EPISODE 08 会話 I

「それで、尚彦なおひこがどうかしたのか?」

 会議室に置かれているテーブル、そのかどというのか、ちょうど90度の直角の位置になるような形で俺と杏美あずみんは座っていた。


 俺たちが温水プールを出たのが夜7時過ぎで、そのタイミングで皐月さつき駅からの送迎バスが到着したのか、バスから降りてきた一団の中に部長ちーさまの姿があった。

 部長ちーさまの方でもプールからあがった俺たちの姿が見えたのか、「ただいま!」と笑みを浮かべながら駆け寄ってくる。

 自分の部屋に荷物を置いてから宴会場近くの廊下で待ち合わせた俺たちは、旅館ここに来て3度目の夕食を頂くことに。

 少し疲れた感じに見えた部長ちーさまだったが、美術大学進学に役立つ指導を受けたとかで、「充実したぁ」と嬉しそうに話していたっけ。

 夕食後、雄太ゆうた美香子みかこは、『岩清水の湯このホテル』が主催する映画上映会に行くということで、夜の原稿作業は、映画を見終えてからするとか。

 何でもホラーサスペンスな海外作品、雄太ゆうたから題名タイトルを聞いたのだが忘れてしまったが、その筋には「必見」と言われている作品らしい。

 ということで、俺たち2人が食事後に会議室へやに向かったのだが、扉を開けて中に入ったところで

「聞きたいことがあるの」

杏美あずみんにパーカーのそでの部分をつかまれたのだった。


「温水プールの前でも、杏美あずみんが聞いてきたのは覚えているけど」

 テーブルの上に置いてある缶入りのキャンディ、それが目に入ったので、ふたを開けて適当に手に触れたモノを取り出し、そいつを口の中に放り込む。どうやらグレープフルーツらしい。

「どこかで尚彦なおひこと出会っているとか」

 俺が創作活動研究会このぶかつの顔合わせの日、デジャブみたいなものを杏美あずみんから感じたのだが、そういうものを尚彦なおひこから感じているのだろうか!?

 返事を待つ間、そんなことを思っていたのだが。

真人まさとくん」

 その声で思わず杏美あずみんの顔を見る。

 何か思い詰めているような、それでいて何か悩んでいるような、そんな複雑そうな顔をしながら杏美あずみんは俺を見ていた。

「あ、声が大きくなってごめん」

「いいよ、気にしてない。続けて」

 突然、大きな声で杏美あずみんに名前を呼ばれて少し驚いたりする。

「中学の2年ぐらいだったか、公会堂こうかいどうでの即売会イベント、覚えてない?」


公会堂こうかいどうでの即売会イベント!?」

 こう杏美あずみんに言われて、正直、驚いた。

 俺たちが住む地方の中心都市、『水のみやこ』と言われていた街であり、江戸時代までは、いくつもの運河が街の中に通されていたという。

 今はその大半が埋められて、そこには大きな道路が通っていたりするのだが、その公会堂こうかいどうというのは中心都市の市庁舎の近く、今は河川となった運河にはさまれた土地に明治時代だったかに建てられた由緒ゆいしょある建物だったりもする。

 その公会堂こうかいどうでの同人誌即売会イベントだけど、出展者としては俺は行かなかったが、お客さんとしては何度か行ったことがある。

 同人誌の即売会イベント、有名なモノでは夏と冬に東京のお台場で開かれる全国規模の即売会イベントがあるが、東京以外の全国各地の主要都市でも年に数回、東京よりは規模は小さくなるが継続して開催されていたりする。

 水の都であるこの大都市でも、80年代の後半辺りから公会堂こうかいどうでは即売会イベントが開かれていたらしい、そう姉貴に聞いたことがある。

 いつだったか忘れたが、サッカー漫画が流行った時、選手のコスプレをした女の子が建物の廊下でサッカーボールをっていたという不届ふとどき者もいたとか。どこが「ボールは友だち」なんだ?迷惑じゃないか……姉貴が俺に話してくれたことを思い出していた。


 とは言うものの。

 即売会イベントと俺や杏美あずみん、そして尚彦なおひこって何か関係するモノがあったのだろうか。

「何かあったかなぁ……」

 季節ごとに1回は開催されていたと思う公会堂こうかいどうでの即売会イベント。最後に行ったのが中学2年の春休み。

 高校受験前ということで、絵とかは趣味で描いていても良いが、即売会イベントにお客として行くのも禁止されたっけ(俺んだけじゃなく、雄太ゆうた美香子みかこも禁止されてたと思う、この辺りは親同士で決めたのかも)。

 何かあったっけ……と思い出しながら、テーブルに無造作に置かれたお菓子類の包装紙とかを眺めてみる。

 そんなテーブルの上を見ていると、

「まだ、置いてあるんだ」

「あ、本当だ。置いてあるね」

 昨日の夜、不思議な輝きを発した紅色の鉱石いし、それが入っている小銭入れがお菓子類とは少し離れた場所に置かれていた。

 俺だけじゃなく、杏美あずみんも 小銭入れに気づいたのか、俺と同じようなことをつぶやいたりしている。

 流石さすがに今日は何も起こらないよなぁ……と小銭入れを見ていると、

乳白色にゅうはくしょくというのか、白っぽい煙みたいな、霧みたいな何かの気体で目の前が覆われていく……。


 その白い煙のような霧のようなものが無くなった後、視界に映った景色は、

「ここ、あの即売会イベントがあった公会堂こうかいどう?」

 俺が言い出す前に、杏美あずみんつぶやく声が聞こえてくる。

 その声で視線を動かしてみるのだけど杏美あずみんの姿は見えなかった、しかし、俺の右隣りに人の気配みたいなものも感じていた。多分、そこに杏美あずみんがいるのかもしれない。

真人まさとくんも見えてる?公会堂こうかいどう

「うん、見えてる」

 返事をしてみるが、視界に見えるのは公会堂こうかいどうの建物、その立派な玄関口というべきアーチ型で作られた玄関口の扉が開かれ、私服姿の男性女性など、大人から小学校高学年ぐらいの子たちが出入りしていた。

 しかし、俺たちが景色を見ている場所というか位置が、公会堂こうかいどうにいる人たちと同じ地面の高さではなかった。

 異世界空間で仁美ひとみ先輩たちが経験した遊園地での出来事、それを見ている時のような俯瞰ふかんの視点、高さで言えば2メートルあるかないかのところから人や建物を見ているという感じだ。

 すると、俺たちの声に反応したのか、俺たちが歩いたり走ったりということをしないまま、目の前に見えてくる景色がひとりでに動きはじめたのだった。

 それこそ、見ている側は移動すること無く、見えている景色の方が勝手に移動している……そう言うのが正しいかもしれない。


 動き出した景色は公会堂こうかいどうの建物内部に入っていった。

 内側にある扉を抜けロビーに出るとそこから左に曲がって進み、エレベーターを囲むように作られた階段を登っていき、2階を通り過ぎ3階までたどり着くと正面に開かれた扉とその横に受付らしき長机が視界に入ってきた。

「ここ、『中会議室ちゅうかいぎしつ』だったよね」

 確認するかのように杏美あずみんが言葉を発する。

 目の前に見えるスペースは『中会議室ちゅうかいぎしつ』といい、1階と2階に位置する『大ホール』と呼ばれる公会堂こうかいどうのメインとなる施設、その上、天井部分というべきに位置している大きな部屋だった。

 中は木目の床に古い欧風っぽい柱(美術の教科書に出てくる、中世の建物にあるような柱)という外見からも想像がつく作りになっていて、普段はピアノの演奏会とかにも使われているとか。

 長机には入場券代わりのパンフレット置かれ、腕章を付けた私服の男性2人が受付役を担当している。その隣りには、同じく腕章を付けた女性が受付に来ている参加者さんと、何かやりとりをしている様子も見える。

 また、受付の横、この日は使用されていない『特別室』の出入口の扉の前に、作品名とかは忘れたがアニメの人物キャラを描いた立て看板、高さで言えば大人の背丈ぐらいのものが扉をふさぐように置かれている。

(あ、この時なのか)

 俺は立て看板に描かれている人物キャラを見て、中2の頃のことを思い出してみる。健一けんいちがこのアニメが好きで、珍しく俺に見るように勧めてきたから、それで覚えていたのかも知れない。

「あ、部屋に入った」

 杏美あずみんの声で、再び意識を目の前の景色に集中することに。


 部屋の中は漢字の「目」の文字のように通路が確保され、空いた中間の部分と左右の窓際の壁に出展者用の机が配置されている。

 そして、角になる通路の四隅よすみには椅子が置かれ、腕章を付けた男性や女性が室内の動きを見守っている。おそらく、即売会イベントの運営側の人なのだろう。

 そして、入口とは反対側の壁にも扉があり、その先にお手洗いや階段、1階と結ぶエレベーターがあるのだが、お手洗い以外は即売会イベント運営の人や出展者のみ階段やエレベーターを使用することができる、そういう決まりになっていた記憶がある。

 視界から見える室内の通路は、混雑とはいかないまでも来場している人が行き来したり、机の上に置いてある冊子を読む人、売り子さんと話をする人などが見えて、いかにも即売会イベントという雰囲気が作り出されていた。

(この時、確かイラスト本とか買ったのだっけ)

 記憶に間違いが無ければ、この即売会イベントでは冊子を4~5冊買っていたと思う。イラストが中心の冊子モノと二次創作のマンガが描かれた冊子モノだったと思う。

「で、杏美あずみんはどこにいるの?」

「この時は、出入口からは遠い奥だったかな」

 通路に沿って移動している視点は、その杏美あずみんのいる場所を目指している感じだ。

 ということは、今見えている即売会イベント会場の中に、中学2年当時の俺や尚彦なおひこもこの会場のどこかに居るということなのだろう。

 しかし、どんな服装で来ていたのかまでは、残念ながら俺の記憶には残っていなかった。

「あ、あの人混みが集まっている場所、そこだったと思う」

 杏美あずみんに言われたので、より注意しながら動いていく景色を見つめいたのだが。

 

 バタン!バサササッ!

 人混みから何かが倒れたり散らばったりする音が室内に響いた。それと共に悲鳴というか女性の叫び声だったり、「すみません!」とあわてたような男性の声、「大丈夫か?」という問いかけの声も聞こえてくる。

 この即売会イベントでは、1つの長机の前に出展者3人が座り、各自の前のスペースがそれぞれの出展者の展示販売場所、「ブース」と呼ばれるスペースになっている。

 その長机が床に倒れていて、机の近くに居る何人かが散らばった冊子やらを一位集めている。

 売り子さんが居る内側のスペースを見ると、中央で座っていたらしき女性が倒れていて、そのあおりで左側の男性も姿勢を崩したのか、床に尻餅をついた格好をしている。一方、倒れた女性の右側にいた女の子は、励ますように女性に話しかけていた。

 また、「係員さん、早く来て」だとか「救護室に連れて行ってあげて」という声が、倒れた机近くに集まってきた人たちから聞こえてくる。

 倒れ込んだ女性は意識を取り戻したのか、やってきた運営の腕章を付けた人たちに両脇からかかえられながら、エレベーターのある方向に連れられていく。

 その姿を見送りつつ、何人かの手で倒れた机が起こされ、床に散らかった冊子や小物、小銭類をその場に居る皆が手分けして集めている。

 その人たちの姿を注意しながら見ていると、

「そ、これが私みたいね」

「えっ、この子が杏美あずみんだったの?」

 先ほどまで倒れた女性を励まし、今は拾ってもらった冊子などを机の上に置き直している女の子が杏美あずみんだった。

 そして、机を起こしたり落ちた冊子とかを拾ったりしていたその中の1人が俺であり、女性に巻き添えを食らい床に座り込んでいた男性、脚か何かを怪我したのか痛そうな表情をしていた彼に付き添いを申し出たのが尚彦なおひこだった。

「そういえば、なんか思い出してきた。あれっ、もしかして杏美あずみんから冊子を買わなかった?」

「やっと気づいてくれた。私の本を買う男の子って珍しかったから、何か記憶に残っていたんだ」

 目の前に見える映像を見ながら、そんな言葉を交わしていたりする。

 自分としても珍しいことだが、イラストが中心の冊子を買うことは普段ほとんど無かったし、あったとしても絵柄とか何か自分の作品作りの参考にするために買っていて、衝動買しょうどうがいではないが即売会イベント会場で見てその場で買い求めるというのは、二次創作のマンガ中心の本ではあっても絵がメインとなるイラスト本を買い求めたのは、もしかしたらこの時の杏美あずみんの本が最初なのかもしれない。

 俺自身が見えている即売会イベント会場の景色、それは自分の記憶から抹消まっしょうされ抜け落ちている出来事と言えるだろう。

 で、抜け落ちていたといえば。

「しかし尚彦なおひこも来ていて、偶然同じ場所に居たとは。それこそ知らなかったなぁ」

 本当にこれは俺も気づいていなかった。

 この頃には尚彦なおひことはすでに顔見知りであり、市役所駅近くにある画材屋とかアニメグッズの店とかで会うと挨拶する間柄あいだがらではあったが、即売会イベントでは会った記憶は皆無だっただけに、こうして尚彦なおひこが同じ会場に居た事実にも驚いていた。

「私も『顔を見かけたことがある子がいるなぁ』という感じだったなぁ」

 杏美あずみんも思い出しながらという感じで言葉を返してくれる。

尚彦なおひことちゃんと挨拶をしたのって、緑が丘がっこうが最初だったっけ」

 4月の最初の頃、休み時間にクラス単位で教室を移動する時だったか、その時に尚彦なおひこ杏美あずみんが挨拶したことは覚えている。それが挨拶をした最初だったとは。

「そう、顔は知ってたけど話をしたこととか無かったので、緑が丘がっこうで会うまで自分と年齢としが同じとは思わなかった」

 なにげに尚彦なおひこに厳しいことを言っているような、そんな風にも思える杏美あずみん返事ことばが返ってきた。


 気がつけば、乳白色にゅうはくしょくの煙みたいなものは消え、元いた会議室の景色が目の前に広がっていた。

「で、ね、真人まさとくん」

 改まったようにテーブルのそばにあるイスに座り直し、俺の方に視線を向けてくる杏美あずみん

「ずっと『お礼』というか、『ありがとう』という気持ちを伝えたかったの」

「『お礼』って……えっ!?」

 この言葉を聞いて、素直に驚いたし戸惑った。

 少なくとも、俺自身の中では杏美《あずみん》に何かをした記憶は無いし、即売会イベントの中2の時には杏美あずみんのことを知らなかったのだから、何が何だかという気持ちになってしまった。

「……俺、何かしたっけ!?」

 あれこれ考えていても仕方が無いので、そういう時は杏美あずみん本人に聞くしかない。そう思って尋ねてみたのだが。

真人まさとくん、覚えていないかな」

 そう切り出してから杏美あずみんは思い出すように話し始める。

 何か言葉を選ぶような時もあるが、話の最初から最後まで言葉を発している間、杏美あずみんの視線は俺に向けられたままだった。

 こんなに真っ直ぐに他人ひとに見つめられたのっていつ以来だろう……でも、そんな杏美あずみんから俺も視線を外すことは出来なかった。


 その杏美あずみんが語った内容をまとめると、即売会イベントで手に入れた《あずみん》のイラスト本、それに感動した俺がイラスト本の感想を長文のメールにして《あずみん》あて(冊子の巻末に記載されていたフリーメールのアドレスあて)に送ったのがキッカケだったという。

 自分も同人誌というものを作る側になって、読者の反応というか「読んでくれた人が、どう読み終わった時に思ったり感じたりくれるのだろうか」ということが気になり始めて、自分でも即売会イベントで買った本などには、出来る範囲で感想とかを送るように心がけていたし、実際に何人もの作者の人に送ったりもしていた。

 俺が書いた感想、その相手の1人が杏美あずみんというのもここで耳にして驚いたというか、今の今まで想像すらしていなかったのでどう反応すれば良いのか分からなかった。

 しかも、思ったままを言葉にした俺の文章もの、それを読んだ杏美あずみんの心に響いたというかさる内容だったとのことで、これ以降の創作活動に前向きな気持ちになることが出来た、自信を持つことが出来た……という趣旨のことを話してくれたのだから、余計に信じられないような気持ちになっている。

 そして感想を受け取ってから1年以上の間、杏美あずみんがずっと俺にお礼の気持ちを伝えたかったのだそうな。


 しかし、そういうことなら、俺の方も杏美あずみんに感謝すべきところが多々あったりもする。その証拠に、自分の部屋にある本棚に即売会イベントで買った冊子とか置いてあるのだが、そこにある杏美あずみんのイラスト本は何かの折に見返すことが何度もあったりする。

 むしろ影響を受けたというか心にさったという点では、杏美あずみんいたイラストやそこにえられた文章であり、その絵や文章から俺自身が影響を受けているのは間違いないことなのだ。

 だから、杏美あずみんが俺に気持ちを伝えるというのなら、それこそ俺の方こそ杏美あずみんに気持ちを伝えなければならない、杏美あずみんの言葉や表情を受け止めているとその気持ちが強くなるのを感じていた。

 だから、杏美あずみんが話し終えるのを待って

「『お礼』というのなら、俺の方も杏美あずみんに言わなきゃいけないことがある」

 面と向かってその気持ちを伝えてくれた杏美あずみんに、そう切り出して話すことにした。

 俺は杏美あずみんいた本を見て、読んで、思ったことや感じたことをありのままに話した。上手い言葉とか表現、言い回しとかは出来なかったが、杏美あずみんの本を見て俺自身が影響を受けた部分とかを話し続けた。

 どれぐらい話をしたのか、正直、話をした時間の長さとか覚えていなかったし、意識をすることもなかった。

 ただ、杏美あずみんに話し続けていたし、その間、杏美あずみんは俺から視線をらすことはせず、最後まで俺の話を受け止めてくれていた。

「……ありがとう、真人まさとくんの言葉で私の絵のこと聞けて良かった」

「俺の方こそ、杏美あずみんが俺の感想をそう思ってくれていたなんて、想像すら出来なかった」

 最後まで話し終えた後、俺と杏美あずみん、座りながらお互いに頭を下げた。


「でも、今日、こうして話が出来るなんて……」

 顔を上げた杏美あずみんが、少し照れたような表情をしていた。

 考えてみれば、雄太ゆうた美香子みかことは、お互いの作った作品について品評会みたいなことはしていたけど、作品に触れてどう思ったのか、どう感じたのか、深いところの話はこれまで互いにして来なかったと思う。

 それだけに、自分がいた作品について話をすることが無かった杏美あずみんと、今日初めてお互いの作品について話が出来たというのは予想外な出来事ではあったが、こうして気持ちや意見を伝え合ったことがお互いの創作活動に何か良い影響になると思うことが出来た話し合いだった。

 ……これという根拠とかは無いが俺の直感はそう感じていた。

「また、こうして話せるといいな」

「そうね。また話とかしましょ」

 何気ない俺の言葉に返事を返してくれた杏美あずみんだったが、ふと時計を確認すると30分以上は話していたことに気づいたので、俺たちは互いに食べたものとかを片付けてからそれぞれの席に移動し、会議室ここに来た本題である自分の原稿制作に取りかかったのだった。


 その後、時が過ぎて夜の9時前頃だったか、一息入れようと休憩スペースに出てきた俺は、心から満足そうな顔をした雄太ゆうたが「貴重な作品ものを見ることが出来た」と会議室へやに入ってくるところと出くわしたのだった。

 美香子みかこ雄太ゆうたに続いて部屋に入ってきて、「映画、なかなか良かったよ」と充分映画を堪能しましたとその顔が言っているようだった。

「今日は良い映画やつを見たから、あと少し頑張るか」

真人まさと、あんたは『ホラーは苦手』と言うけど、今日のは見ていて損は無かったかも」

 果汁100%のジュースを飲んでいた俺に、2人はそんな言葉を投げかけてくる。俺がホラー映画を見ないことについて美香子みかこは「見ていて損は無い」と力説するのだが、どうしても感情的、感覚的に受け入れられないジャンルというのは俺にだってある。

 美香子みかこにもそして雄太ゆうたにもそういうジャンルはあると思うのだが、ことホラー映画については中学辺りからだったか俺に見るように勧め続けている。

 何か2人に言い返そうとも思ったが今更言っても仕方が無いと思い、飲みかけのジュースを一気にのどに流し込むと自分の席に戻り原稿に集中することにした。


「今日はよく頑張ったなぁ」

 夜10時半まで4人それぞれが原稿に向かっていたが、取り組む集中力の方がガス欠気味になってきたので、今日はここまでで終わり!とその時間で切り上げそれぞれの部屋に戻ってきたところだ。

 俺は部屋の机にあるノートパソコンの電源を入れると、このところ気に入ったので聴いているアニメ作品の主題歌、その音源を再生させながらベッドの上に仰向けになる。

「しかし、杏美あずみんから色々と話が聞けて良かったなぁ」

 夕食後の会議室での出来事を自然と思い返してみる。

 よくよく考えると、真剣に自分の描く作品とか他の人が描いた作品の感想とか、雄太ゆうた美香子みかことも今日の杏美あずみんとの話ほどの

深いところの話はしていないのだが、どうして杏美あずみんに熱くなって夢中で語ってしまったのだろう。

 確かに杏美あずみんが話してくれたからと言うのもあるし、自分が気に入って買ったイラスト本の作者が杏美あずみんと知って、余計に気持ちを伝えなければと思ったのも事実ではあるが。


 そこで俺は、杏美あずみんとの会話を振り返ってみる。

 乳白色にゅうはくしょくの煙の中で即売会イベントでの出来事を見ていた時、俺が杏美あずみんからイラスト本を買ったことを思い出した時。

『やっと気づいてくれた』

 杏美あずみんは俺にこう言っていた。

 その前に、煙の中で見た即売会イベントのことを覚えているかどうかを杏美あずみんは俺に尋ねているが、中学2年のこの即売会イベントの頃には、何らかの形で杏美あずみんは俺のことを知っていたと考えるのが自然な流れだろう。

 だからこそ『やっと』という言葉が杏美あずみんの口から出てきたのだろう。


 ここで俺は、ある1つの疑問に行き着いた。

杏美あずみんはいつから俺のことを知っていたのだろうか?」

 この4月以来、部室で初めて杏美あずみんに会った時に感じた既視感デジャブだとか、異世界となった緑が丘がっこう麗子れいこ悠子ゆうこという三田園みたぞの姉妹から言われた言葉、特に姉である悠子ゆうこから言われた杏美あずみんが俺にとってのキーパーソン云々うんぬんという言葉とか、さらに言えば異世界で見た過去の自分たち、市民体育館でのバスケットボール教室に通っていた小学生だった俺や三田園みたぞの姉妹、福永ふくなが、そして杏美あずみんの姿。

 これらのこと全てが俺にどう関係してくるのか、そしてなぜ俺の記憶に杏美あずみんのことが残っていないのか、今の状態では、それすら思い出す手がかりらしきものも無い。

 次から次へと俺自身が分からないことが積み上がっていく中で、1つもそれを解決できるものが見つかっていないもどかしい感情が大きくなっていくのだが、いつかはこれらのもどかしさが全て解決される日が来るのだろうか。

 これからの緑が丘がっこうでの高校生活3年間、訳の分からない出来事に巻き込まれていることは確定しているのだから、その間に杏美あずみんに関することも解決して欲しいところだが。


 しばらくそのままベッドの上で仰向あおむけになりながら休んでいたが、寝る前に風呂に入っておこうと思った俺は、部屋着用のスウェットに着替えると1階の大浴場に向かうことにした。

 祝日ということもあるのか、深夜11時を過ぎていうのに大浴場はそこそこ人が居て混んでいる様子だったので、素早く身体を洗った後、露天風呂に行くことにする。

 大浴場の中を通り抜けた先にある出入口から露天風呂に出てみたのだが、山の中にあるこの温泉、空気とかはひんやりしていたのだが露天風呂自体はイイ感じというか、湯気が夜の外気に冷やされたのか白く立ち上っているのが見えたりする。

 そして露天風呂の一角、浴槽を形作っている岩が椅子みたいになっている場所があったので、その岩を背もたれにしてしばらくかることに。

 その状態で夜空の星を見つめていると、いつだったか林間学校みたいなところで天体観測をしたことを思い出す。

 紙で出来た星座盤を渡されて、夜空を見ながら何の星とか何の星座だとか調べつつ、どこかの学校だったかグループだったか、自分たちも含めて2つ3つの集団が1つの天体望遠鏡、家庭用だとしても結構な大きさのものだったような記憶があるのだが、その望遠鏡のレンズを通して星座盤で調べた星や星座を探して見る、そんなことをしたような記憶を思い出したりしていた。


 露天風呂で身体をしっかり温めた後、大浴場から出て服装を着替えた俺は、大浴場近くにある軽食コーナーに立ち寄ると、いくつかある自動販売機の中から温泉の定番と言えるびん入りコーヒー牛乳と小腹こばらが空いたのでたい焼きを買いそのまま部屋に直行したのだった。

 スーパー銭湯とかにある食べ物系の自販機、それこそジャンクフードっぽいものからうどんや蕎麦そば、カップラーメンなどの軽食と言えるモノまで売られているのだが、記憶をたどってみると、俺や雄太ゆうた美香子みかこの親から許されたのは、体格が大きくなり始めた中学に入ってからだったと思うし、買うにしても家で食べる食事の時間からは離れた時間帯、それこそ3時のおやつの時間とかの食事をさまたげない時間にしか許されなかったと思う。

 姉貴を見ていると深夜0時を過ぎて食べる夜食やしょく緑が丘みどりがおかに入ってから許された感じだったので、俺が夜遅い今の時間にたい焼きを2個食べるぐらいは無問題だと思いたい。

 部屋にある机、そこにコーヒー牛乳のびんとたい焼きの入った紙袋を置くと、机の上に置いてあるノートパソコン、画面が自然と視界に入ってきたのだが、画面の右下にメールソフトから『メールが○通届いています』な表示が見えたので取り急ぎメールを確認することにした。

 普段の生活では大抵のことがメッセージソフトで片付くので、メールで何か送られてくると言えば、受けている通信講座の連絡とかマンガ・アニメ専門店からの商品紹介みたいなDMが大半なので、最初はそれが来ているのか?とも思ったのだが。


「送り主は……三田園麗子みたぞのれいこ!?」

 その表示を見て、全てが黄色や金色っぽい感じで輝いていた緑が丘がっこう、そこから現実世界に戻る時に麗子れいこが言っていたことを思い出す。

 あの時、何か俺が誤解するから云々うんぬんと言っていたが、その言葉に関係することが書かれている……ということなのだろうか。

「ん?メール本体じゃ無く添付てんぷファイルなのか」

 俺は勝手にメールの送信文の本文に麗子れいこ書いてくるものだと思ったのだが、その本文には『前、話したメールを送ります。連休中に読んでね』と書かれているだけだった。

 どうやら添付てんぷされているファイルを読め!ということなのだろうが、その添付てんぷファイルは2つ、1つは拡張子かくちょうしが「.txt」になっているパソコンを使っている者なら誰でも分かるであろうテキストファイル、もう1つは画像という名前がつけられたフォルダが目に留まった。

「メール本文ではなく、わざわざ文書ファイルにして送ってくるとは」

 まだ温かいたい焼きを頬張ほおばりながら独り言をつぶやく俺。

 送ってきたメール本文に伝えたい内容を書かないということを考えると、俺以外の人間、少なくとも杏美あずみんには読まれたくない(そして恐らくは雄太ゆうた美香子みかこの目にも触れさせたくはないのだろう)という麗子れいこの意思みたいなものを感じていた。

 それ以上に、あの異空間からの去り際に麗子れいこ悠子ゆうこが俺に発した言葉を考えてみると、 俺の杏美あずみんへの接し方というか、あの2人にしても俺と杏美あずみんの間に何らかの関係があることを知っている……そう考えるのが自然なのだろう。

 と同時に、三田園みたぞの姉妹や福永ふくながもあのトンチキな異世界ばしょに召喚されているのなら、彼女たちも俺たち4人と同じく高校3年間の間に色々な問題に対応することになると、100%の確信は無いがそれに近いものを俺は心の中に感じたのだった。

「印刷して紙で読みたいな」

 これは俺の習慣というかくせでみたいなものなのだが、文章とか書面とかのうち俺がそこに書かれている内容を何度も読んで考えたいというモノの時には、ほぼ必ずと言っていいほどに俺は一度紙に出した上でその印刷した紙を持ち歩いては繰り返し読む……ということをしていた。

 これならパソコンが使えない場所とか、ちょっとした隙間すきま時間とかにも読むことが出来るし、その場で思ったことなどを紙の余白に書き込むことも出来るので、中学に上がるか上がらないかという頃から俺の中では1つのルーティンになっていた。

 そう思った俺は明日一番に会議室で印刷してすることにし、自分の手持ちのメモリースティックに添付てんぷファイルをコピーするのと同時に、麗子れいこからのメールをフリーメールの俺のアカウントに転送しておくことにした。こうすれば、会議室に置いてあるプリンターから出力することが出来るハズだ。

「……寝るか」

 気がつけば机の上に置かれている時計が深夜0時を超えていることを示していて、今夜ぐらいは素直に眠りたいという気持ちになっていた俺は、ノートパソコンから流れていた音楽をめると、洗面台で歯磨きを済ませてからベッドに潜り込むのであった。

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普通に部活を楽しみたい あずみ るう @azumiruu

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