EPISODE 02 春合宿

「もう、ページの割り振りとか出来ているんだ」

 グラタンドリアと野菜サラダを食べながら、部長ちーさまが尋ねてくる。

 旅館のフロント前に集まった俺たち1年生4人と部長ちーさまは、渡り廊下を移動してスーパー銭湯に移動すると、洋風な内装をしたフードコートで昼食を取ることにした。

「作品は1人4ページで自己紹介は1人2ページ、合計24ページです」

「作品の中身は、俺と美香子みかこがマンガ主体、雄太ゆうた杏美あずみんが小説主体です」

 部長の斜め前に座っている雄太ゆうたと俺は、2人共生姜しょうが焼き定食を食べながら答える。

 注文する時は期待していなかったのだが、生姜焼きだけでなくご飯や味噌汁の味も悪くない。

 部長ちーさまの前に座る美香子みかこと横に座る杏美あずみんは、もう遠慮とかしなくなったのか、普通にカルボナーラとかのパスタをサラダと一緒に食べている。

「悩みと言えば、自己紹介を作品の前に持ってくると、どうしても背中合わせのページ割になることぐらいでしょうか」

「それは気にしなくていいんじゃない?今回は1年生あんたたちがメインなのだから」

 そう言い終わると、「えいっ!」とばかりに最後のサラダを口の中に入れる部長ちーさま

「夕食は夜7時だっけ。旅館の大食堂前で待っていてね」

 100%果汁のオレンジジュースをグビグビと飲み干していく。そう大きな身体ではないのに、よくそれだけ食べるなぁ……と思ってしまう。

「で、あんたらの予定はどうなっているの」

「昼1時から開始して、2時と3時に5分間の小休憩、4時に15分のおやつ時間と考えています」

 テーブルに置いてある紙ナプキンで口を拭きながら問いかける部長ちーさま杏美あずみんが答えている。

「その後は5時に5分休憩を入れると、6時過ぎで一旦作業を止めるつもりです。6時台から後は基本自由時間で、7時に夕食、そしてお風呂となっています」

「ここの会議室は夜、使えたのだっけ?」

「大きな音とか出さなければ、夜10時台までは良いとのことです。でも深夜になる11時以降は避けて欲しいとも言われました」

「あ、美香子みかこが確認してくれたんだ。ありがとう」

「いいよ。待ってる時に、フロントの人に聞いただけだから」

 杏美あずみんの代わりに美香子みかこが答えている。この2人、いつの間にこんなに仲良くなったのだろう……とか思ってしまう。が、それは俺が気づいていなかっただけなのだろう。

「分かっていると思うけど、他のお客様には迷惑をかけないようにね。あと、体調管理にも気をつけて。旅館のお風呂は24時間開いているということだから、煮詰まったら気分転換でお風呂に入ってくるといいよ」

 食べ終わった食器やグラスを、部長ちーさまは手際よくトレイに置き直している。

「じゃあ、わたしは美術館に行ってくる。晩ご飯の時間に戻ってくるから、その時、今日の進み具合とか聞かせてね」

 そう言うと、部長ちーさまはトレイを持ち返却口の方に向かっていった。

 お昼の12時台というためか、まわりのテーブルでもあわただしく人が動いていく。遠くに見える食券の券売機、そこに並んでいる行列の人々を見ると、落ち着いて食べようという気持ちにはならないが。

「そろそろ俺たちも移動するか。真人まさとも部屋から資料持ってくるだろう」

「ああ、紙で持ってきた方がいいものは、家で印刷プリントしてきた」

「じゃあ、俺と真人まさとは先に部屋に戻るわ」

「1時になったら、会議室に集合でいいだろ」

 雄太ゆうたと俺は食べ終えた食器類、それが乗っているトレーを手に席から立ち上がる。

「わかった。先に行ってて」

「食べ終わったら、わたしらも部屋に戻って荷物持ってくる」

 杏美あずみん美香子みかこ、女子2人の声を背中で聞きながら、俺たちは返却口にトレイを持って行ことにした。


 温泉旅館だけど都心部から近い(送迎バスと電車を乗り継いでも40分程度で到着する)こともあるのか、新館にはお1人様向けと思われる個室があり、俺たちはそこに1人に1部屋と割り当てられていた。

 但し、男女が同じフロアーというのは良くないと学校側は考えたのだろう、俺と雄太ゆうたが4階、美香子みかこ杏美あずみん、そして部長ちーさまは3階に部屋が割り当てられていた。

 部屋には窓側からベッド、薄型テレビ、小型冷蔵庫、貴重品用の金庫、学習机っぽい机があり、机の上にはネット接続用のLANケーブルと机用の照明、そして内線用の電話と、必要最低限のモノが揃っていた。

 通路に近い方にはクローゼットにユニットバスがあり、そう狭いとは感じられない作りになっていた。

 そして、ベットの上に置いていたバッグからノートパソコンを取り出し、資料として持ってきた記憶媒体やプリントアウトした紙をその横に置くと、着替えとかが入っているバッグを取りあえずクローゼットの中にしまいこんだ。

 マンガを描くということで、ペンタブレットは部室にあるものの方が使いやすかった(家で使っているものとメーカーは同じなのに)ので、今回は部室のものを使うことにしたのだけど。

 ベッド横にあるカーテンを開けると、卯月山うづきやまから続く山々の緑が目に入ってくる。リバーハイツよりも南にあるためか、その緑の色も明るい感じに見える。

 その景色を見ながら、服を脱いで着替えていたのだけど、窓の外をスズメが飛んでいく姿が見えたり、遠くに旅客機らしい飛行機が上昇していく姿が見えたりする。着替えも終わり、脱いだ服をハンガーに掛けてクローゼットにしまいこんだ時、


 ピピピピピピ。


 少し高めの電子音が響くと、机の上にある電話の文字部分が点滅していた。

「はい、もしもし」

 不意を突かれたので驚いてしまったが、電話に出るとフロントからのもので、なんでも荷物が届いているから受け取って欲しいという。

「荷物?何だろ」

 パソコンや資料の紙とかを持ってきたエコバッグみたいな手提げ袋に入れると、急いでフロントに降りることにした。


「お、真人まさと来たか」

 先に来ていた雄太ゆうたを見ると、有名通販サイトのロゴが入った箱を1つ、両腕で抱え込むように持っていた。横にあるフロント、そのカウンターテーブルの上にも同じような箱がもう1つ置かれている。

緑が丘じぶんたち宛で届いていたから、持って行ってくれって」

 カウンターの職員の方に「すみません」とお辞儀をして、置かれている箱を持ち上げる。確かに、サイズ的には両腕で持たなければならない大きさだけど、重さは見た目ほど重たいという訳ではない(それなりの重さではあるが)。

 会議室の廊下側スペースに作った会議机、その上に持って箱を置いて開封する。

 中には、箱に入ったクッキー、包装で小分けされたバウムクーヘンといった、腹持ちが良さそうな洋菓子類と、料理用のポリラップで包まれた紙パック入りジュースが

キチンと箱に収まるように入っていた。

 雄太ゆうたが持っていた箱には、洋菓子に紙パック入りジュース、そしてなぜかカップ麺が入っていた。それらのものと一緒に、先輩たちからのメッセージカードも4人それぞれに宛てて入っていたので、飲み物は会議室に置いて貰ったクーラーボックスに入れることにした。

「あれ、その荷物ってなに」

「先輩たちからの差し入れ」

 食事を終えて会議室に入ってきた美香子みかこ杏美あずみんに、入っていたカードを手渡す。カードとは言っても、シールをがして開封しないと中に書かれた文章が読めないようになっている。

「カップ麺まで入っているとは」

「でも、追い込みの時には、その場でサクッと作れるのが便利だよな」

「って、真人まさとよ、お湯はあるのか?会議室ここに」

「端っこにあるウォーターサーバーで、赤い方を押すとお湯が出るよ」

 杏美あずみんが指をさした方向に視線を動かしてみる。

 設置中は気づかなかったけれど、会議室の後ろ、クーラーボックスの先にある白く細長い機器が視界に入った。

 本体の青いレバーを押すと冷水が、赤いレバーを押すとお湯が出てくると杏美あずみんは言う。で、本体上部のある水の入ったタンクが空になれば、交換すればすぐに水やお湯が出てくる仕組みだ。

 俺自身、CMか何かで見た記憶はあるのだけど、実物を見るのは初めてだったりする。後で聴くと、最近では病院の待合室とかにも置かれるようになったらしい。


 時計を見ると午後1時近くになっていたので、俺たち4人、パーティションで囲まれたそれぞれの席に座り、自分の作品を作り始めることにした。

 学校から持ってきたスリム型のパソコン2台は、マンガを描く俺と美香子みかこが使うことになり、雄太ゆうた杏美あずみんは自分たちが使っているノートパソコンを使うことになった。

 ただ使い勝手を良くしたいということで、雄太ゆうたは自分の家から持ってきたキーボードをノートパソコンにつなげている。長時間の打ち込みには、ノートパソコンのやや小さなキーボードは使いにくいらしい。

 それぞれ席の後ろ側にもパーティションを置いて、人の気配が気にならないようにしたのは部長ちーさまの発案だったが、確かに、集中している時に誰かの気配とかあると気が散る、その感覚は分かるのでこの発案は「さすが」だと思う。

 俺はといえば、L字型に組まれた机、モニターなどが置いていないスペースに資料を置くと、最初に自己紹介ページから作ることにした。

 自己紹介ページの内容は話し合った結果、1ページはコンピューターゲームのRPG風な感じでの自己紹介、もう1ページはフリートークとして、フリートークのページには必ずキャラクター(オリジナル、二次創作問わず)1人の全身を描いた絵を入れるという約束事を決めたった。

 そこで自己紹介ページのカットと全身絵を除いて、先に文字部分を書き進めていることにした。

 なぜ全身の絵を入れるかと言えば、先輩たちの自己紹介とか描いているマンガとかを見た結果、自分たちの画力というか、「今の時点では、この程度は描くことができます」というのを示した方が、今後、技術指導とかの目安になると思うという美香子みかこ杏美あずみん2人からのプッシュがあったからなのだけど。

 実のところ、俺自身は全身を描くのは苦手だし、特に女の子の場合、服装とかは完全にイラスト技法を解説した書物やらネットにアップされている画像とかを見ながら描いている。

 で、ついついペンを入れていくのが遅れがちになるのだけど、かといって、いつまでもそう言ってもいられないのも確かなので、トーンなどで加工する前、線画だけは完成させようとペンタブレットのペンを動かしていたりする。

 予定では、1時間ごとの休憩にしていたのだけど、集中してしまうと時間の経過を忘れるのは他の3人も同じだったらしく、最初に休憩したのは、あらかじめセットしていたタイマーが鳴った午後4時の休憩時間になってからだった。


「集中していると、お腹空くよね」

 休憩スペースのイスに座るや否や、美香子みかこはバームクーヘンを1つ手に取ると、素早く自分の口に入れてしまう。

「確かに」

「何か口に入れたい」

 雄太ゆうた杏美あずみんも、遠慮無く机の上にある菓子類に手を伸ばしていく。

 それぞれ、自分のブースにペットボトルの飲み物とかキャンディやグミといった甘いモノを持ち込んではいたのだけど、俺自身も含めて、それだけでは足らなかったのは明らかで、机の上に置いていたバームクーヘンだけでなく、金属缶に入った差し入れの輸入品のクッキーも、この休憩時間中に4人で食べ尽くしてしまった。

「じゃあ次は、6時過ぎに集合だな」

 そして、ひとしきり小腹を満たしたところで、雄太ゆうたの声を合図にそれぞれの席に戻り、作業を続けることになった。

 付き合いの長い雄太ゆうた美香子みかこなので、その表情とか声とかで状態がなんとなく分かるのだが、クッキーなどの食べっぷりとか見ると、どうやら問題なく自分の原稿を進めているようだ。

 で、杏美あずみんを見てみると、時々飲み物を口に運びつつ黙々とクッキーを食べていたのだけど、その様子だと、多分、進み具合は順調なのだろう。

(こいつは、少し気合いを入れて頑張らないとな……)

 自分の原稿が遅れることで他の3人の足を引っ張ることはしたくない、そう思いながらタブレットの上でペンを動かしていく。

 今日は、苦手とする女の子の脚とかの曲線とかも綺麗に描けているので、夕方までには、トーンなど加工する部分以外は仕上がりそうだ。


「それじゃあ、真人まさとはトーンを貼れば完成なんだな」

「ああ。1時間もあれば終わると思うから、夜10時までは掛からない思う」

「あたしも、あと少しで自己紹介は出来上がるわ。雄太ゆうたはどうなの」

「俺も、あと少し描き加えたら完成ってところだ」

 夕方6時、時計からの電子音を合図にブースから出てきた俺たちは、それぞれの進捗状況を確認する。

 先に出てきていた美香子みかこ雄太ゆうたの表情を見ると、この2人も今日は調子良く描くことが出来たみたいだ。あとは杏美あずみんの状況なのだが。

「わたしも、もうちょっとで出来上がる」

 一歩遅れてブースから出てきた杏美あずみんだったが、こちらもいい笑顔で話しかけてくるのを見ると、心配する必要はなかったということだろう。

杏美あずみんもそうなら、今日は9時半頃までこの部屋で作業しようか」

 美香子みかこのこの言葉で、今日の夜の予定が決まった。

「晩ご飯食べてから風呂、それから会議室ここで作業って感じか」

「そんな感じかな。あ、部長ちーさまはもう帰ってくる頃だっけ」

 何気なくつぶやいた俺の言葉に、雄太ゆうたが反応してくれる。

「美術館って、旅館ここから遠いのか?」

「地図で見たら、商店街の中にあるから、ちょこっと遠いかも」

 印刷した地図をに見せながらが話している。確かに、自転車とか移動手段が無いと辛いかもしれない。まぁ、リバーハイツの端から端まで歩くことよりは楽かもしれないが。

 そんなことを話していると、「みんな、いるかい?」大きめなスケッチブックの入った袋を肩から提げている部長ちーさまが、会議室のドアを元気よく開けて入ってくる。

 そんなに大きくない身体なのに、部長この人はいつも元気が有り余っている感じだ。

「……ふぅん、ご飯が先でそれからお風呂。で、お風呂から上がったら作業を再開するということね、了解した」

 差し入れの段ボール箱からスポーツドリンクを取り出すと、外は暑かったのだろうか、部長ちーさまは一気に飲み干している。


「じゃあ、7時になったらフロントに集合しましょ」

 そう言って会議室の鍵を閉める部長ちーさま。取られても困るモノはないし、多分、盗む人とかもいないだろうけど、一応、学校から持ってきている機材があると言うことで鍵をかけるのだとか。

 鍵を閉めている間に、先に美香子みかこ杏美あずみんはエレベーターに乗り込み、3階にある自分たちの部屋に戻っていく。

 エレベーター前で待っている間に、鍵を閉め終えた部長がやって来たのだけど。

「ところで、今日は4人共会議室に居たんだよね」

「はい、居ました」

「じゃあ、あれは見間違いなのかな……」

 何か腑に落ちないというような顔をしていた、次の瞬間、思い直したかのような、普段の「部長ぶちょう」している顔に戻っていた。

「……部長ちーさま、どうかしましたか?」

「あ、なんでもない。多分、気のせいだと思う」

 俺の声に驚いたのか、照れ笑いのような顔をして返事をする部長ちーさま。 

 そして、エレベーターが来たので乗り込み、部長ちーさまを3階で下ろすと、閉じてすぐのタイミングで俺と雄太ゆうたは顔を見合わせた。

「……部長ちーさま言っていたよな。『見間違い』なんとかって」

「うん、真人まさと、俺もそう聞こえた」

「しかも、俺たち4人が会議室に居たかどうかということは」

「俺たち4人の誰かに似ている奴を見かけたって……ことか」

「そういうことになるのかもなぁ……」

 その後、自分の部屋に戻るまでの間、俺たち2人は何も言葉を発することが出来なかった。


部長ちーさまが見た『誰か』と、俺が感じた『既視感デジャブ』と関係あるのだろうか」

 部屋に戻ると、ベッドの上に仰向けに倒れ込んだ。

 出会って未だ1ヶ月にもならないけれど、部長ちーさまが部員を信頼しているのはその言葉からでも伝わってくるし、なにより、頭の回転も速く洞察力もあるに違いない部長ちーさまだから、不用意なことは決して思っていたとしても口に出して言わないはずだ。

 その部長ちーさまが『見間違い』というのだから、俺たちに似ているとするなら、俺たち自身と間違っても仕方が無い程、見た人物?と外見が似ているということなのだろう。

「もう少し、手がかりとか欲しいよなぁ……」

 愚痴ともつかない言葉が口からこぼれてしまう。気持ちの持ち方次第だといえばそれまでなのだろうけど、心の中にモヤモヤしたものだけが増えていくという感覚は好きじゃない。

 しばらくは考えないでおこうと思ったのだが、さっきの部長ちーさまの言葉が耳に残ってしまい、いなおうでも考える方向に意識が動いてしまう。

 かといって、面と向かって杏美あずみんに尋ねるというのも筋違いだろうし、そんなことをすれば、普通に考えても俺が「変な奴」と思われるのがオチだ。

「それに、部長ちーさまが見たのは誰か、それも確認するのが先かもな」

 俺たち4人のうちの誰かに似ているかもしれないが、それが杏美あずみんであるとは限らないと思う。

 俺かもしれないし、雄太ゆうた美香子みかこなのかもしれない。

 なんだか、バラバラにされたジグソーパズル、そのピースかけらが少しずつ小出しにされているみたいで、全体像をつかむにはまだまだ足りなすぎるということだけは確かなようだ。

「さて、着替えて食事に……って、風呂セットも持って行かないと」

 夕食後に風呂に入るということで、タオルとか入ったビニールバックを荷物から取り出すと、フロント前でみんなを待っていようと部屋を出た。

 あれこれ悩むより、まずは胃袋を満足させよう。それが俺の正直な気持ちだった。


 部屋のある新館のフロントに集まった俺たち5人は、渡り廊下を通り抜けた先、旧館にある大宴会場と書かれた場所に入っていった。毎晩の晩ご飯は、この大宴会場で食べるということらしい。

 横長の大きな部屋は全面畳敷きなのだけど、見るとテーブルが掘りごたつのようになっていて、イスに座るような感覚で食べることが出来るようになっていた。

 昼間に見たスーパー銭湯ほどじゃないにしても、家族連れだけでなく社会人のグループや学生らの姿で、部屋の中はほぼ満員と言っても良い状態だった。

 俺は気づかなかったが、宴会場の一角には家族連れで食事をしている西尾にしお先生の姿もあったとか。

 本当なら挨拶の1つでもしておくのが礼儀なのだろうけど、「家族で来ているところに邪魔するのも違うよね」ということで、建物のどこかですれ違ったりしたら挨拶をしようということになった。

 テーブルの上に置かれた料理を見て「この時期に水炊き?」という疑問もあったのだが、鶏の胸肉とか野菜、自家製豆腐が入った水炊きの鍋が1人分ずつ席に準備されていて、その脇には味噌汁の他に黒豆やら茶碗蒸しやらが置かれていた。またご飯も、これも珍しいというのか豆ご飯(緑色のはグリーンピースか)だった。

 俺たちが着席すると、近くにいた仲居さんが土鍋の下にあるコンロに火を付け、鍋が一煮立ちするまで側で見守ってくれていた。で、鍋が出来上がると火を消し次の席に向かっていくのだった。

旅館ここの料理長さんは昔、有名な料亭で板前をしていたらしいよ」

 豆腐をハフハフさせながら説明してくれた部長ちーさまの言葉通り、俺たちみたいな若造ガキでも「これは旨い」と感じさせてくれる味付けで仕上がっていた料理、お代わりのご飯も含めても食べ終えるまで時間はそうかからなかった。


 女性陣も含めて完食した俺たちは、ちょうどこの大宴会場の反対側に位置する大浴場に移動すると、『男湯』『女湯』と書かれたのれんの前で分かれることになった。

「何日かごとに、この『男湯』と『女湯』は交代するんだって」

「ポケッとして、間違わないようにね」

 冗談とも本気ともつかない言葉を残して、先に風呂に向かう杏美あずみん美香子みかこ

「ははっ、わたしが言いたいことを先に言われた」

「何を言いたいのですか?部長ちーさま

 部長ちーさまの言葉に少し不満そうな顔する雄太ゆうた

「俺たちは、紳士ですよ、し・ん・し。な、真人まさと

「そうですよ、そんなことする訳無いですよ」

 いたずらっ子のような笑顔をしている部長ちーさまに反論する俺と雄太ゆうたであったが。

「でも、『オカズ』にはしているでしょ?健全な2人なら。それならいいのよ」

 ……なんてことを言うのですか、部長ちーさま貴女あなたも女子高生でしょうに。

 そう言いつつも、部長ちーさまの視線は『女湯』と書かれたのれんの先を見ているような気がした。

部長ちーさま?」

「あんたたちも、しっかりと身体を洗ってきなさいね」

 子どもをさとすようなトーンで言い残した部長ちーさまは、先に入った2人を追いかけるようにのれんをくぐっていく。 

「誤魔化されたような感じだな」

 声を落としながらも、意思みたいなモノを感じさせる雄太ゆうたの声が響く。

「風呂に入ろうか、真人まさと

「ああ、入ろう」

 俺たち2人、今日は左側にかけられている『男湯』というのれんをくぐったのだった。


「手足を伸ばすことが出来るのはいいなぁ」

「本当、家の風呂では出来ないし」

 光沢のある黒い石で作られた浴槽と洗い場が大きく広がる大浴場。浴槽の脇にある通路、その先にある横開き式の扉から外に出ると、大人なら10人程度は入ることが出来る露天風呂があった。どこから持ってきたのかは分からないが、それなりの大きさがある石で作られている。

 夜になると未だ少し冷たい風が吹く今の時期、温かい露天風呂につかっていると心地良く感じてしまう。しかも今の時間、なぜか俺たち2人しか入っていないということで、風呂の中で想いきり手足を伸ばしていたりする。

「なぁ、真人まさと

 言葉を選ぶように、雄太ゆうたが話しかけてくる。

「さっきの部長ちーさまを見て、何か感じたか」

 やはり、そのことなのか。

「ずっと美香子みかこたちを気にしているように、俺には見えたのだけど。真人まさとはどう思った」

「最初、外で出会ったのは俺たち4人に似た誰かだと思ったけど、部長ちーさまのさっきの様子を見ていたら、美香子みかこ杏美あずみんか、出会ったのがどちらかに似ていたのかもしれない、と」

 表情自体は笑顔だったけど、部長ちーさまの視線は俺たち2人では無く、確実に女子2人が入っていったのれんの先に注がれていた。推測でもなく断言しても良いと、俺自身の心が訴えている。

 隣りにいる雄太ゆうたを見ると、続きを話すように目でうながしている。

「最初は俺だけが持っている既視感デジャブだけかと思ったけれど、今日、部長ちーさまが俺たちに似た誰かを見かけたことで、俺だけで無い、俺たち4人なのか、もっと広い範囲なのかは分からないけれど、何かに少なくとも俺は関係しているように思ってる」

「なるほどなぁ。部長ちーさまが見ているというのが、想定外というか新たな展開ということか」

「未だ全体像が見えている訳でもないし、輪郭すら見えていない感じで、もどかしいというか心がモヤモヤしているので、少しでも落ち着きたいところだけどな」

 聞き上手な雄太ゆうたがいてくれることで、俺の気持ちも少し軽くなっていく。

「こちらから動いて、何か進展するというモノでもないのが辛いところだな」

「ああ。まさか杏美あずみんに直接聞く訳にもいかないだろ」

「そうだよなぁ、真人まさとには辛いけど、何か動きがあるまで持久戦になりそうだな」

 その言葉を聞いて、首を動かして視線を夜空に向ける。遠くに輝いている星、その輝きが目には少しまぶしかった。


 身体が充分に温まったところで洗い場に戻り、今日一日分の汗を綺麗に洗い落としてから風呂から出ると、脱衣場にある時計を見ると夜8時を軽く過ぎていた。

「長風呂し過ぎたか、会議室に行かないと」

 トーンを貼るだけといっても、あちこち細かく描かないといけないので、うかうかしていたら夜10時とかすぐに来てしまう。

雄太ゆうたは会議室に行くのか」

「あと少しなので、俺も行って仕上げてしまうわ」

 お互いに寝間着代わりのスウェットに着替えた俺たちは、混雑している脱衣場から出て会議室に移動した。

「あれ、遅かったね」

 会議室に入ると、入口近くの席で炭酸飲料を飲んでいた杏美あずみんが、タオル地の淡い色合いのスウェット姿で座っていた。

「今頃来たのか、お風呂、長かったね」

 クーラーボックスから紙容器に入ったアイスクリームを取り出している美香子みかこだったが、よく見ると杏美あずみんと色違いのようにも見える格好をしていた。

「アイスクリームとか、あったっけ?」

雄太ゆうた、夕方に部長ちーさまが差し入れてくれたの、見ていなかったの」

 美香子みかこ、すまん。雄太ゆうただけでなく俺も見ていなかったぞ。

 そのアイスクリームを差し入れた部長ちーさまといえば、美香子みかこたちによれば、風呂は一緒だったけど、自分の部屋で勉強をすると言って戻っていったそうな。

 俺と雄太ゆうたも冷たいアイスクリームを頂戴してクールダウンを終えると、それぞれのブースに移動して昼間の続きに取りかかった。

 

(これは、夜10時を超えてしまうかなぁ……)

 作業を始めたのは良いけれど、トーン貼りとか効果とか、細かく範囲とか方向とか変えていくことになるので、思っていた以上に時間がかかっている。

 イラストを描くソフトが家で使っているモノと同じなので、ペン先設定とか、効果とか、あらかじめカスタム編集したデータを持ってきたのだが、それでも自分が予想していた7割方しか出来上がっていない。

 画面の脇には時刻とチャット形式のSNSの画面を表示させているのだけど、今さっきだったか、「終わったから、先に部屋に戻るね」と美香子みかこからのメッセージが来ていた。

「服の影とかも、トーンにしなければ良かったかなぁ」

 一枚絵の全身イラストということで、丁寧に描きすぎたのが裏目に出ているのかもしれない。しかし、妥協はしたくなかったので、とにかく描き上げるしかない。

 時間を見ると、最初の予定の夜9時半どころか、夜10時も超えようかというところで、ようやく終わりの目処が立ってきた感じだ。

 こまめにデータを保存しながら女の子の全身画を仕上げていく間にも、今度は雄太ゆうたが「終わった」というメッセージを送ってくる。

 残るは俺と杏美あずみんの2人だけになったが、俺自身、いや、雄太ゆうた美香子みかこもなのだけど、杏美あずみんがどういう絵を描いているのか見たことが無かったりする。

 いつだったか、「Gペンのような細いペン先を使って描いている」というのを杏美あずみん自身から聞いたことはあるのだが、それが理由なのかと思ったりもする。

 いかんいかん、今は自分の原稿を仕上げるのが先だ。

「これで、なんとか行けるかな」

 実際の印刷サイズは原稿サイズより若干小さくなるので、画面上で印刷サイズに縮小した全身画を見直している。時刻表示を確認すると夜10時半を過ぎていた。

「あとは杏美あずみんだけか……」

 キーボードを操作して、SNSで杏美あずみんに「完成した」とメッセージを送ってみる。と、入れ違いのようにSNS上に「終わりました」との杏美あずみんからのメッセージが。

「これで、1人を残して会議室を閉めなくて良いか」

 部屋に持って帰るノートパソコンや印刷した資料をバックに詰め込み、パーティションを開けてブースから出る。視線を動かすと、杏美あずみんもブースから出てくるのが見える。

「お疲れ、夜遅くなったね」

真人まさとくんもお疲れ様。時間、かかったね」

 杏美あずみんも俺に気づいたのか、手提げバックを持ってこちらにやってくる。

「会議室の鍵は、これだな。杏美あずみん、忘れ物とかない?」

「うん、大丈夫。部屋に持って帰るのはこれだけ」

 手に持っている可愛らしい布製の手提げバック、それを俺の前に示してくる杏美あずみん。こういう感じの振る舞いもするのか……と思ってしまう。

 会議机に近づき、そこにある金色の鍵を手にする。前後2つある扉のうち、使っていない前の扉を念のために確認する。

 杏美あずみんに見せるような形で扉の取っ手を引っ張ると、ガタンガタンという音はするものの開く気配はなかった。締まっていることを確認すると、部屋から出るためにもう1つの扉まで移動する。

 そして、外に出ようと扉の取っ手を引っ張る形で扉を開けようとしたのだが。


 次の瞬間。


 『ブラックアウト』というだろうか、目の前が真っ黒になったかと思うと、周りの空気が何か甘い香りで包まれてしまっていた。

 と同時に、隣りにいた杏美あずみんの身体が俺自身の身体とぶつかった、そのところまでは覚えていたのだが。

 そこで俺の記憶は途切れてしまった……。

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