、冷蔵、冷凍を兼ね備えた九郎は、今や炊事には欠かせない存在だった。
「あいよっ! 栗きんとん(仮)あがりっ!」
「酢の物も出来上がりじゃっ!」
「蛇のタレ焼き完成よっ!」
厨房の中に威勢の良い声が飛び交う。
九郎のように全ての機能を兼ね揃えている訳では無かったが、他の者達も負けていない。
特に食に関しての情熱が凄まじいベルフラムとレイアの主従コンビの腕は、九郎も舌を巻くほどであり、自炊に慣れているシルヴィアやアルトリアも言うに及ばず。
流石に日本料理ばかりとは行かなかったが、出身も生活様式も様々な面子が集まる『サクライア』。
少女達は自慢の『ハレの料理』を九郎に食べて貰おうと、各々腕を振るっており、美味そうな匂いを立ち昇らせた出来立ての料理が、テーブルの上に所狭しと並んでいく。
「クロウ様、煮えましたけど……このままで良いんですか? じゃあデンテ、焦げないように見てて!」
「あいっ!」
「おい、この魚、どこまで磨り潰すんだ……て本気かよ? おい、アルフォス! 形が無くなるまでだってよ!」
「クロウさん、サクラさんから追加の食材貰って来ました!」
彼女達よりは一段劣るとは言え、他の面々も負けてはいない。
皆それなりに料理の経験があり、手際自体は手慣れたものだ。
奴隷から公女まで幅広い出自であっても、皆食の大切さを分かっている者達ばかりで、『食材を無駄なく美味しく』と言う基本理念は共通していた。
唯一、ただ一人を除いて――は。
「へぇ……クロウ様、これが『伊達巻き』なるものでしょうか?
厨房に鈴の音の様な美しい声が聞えた瞬間、皆の顔が一斉に強張る。
それまで熱気が溢れんばかりだった厨房に、空気さえ凍りつきそうな冷気が満ちていた。
「おいっ! 緊急事態発生だっ! 誰だっ! 姫さんを厨房にいれた奴!」
身分も実力の差も忘れて、リオが青褪めた顔で警鐘を鳴らす。
脅威に対して敏感な彼女は、叫ぶと同時に流れるような動作でフォルテの腕を掴み、厨房の隅で体を縮めてプルプル震える。
「カクさん……頼りにならないなぁ……」
アルトリアが一国の『英雄』に向かって無碍な言葉を言い放つ。
見張りを頼んでいたのだから当然だろう。
「スミマセン! スミマセン! 陛下も私も目を離していたつもりは無かったのですが、いつの間にか虚像に変わっておられて……! ささ、姫様! 今日は『シンカン』が発表される日だと、前々から楽しみにしておられたでは無いですか」
天井からクルッツェが平謝りで飛んでくる。
幽体であり普段扉をすり抜けてくる彼だが、今なら肉体があっても変わらぬ勢いであった事は間違い無い。半分姿がぼやけて見えるのは、彼の必死さの表れだろうか。
それまでも戦場の様子を醸し出していた厨房が、今、この瞬間、言葉通りに変わっていた。
「ひぅ……」
デンテの思わず息を飲む声を誰も咎める事など出来はしない。
何せ皆が一様に同じ思いを感じていたのだから。
ここからは一挙手一投足が命のやり取り。迂闊に動けばヤられてしまう。
「クルッツェ……それは……そうなのですが……。
何をしてても絵になる少女だ。
そんな少女が寂しそうにしていたら、罪悪感も覚えると言う物。
しかし同情は禁物。
「とんでもございません! 普段誰よりも働いておられる姫様を想い、皆が休暇を望まれていたと、申し上げていたではないですか!!」
クルッツェの言葉にミスラ以外の全員が、その場でコクコク頷く。
見た目完璧な美少女。その腐った趣味だけが欠点と思われていたミスラにあった、もう一つの欠点。
それは『メシマズ』だった。
彼女の育った環境を考えれば、当然とも言えるだろう。
身分の高い者は、コックを従え料理などしないのが普通だ。かつてのベルフラムも同じような物だった。
が、しかし……それでも「限度を考えろ」と言いたくなる程、ミスラの料理の腕は『壊滅的』だった。
彼女も味覚自体は別段なんとも悪くは無い。
王族であり常々良い物を口にしていたから、他より良いとすら言えるだろう。
加えて彼女の持つ『エツランシャ』を使えば、古今東西どころか地球にある料理のレシピも手に入る。
ミスラの料理の腕は、ここにいる誰より優れていても不思議は無かった――のだが……。
優れた味覚も、数々の料理のレシピをも、たった一匙で台無しにする一手がある事を、九郎達は身を以て知ってしまっていた。
『アレンジャー』と言うよりも『クラッシャー』。
彼女自身が持つ人より大きな探究心と研究心と好奇心が、事料理に関しては最悪の方面に作用してしまっていた。
「それを言ったらベルフラムさんだって……」
「わわ、私は良いのよ。く、『クロウの日』の時、早めに上がらせて貰ってるもの……」
これほど切羽詰まった彼女の顔を見るのは、因縁の対決以来だろうか。
自分の作った料理を背中に隠し、両手をブンブン交差するベルフラム。
聞く者が聞けば赤面すること間違いなしの台詞も、今は誰も突っ込まない。
自分との逢瀬の日が女性陣の中でそんな呼ばれ方をしているのか……と感慨に耽りながら、九郎は遠くに目を向ける。
九郎に恋人をディスるような台詞は吐けない。
それでなくとも惚れた女の手料理なら、それがどんな味であっても「美味い、美味い」と言って食べるのが男の矜持とも考えている。
しかし皆が揃って食卓を囲むこの生活では、迂闊な事は言えはしない。
だから九郎は貝のように口を噤むのみ。
「アルトリア様も普段夜中まで働いておいででしょう?」
「ボクも『クロウの日』には休ませて貰ってるからっ! ミスラちゃんだけお休みが無いんじゃ、不公平だよねっ? ね!? ね!!!」
『アンデッド』であり、毒物も意に介さないアルトリアですらこの有様なのを見れば、彼女の料理の凄まじさが分かろうと言うもの。
可笑しな話かもしれないが、九郎がアンデッドである彼女の『死んだ目』を見たのは、後にも先にもあれきりだった。実際には毒と言う訳では無く、特に体にも支障が出なかったとしても……何と言うか心が死ぬ味がこの世には存在しているのだ。
「そ……そこまで皆様が仰ってくださるのなら……今日はお言葉に甘えます……。でもこの借りはきっとお返しいたしますわ!
皆の必死の説得が通じたのか、それとも『シンカン』が救いの手を差し伸べてくれていたのか。
ミスラは深々頭を下げると、足早に厨房を去っていった。
嵐が去った後には不穏な台詞だけが残されていた。
☠ ☠ ☠
そんな小さな事件(九郎達にとっては大事件だが)がありつつも、準備はつつがなく終わり、今年も残すところ後数時間となった頃。
「ひゃにこれ! おいひい! ミミズ!? ……の味とは違うわよね? お出汁はあの木材みたいな魚の干物のようだけど……」
「植物性の味? 種? うーん……菱でしょうか?」
「お? レイア良い線行ってるぜ。『蕎麦』ってんだ! 細く長~く生きられますようにって言う願いが込められた、俺の故郷の縁起物だ!」
苦労して手に入れた蕎麦を皆に振る舞いながら、九郎は故郷の文化を誇らしげに披露していた。
「長くも何も、テメエは先すら見えてねえじゃねえか……」
縁起物にいちゃもんを付けるような野暮な台詞は聞き流しておく。
「あと、『ずっと傍に』ってのにも掛かってんだ。ロマンチックだろ?」
「それじゃあ沢山食べないとねっ! おかわりっ!」
こっ恥ずかしい台詞も、今日は自然と口を衝く。
上々の反応に九郎の機嫌は頗る良い。
「のぅシャルル~。意地悪せんで教えておくれ~。何を使っておるんじゃぁ?」
「うふふ~。ひ、み、つ~」
九郎の予想通り、シルヴィアは特に気に入った様で、3杯目の蕎麦を啜りながら、唯一『蕎麦』の原料を知るシャルルにからんでいた。
「引くわー……」
いや、新たに原材料を知る者がまた一人。
ジト目でボソッと呟いた龍二は、九郎かシャルルの心を読んだのだろう。
手渡された丼を両手で持ち、頬を引きつらせる龍二の呟きを聞きとがめ、九郎は麺上げ片手に眉を吊り上げる。
「おい、テメ、龍二! そう言うボソッと呟くのが一番不安を煽るんだよ! やめろよなー! 風評被害も甚だしい! 単なる蓮の実じゃねえか!」
ついうっかりで食材を明かしてしまうのは、もはや九郎のお約束と言ったところか。
ただ言ったように今日の蕎麦の原料は、なんら後ろめたい物など入っていない。虫や魔物は言うに及ばず、ましてや毒物なんかでもない。だから明かした所で問題は無い。
ただ一つ、「見た目がキモい」事を除けば。
「あ……アレですか……」
「喰おうと思うのがそもそもスゲエよ……」
『サクライア』上空の警護を担っているアルフォスとベーテは、目にした事があったのだろう。
先まで勢いよく蕎麦を啜っていたと言うのに、手が止まっている。
「蓮……ってシーダか? これ……」
「あれ採ろうって考える時点でヤベエよ……腐れ水に咲く花だぜ? アレ……」
「毒は……まあ……今更じゃがのぅ……。それよりシャルル……よう知っとったのぅ……」
「ふふ~ん。ちょっとは見直した~?」
『サクライア』の探索の任に就いている冒険者一行もその正体を思い浮かべたのか、引きつった顔を浮かべている。
シャルルが得意気に胸を張る、九郎が蕎麦の原料に選んだこの蓮――シーダと言うそうだが――は、窪地に溜まった腐水に生える、水生植物の一種だった。
植物自体に毒性は無く、この通り食べても美味しい食材だったが、毒の沼地に立ち入る者がまずいない。
更にそんな場所に生えている植物など「毒があって当然」と思われており、彼等にしても食べられる物とは認識していなかったようだ。
加えて龍二やアルフォス達の反応からも分かる通り、九郎が今回『蕎麦』の原料に使った食材は、見た目がかなり気持ち悪い。
『蓮コラ』と言う言葉があるように、蓮の実自体が人によっては嫌悪を催す見た目であるのに加えて、この蕎麦の原料となった蓮の実は、ロイコクロリディウムに寄生されたカタツムリの目にそっくりな見た目をしていた。
ただ毒など最早九郎にとっては障害にすらならず、キモい見た目も今更だ。
「見た目なんかどーでも良いじゃねえか。喰って美味けりゃ」
この娘も大分図太く成って来たものだ……何も知らない事を良い事に、蕎麦をがっつくリオを横目に、九郎もうんうん頷き同意を示す。そもそも毎日様々な食材が食卓に並ぶ『サクライア』に於いて、素材の見た目を気にしていては、何も食べられなくなってしまう。
「あれ? デンテとクラヴィスは?」
だから何も問題無い――九郎は新たな蕎麦を鍋に放り込み、ふと顔を上げて辺りを見渡す。
新作料理を初披露した際には、一番良い反応をくれる子供達の姿が見当たらない。
いつもならベルフラムの傍に腰かけ、一人は満面の笑みで、もう一人は慎ましやかにしながら、尻尾をブンブン振り回している姉妹の姿をまだ見ていない。
「フォルテはさっきまでいたよな? アルトとミスラもいつの間にかいなくなっちまってるし……」
夕食自体は既に別に済ませてある。だから蕎麦は大晦日限定の夜食と言った趣が強い。
しかし折角用意した蕎麦をみんなで食べたいと、再び九郎が周囲を見渡したその時、
「もう、姉さん! 何暢気に食べてるの!」
「レイアさん! ベル様をお願いしますって言ったじゃないですかっ!」
「シルヴィアしゃん! ちょっとこっち来てくだしゃいっ!」
探していた子供達が食堂の扉を押し開け、部屋の中へと一斉になだれ込んで来た。
「おい、お前ら! 丁度3人前上がったぜ? ベル、シルヴィ、
追加の蕎麦を鍋に再び放り込みながら九郎は笑う。
この慌ただしさこそが九郎が求めていた物。
五月蠅いほどに賑やかな年末は、ただそれだけでワクワクしてくる。
静かでしんみりとした年末が良いと言う者もいるかも知れないが、九郎からしてみれば、大勢の人々と共にはしゃぎ、笑い合って迎える新年の方が性に合う。
「え? あ、もうそんな時間か!?」
「す、すみません! すぐ向かいます! さ、ベルフラム様も!」
しかし一秒後には子供達が蕎麦に群がると思っていた九郎の予想は外れ、リオとレイアが慌てた様子で立ち上がっていた。
「え? え? 何?」
「デンテやぁぁぁ。儂は荷物じゃ無いぞおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ……」
そして嵐の様にやって来た子供達に拉致されていくベルフラムとシルヴィア。
一瞬後には華やかさが全く無くなった、男だらけの食堂が広がっていた。
「え? おいっ! どこに行くんだ、お前らっ!」
華やかな年越しイベントを目論んでいた九郎の焦って上擦った声が、扉の外へと吸い込まれていた。
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