デウスエクスマキナの孤独

詩一

デウスエクスマキナの孤独

 宇宙開闢かいびゃくから138億年余。宇宙は今も広がり続けている。


 そんな宇宙の中の一つの銀河系の中の一つの惑星の中の一つの国の中の一つのアパートの一室。

 広大な宇宙から見れば取るに足らない存在、男が一人、そこに居た。

 この男はしかし、宇宙とは全く無関係ではなく、むしろ能動的に干渉を行える存在だった。この男にはとてつもなく大きな能力が備わっていた。この宇宙の広がりを減速させる能力。いわゆる、超能力。


 今この世界には彼と同様に超能力を開花させる人間が多くいた。

 指先から炎を飛ばす能力、風を操り飛行する能力、海水を真水に変える能力、人によってそれは様々で、各々それを才能として伸ばし、ビジネスとして成功させていた。


 男はテレビを見ながら、コーヒーをすすった。

 日の落ちた室内は暗く、黄昏たそがれのオレンジ色が、部屋に舞い散っている埃に反射してきらきらと光っていた。

 コップをテーブルに置き、ぼやく。


「どいつもこいつも超能力超能力って沸きやがって。俺だって超能力者なのに」


 彼が見ているテレビには指先から炎を出して雄叫びをあげている男が映っており、


『ワイバーン山田やまだ』というテロップが出ていた。


 目標物を燃やし尽くしたワイバーン山田は大仰に笑い声を上げる。取り巻きの人々から次々に称賛しょうさんの拍手と声が送られる。


 男はうつむき加減にテレビから目を離さず、ぶつぶつと呟く。


「俺の超能力の方が強い、規模がでかい。なんたって俺の能力は」


 宇宙の広がりを1メートルだけ戻す。

 宇宙開闢から138億年余。光の速さの約3.5倍で広がり続けている宇宙の外側からマイナス1メートル。

 男が言うとおり宇宙への干渉という点においてそれは確かに規模の大きい話である。宇宙はあらゆる学者たちがロマンスを抱き、人々がいつか真相を暴こうと夢想に焦がれる対象物である。それをどうにかできるというのは確かにうらやましい話なのかもしれないし、学者達がその瞬間を垣間見ることができるのならば心躍る事象なのかもしれないが、それを観測できるものはおらず、確かに今宇宙が縮んだと感じることもできない。つまり、それが事実かどうか証明できないうえ、その能力が本当のものだったとしても人々は同じ意見を述べるのだ。


「……だから何?」


 それが自分の生活にどういう影響を与えるのだ?

 それは人の為になるのか?

 それは脅威きょういになるのか?


 男が思うに強大で壮大なこの超能力も、他者からの評価は一様に“ちっぽけ”であった。


 男は他者に、社会に、世界に、宇宙に認められたかった。証明したかった。自分が有用な人間で唯一無二の価値を持つ絶対的な存在であることを。

 しかし解らせようとその超能力を振りかざせば振りかざすほど、彼は他者に、社会に、世界に、宇宙に、うとまれあざけられ嫌われ傷つけられてきた。


 見返したかった。


 ただそれだけだったが、ただそれだけが異様に難しいことであった。


 そして鬱々と思考の迷路に入り込み、最後に行き着いた場所で彼は一つの回答を導き出した。

 それはあまりに危険すぎる賭けのようにも思えたので、一度も試したことがないことだった。一日一メートルという己がずっと感じていた能力の限界値を取り外し、できるだけ大きく収縮させる、という試み。

 やったことがないので、できるかもわからない。できたとして、いったいどれほど収縮するのかもわからない。やるメリットよりも、予想外の事が起きた時のデメリットの方が大きく感じてしまって、やれずにいた。


 しかし、もはや彼の心は限界に到達していた。

 己が力の強さを試してみたいという本来人間に備わった本能。さらには自分を認めない他者への苛立いらだち。自分を振りかざして称賛されたいという欲望。

 全ての要因が彼を超能力の解放へと導いていた。

 もっとも簡単な言葉を用いるなら


「我慢ならない!」


 であった。


 男は立ち上がり、目を瞑り、神経をませる。

 両手を上げ、宇宙を感じたところで目を見開き、両の手を合わせると同時に息を鼻から思い切り吹き出す。


「ふんっ!」


 ――パンッ!



 男はただならぬ衝撃に見舞われ、その場に倒れた。

 胸部に熱い鉄を押し当てられたような感覚が有り、手で触れた男は息を呑んだ。


「血?」


 なぜ?

 パニックにおちいり暴れまわりたくなる衝動とは裏腹に、体は全くいうことを聞いてくれない。


「悪く思うなよ。お前が先にやったことだ」


 不意に聞き覚えのない声が響いた。男が気付くより先に、室内には誰かが侵入してきたようだった。


「誰だ」

「俺はバックトゥーザ田中たなか。いや、名などどうでもいい。お前が死ぬ前に俺がお前を撃った理由を勝手に語るから聞いていろ」


 言われるまでもなく、男は田中という者の独白どくはくを聞くしかなかった。もはや意識は随分曖昧で相槌あいづちさえ打つ余裕がない。


「俺の超能力は他者に殺害された瞬間に7日間だけ時間を巻き戻し生き返る。その間の7日間の記憶は保管された状態でだ。本来その能力を利用して、7日の間に自分が殺された原因を探り、その原因を根絶することで死なないようにするのだが、俺は殺された原因に辿り着けないままに37回もお前に殺された。何せお前は身近な人物ではなかったし、そんな超絶強力な能力を持っていながらもテレビへの露出はおろか、SNSへの超能力自慢投稿もしない、“いいね”に更々興味がないただのサラリーマンだったのだからな。居場所の特定のしようがない。おまけに毎回どこに居ても必ず死ぬのは一瞬で苦痛もないものだから、一体全体どういう能力を以ってして俺を殺害しているのかさっぱりわからない。

 俺は知人の超能力者に手当たり次第に聞いて回ったよ。だいたい20回目くらいのループの時に予言の超能力者に出会って、宇宙がなくなると聞かされた時には、俺の死因はこれだと確信したよ。その後超能力者を発見する超能力を持つ超能力者に出会ってなかったら、お前を超能力者として認識することもできなかっただろう。

 ちなみに鍵のかかったこの部屋に入れたのは対象物を三日間かけて三メートルワープさせる能力を持つ超能力者に助けてもらったからだ。あと、この銃は銃を複製する能力を持つ超能力者に複製してもらった。本当に死ぬかと思ったよ。俺の能力も不死で無敵ではない。40回目で本当に死ぬ。本当に危なかった」


 バックトゥーザ田中は、ふぅっと大きく深くため息をついて、血の海を広げ続ける男を見つめた。


「本当に初めましての挨拶もなく撃ち殺したのは悪いことだと思うが、お前は会いもしないでいきなり宇宙をなくして俺を殺したのだから恨まないでくれよ」


 男は死に際に居ながらなお、認識を渇望かつぼうしていた。

 自分は宇宙を消し去るほどの能力を持っていながらに、結局誰にも認められないままに死んでいくのか。それは嫌だ、と。男が最後の力を使ってもう一度宇宙を消そうと考えているところに、まさにその男の思考を読み取ったかのように田中は続けた。


「俺はここに来るまでの間に数々の超能力者に会いながら、いずれ出会うことになるであろう宿敵のお前の在り様を言って回ったよ。この世界には宇宙を消し去るほどの超能力を持ちながら表舞台に立たないとんでもない野郎が居て、そいつは宇宙を遥か眼下に見ながらこのちっぽけな世界を見て静かに笑っている、と。

 そうやって布石ふせきを打っておかないとお前を殺した時に俺はただの殺人犯だ。傍目はためから見たら体操していた無抵抗のおっさんを銃でぶち殺した卑劣で頭のイカレタ野郎になってしまう。しかしもうすでに多くの人間がお前の凄まじさを知っているから、俺はお前を殺しても英雄でいられる。

 仕方のないことだ。そんな宇宙規模の超能力者、この世界のいや宇宙のラスボスと言っても差し支えない超強大な敵を倒すためには、殺すしかなかったのだから。これにて一件落着の案件だ、これは。だからそんな悲しそうな顔をするな。誇らしく逝ってくれ」


 この宇宙には救いはないのだと思っていた。

 ただ宇宙の片隅の惑星の片隅の国の片隅のアパートの片隅で、曖昧模糊あいまいもことした生を意味もなく全うして終わるのだと思っていた。


 だがしかし事実は違った。


 死のふちたたずむ死神がこれほどまでに温かい眼差しで自分の門出を祝ってくれるとは。

 死の向こうに何かがあると今までに思ったことは、男はなかったが、これが終わりではなく、自分の本当の始まりなのだという感覚があった。語り継がれて、その物語の中で自分は永遠に生き続けるのだと。


 ――ああ、よかった。


 心残りなどなかった。

 試してよかった。

 死ぬほど嬉しかった。

 実際に死ぬけれども……。


 白濁していく思考の中で、男は優しい光に包まれながら、宇宙のラスボスでありながらも天国へと登るような気持ちで逝った。




「死んだか」


 田中が呟く。


「本当に死んだか?」


 田中がもう一度呟く。


「まだ生きているなら返事しろ」


 田中が三度呟きながら男の肩をゆさゆさと揺さぶった。

 血溜まりの中に浮かぶ男の亡骸なきがらを仰向けにして、まぶたを指でこじ開けて眼球の動きを見る。

 男の瞳孔どうこうは光による収縮をせず、完全に絶命したことが示されていた。


 田中は先程よりも深くため息をつき、玄関に向かい、扉の錠を外した。


「隠滅の藤倉ふじくらさん。終わったよ。証拠を隠滅してくれ」


 田中の目の前には初老の男が立っていた。先程隠滅の藤倉と呼ばれていた男である。短く切り揃えられたオールバックの白髪がとても清潔感のある男だった。白のワイシャツに濃紺の燕尾えんびのジャケットと同色のスラックス。臙脂えんじ色のネクタイまで締めたその出で立ちはまさしく紳士であった。


 藤倉は中に入るなり、黒の革手袋を着用し、作業を始める。

 藤倉は男の亡骸を見るなり、怪訝けげんそうに田中を見た。


「これだけの出血量だ。死んだのは明らかなのに、なぜだか最後ものすごく執拗しつように聞いていましたね。外で待っている時に聞こえてきて笑いそうになりましたよ。そんなに臆病になる理由がどこにありますかね」


 田中は乾いた笑いとため息を交えて答えた。


「前回死んだときね。ここまで来ていたんですよ。で、最後の最後で詰めをミスった。まだこの男が生きている間に藤倉さんを家に上げてしまった。証拠隠滅されて、自分は誰にも認識されずに死ぬとわかって、こいつは死ぬ直前に宇宙を消したんですよ」

「ああ、そうでしたか。そうとは知らずに出過ぎた発言でした」

「いや、そりゃあ知らないでしょう」


 ハハハッ、と二人の声がもうすっかり暗くなったアパートの中に響いて消えた。

 さらに田中はスマートフォンを取り出して、別の人間に電話を掛けた。


「ああ、メモリーズ池田いけださん。終わったから、今からこの男の関係者にあたる人の記憶を改竄かいざんしといて。大丈夫、指定された銀行にはもう振り込んだから。いや、もうこれ以上は払えないから頼んだよ」


 田中はスマートフォンをふところのポケットにしまった。


 藤倉の超能力によって血溜まりごと消えていく男を見ながら、田中はさよならの変わりの言葉を吐いた。


「宇宙のラスボスよ。どんな理由があるにせよ人殺しは裁かれるからな。お前の事は残せないんだよ。なに一つな」


 男ごと血の匂いもコーヒーも銃も生活感も消えてしまった室内に、零された声だけが残った。


 その一室は、一つの国の、一つの惑星の、一つの銀河系の、一つの宇宙の中に確かに存在していた。

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