EPISODE 03 異変

「うっ……、ここは」


 一瞬だったのか、長い時間が過ぎたのか。

 目を開くと、照明灯らしきものが暗闇の中で見えてくる。手のひらや腕を動かすと、身体の下に弾力性のものを感じる。

 目が慣れてきて首を左右に動かしてみると、壁にはハンガーに掛けられた着替えた制服があり、荷物を入れたバックや備え付けのテレビ、机や椅子が視界の中に入ってくる。

 旅館の4階にある自分の部屋、そのベッドに仰向けになっていたことを把握する。

「会議室で扉を開けようとして、それからどうなった……」

 杏美あずみんと2人、会議室から出て部屋に戻ろうとした時、そこで意識が途切れたことまでは覚えてはいるのだが。


 ベッドから起き上がると、部屋の灯りをつけるためにベッドの脇にあるスイッチを入れる。天井に見えた照明灯が、暖色系の色を帯びて輝いている。

「その前に、今はいつだ」

 どうやって部屋に戻ってきたのかも気になるが、まずは、今現在が何時何分か確認しないといけない。風呂に入る前に腕時計は外してしまっている、ということで机上にあるデジタル時計を見る。

 5月2日の月曜日、午前0時12分。

 会議室で時間を確認したのが午後10時半過ぎだったことを思うと、1時間ちょっとの間、自分の記憶が抜け落ちているということになる。

 次に自分の身体の確認だ。クローゼットを開いて備え付けの鏡で全身を確認してみる。服の汚れとか、見た感じは何も変わったところもない。ポケットに入れてある部屋のカードキーとか、会議室の金色の鍵も確認出来た。

 机の足下に置かれているバックからノートパソコンを取り出すと、机の上にあるLANケーブルと接続し、電源スイッチを入れてからパソコンを立ち上げる。

「……会議室、鍵は閉めてあるのか、杏美あずみんは部屋に戻ったのか、一体何が起こったのか。自分の目で確認しないと」

 パソコンが起動するまでの間、バックの中にあるものを一度机の上に取り出してみる。家で印刷プリントしてきた資料の紙、メモ帳、筆記用具、そして。

「ん、姉貴が入れてくれたのか」

 バックの内側、小物入れのために仕切られた脇ポケットの部分、そこに何か入っていた。

「……石?」

 眼鏡拭きに使うような肌触りの良い生地、その生地で創られた巾着きんちゃくっぽい袋を開けて取り出してみる。

 そこには、赤色に近い紅色という色合いをした透明な石が入っていた。

 宝飾品だけで無く占い関係にも使われそうな石、アメジストとか何とかの同類っぽい感じの、多分『鉱石』という奴に分類されそうなモノなのだろう。顔を近づけてみると、何か匂いっぽいものを感じる。

(この匂い、さっき感じたもの……か!?)

 巾着袋きんちゃくぶくろに石を戻し、その口の部分を閉じる。「この石は何かの手がかりになるのかも知れない」確証は無かったが、この自分の推理は間違っていないように思えた。

 そうしている間にもノートパソコンが起動したので、マウスを操作してSNSを立ち上げてみる。が、しかし、何らメッセージらしきモノは届いていなかった。

杏美あずみんのことも気になるが、まずは会議室へやに行こう」

 もし、何か手がかりがあるとしたら、それは作業をしていた会議室なのだろう。

 中に入れていたモノを全て出して空になったバック、その脇ポケットに巾着袋を戻すと、俺はそのバックをクルクルと棒状にした。武器代わりではないが、何も持たず丸腰で出て行くよりマシだ。


 部屋を出てエレベーターホールに向かって歩いていく。館内照明が深夜モードになっているためか、廊下がかろうじて照られているという程度の明るさだったりする。

 無機質な音がエレベーターの到着を告げたので乗り込んで下に降り、入口のカウンター前を通り過ぎて会議室を目指し歩くのだけど。

(……誰もいない!?)

 泊まっている4階の部屋もだけど、館内に誰か人が居るという感じがしないのだ。

 部屋の割り振りにしても、気を利かせたのかどうか分からないが、俺の部屋と雄太ゆうたの部屋、そして女子3人の部屋、隣り同士では無く1部屋か2部屋空けて部屋が取られていた。

 だからと言っても、同じフロアーには1人用だけで無く2人用の部屋もあるし、景色の眺めが良い端っこの部屋は4人部屋だったように思う。

 しかも、黄金週間ゴールデン・ウィークで混雑している中、未だ真夜中になったばかりというのに、誰にも出会わないというのも何かに落ちない。

 部長ちーさまが言っていたように、旅館ここの温泉は24時間入浴可能なので、真夜中に風呂に入る人がいてもおかしくはないし、温泉街にある飲食店に出かける人もいるらしいので、その人たちが戻ってくる姿とかあっても良さそうなのだが。

 そう思いつつ歩いていると目の前に会議室が見えてくる。いくつかの電飾看板(無論、消灯されている)が並ぶ中、俺たちが使っている部屋が近づいてくる。

「……杏美あずみん?」

 入口の扉の前で体育座りをしてした人影が視界に入る。

 薄暗い照明の中、うつむき加減で座っているのが杏美あずみんということが分かり、「無事で良かった」という気持ちで、正直、ホッとしたりしている。

真人まさとくん……なの」

 杏美あずみんは顔を上げ俺の顔に向けて視線を合わせる。

 その表情も、少しこわばったモノから安心したかのような顔に変わっていく。

杏美あずみんも来たんだ、ここに」

「何か気になってしまって。真人まさとくんもでしょ」

 俺の気持ちを知っているかのように、杏美あずみんは真っ直ぐに見つめてながら答えてくる。

「扉は……閉まっていた?」

「うん、押してみたけど開かなかった」

 軽く首を横に振って、開いていないことを告げる杏美あずみん

 俺はポケットから鍵を取り出すと、会議室の扉、その鍵穴に差し込む。

 カシャン。

 乾いた音が廊下に響き渡る。

 立ち上がって俺の隣りに来ていた杏美あずみんが、じっと鍵を開ける様子を見つめていた。

 誰が扉に鍵をかけ閉じたのか。自分なのか、それとも他の誰かなのか、それも含めて俺と杏美あずみんに起こった出来事を明らかにしたい。

「中に入るけど、廊下で待っているか」

 扉を開ける前、念のため杏美あずみんに確認したのだが。

「ううん、一緒に入る。というか、入らなければいけないみたいな気持ちかも」

 会議室ここに来た時から既に意思みたいなものが固まっている、俺には杏美あずみんの言葉がそう思えてならなかった。

 そして深呼吸をして、一旦間を空けると。

「行くよ」

「うん」

 そこに求めているものの答えがある。

 その気持ちを確認するかのように、俺と杏美あずみんは扉を強く押し開け会議室へやの中に入った。


「うわっ」

 顔の前でカメラのストロボをかれたかのような、目の前が真っ白で何も見えない。情けないことに声が出てしまう。

 まぶしい光が続いたのも、少しの間だったのだろうか。

 目の前の明るさが落ち着き、会議室へやの中が見えてくるようになると。

「やっぱりね。来ると思ってた」

 耳に覚えがある声が輝きの中から聞こえてくる。

「………えっ、部長ちーさま……」

 俺よりも先に杏美あずみんが気づく。

 目の前に現れた声の主は俺たちの知っている部長ぶちょう、『ちーさま』こと高崎千夏たかさきちなつだ。

 そうではあるのだが。

 見た目というか外見や声は部長ちーさまではあるのだけど、気配というか雰囲気というか、そういうものが俺が知っている部長ちーさまとは違っている。

 確証は無いのだけど、『部長ちーさまの外見であっても部長ちーさまではない誰か』としか思えなかった。

 その彼女が緑が丘がっこうの制服を着て目の前に立っている。

「で……何処だ、ここは」

 旅館の会議室だったハズの場所が、映画か何かの場面転換のように一瞬の間に変わってしまっている。

 洋風の図書館というのか、西欧の中世ファンタジー世界を舞台にした作品に出てきそうな、木で出来た床や柱、天井、本棚、そして収納されている年代物の古書。

 映画やアニメでしか見たことが無い景色に囲まれた場所、そこに自分自身がいることを信じる方が難しいのだろう。おまけにスウェットだったはずの俺と杏美あずみんの服装も、彼女と同じように緑が丘がっこうの制服姿に変わっている。

「……どうして私たちも制服なの」

 杏美あずみんからこんな言葉も出てしまう。まぁ、俺もなぜ制服姿なのか、その理由とかも聞いてみたいところだが。

「説明するから、まずは座ってくれるかな」

 そんな俺たちの戸惑いとか気にしていないかのように、彼女は俺たちの後方を指で示しながら言う。言われるまま振り返ってみると、いかにも古風な木製の学習机とイスがある。

 部屋の様子が変わったときに「もしかしたら」と思ってはいたのだが、後ろにあったはずの扉は跡形も無く消え去り、壁一面天井まで続く大きな本棚に変わっていた。

 推理小説に出てきそうな出入口の無い密室状態になってしまったのだが、さすがにこれでは逃げることも無理そうだ。しかし、だ。彼女が「説明する」というのであれば、俺たちに対して何かを仕掛けてくることも無いだろう。

 ふと、隣りに立つ杏美あずみんの表情を見る。何か考えていた表情のように見えたのだけど、視線に気づいたのか、強い意志を込めた瞳で俺を見つめてくる。

(ああ、杏美あずみんも覚悟を決めたというのか。)

 杏美あずみんを見てそう思った俺は、「よしっ、座ろう」と一声かけて近くにある古風なイスに、そして同じようなタイミングで杏美あずみんそばにあったイスに腰掛けた。


「まずは……わたしのことから、だよね」

 その口調くちょうだけ聞くと部長ちーさまと変わらないような、しかし、雰囲気とかは異なっている彼女、俺たちが座るのを待ってから話し始める。

「わたしは、そうね……普段は現れない『もう1人のわたし』というのかな。でも、『二重人格』とか『ドッペルゲンガー』とかじゃなく、1人でいることもあれば」

 そう言うや否や彼女の横に姿形が全く同じ女の子が現れ、「見えているかな?」と言いたげにながら俺たちに手を振ってくる。そして、役目を終えたような表情でほほえむと、横に居た女の子は再度その場から姿を消したのだった。

 それこそ「消えていく」という言葉そのままに、身体の色の濃度が徐々に薄くなり見えなくなったのだ。

「隣りにいたでしょ、これもわたしなの。あ、どっかの小説にあった『時間移動タイムトラベルしてきたわたし』でもなければ、『並行世界パラレルワールドにいるわたし』でもないからね」

 可能性からすれば、『二重人格』も、『時間移動タイムトラベル』も、もしくは『並行世界パラレルワールド』も成り立つのかも知れない。しかし、目の前にいる彼女は全くの別人というのではなく、どこかで部長ちーさまと繋がっているように思えてならなかった。

「で、これを見てくれるかな」

 天井方向に広がった空間を指差す彼女、すると。

「これは……さっきの俺たち?」

「私たちだよね、これ……」

 何も無い空間の一部が映画の画面のように変化し、そこには先程、会議室を出ようとする俺と杏美あずみんの姿が映し出されていた。

 俺たちには見ることが出来ない監視カメラが部屋にいる俺たちを撮影していた、言葉にすればこう表現するのがおそらくは正しいのだろう、そのような視点からの映像が映し出されている。

 ちょうど扉を開けようとしてその場に倒れ込む俺たち2人の姿が見える。そう、ここで俺の記憶は途切れてしまったのだが。

 倒れ込む寸前、薄いピンク色の気体みたいなものに包まれたかと思うと、その気体が2つの人の形となり、1つは俺に、もう1つは杏美あずみんに吸い込まれていく。見間違いでなければ、俺の目にはそう見えた。

 薄いピンク色の気体を吸い取ったというのか、気体と同化した俺と杏美あずみんは立ち上がると、何事も無かったかのように扉を通って会議室から出て、鍵をかけてからエレベーターホールに向かって歩いて行く。

 多分、俺が感じた甘い香りというのは、あの薄いピンク色の気体が発したものなのだろう。

 ここまで映し出すと映像は消え、空間は再び西欧風の木造建物に戻った。


「見てもらったのが、真人まさとくんと杏美あずみんちゃんに起こった出来事」

「……それは分かります。でも、あの……」

「ピンク色っぽい気体のことでしょう、真人まさとくん」

 俺の言葉を遮るかのように、落ち着いた言葉で彼女が答える。

「あのピンク色っぽい気体、そこから話さないとわたしのことも説明しづらいかも」

 そう言うと彼女は、休日の朝とかに放送している女の子がアイテムを使って魔法使いとなり、敵対する悪者と戦うという内容のアニメ作品、それを例にして話し始めた。

 一言で言えば、女の子に変身する力を与えるのが薄いピンク色の気体であり、変身後に女の子が来ている服装が緑が丘がっこうの制服であり、そして、変身後の魔法使いの女の子が目の前にいる彼女になるという。

 じゃあ、変身に必要なアイテムは!?

「自分の意思だけでは、この姿になることが出来ないのだけど」

 そういうと、彼女は制服の上着、そのポケットから何かを取り出す仕草をした。

「それは……石?」

 杏美あずみんの方が気づくのが早かったが、彼女の手のひらの上には透明な紅色の石片があった。

 俺は急いで棒状に丸めていたバックを開くと、内ポケットから石が入った巾着袋きんちゃくぶくろを取り出した。手で持ってみると、少し熱を帯びているようにも感じる。杏美あずみんも握りしめていた手提げバックの中から、タオル地で作られたポシェットを取り出す。

「反応している……のか」

 持っていた石を机に置いた杏美あずみん、その置かれた石がかすかにだけど中から光を発して点滅しているように見えたので、あわてて巾着袋から石を取り出した俺は、側にある机の上に石を置いた。

 彼女の手のひらにある石片、杏美あずみんが机に置いた石、俺が机に置いた石、その3つを見てみる。赤紅色の透明な本体からは、その全てが同期しているかのようなタイミングではないが、それぞれの石が各々の間隔で淡く点滅を繰り返している。

「2人共、石を持っていてくれたんだ。よかったぁ」

 部長ちーさまの顔をした彼女はホッとした表情をする。

 その顔だけ見れば部長ちーさま本人としか思えない。しかも杏美あずみんのことを『杏美あずみんちゃん』と呼んでいるのは部長ちーさまも同じなので、目の前に居る彼女は記憶とかを部長ちーさまと共有しているのかもしれない。

 そこで思い切って彼女に尋ねてみる。

「……あの、すみません」

「なぁに?真人まさとくん」

「俺たちは貴女あなたのことをどう呼べばいいのですか。部長ちーさまと同じ名前で呼ぶのも変かなとも思ったのですが」

「ああ……そっか、そうだったね。夢中になって忘れていたわ」

 本当に忘れていたのだろうか、「ごめんね、気づかなくて」とぺこんと頭を下げる彼女のその仕草を見ていると、部長ちーさまがそうしているようにしか見えてこないのだが。

「でももう少し待って。この石とピンク色の気体、そして、わたしが2人の前に姿を見せることになった理由、その話の流れで説明するから」

 そう答えて、話を再び始めようとした彼女だったが。

「待って下さい」

 これまで聞き役に徹していた杏美あずみんが声を上げる。

「わたしたちが今ここで聞いていること、雄太ゆうたくんと美香子みかこちゃんは知っているのですか。後で2人に知らせても良いことなのですか」

 確かに杏美あずみんの言う通りだ。

 ここで聞いたことを雄太ゆうた美香子みかこの2人に知らせても良いのだろうか。それもだけど、俺たちのように気を失うとか何とか、あの2人にも何か起こっていたのだろうか。

 自分のことだけに気がいってしまい、2人のことをすっかり失念していた。いかんいかん、雄太ゆうた美香子みかこに対して申し訳ない気持ちになる。

 部長ちーさまと瓜二つの外見をした彼女が「ふっ」と息をつく。

「そうね。雄太ゆうたくんと美香子みかこちゃん2人が眠っている時に見る『夢』という形で、ここでの会話は伝わっていくことになるかな」

 彼女が「ここ」と言ったとき、彼女の身長から少し高いところに、何やらルネサンスの時代に出てきそうな、少し古めかしい地球儀っぽい機器が浮かび上がってくる。

機器こいつを使って伝える感じかな……でもね」

 一度、確かめるかのように言葉を句切った彼女は、真剣な眼差しを俺たち2人に向けながら話し始める。

「結論から言えば4人全員の力が必要となるのだけど、特に真人まさとくんと杏美あずみんちゃん」

 彼女の呼びかけに、無意識にその顔を見つめ直してしまう。

「あなたたち2人が『鍵』となってくるの。だから、あなたたちとは顔を見て直接話さなきゃ……って、そう思ったから、強引だったけど来てもらったの」


「わたしたちが……『鍵』?」

 杏美あずみんの言葉で思い出す。そういえば入学前だったか、姉貴が俺のことを『鍵』とか言っていたっけ。偶然と言えば偶然なのだろうけど、ここで同じ言葉を耳にするとは。

 ただでさえ摩訶不思議まかふしぎな場所に連れてこられて、そこで俺と杏美あずみんが魔法使いか何かになったかのような証拠を見せられただけでも充分驚きなのに、そこに加えて、俺たち2人が何かを左右するような『鍵』というか、キーパーソンっぽい立ち位置にいるって言われると、もはや俺の頭の中では整理しきれなくなってしまう。

 隣りに座っている杏美あずみんはどうなのだろうか。気になって顔を横に向けると、多分、俺と同じ心理状態になっていたのだろうか、「困ります」という文字が顔に書かれているような表情のように見えた。そして俺の顔も杏美あずみんにはそう見えているのだろう 。

「ごめん……わたしも座らせて貰うわね」

 俺たちには理解出来ない力を使う彼女でも、ずっと立ったまま話し続けるのは疲れるのだろうか。身体の後ろにあったイスを(いつからそこにあった?)俺たち2人が座っている机に近づけると、彼女は片足を組む形でイスに座った。

 数秒間なのか数分なのかは分からないが、沈黙に包まれた時間がこの空間に流れていく。が、この無言の時間の間に、俺はどうにか頭の中を整理することが出来た。無論、理解したとかいう深いレベルでは無く、言われたことを受け止めたというレベルではあるが。

真人まさとくんと杏美あずみんちゃん、今伝えたことは受け止めてくれたみたいね」

 少しホッとしたような笑顔を見せる彼女。本当に、その表情は部長ちーさまと重なってしまう。

「あと少しだから、我慢して聞いてね」

 その息づかいが分かる距離にいる彼女からは、俺たちに話さなければならないという覚悟らしき雰囲気も伝わってくる。

「で、ね……あななたち4人」

 言葉を一度句切った彼女は、俺と杏美あずみんの顔を確かめるように見つめると、

「わたしたちにちからを貸して欲しいの」

 真剣な眼差しをした彼女の言葉には、『有無を言わさぬ』という言葉以上の力が感じられた。それだけ彼女も真剣だということは理解出来る。

「力を貸す……」

「それって……」

 俺と杏美あずみんは、同時に彼女に向けて問いかける。

 彼女が言う『力』とは何だろう。

 俺たちがピンク色の気体によって与えられた魔法のような不思議な能力なのか。それとも、元々の俺たちが持つ人間としての能力なのか。または、両方なのか。

「本来のあなたたちが持っている力も、そして、わたしたちが与えた『もう1人の自分』としても力も」 

 俺たちが問いかける前に彼女は言う、その言葉からは嘘偽りは感じられない。

 さっき彼女が例えに使った魔法使いの女の子のアニメ、その設定を借りるなら、魔法使いとして敵を倒すとか、変身しない女の子のまま問題を解決するとか、そういうところまでを俺たちにして欲しいという、そう言っていることは理解出来る。

 が、理解出来ると言っても、それこそ、頭の中では「そういうものだ」と分かるという程度で、感情とか心とか、そこも理解しているというのは程遠い状態だ。

 これは俺だけで無く、杏美あずみんも、そして『夢』でこの様子を見ている雄太ゆうた美香子みかこも同じだろう。

「突然聞かされて、すぐに納得とか出来る訳ないよね……『元のわたし』もそうだったから」

 少しだけ表情を緩めて、しかし、真っ直ぐに訴えかけるトーンはそのままに、彼女は俺たちに向けて話し続ける。

「本当なら、こうしてあなたたちに話をするのは『司教ビショップ』のわたしではなく、『司祭プリースト』の役割なのだけどね」

司教ビショップ……キリスト教か何かですか」

 司教ビショップ司祭プリースト、ファンタジー小説やRPGというジャンルのゲームでは耳なじみのある、宗教での聖職者の位を示す言葉なのだが、この中世ヨーロッパのような空間も、それに何か関係があったりするのだろうか。

「一神教とは違うよね、きっと。考え方というか、上下関係で言うならカトリックっぽい感じなのだけど」

 小声でつぶやいた俺の言葉に反応してか、彼女は「手短に話すね」と語り始める。

 俺たちに変な能力を与えたりこの空間に引き込んだりした張本人、それらを決めた大元おおもとは一言で言えば神様やそれに類する存在の集合体、しかも宗派や属性(正義の側とか悪の側とか)を超えた存在なのだとか。

 これら神様たちの指示に従って代わりに動くのが各大陸にいる『枢機卿カーディナル』であり、その下に『大司教アーチビショップ』『司教ビショップ』『司祭プリースト』と続く聖職者たちとなる。

 そして、聖職者たちの指示とかで動く魔法少女っぽい役割を負わされた俺たちは、言ってみれば『神官戦士』という役どころなのだろうか。

 で、肉体を持たない神様たちや聖職者たちは、実際の人間を『依り代よりしろ』として現世に現れるのだが、その時に使うのが映像で見たピンク色の気体だ。

 目の前にいる彼女も『依り代よりしろ』というのなら、最初に見た一瞬で消えた部長ちーさまの姿も納得出来る。

「あなたたちに力を貸して貰う時、あなたたちが変身するタイミングとか問題へのアドバイスとか、そういう指示したり助けたりするのは、さっきも言った通り司祭プリーストの子がするのだけど」

 これまでキリッとした感じで語っていた彼女ではあったが、

「今回の指示というかお願いというか、それにはわたし、司教ビショップミネルバからになるのだけど」

 『司教ビショップミネルバ』と名乗る彼女は申し訳ないような顔をする。

「あなたたちに助けて欲しいの、司祭プリーストのことを」


「ちょっと待ってください」

 いち早く気づいたのは、またしても杏美あずみんだった。

「『今回の』ということは、これから先、何度かこういうことがあるのですか」

「そうね、あなたたちが緑が丘がっこうにいる間は」

 簡潔に彼女は答える。

 でも、なぜかは分からないが、彼女がこう答えるような気がしていた。

 本当に「1回だけ」というのなら、わざわざ俺たちを呼び出して、魔法みたいなものを見せたり直接話をするということはしないだろう。それこそ、雄太ゆうたたちにしているように、夢を通じてメッセージを伝えた方が手間も時間も省けるはずだ。

 しかし、それを目の前にいる彼女はしなかった。

 そればかりか、彼女は「顔を見て直接話す」と言って姿を現した。俺たちが魔法みたいな力を得る瞬間も見せた。それだけ、彼女としては俺たちに覚悟をして対面した以上、1回限りということはないと感じていた。

 一方で、永遠にこの不思議な力を持つという訳でもない、そんな風にも思えてならなかった。根拠みたいなものがあるという訳ではないが、不思議な現象が永遠に続くとも思えなかった。そう思う俺は楽観的すぎるのだろうか。

真人まさとくんはどう思う」

 身を乗り出すような形で杏美あずみんが尋ねてくる。その瞳からは、半分は決意、もう半分は不安、そんな感情みたいなモノを感じる。

 が、それ以上に、俺という存在を信じて良いのか、当てにして良いのか、いや、誤魔化さずに言えば、俺と一緒に問題を解決してくれるのか、その姿勢というか決意みたいなものを見極めたい、杏美あずみんなりの必死な思いが伝わってくる。

 この時、思い出した。

 俺が感じていた『既視感デジャブ』の中で、杏美あずみんが俺に向けていた瞳の様子に似ていることを。

 偶然なのかどうなのか、そんなことは分からない。しかし、杏美あずみんが真っ直ぐに気持ちを向けてくれる以上、俺も真正面から向き合って応えなければならない。心の中でその思いが強まっていく。

 改めて姿勢を正して、そして、軽く息を吸って気持ちを落ち着かせると、

「神様たちの都合で巻き込まれたことには、俺自身まだ納得はしていないですし、俺以外の3人も俺と同じだと思いますが」

 心の中にある気持ちをそのまま伝えることにした。

「俺たちの日常生活に負担とならないのであれば貴女あなた司教ビショップさんの指示にも、そして司祭プリーストさんの指示にも従います」

真人まさとくん……」

「その代わり、全てが終わったら俺たちの身体を元通りにしてください。あと、これから先、こちらから質問したいことがある場合は出来る限り答えて欲しいですし、その時には、俺たち4人には隠しごと無しで答えてください。今、言えるのはこれだけです」

 目の前に座って俺の言葉にじっと耳を傾けていた彼女、司教ビショップミネルバと名乗る部長ちーさまと同じ顔をした女の子は、目を閉じて少し考え込むような仕草をする。

 再び訪れる沈黙の時間。

 おそらくは上位にいる大司教アーチビショップとか何やらと連絡を取っているのだろう。俺たちが座っている場所に差し込んでくる光も、気がつけば、どことなく夕焼けっぽい色合いに変わっている。

 顔をこちらに向け直した彼女が口を開く。

「……真人まさとくんの要望、了解したって」

 その言葉を聞いた杏美あずみんがホッとした表情になる。

「あなたたちが聞きたいことがある時は、司祭プリーストじゃなくてわたしが答えます。その方が安心するでしょ」

 座っていたイスから立ち上がった彼女は、俺たちに向けてペコッとお辞儀をする。

「じゃあまた明日、今度は4人で会いましょう。その時には、連絡方法とか、能力の使い方とか、そのあたりのことを教えるから」

 何か呪文のようなものを唱えた彼女は、空間の中から砂時計を取り出した。上にある砂は流れ続けていて、あと少しで下に落ちきってしまうみたいだ。

 しかし、どのような原理で砂時計が空中に浮かんでいるのだろう。ニュートンが居たら「信じられない」という顔をするのだろうか。そんなことをふと思ってしまう。

「今日は、ありがとう。真人まさとくん、杏美あずみんちゃん、そしてこれを見ている雄太ゆうたくん、美香子みかこちゃん。またね」

 彼女のその言葉を最後に、会議室へやに入って来た時と同じような、目も閉じていても感じられる強烈な輝きに身体全体が包まれていくのを感じた。


「……戻ってきたの……」

「そうみたいだな」

 光が消え去った俺たちの目の前に見えたモノは、薄暗い非常灯に照らされた会議室の室内そのものだった。会議机も、パーティションも、昼間使ったままの位置に置かれている。

 杏美あずみんの顔を見ると、安心したようなホッとしたような表情をしている。そしておそらくは、俺もそういう表情をしているのだろう。

「緊張しすぎて何かノドが渇いた。杏美あずみんも何か飲むか」

「あ、わたしも飲みたい」

 会議机の横にあるクーラーボックスを開けて、天然水と書かれたペットボトルがあったので手渡す。

「ありがとう」

 そう言って受け取った杏美あずみん、本当にノドが渇いていたのだろう、最初の一口でボトルの半分近くを飲んでしまっていた。

 俺もペットボトルを取り出して飲み始めるが、普段は味とか気にしないペットボトル入り天然水なのだが、「生きているなぁ」と感じさせてくれる味に思えた。で、気がつくと、俺もボトルの半分以上を一気に飲み干していた。


 ガラガラッ。


 真夜中なだけに、扉が開く音がより大きく響いてくる。

 こんな時間に会議室ここにやって来るのはあの2人しかいない。

「大丈夫だったか」

 先に会議室へやに入ってきた雄太ゆうたは、壁にある蛍光灯のスイッチを入れると、俺たちの身体の様子を確認するかのように顔を動かす。

「魔法の力で変身……というのも、あながち嘘じゃ無いんだな」

 そんなことを言いながら俺の肩をポンと叩く。もう既に、俺も杏美あずみんも服装はスウェットに戻っている。

「あ、真人まさとくんに杏美あずみん……」

 身体全体で「安心した」という気持ちを表現しているかのような美香子みかこ、早足で会議室ここに入ってくると確認するかのように背中から杏美あずみんに抱きついている。

 天然水を飲み終えた俺は、会議机にある時計、その時間を確認する。

 午前0時25分。

 その時刻表示を見て、意外に短いというのが俺の素直な気持ちだ。

 体感時間では10分どころではない、20分から30分は軽くあの空間に居たとしか思えないのだが、時間をあやつる神様が向こうにはいるのだろうか。

 だが、さすがにもう眠らないと明日の作業に響いてくる。

「詳しいことは明日、話そう」

「そうだな。俺らよりも真人まさと杏美あずみんの方が疲れているだろうし。寝ようか」

 雄太ゆうたの言葉で今度は4人揃ってを出る。会議室ここの鍵を閉めるのも雄太ゆうたがしてくれた。

 3階で女子2人と、そして4階のエレベーターホールで雄太ゆうたと別れると、部屋に戻った俺は窓際にあるベットにうつ伏せに倒れ込んだ。

 さすがに色々なことがありすぎだよ……今日は。

 倒れ込んでから睡魔に身を委ねるのに、ものの5分と掛かることはなかった……。

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