EPISODE 07 春合宿 III

「……ということがありまして」

 旅館の会議室から最初に移動してきた異世界、西欧風な室内に戻って来た俺たち4人は、自分たちが経験したことを目の前に座る 『司祭プリーストブリゾ』状態の仁美ひとみ先輩と、『司教ビショップミネルバ』状態の部長ちーさまに、「5分か10分で終わる」といわれたことを一通り話をしたのだった。

 体感時間では1時間とか2時間は経過していると思うのだが、魔方陣まほうじんから飛ばされてやって来たこの空間、最初に見たのと違うとすれば、カーテンの向こうに見える景色、青空とか昼間の日光による光とか、そういう色合いだったものが今ではすっかり夕焼けの陽射しでおおわれている、そんな色に変化していたので、相応の時間は経過していたのだろうか、そう思ったのだが。

「ごめんねぇ、まさか女子2人が巻き込まれるとは思わなかったよ」

 少し申し訳なさそうな顔をしながら、部長ちーさま美香子みかこ杏美あずみんにぺこりと頭を下げる。

 現実世界では夜10時を大きく過ぎた時間、「深夜」と言われている時間帯にまさか誰かと対決をするとは、さすがの部長ちーさまといえども想定外だったのだろう。

 最初にこの異世界に来た時と同様、女子2人はソファーに座り目の前に置かれたテーブル、そこにあるサンドウィッチやクッキーといった「軽食」という範疇けいしょくに入る食べ物を口に運んでいる。

 夕食も終えてからバスケットの試合をさせられたのでは、いくら体力には自信がある美香子みかこといえども、何かお腹に入れないと身体が持たないというのも分かる。

 ましてや、普段は運動とか縁遠えんどおい感じの杏美あずみんはげしく動いた後なのだから、こちらもお腹が空いていても不思議ではない。

 いみたいになった俺や雄太ゆうたも、空腹感を覚えて目の前にあったサンドウィッチに手を伸ばしているぐらいだから、動き回っていた美香子みかこら女子2人がパクパクと食べているのも何らおかしくないだろう。

「それで、俺たちがここから教会や学校の体育館に移動し、女子2人がバスケの試合をした時間って、実際はどのぐらいの長さなんですか」

 少しお腹を満たした辺りで、俺の隣りに座っている雄太ゆうたが、確認するかのように尋ねる。

「現実世界での時間ってこと!?だったら50分ぐらいかな」

 仁美ひとみ先輩が手に持った時計、よく映画やアニメ作品で見る懐中時計っぽい、金色で円形をした物体を見ながら答えてくれた。

「50分……授業1時間分ってこと!?」

「じゃあ、あたしらは体育の授業を受けたっていうことみたいね」

 杏美あずみん美香子みかこは、お互いに顔を見合わせながらそんなことをつぶやいている。

 ということは、今は夜の11時半以降、ほぼ真夜中に近い時間となるのか。

 教会を見学している時間も5分10分という短さではなかったし、黄色というか金色というか、キラキラとした輝きに包まれた緑が丘がっこう福永ふくながたちと一緒に居た時間も、試合の前後とか入れると体感時間では軽く1時間は超えていたように思う。

 もしかしたら、俺たちがあちこと飛ばされた先での時間は、元々俺たちが過ごしている世界とは時間の流れ方が違うこともある、そう思わずにはいられなかった。

 昔読んだ童話『浦島太郎』だったか、移動した先の竜宮城では数日でも元の現実世界では実は数十年か経過していた(玉手箱を開くことで、浦島太郎自身も実年齢に変化した)、そんな描写があったことをふと思い出したりする。

 だとすれば、『異世界むこう』への移動は、時間の流れ方が違うことで想像以上に体力を消耗することも起こりえる、それを教えてくれたのが今日の出来事だった……ということなのだろう。


「だけど、」

 女子2人に紅茶を渡していた仁美ひとみ先輩が口を開く。

「夜遅く移動した世界で女子2人あんたらが対戦したと言うことは、相手の子たちも明日は何か都合が悪かったということになるのかな」

「夜に対決ってこと自体珍しいかも。というか、この子たちが今日対決してるとか予想もしなかったわ」

 少し考えるような顔をしている仁美ひとみ先輩の横で、何かを想像しているような顔をして答える部長ちーさま

 俺たちを送り出した側としても想定外だったということなのだろうか。

「明日……3日みっかだよな」

 5月の3日、『憲法けんぽう記念日』の祝日だったことを俺は思い出す。

 しかし祝日であるこの日、 三田園みたぞの姉妹や福永ふくながたちに、急に何か予定が入ってしまい、明日対決するつもりを急に前倒しにした……ってことなのか?

 確かに、予定があって家族と一緒に行動とかなれば、そこから離れて出かけるということも難しいだろうし、今年は明日の火曜から水曜・木曜と3連休となり、6日の金曜日を挟んで7日と8日が土日の休日というカレンダーになっている。

 そのため、緑が丘うちみたいに今週一週間が丸々休みという学校もあるだろう(悠子ゆうこが通う自由学園がっこうも休みなのだろうか)。

「あの子たちにもがなければ、今日こうやって対決とかしたくなかったんじゃないのかな」

 小声でこぼした俺の言葉に美香子みかこが反応する。

「姉貴みたいに大学生でもない限り、親と一緒に行動することになるよなぁ」

 そうだよなぁ……と思いながら俺は返事を返す。

 俺の家に雄太ゆうたの家、そして美香子みかこの家なら、これだけの長期休暇だと、泊まりがけで親戚のところに行くとか、どこかに日帰りで遊びに行くとか過去にあったので、向こうにしても今夜に済ませたかったのかもしれない。

「とにかく、明日も真面目に原稿を書きなさいね」

 よしっ!と区切りを付けるかのように、部長ちーさまが立ち上がり話し始める。

「今日はここから離れたらしっかりと眠って、明日の朝、ちゃんと起きなさい」

 俺たち4人と仁美ひとみ先輩の顔を確認するかのように見ると、何か小声でつぶやいたかと思うと、目の前がピンク色の霧みたいなものに覆われたのだった……。


「ん……ここは、俺の部屋!?」

 霧が晴れたと思ったら、泊まっている旅館、その自分の部屋にある机の前に立っていた。

 部長ちーさまが唱えた呪文が何かは分からないが(瞬間移動にしては、それぞれの部屋に飛ばすのも「凄い」と思う)、多分雄太ゆうたたちにしても自分の部屋に移動したのだろうし、仁美ひとみ先輩にしても、自宅の自分の部屋とか違和感が感じられない場所に移動したのだろう。

 それにしても、魔法をこんなに便利に使っていいのか?と、少しだけ考える自分もいるのだが。

 そんなことを考えつつ、自分の目の前にある部屋備え付けの机を見ると、ちょうどイイ具合に、自分の視界の中にデジタル時計が目に入ってきた。

 昨日の夜にも時間確認に使った机上時計、そこには5月3日午前0時2分という文字が表示されていた。

「2日続けてとなると、身体にこたえるなぁ」

 流石さすがに今日は、これから夜更よふかしして何かする気力も体力というのは俺にはなかった。

 多分、雄太ゆうたにも何かをする気力とかは無いだろうし、ましてや女子2人は、バスケの試合までこなしているのだから、夜更かしとかしないで眠るのだろう……と根拠は無いが俺はそんなことを思ったりした。

 そして洗面所に行き歯を磨いた後、寝間着ねまき代わりのスウェットの上下に着替えるとそのままベッドに横になったのだった……。


 朝、卓上時計から電子音アラームが鳴り響くので、渋々しぶしぶという感じでベッドから起きあがる。そして机の上にある時計のボタンを操作して、少し耳障りな音を止めることにした。

「時間は……午前7時31分?」

 俺はいつ起床時間を時計に設定したんだ!?状況から推測すると、俺が設定した時間は7時30分なのだろうが、俺にはベッドで横になってからの記憶が無いので、「いつ設定したんだっけ」と思ったりもする。

 でも、今から二度寝するには目はめてしまったし、昨日の夜は結局風呂どころか部屋でシャワーすらびる余裕も無かった。

 ということで昨日の汗を流しておこうと思い、1階にある大浴場にいくことにした。それにしても、24時間開いている大浴場というのはありがたいものだ。

 着替えとかタオルとかを持って大浴場に向かい、服を脱いでから浴室に入ると、「よっ!真人まさとおはよう」という声で迎えられる。

「おはよう。雄太ゆうたも風呂なんだ」

 一足先に大浴場ここに来ていた雄太ゆうたの声が、湯船の一角にあるジャグジーの辺りから聞こえてくる。

 小さい頃から一緒だと行動も似てくるのか、やはり雄太ゆうた朝一番あさいちで昨日の汗を流し落としたかったみたいだ。

 俺はかけ湯をしてから先に身体を洗うと、ジャグジーから移動してきて湯船の中央辺りに陣取る雄太ゆうた、その隣りで風呂にかることにした。

 ちょうど湯船の中央に龍っぽい動物の石像、その開いたくちからはお湯が出ていて湯船に流れているのだが、それがあるために湯船の水面近くの高さで壁みたいなモノ、多分、その中にお湯が流れているくだとかがあるのだろうけど、それがイイ感じに背もたれになっていたりする。

 そして龍っぽい石像だが、よくよく見ると、東南アジア辺りにあるマーライオンとかいう奴にも見えないこともなかった(違うかもしれないが)。

「昨日は、お疲れさん。眠れたか?」

 雄太ゆうたに声を掛けると

真人まさとこそ、お疲れさん。こっちはまあ爆睡してた」

 元気な声で返事が返ってきたので俺としては一安心だ。

 お互いに部屋に戻ってすぐに熟睡した分、程よく心地よい温度のお湯にかっていると、身体の力が戻ってくるような気持ちになってくる。

「でも、俺たちよりも美香子みかこたちの方が体力は使っているよな」

 雄太ゆうたの言葉を聞いて、「確かに」と思ってしまう。

 実際、動いた量を思うと、美香子みかこ杏美あずみんの疲れは俺たち以上あるはずだ。そしておそらく、俺たちみたいに部屋に戻ってきた時、すぐに眠りにいたというのは容易に想像が出来た。

美香子みかこ杏美あずみんも風呂に入っているのかな」

 ふと漏らした俺の言葉に、

杏美あずみんのことは分からないけど、美香子みかこは入っているかも。昔から温泉というか、こういう大浴場が好きだったみたいだし」

「確かに」

 雄太ゆうたの言葉を聞いて、小学生の時だったか、俺たち3家族が合同で温泉旅行をした時に、美香子みかこが女湯の大浴場ではしゃいでいたと、姉貴まさみから繰り返し何度も聞かされていたことを思い出す。

「今日ぐらいは、何事も無く、平穏無事へいおんぶじに原稿に集中したいよなぁ」

「そうだよな。こう毎日予測できない何かが起きていては、俺たちだって余分な体力を使うし、身体が持たん」

 俺の言葉に、雄太ゆうたも賛成の意思を伝えるようにうなづいてくれたのだった。



 時間にして20分から30分の間、朝風呂に入っていた俺と雄太ゆうただったが、部屋着に着替えるとそのまま朝食バイキングの座席待ちの列に並ぶことにした。

 祝日となった今日・3日だったが、昨日の夜から泊まった人も多いのか、座席待ちの人数も心持ち増えているように思えた。

 待ち始めてから5分から10分ほど待っていて、あと何組で自分たちの順番ばんになるような頃、美香子みかこ杏美あずみん、そして部長ちーさまが列の後ろになる受付場所、そこにやってくる姿が視界に入った。

「2人とも、早いねぇ」

 目ざとく俺たちを見つけた部長ちーさまの声が聞こえる。

 ちょうど人の入れ替わるタイミングだったのか、一気に食堂の座席がからになり、そこそこ長くなりかけていた座席待ちの人の列が一気に進んでいく。

「あっちのテーブルにしようぜ」

 俺たちの番になると、雄太ゆうたが出入口から少し遠くにあるテーブルを指で指し示す。

「あっちか、いいな」

 出入口から遠い場所だけあって、いい感じに空いた席が固まっている。これなら、女性陣3人も同じテーブルに座ることが出来るだろう。

 昨日同様に俺たちは、適当にパンやドリンク、サラダ、おかず類を選び終わり、出入口からは離れた位置にある窓際の席に並んで座ったのだが、その頃になって部長ちーさまたち女子3人の順番になったのか、3人そろって食堂内に入ってくるのが見えた。

 その姿を雄太ゆうたも見たのか、食器などが乗ったトレイを机の上に置くと、腕を上に伸ばして3人に向かって手招きをするように動かしている。

「そっちね、分かった」

 部長ちーさま たち女子3人も選び終えたのか、一昨日おととい昨日きのうと同じく、俺たちの反対側に座って「いただきます」と手を合わせてから食べ始める。

「何か腹が物足りなくて」

 昨日と同じ分量では未だ満腹感にならなかったので、こう言いながら追加で食事を捕りに行く俺。ハッシュドポテトとかベーコンエッグ、ロールパンといったものを追加で取りに行ったのだが、隣りに座る雄太ゆうたも俺と入れ違う形で席を立つと、ポテトサラダとかミニハンバーグを取ってきて食べ始めている。

 席に戻ってきた時に、何気なく視界に入った女性陣の食事を見ると。

 気のせいかも知れないが、昨日よりは1つ2つ多く食べ物を乗せた小皿が増えているようにも見える。まあ、俺たち以上に動き回ったというか、夕食後にバスケの試合までこなしたのだから、その分、この朝の食事で食べるのも不思議じゃないとは思う。

 美香子みかこ杏美あずみんが多く食べるのは納得だが、なぜか部長ちーさまの食事量も多そうに見える。

 司教ビショップ状態でいる間、不思議な力で俺たちを空間移動させたのだから、その分体力を消耗したのだろうか。

 そう思うと、異世界むこうに移動するのも体力勝負で、充分に食事とかで腹ごしらえをする必要があるのかも……と、朝からこんな想像もしてしまう分量に思えた量だった。


「そういえばさぁ」

 食べながら偶然目が合った部長ちーさまが話しかけてくる。

「今日、4人が半分ぐらいまで原稿が仕上がっていたら、気分転換に温泉プールに入ってくるといいよ」

 腰に付けたポーチを開いて、俺にチケットらしきものを渡してくる部長ちーさま

「先輩たちが入ってた温水プールか」

 チケットを握った俺の手から1枚を抜き取って、雄太ゆうたと一緒に書かれている内容を確認する。

「そういえば、2年の先輩たちが言っていた休憩スペースもありますね」

 手元にあるポーチから杏美あずみんがパンフレットを取り出すと、館内案内図から温泉プールの施設紹介を見せてくれた。リクライニングシートがあるということは、ちょっとした睡眠も出来るのか。それなら先輩方せんぱいがたが昼寝をしていたというのも分かるし、パンフレット通りの設備なら安心して横になることも出来そうだ。

 俺たち4人は改めてパンフレットを見終わると、美香子みかこから受け取った杏美あずみんが、自分のポーチに綺麗に折りたたんでしまっていた。


「で、どうなの、あんたたち。原稿の進み具合は順調かい?」

 オレンジジュースを飲み干した部長ちーさまからになったグラスを机の上に置きながら、俺たち4人に確かめるように尋ねてくる。

「昨日の時点で、『明日の夜に、原稿を半分仕上げる』がノルマでしたね」

「そうよ、杏美あずみんちゃん、ちゃんと覚えてたね」

 杏美こちらもお腹が満たされたのか、どこか機嫌が良さそうな声で部長ちーさまに返事をしている。

「……いうことは、部長ちーさま、今日は出かけるとか言わなかったでしたっけ」

真人まさと、合宿の最初の頃に、部長ちーさまがそんなこと言ってたよな」

「あれっ、真人まさとくんに雄太ゆうたくん、よく覚えていたね」

 俺と雄太ゆうたの言葉を聞いて、どこか驚いた様子の部長ちーさまであったが。

「今日は朝から昼過ぎまでは美術展、それから美術の先生のところに行くから、旅館ここに戻ってくるのは夕食前になる時間かな」

 大広間での夕食、ここに泊まるお客さんが増えているみたいだけど、それでも時間とかが初日と同じならば時間としては夜の7時、それなら、路線バスも動いている時間だし、何ならこの旅館が皐月さつき温泉口駅、電車を乗り継いで旅館に来る時の私鉄の支線、その終着となる駅なんだけど、そこと結ぶ旅館の送迎バスも走っている。

 俺たちの住んでいるあたりでは「皐月さつき駅」と言うと、この終点となる皐月さつき温泉口駅のことを指すので、いつしか俺たちも「皐月さつき駅」と言うようになっていたりする。

 合宿前に、軽く卯月山うづきやまから皐月さつき温泉辺りの観光地図をザッと見たのだけど、皐月さつき駅近くには市役所や文化会館、何なら三田園悠子みたぞのゆうこが通う皐月さつき自由学園の校舎もあったりする。

 自由学園がっこうには中学生の時、高校入試の模擬試験、その会場だったこともあり、俺や雄太ゆうた、そして美香子みかこに小中学校一緒だった同級生たちと何度か行ったことがある。

 そして皐月さつき駅前にはロータリーがあり、そこをバスや自動車くるまが行き交っていたような記憶もある。

 また、駅前から東に向かうバスに乗ると、皐月さつき温泉にゆかりのある人(だったか?)が出資して作ったという展示施設があるとのこと。

 部長ちーさまが行く美術展とやらが文化会館なのか、それともその施設なのかは分からないが、いずれにしても道路事情が悪くならない限りは、部長ちーさまは夕食までに戻ってくることは問題が無いみたいだ。

「じゃあ、あたしは先に出かけるから、みんなはしっかり原稿を仕上げて、温水プールでリフレッシュしなさいね」

 グラスや皿を綺麗にトレイに乗せた部長ちーさまは、席から立つと一足先に出口近くにある食器返却スペースで手際よく食器類を置くと、出口に向けて歩いて行く姿を俺たち4人は見ていたのだった。

「なぁ真人まさと部長ちーさまが行く美術展でどこで開かれているんだろ?」

「いや、俺も知らない。文化会館か、バスに乗っていく」

「『飛翔館ひしょうかん』じゃないかな」

 雄太ゆうたの問いかけに答えたのは杏美あずみんだった。

「え、そうなの!?」

 フルーツセットのバナナを食べていたらしい美香子みかこも驚いた表情で杏美あずみんを見つめる。

「というか、施設あそこの名前って『飛翔館ひしょうかんかん』って言うんだ」

「そ。チラシにそう書いてる」

 そう言いながら、杏美あずみんはポーチから綺麗に折りたたまれたチラシを取り出しテーブルの上で広げると、人差し指で地図と説明が書かれている箇所を示してくれた。

 そこには『飛翔館ひしょうかん』の文字と、6月末までの展示やイベントの予定が細かい文字で印刷されていた。

「展覧会は朝9時から夜6時までなんだ」

「だから、夕食の時間には部長ちーさま、間に合うんじゃないかな」

 美香子みかこ杏美あずみんが確認するように、チラシにある案内を読み上げながら、俺からの問いかけに答えてくれる。

「早く入稿できれば、『飛翔館ひしょうかん』にも行ってみたいな」

「でも、原稿の方は大丈夫なの?5日の金曜日、その夕方には入稿しないとダメじゃなかったっけ」

 雄太ゆうた美香子みかこがそんなことを話していたのだが。

「あ、でも」

 そんな2人の会話に杏美あずみんが割り込んでくる。

「朝のお風呂から出てきた時、部長ちーさまが延長の手続きしてたよ」

「本当なの?」

 予想もしていなかった言葉に、真っ先に美香子みかこが反応する。

「お風呂に入っていて、美香子みかこちゃんがサウナに行っている間に、部長ちーさまから聞いたんだ」

「それで、部長ちーさまなんて?」

「先生の家の都合で、私たちや持ってきた機材を引き上げるために車を出せるのが、土曜日の6日しかダメなんだって。で、私たちの原稿の進み具合とかを考えて、もう1泊して土曜日の夕方まで『岩清水の湯このばしょ』で作業だって」

 美香子みかこの問いかけに、何事なにごとも無いように答える杏美あずみん

「確かに、会議室のものを動かすのをそうだけど……って、よく会議室が土曜までいてたな」

 黄金週間ゴールデンウィークという繁忙期はんぼうき、その土日って普通は予約が入っているのかと思ったが。

「なんでも、『岩清水いわしみずの湯』になってから、建物に会議室とか宴会場が増えたので対応できたみたい、そんなことも部長ちーさまは西尾先生から聞いたって」

 確かに今年は5月の1日が日曜日で、そこから次の日曜日、8日まで連続してまるまる1週間休む人もいて当然だけど、会社とかってそういう時期にこの手の部屋を使わないのかな?と、ふとそんなことを思う。

「でもさ」

 杏美あずみんが言葉を続ける。

「目標としては金曜日の入稿を目指めざさない?」

「そりゃ」

「そうよね」

 雄太ゆうた美香子みかこは「当然でしょう」という顔をしながら首をたてに動かす。

「今から先輩たちに『甘えている』とは思われたくないよな」

「そこはわたしも同じよ」

 俺の返事を聞いた杏美あずみんうなづいてくれた。

「じゃあ、頑張りますか」

 美香子みかこの言葉を合図に、俺たちは自分の食事がのっていた食器トレーを手に、返却口のある出口に向かったのだった。



「確かに、今日は順調に進んでるな」

 そう言って、目の前にある小分けされたクッキーの袋、その1つをつまみ上げて包装紙を破り、ほい!とクッキーを口に放り込む雄太ゆうた

 午後3時のおやつ時間、それぞれのブースから出てきた俺たち4人、先輩たちが差し入れてくれたお菓子をつまみながら休憩していた。

 女子2人は何をしているかと言えば。

「へ~っ!真人まさとくん、少し絵柄とか変えたの?これもいいじゃない」

 美香子みかこ部長ちーさまが残していったノートパソコンを操作していた。どうやら、ノートパソコンから俺たちの作業途中の原稿を見ている様子だ。

「まさか、絵のタッチがこんなに繊細とは思わなかった」

 杏美あずみんが意外そうな表情をしながら俺の顔を見上げている。

「そっ、このデカブツでこんな少女マンガ風の繊細な絵をくのが、真人まさとの得意技なんだよな」

 クッキーをもう1枚口にくわえながら、雄太ゆうたがこんなことを言ってくる。

「そりゃどーも」

 ちょうど身体の近くにあった椅子に座ると、袋を大きく開いたポテトチップスを俺は数枚つかむと口の中に入れた。

 マンガを描く俺と美香子みかこ、小説とその挿絵さしえを担当する雄太ゆうた杏美あずみん、今朝「こうなればいな」と思っていた感じで、4人共に原稿の進み具合は順調そのものだった。

 昼ご飯も軽めに済ませて原稿に集中したためか、夕方には半分を少し超えた辺りまで描き終わる感じで進んでいる。俺だけで無く、残りの3人も同じというのだから、夕食前に温水プールでリフレッシュが出来るのも夢物語じゃないペースだ。

 女子2人がノートパソコンから離れて、それぞれ何かお目当てのお菓子を探している間に、今度は俺と雄太ゆうたが原稿を見ることに。

「やっぱ、美香子みかこ人物キャラ、身体の動きとか躍動感があるな」

「だよなぁ。生き生きした動きを感じるよな」

 マンガをくキッカケとなったのは、美香子みかこが小学校の高学年ぐらいからアニメキャラの模写もしゃをしているのを見て、「おもしろそう」と思ったのが最初だったのだが、やはり、動きを感じるポーズとかはお世辞せじ抜きで上手いと思う。俺も雄太ゆうたも、そんな美香子みかこく絵が好きだったりする。

 そして、今度は杏美あずみんの書く小説だ。

「……自分の体験を早速さっそく取り入れているな」

「でも、主人公の女の子の感情の揺れを、丁寧に優しく描写している」

 夏休みを過ごす女の子の1日を書いている小説なのだが、公園で他の女の子とのバスケットボールを遊んでいる描写は、異世界での対決をモチーフにしたようにも思えた。俺だけじゃない、雄太ゆうたもそう思ったという。

 一方、雄太ゆうたが書いているのは、学校の図書室を冒険する兄妹きょうだいの話だ。こっちはこっちで、何かの寓話を思い出させてくれるような楽しさが伝わってくる。「外見からは想像も出来ない」というのなら、このファンタジーな世界観、雄太ゆうたが書いたといってすぐには信じる人はいないだろう。

「あと少ししたら、休憩終わりにするよ」

 ミニサイズなインスタントのうどん、それを美味しそうな顔をしながら食べている美香子みかこが俺たちに休憩時間の終わりをげる。

「じゃあ、3時半から開始で、5時45分から6時の間で一度区切りましょう」

 食べている途中のうどん容器を机の上に置くと、ノートパソコンを開いて手慣れた感じで美香子みかこがアラームの設定をしていた。



 休憩後、俺たち4人は予定の半分より少し多めなところまで原稿を進め、夜6時を迎えた時点では部長ちーさまと約束した『原稿を半分仕上げる』は余裕でクリアーしている状態だった。

「しかし、ずっと座りっぱなしだと、なんか腰が痛いような」

真人まさと、何オッサンみたいなことを言う」

「でも、腰に負担が来るのは本当だから、気をつけないと」

 俺の言葉に反応して、素早くツッコミを入れてくる雄太ゆうた美香子みかこ

 書き上げた原稿を、ローカルとサーバー、その両方に保存する作業は杏美あずみんがしてくれている間、食べ物が置いてあるテーブルの前で俺たちは待つことに。

「あ、一度水着を取りに部屋に戻らないと」

「そうだなぁ、でも夕食前に荷物を置きに部屋に戻れるか?」

 美香子みかこの漏らした言葉に、少し考える顔をして雄太ゆうたが答える。

「でも、エレベーターとかんでないか?」

「コインロッカーとか無かったっけ、大浴場にあるような奴。あればそこにしまえばいと思う」

「コインロッカー……あったかな!?」

 雄太ゆうたと俺がそんな会話を交わしていると、

「保存、終わったよ。温水プールにはロッカーあるって、パンフレットに写真がっていたし」

 保存作業を終えた杏美あずみんが俺たちに返事をしてくれたのだった。

「あ、杏美あずみんお疲れ様」

「じゃあ、温水プール前で」

 そう言って会議室を出た俺たちは一旦自分の部屋に戻ると、水着を持って温水プール受付前で待ち合わせることにした。

 ……のだが。

 

「お!真人まさとじゃないか。雄太ゆうたに、内田うちださんと小野おのさんも一緒か」

 温水プールの受付で、プールから出てきた尚彦なおひこに声をけられた。運動が得意そうには見えない尚彦なおひこが、温泉プールで泳ぐこともあるのか。尚彦なおひこには失礼ではあるが、ふと、そんなことを思ってしまう。

 「この面子めんつだと、同好会クラブの合宿とか?」

「そうだけど、尚彦なおひこ、お前も家族か誰かと一緒なのか」

 しっかりと泳いだのだろう。尚彦なおひこからイイ感じに湯気が出ていたりする。そう思っていたのだが。

「こんばんは……」

 尚彦なおひことなりにやって来たのは、異世界むこうでバスケの試合をした三田園悠子みたぞのゆうこだった。

尚彦なおひこ……その、悠子ゆうことは?」

 俺たち4人、ある意味「意外」と思える組み合わせの2人に驚いている中、気持ちを建て直して俺が声を掛ける。

 水着の入った手提てさげのビニール袋を持ち、俺たちに向けて「えへへ」と笑いかける悠子ゆうこ

「じゃっ、休み明けに学校で!」

「あ、待って……またね」 

 一足先に歩き始める尚彦なおひこと、尚彦なおひこを追いかけるように歩き出す悠子ゆうこ

 俺たちは何もリアクションが出来ないまま、小さくなっていく2人の背中を見送るだけだった。


「……尚彦なおひこ悠子ゆうこって、どういう関係だ!?」

「あの2人って……そういう関係なの??」

 水着に着替えて、楕円形だえんけいというか、横に細長くなったドーナツ型の温水プールに入る俺たち4人。

 温水の感触かんしょくを確かめてながらプールに肩までかっていると、雄太ゆうた美香子みかこが俺にたずねてくる。

「俺も知らん。あの2人が一緒にここに居ること自体に驚いた」

 まさかという人物が想定もしない相手と一緒に登場する。そんなことが起こっていることに、まだどこか俺自身も対応出来ないままでいる。

田辺たなべくんって、真人まさとくんのクラスの子だよね」

「そうだけど、それがどうかしたの?」

 杏美あずみんが何か気になったのか、少し戸惑とまったというか思案しあん顔で俺に話しかけてくる。

「なんだか……」

 そう俺に話をしようとしていた時。

「ギャ!」

 叫び声をあげた美香子みかこだったが、その後ろから見えたのは。

「よっ!?元気か」

「こんばんは。悠子おねえちゃんに会わなかった!?」

 誰かと思えば、水着姿の三浦健一みうらけんいち三田園麗子みたぞのれいこという、これも俺からすれば想定外な2人だった。

 その麗子れいこの持つイルカ?サメ?の形をした浮き輪が、ちょうど美香子みかこのお腹に突き刺さる感じで浮いていた。

「……な、なんでいるんだ!?」

 偶然と言うには出来すぎていると思った俺は、そんな声を2人に掛けていた。

 雄太ゆうた美香子みかこを見ると、2人とも「?」という疑問符を浮かべたような顔をしていた。いや、厳密には尚彦なおひこ悠子ゆうこと出会って以降なんだが、健一けんいち麗子れいこに会ったことで、より一層疑問が深まった表情になっている。

尚彦なおひことドーナツ屋に行った時、三田園みたぞのから招待券チケットをもらって、だったら4人で一緒に行こうってなって」

 市役所駅の近くにある全国展開のドーナツ屋、そこで尚彦なおひこ健一けんいちが食べていた時に、たまたま居合わせた三田園みたぞの姉妹とそういう話になったとのこと。

「でも、予備校時代から教室とか同じで顔見知りだったし、悠子おねえちゃん田辺たなべくんは中学の時から仲が良かったし」

 麗子れいこは浮き輪を腕で抱えると、「じゃあね」と言い残して脱衣場のある方向に歩いて行く。

「それじゃ、休み明けに」

 健一けんいちはそう言いながら俺の肩をポンとたたくと、プールから上がって去って行く。

「予備校って、雄太ゆうた美香子みかこと同じだっけ!?」

「そうだけど、授業を受けるクラスが違うから一緒にはならなかったな」

 思い出しながら雄太ゆうたが答えてくれる。

美香子みかこ、何か覚えている?」

「そうねぇ……三田園みたぞのさん姉妹、予備校でもフレンドリーに誰とでも話をするので、田辺たなべくんと話していたとかまでは覚えてない」

 中学の頃から予備校に通っていた2人だったが、その頃の記憶、しかも予備校のこととなると思い出せないのも無理はないか。

 空想世界のような異世界むこうだけじゃなく、現実のこの世界でも三田園みたぞの姉妹と会うとは。しかも、尚彦なおひこ健一けんいちが一緒にである。

 偶然にしても出来すぎのような出来事だったが、時間も限られているのでそれについて考えることを止めて、俺たちは少しの間だけ温水プールで思い思いに泳いだりしたのだった……。

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