EPISODE 04 春合宿 II

「ふぅん、『ミネルバ』って『知恵や工芸、芸術に戦術の女神様』ってことなのか」

「ローマ神話で言う『アテナ』と同じ女神様じゃないのかという説もあるらしい」

 朝食を済ませ会議室に来ていた俺と雄太ゆうたは、会議机の前にあるイスに座り昨夜のことを振り返っていた。

 ベットに倒れ込むように眠ったのが深夜0時半頃なのだけど、あの不可思議な空間での出来事でよほど体力を消耗していたのかもしれない、熟睡というか爆睡をしていて起きたのが朝7時半を過ぎてからだった。

 聞けば雄太ゆうたも同じように疲れていたらしく、部屋に戻ってからすぐに眠ってしまったとか。

「しかし、『司教ビショップミネルバ』って言われても何か違うよなぁ」

 少しぼやくような感じで雄太ゆうたが言うのだが、俺もこれには賛成だ。 

 外見も話し方も、おそらくはその思考も、ベースとなっているのは『依り代よりしろ』となっている部長ちーさまであり、どこからどう見ても部長ちーさまそっくりの彼女を『司教ビショップミネルバ』というのは、どうもしっくりこないというか逆に変な感じがしてならない。

(個人的には『司教ビショップちーさま』の方が自然な感じなんだよな)

 目の前で本人を見ているだけに、どうしても彼女が部長ちーさまとは別人とは信じられないからかもしれないが。

「ところでさ、雄太ゆうた

「なんだよ」

雄太ゆうたも、何か能力みたいな力が与えられたのか。ピンク色の気体みたいなもので」

「ああ……それか」

 眠っている雄太ゆうた美香子みかこに夢を通じて俺たちの会話は伝えられたので、俺たちが魔法少女みたいな感じの能力を得たことを2人は知っているのだが、2人にも俺たちと同じような力が与えられたのだろうか気になっていた。

「よくは覚えてないのだけど」

 そう前置きして雄太ゆうたが話し始めたことをまとめると、俺たちが登場する夢が鮮明になりはじめた頃、何か体中を重苦しい何かで包まれていったのだとか。そして、少し甘い匂いみたいなものを感じて、一瞬、ピンク色っぽいものが見えた後は、何かで包まれている感覚と同時に消えていくような感じだったという。

 俺たちと同じように薄いピンク色の気体に包まれたのは同じだけど、能力とかはどうなのだろう。彼女の口ぶりからは俺たち4人全員が魔法少女っぽい能力を持つようになったと思えるのだけど、本当のところはどうなのか今の時点では不明だ。

 いずれにしても、詳しいことは『司教ビショップ』である彼女が説明してくれる。その時に確認しても遅くはないだろう。


「ところでさ」

 雄太ゆうたが話題を変えてくる。

美香子みかこ杏美あずみん、そろそろ来るかな」

 机の上にある時計の時刻を見ると、午前8時50分前を示している。

 バイキング形式だった朝食、会場となっているレストランが黄金週間ゴールデン・ウィーク中で混み合っていたとは言っても、午前9時から作業開始なのだからさすがに会議室に来ていてもおかしくはないのだけど。

 エレベーターが混雑で遅れていて、もうすぐ2人揃って来るだろう……それぐらいの感じで俺たちは思っていた。

 ガシャン。

「おはよう……って、あれ、美香子みかこちゃんや杏美あずみんちゃんは、まだ会議室こっちには来ていないのかい」

 俺たちの予想に反して扉を開けて入ってきたのは部長ちーさまだった。

「あ、部長ちーさまおはようございます。あれっ、美香子みかこたちは」

「おはようございます。って、2人と一緒じゃなかったのですか」

 俺も雄太ゆうたも、部長ちーさまが1人で入ってきたことに驚いたのだったが、驚いたのは部長ちーさまも同じだったらしく、

「……って、朝ご飯はあんたたち4人一緒じゃなかったの」

「俺たちは部長ちーさまと一緒だと思っていましたが」

 俺たちの顔を見て「ビックリした!」と言うような顔をしている。

 今の言葉からすると、部長ちーさまは俺たちが2人と一緒に朝食を食べていたと思っていたらしい。

「フロントの前で待っていたけど、部長ちーさまたち女子が降りてこなかったので先に食べました。俺たちはてっきり部長ちーさまと3人で食べているものだと……」

 俺の言葉をフォローするかのように雄太ゆうたが言葉を続ける。

 合宿の予定では朝8時が集合時間だったのだが、昨夜のこともあったので女子2人が遅れてきても良いように8時10分頃までフロント前で待っていた。

 しかし、美香子みかこ杏美あずみんも降りてこなかった。念のために雄太ゆうた美香子みかこ携帯電話ケータイにかけてたのだけど、15コール程待っていても繋がらなかったので、俺たち男子だけで先に朝食を済ませてしまうことにしたのだった。

「ごめんっ。あたしはさっき起きたばかりなの。それで、みんなに謝ろうと思って会議室ここに来たのだけど」

 なんてこったい。『迂闊うかつ』と言えばその通りなのだろう。

 どうして、美香子みかこ杏美あずみん部長ちーさまと一緒だと思い込んでいたのか。いや、どうして2人が来るまで待てなかったのか。

 あと、直接この合宿には関係していないけど、現実には顧問の西尾先生の代わりみたいな感じになっている部長ちーさまにも、(眠っているのを邪魔するのは申し訳ないが)確認しようと思えば出来たはずだ。

 とはいうものの、部長ちーさまは受験勉強のために旅館ここに泊まっている訳なのだから、そこまで迷惑をかけるのも違うような気もする。

「分かりました。2人のことは俺たちが確認します。朝食のバイキングが閉まってしまうので、部長ちーさまはそちらに行って下さい。昼ご飯の時に報告します」

 朝食のバイキングは、開いているのは10時までだったと思うが、レストランへの入場時間は9時過ぎまでだったような気がする。

「分かった、ご飯に行ってくる。2人によろしくね」

 そう言葉を残し会議室ここから出て行く部長ちーさま

 と、その時。

「遅れてゴメン……寝坊した」

「ごめんなさい」

 旅館の廊下を走ってきたであろう美香子みかこ杏美あずみんが会議室に入ってきた。

「あ、あんたたちも寝坊したんだ。それで朝ご飯は食べたの」

 扉の前で鉢合わせする格好になった部長ちーさまが尋ねると、

「朝ご飯、食べてないです」

「それより、原稿を書かないと」

 寝坊した分朝ご飯抜きで原稿を書くつもりだったらしいが、

「私も今から朝ご飯食べに行くところよ。まだバイキングやっているから、しっかり食べないと良い作品は出来ないよ」

 ぐいっと部長ちーさまは両手で美香子みかこ杏美あずみんの腕をつかむと、強引とも言える勢いで2人を引きずるように会議室へやの扉から出て行く。

「ちょ、ちょっと……部長ちーさま

「う、腕が痛いです。行きます、行きますからぁ」

 しっかりと握られた2人が叫んでいるが、部長ちーさまは意に介すこともなく前に進んでいく。その勢いに負けたのか、美香子みかこたちは腕を掴まれたまま部長ちーさまの後ろについて歩いている。

 俺と雄太ゆうたはと言えば、そんな女子3人の姿をただただ見送るしかなかった。

「……部長ちーさま、すごいなぁ」

 少し呆然としたような表情で雄太ゆうたが口を開く。姉貴には「あんたたちじゃ部長あのこには勝てない」と言われていたけど、こういうエネルギッシュな姿を見せられると、生半可なまはんかなことでは部長ちーさまには勝てないと改めて思い知らされる気持ちになる。

「じゃあ、俺たちは先に作業を始めるか」

「そうだな。日数も限られているしな」

 扉を閉じると、俺たちはそれぞれのブースで原稿作りを始めることにした。


「しかし2人共、よく食べるねぇ。朝、あんだけ食べてまだ足りないの」

 平日の月曜日とは言え、連休中ためか家族連れの姿を見ることが出来る、昨日と同じスーパー銭湯内にあるフードコート。部長ちーさまを含めた5人での昼食時間ランチタイムだ。

 テーブルを挟んで目の前には女子3人が座り、こちら側には俺と雄太ゆうたというのも変わらない。で、皆でランチセットを食べながらも部長ちーさまは、ポタージュスープがついた日替わりランチをサラダを大盛りにして食べている美香子みかこ杏美あずみんの姿を観察するように見つめている。

 その部長ちーさまの視線に気づいたのだろうか、

「だって、お腹が空いているんだもん」

 少しねた表情をしながら答えるのは美香子みかこだ。こういう顔をするのは小さい頃から変わっていない。雄太ゆうたは「その拗ねた顔もカワイイじゃないか」と言うのだが。

「でも、あたしとしては杏美あずみんが食べている方がビックリだよ」

 自分だけが食べているんじゃないとは言いたかった美香子みかこだが、しかし、美香子みかこより大人しそうに見える杏美あずみんも同じように口を動かし続けているのも意外と言えば意外だ。

杏美あずみんちゃん、少し食が細いかなぁという感じなのに、しっかり食べるんだね」

 部長ちーさまも驚いたような顔で杏美あずみんの食べっぷりを見ている。

 当の杏美あずみんといえば「そりゃ、お腹空いているので食べますよ」と、美香子みかこ部長ちーさまの声も何処吹く風という感じでランチを平らげていく。

 まぁ、俺たちも朝からガッツリと食べていたので、美香子みかこたちが食べるのは気にはならないのだが、女子としては気になってしまうモノなのだろうか。そんなことを思いながら食事を続けていると、

「あ、ここにいたのですね、ちーさま部長ぶちょう

「1年生、頑張ってるぅ?」

 食べている手を止めて声がする方向に顔を動かしてみると、2年生の女子の先輩2人が立っていた。

 水着の上からパーカーを羽織ってジャージを履いてますという格好をしているので、水着着用が必須のスーパー銭湯にある温泉プールに来たのだろうか。

「あんたたち、来てたんだ」

 部長ちーさまが少し驚いた表情をしているようにも見える。

「混んでいるので、あとで会議室へやに差し入れ持って行きますね」

「みんな、またね」

 そう言い残した女子の先輩2人は、フードコートの人波の中に去って行く。

「あの子たち、混んでいるところに来なくてもいいのに」

 苦笑いというのか「仕方ないなぁ」という顔をしている部長ちーさまも、2人が悪気が無いのが分かるだけにしかるに叱れないのだろう。

 ちなみに、最初に『ちーさま部長ぶちょう』といったのが北浦仁美きたうらひとみ先輩、肩の下まで伸ばしているふんわりした髪の毛、その先端が自然とカールしていて、美香子みかこがいつも「いいなぁ」と言っている。元気さでは部長ちーさまの次に来るぐらいの感じの陽気な先輩だ。ちなみに、部内で『ちーさま部長ぶちょう』と呼ぶのは仁美ひとみ先輩だけだったりする。

 その仁美ひとみ先輩と一緒にいたのが藤原美貴ふじわらみき先輩、小柄だけどしっかり者というのが3年生の先輩たちの評判で、次期部長ぶちょうとも言われている。しかし、その外見はお人形さんみたいで大人しそうに見えるのだけど、仁美ひとみ先輩と一緒にアイドル歌手の振り付けとか踊っている姿を見かけたりするノリの良さも持っている人だ。

「先輩たち、2人だけで来た……ってことかなぁ」

「いや、真人まさと。きっと4人で来ているって」

「だよねぇ。ボディーガードがいないと、あの子たちも来ないでしょ」

 俺の問いかけに雄太ゆうた部長ちーさまが答えてくれる。

 確かに、大型連休で人が多い温泉プール、女の子2人というのはさすがに無防備すぎるか。しかし、男子の先輩たち2人も一緒に来ているのなら取りあえずは安心だと思う。そう思いながら残りのランチを食べ終えることにしたのだった。


 昼食後、午後の作業に入る前に部長ちーさま会議室へやに来ると、俺たち4人の原稿の進捗状況を確認していた。

「明日の夜の時点で、それぞれの原稿が半分は仕上がっているようにしてね」

「「「「はい」」」」

 と返事を返したのはいいけれど、マンガ組の俺と美香子みかこが正直、仕上がるかどうか微妙かもしれない。とにかく、描き進めてみないことには分からないが、今回は入稿日は動かせそうにもないので、自分の作品を完成させることを目標にしよう。

「で、部長ちーさまは今日の予定は」

「今日は午後も部屋で勉強よ。絵の先生のところには明日行くから」

 なんというのか「それがどうしたの」という感じで答える部長ちーさま、実技の練習もしつつ学科試験の勉強もする、俺には出来そうにも無いなぁと思いながらその返事を聞いていた。

 午後の作業は午前と同じように各自が黙々と進めていくという感じだった。午前中は朝10時前だったか、美香子みかこ杏美あずみん会議室へやに戻ってきたときにバタバタと音がしたぐらいだ。

 作業中は耳栓代わりにつけているヘッドフォン、パソコンにつないで音楽を流しているのだけど、その音楽でさえも耳に入ってこなかった。ということは、それぐらい描くことに集中していたのだろう。これは何も俺だけじゃなく、他の3人にしても同じだと言えるのだが。

 昨日よりはペンタブレットにも慣れてきたことと、4ページ分の下書きを前もって準備してきたことが役立ったのか、俺の方は1ページ目から順調に描くことが出来ている。背景とか効果は極力後回しにしているというのもあるのだけど、先にキャラクターだけでも4ページ分描き上げることが出来れば、残りの目処が立ってくるという感じだ。

 午後4時過ぎの休憩時間も、4人それぞれが飲み物を飲んだり菓子を食べたりしたのだけど、昨日みたいに何か話をするという訳ではなく、それぞれが自分の作品世界に集中しているように見えた。多分、俺も他の3人からはそう見えているのだろう。

 集中して描いていると、どうも時間が流れていくのが速く感じる。

 ヘッドフォンからキンコンキンコンというやや大きめな警告のアラーム音が聞こえてきた時には、時計は既に夕方の6時半をしていた。

 作業を止めてブースを出ると、部長ちーさまが会議机にある菓子をつまみながら、イスに座って文庫本を読んでいる姿が視界に入ってきた。

「何の本を読んでいるのですか」

 他の3人も同じようなタイミングでブースから出てきたのだけど、いち早く気づいた杏美あずみんが声をかける。

「ああ、みんな集中していたんだね。ちょっと待ちくたびれたよぉ」

 と言いながら、本の題名部分を俺たちに見せるように手を動かす。見ると何年か前にアニメ化された作品の原作小説で、確か、高校1年生しかいない部活で文集を作るみたいな話だった気がする。

「晩ご飯前にあの子たちが差し入れ持ってくると思うから、それを受け取ったら晩ご飯に行きましょ」

 昼に会った先輩たち、そういえば差し入れがどうとか言っていたっけ。

 そこそこ体力を使い果たしていた俺たちは、クーラーボックスから飲み物を取りだして飲んだり、机の上に置いてあるポテトチップスなどを適当に食べて、先輩たちが来るのを待つことにした。

 隣りでは美香子みかこが「あ~目が痛い」と言いながら、スッキリする感じになる目薬をさしている。細かく描き込むからなのだろうけど、確かに、ずっとパソコンのモニターを見ながら描いていると目が痛くなってくる。

 そんなことをしていると、会議室へやの扉が開いて私服に着替えた仁美ひとみ先輩と美貴みき先輩が入ってくる。

「お待たせぇ、差し入れ持ってきたよ」

「原稿、予定通りに進んでいるかな」

 と言っているのだけど、2人が持っているのは私物らしき布製っぽいバッグだけで、差し入れっぽいものは見当たらない。

「あ、先輩、こんばんは。差し入れって……」

 いち早く気づいた雄太ゆうたが挨拶をするが、

「今、持ってくるから」

 明るく「大丈夫、大丈夫」と手をヒラヒラ動かしながら言う仁美ひとみ先輩。この先輩ひとはボディーランゲージが得意なのだろうか?と思うぐらい、全身を使っての感情表現をする人というのが俺の印象だったりする。

「ほら、来たわよ」

 美貴みき先輩が扉を開けると、それぞれ両手に段ボール箱を抱えた2年の男子の先輩、木下明人きのしたあきひと先輩と吉田透よしだとおる先輩が会議室へやに入ってくる。

「やっぱり、あんたたち4人で来てたんだ」

 バウムクーヘンをかじりながら部長ちーさまが入ってきた先輩たちに声をかける。

「ちーさま、こんばんは」

「こんばんは」

 段ボール箱を会議机の横に置いた男子の先輩2人、部長ちーさまの前に来るとぺこりと頭を下げる。

 最初に会議室へやに入ってきたのが木下明人きのしたあきひと先輩、仁美ひとみ先輩や美貴みき先輩は『あっくん』と呼んでいる。

 身長は俺たちと同じぐらい(175センチ)で、パッと見ると『メガネ男子』という言葉が似合うのだけど、昔から走ることが得意らしく短距離の100m走や長距離の1500m走だけでなく、高校では4kmを走る持久走でも速いタイムを取っているとか。

 後から来た吉田透よしだとおる先輩、背は170センチあるかないかという小柄なのだけど、博学というか知識の多さというか、3年生の先輩でさえ困ったら「吉田センセイに聞いてみよう」ととおる先輩に尋ねることがあるとか。

「先輩たち、温泉プールでずっと泳いでいたのですか」

「泳いだ後、リクライニング室で1時間ぐらい昼寝をして、風呂に入ってからフードコートで食事をしてきた」

 受け取った段ボール箱を開けて中身を確認しながら尋ねてみると、明人あきひと先輩が箱の中を状態を確認しながら答えてくれた。

 俺と雄太ゆうたで箱の中のものを整理して、ドリンク系はクーラーボックスに、菓子類は会議机の空きスペースに置いていると、「中身、潰れたりしていなくてよかった」と美貴みき先輩の安心した声が聞こえる。

「ねぇ、真人まさとくん、1年生は温水プールには入らないの」

「時間があればとは思うのですが」

 不意に美貴みき先輩から尋ねられたけど、原稿の仕上がり具合によっては温泉プールどころかスーパー銭湯に入る時間もないのかもしれない。

「気分転換に入ってくるといいよ」

「リクライニング室にあるソファー、気持ちよくてイイ感じに昼寝できるよ」

「だからといってあっくん、時間ギリギリまで眠るのはダメだよ」

 とおる先輩に明人あきひと先輩、仁美ひとみ先輩が口を揃えてスーパー銭湯に併設されている温水プールを勧めてくる。

「原稿の進捗しんちょく状況とかはわたしが把握しているから、明日の夕方ならこの子たちも入ることが出来ると思うよ」

 ペットボトルに入った緑茶を飲み干しながら、部長ちーさまが「任せて」とでも言うようなサインを2年の先輩たちに送っている。

「じゃあ、わたしたちは帰ります」

 仁美ひとみ先輩の声をキッカケに「またね」「また学校で」と言いながら2年の先輩たちが会議室へやから出て行く。

「……へえっ、このお菓子の選び方は吉田よしだセンセイのアドバイスかな。仁美ひとみちゃんだと、ポテチ大好きだからいも系ばかり選んでくるもんね」

「そうなんですか!?」

 部長ちーさまの言葉に少し驚いたような声を上げた美香子みかこであったが、何にしてもこうして差し入れてくれたことには感謝だったりする。来年、俺たちに後輩が出来るようなことがあれば、俺たちも何か考えて差し入れとかしたいと思う。

 そんな話をしながら、時間も時間なので俺たちは晩ご飯が出来ている大広間に向かうことにした。


 晩ご飯(今日は焼き魚がメインの料理だった)の後に風呂に入り、夜8時過ぎから作業を再開したのだけど、今夜は部長ちーさま会議室へやに来て会議机の一角を片付けてスペースを作ると、そこで問題集を解きながら俺たちの作業が終わるのを待つことにしたのだとか。

 なぜかって?

 俺たち4人、それに部長ちーさまもだけど、誰1人として口に出さなかったし、気にしている素振そぶりさえ見せなかった昨日の深夜の一件。

 その続きがあるとしたら、作業が終わってからだろうという『暗黙の了解』というのか、お互いに決めた訳ではないのだけど、俺たち全員そのように思っていたのだろう。

 作業の邪魔にならない時間となると作業が終わってから寝る前までの時間しか空いていないという事実もあるのだけど、心にモヤモヤした何かが残ったままというのも精神衛生上よろしくない、ならば早めに解決したいという気持ちが俺の中にあったのも事実だ。

 そして多分雄太ゆうた美香子みかこにもその気持ちがあったのだと思う。まぁ、さすがに杏美あずみんの気持ちは確証が持てないが。

 作業自体は順調というのか、明日の晩までには原稿の半分は仕上がりそうという目処が立っただけでも、俺自身としては「よしっ!」と少し安心できた部分だったりする。それでも夜10時を少し過ぎた時間までかかってしまったが。

「遅かったな、真人まさと

 会議机の前にあるイスに座って、雄太ゆうたはペットボトルのお茶を飲んでいた。

雄太ゆうたは順調か」

「順調……だけど、最後のイラストのカットが心配かも」

「了解。万が一の時は手伝うわ」

 クーラーボックスからペットボトルのレモン水を取り出すと、空いているイスに座ってから飲むことにした。程良くレモンの香りがするのが心地良く感じられる。

 ボトルの半分位まで一気に飲んだところで、美香子みかこ杏美あずみんの女性陣2人がブースから出てきた。今日は皆、同じような時間に終わったと言うことか。

「あっ、雄太ゆうた真人まさと、先に終わったんだ」

 ブースから出てくるや否や「疲れたぁ」と大きく伸びをする美香子みかこに、

「みんな、お疲れ。部長ちーさまもお疲れ様です」

「ありがとう杏美あずみんちゃん、現代文の面白みも無い文章は読み飽きたよ」

 部長ちーさまにも声をかけてから、自分の分だけでなく美香子みかこの分の飲み物を取りに行く杏美あずみん

 兎にも角にも、4人全員の月曜日の作業はここで終了ということになった。

 そして、作業が終わったと言うことは。

「また体力を使う時間が来るのかぁ、もう慣れたけどね」

 どこか悟りを開いたかのような、そんな風にも思える部長ちーさまの言葉を耳にした俺は尋ねることにした。

「ところで部長ちーさま

「なんだい、真人まさとくん」

部長ちーさまが『司教ビショップちーさま』……じゃない『司教ビショップミネルバ』になっている時の記憶とか、どの程度自分の記憶として覚えているモノなのですか」 

「『司教ビショップ』の時の自分かぁ」

 少し考え込むかのような表情をすると、

「何というのかなぁ、自分であって自分でない感じかな。夢の中で何かしているというのか、自分が不思議な力を使って動き回っている時はしっかり覚えていたハズなのだけど、『司教ビショップ』として誰かに指示をする役になっている時は、話しているのは自分なのだろうけど、自分の意思で話していないというか、何かに乗り移られたというか憑依ひょういされたというか、本当に自分が言ったのかなって思うこともある」

 と部長ちーさまは話してくれた。そして最後に「ハッキリしたことが言えなくてごめんね」とも。

 この部長ちーさまの言葉には、おそらくは嘘偽りというものは無いと思う。どのような経緯で部長ちーさまもあの不思議な力を得たのかは分からないが、もし俺たちみたいに巻き込まれて力を得たというのなら、それは部長ちーさまにとっても予想外なことだったろう。

 そんなことを思っていた時、

「ん……あれっ」

 美香子みかこは座っていたイスから立ちあがると、会議机の下、座っていた足下辺りから何かを拾い上げた。

「小銭入れ……」

 電車やバスに乗るときに使うICカード位の大きさの小銭入れ、色は赤いチェック柄というのか小銭入れにしてはお洒落かなという感じにも思える。中が膨らんでいるということは、何か入っているのだろう。

「誰か落としたの」

 部長ちーさまが俺たちに尋ねるけど他の3人も自分の物では無いという。当然ながら俺の物でもない。そんな俺たちの反応を見て、「ちょっと見せて」と部長ちーさまは小銭入れを手で掴むとジッパーを開けて中身を確認したのだけど、

「……石!?」

 小銭入れの口が開いた状態でその中を俺たちに見せてくれた。

 俺や杏美あずみんが持っているものと同じ(おそらくは、雄太ゆうた美香子みかこも同じものを持っているのだろう)透明な紅色っぽい鉱石で、少し大きな砂利じゃり石ぐらいの大きさの物が中に入っていた。

「もしかして、2年生の先輩たちの持ち物では。ほら、晩ご飯前に会議室ここに来ていたし」

 会議室ここに出入りが出来たのは俺たちだけ(あとは旅館の従業員さんぐらいか)なので、美香子みかこがそう言うのも一理あるというかそれが一番自然な結論のように思えた。もしかしたら、差し入れ品と一緒に交ざっていたのかもしれないかもしれないが。

 ということは、俺たちや部長ちーさまみたいに、あの魔法のような不思議な力を、この小銭入れの持ち主は持っている可能性があると言うことなのだろうか。

 もし美香子みかこの推測が正しいとすれば、そこから新たな疑問が生まれてきてしまう。

 どうして魔法みたいな摩訶不思議な力を持つようになったのが、俺たちや部長ちーさま、2年生の先輩という緑が丘がっこうの人間になるのだろう。そう考えかけたところである思いが浮かんでくる。

 緑が丘がっこうの人間じゃなくて、創作活動研究会うちのぶかつの人間だからなのか、と。

 ここまで来ると美香子みかこ辺りには「創造力が豊かすぎる」とか言われそうだけど、でも、俺たちにしろ部長ちーさまにしろ、選ばれた理由が何なのかがどうも引っかかってくる。

 ま、ここでうだうだと考えても仕方が無いことには違いないのだが、どうも心の中がモヤモヤするというか、これらの疑問をハッキリとしたいという気持ちが俺の中にあるのも事実だ。

「大事な物だったら、探しに来るとかするよな」

 口が閉じられた小銭入れをつまみ上げながら雄太ゆうたがそう言った時、

「うわっ!?」

 薄くはない小銭入れの中から紅色の輝きみたいなものが発せられている。

 あわてたのか雄太ゆうたは小銭入れを会議室へやの床に落としてしまったのだが、紅色の輝きは棒状に伸びて会議机と作業ブースの間にある空いたスペースで止まると、今度はその止まった点を中心に円を描き出すと、その光で円の中に何やら模様を描き始めている。

「……これって魔法陣まほうじんなのかな」

 杏美あずみんが小声でつぶやいたのだが、魔法陣まほうじんと言われて分かるだろうか。

 魔法陣まほうじん、大抵の場合は魔法円まほうえんと同じモノを指す言葉として使われている。

 魔法円まほうえんとは円形の中に文字や記号、図形などが描かれていて、円の四方には大抵の場合ロウソクが置かれ、そこで術をあやつる者が魔法の儀式や精霊や悪魔の召喚などを行う、ファンタジー世界ではおなじみなモノだったりする。ちょっと前のテレビアニメ、厨二病の女の子が主役の作品なのだけど、そのオープニング映像でヒロインたちが乗っかっている図形も魔法円まほうえんだ。

 そのテレビアニメの中でしか見ることが出来ないような図形が目の前で描かれていくのを、「何が起こるのだろう」という思いで俺たちは見つめるしかなかった。

 紅色の輝きで描かれた魔方陣、その円自体からも光が柱のようにき上がってくると、中に何か人影が見えたような気がした。それは俺だけで無く、ここにいる皆にもはっきりと分かる形で現れた。

 次の瞬間。

 昨日の夜と同じように、目をつぶっても光が感じられる位のまぶしい輝きに包まれた。


「……何が起こった」

 まぶしさが消えた時に目を開けてみると。

 ロンドンに住んでいる有名な私立探偵が活躍していた19世紀頃の西欧風な部屋、部屋というよりは広間と言った方が良い大きさの部屋の中に俺たちはいた。

 片側は窓になっていてそこから光が入ってくるのだけど、日中なのだろうか、カーテンとかも無いその窓から部屋の奥まで陽が差し込んできている。

 そして、陽が差し込んできている部屋の中央部分には、紅色の輝きを保っている魔法陣まほうじんがあり、環状になっている縁取ふちどりやら模様、図形、文字などがクルクルと回転している。

「そこに、誰か居るの」

 魔法陣まほうじんの一番近くにいる美香子みかこの言葉の通り、中心部分から現れた紅色の光の柱、その中に人影らしきものが見え隠れしている。

 と同時に、部屋の中にアンティーク調のソファーや机、ランプなど家具類が形作られていく。

 そして、家具類がひとしきり揃った頃、輝いていた光の柱が消え魔法陣まほうじん自体も視界から見えなくなった時、そこから姿を現したのは制服姿の仁美ひとみ先輩だった。

 輝きが消えたのと同時に、部長ちーさまも俺たち4人も着ていた私服姿ではなく昨夜のように制服姿になっている。

司教ビショップ様、司祭プリーストブリゾでございます」

 司教ビショップの前に進み出ると、手に持っていた小型の杖を床に置き、片膝をついて挨拶をする。

司祭プリーストブリゾ、おもてを上げなさい。そしてここに居る4人にご挨拶なさい」

 口調もどこかおごそかな感じになった司教ビショップミネルバは、やはり部長ちーさまの時とは別人格のように見えてしまう。

 立ち上がって俺たちの方に向き直った『司祭プリーストブリゾ』と名乗った仁美ひとみ先輩は、俺たちの方に一礼すると、

「はじめまして。あなたたち4人のリーダーとなる司祭プリーストブリゾです」

 部活の時とか、今日の昼間とかに接している仁美ひとみ先輩ではない、どことなく落ち着いたというか、理性的な雰囲気をも感じさせる話し方だ。部長ちーさまもだけど、神様のような存在に仕える身になると、口調とかも変わってしまうのだろうか。と、この時までは思っていたのだけど。

「じゃあ司祭プリースト、あなたからこの4人に話すことあるでしょ。立ったままは疲れるからみんな座ろうよ」

「はい、司教ビショップ様。司教ビショップ様もみなさんも座って下さいね」

 司祭プリーストに促されるまま、俺たち4人は横に長いソファーに、司教ビショップは1人用のソファーに腰掛けると、司祭プリースト自身は机を挟んで反対側にあるソファーに座った。

 多分、俯瞰ふかんで今の俺たちを見ると、英国のアンティーク調の部屋の中で、高校生が机を挟んで座っているようにしか見えないだろう。

 しかし、ここは魔法か何かの力で作り出された異空間とも言える場所であり、女子高生にしか見えない2人は、神様たちに仕える司教ビショップ司祭プリーストという神職なのだから、真面目に話をしても普通の人なら誰も信じないだろう。

「あ、さすがにお茶の1つもないのは味気ないよね」

 机の上に置いた杖をチョンチョンとつつくと、机の上に人数分の紅茶の入ったティーカップと、中央に小皿に盛られたクッキーが現れた。宗教的な装飾をされているようにも見える杖が、それこそテレビアニメの魔法少女たちが使っているスティックみたいにも思えてくる。

「みんな、大丈夫よ。味わって食べてね」

 率先するかのように司教ビショップが紅茶を一口飲むと、机の上にあるクッキーに手を伸ばし、ひとつまみを自分の口に放り込むが、その姿はどうしても部長ちーさまにしか見えない。

 俺たちも思い思いに紅茶を飲んだりクッキーを食べたりして、少しばかり緊張感みたいなモノが無くなったのを見計らって司祭プリーストが話し始めたのだった。

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