EPISODE 03 異変
「うっ……、ここは」
一瞬だったのか、長い時間が過ぎたのか。
目を開くと、照明灯らしきものが暗闇の中で見えてくる。手のひらや腕を動かすと、身体の下に弾力性のものを感じる。
目が慣れてきて首を左右に動かしてみると、壁にはハンガーに掛けられた着替えた制服があり、荷物を入れたバックや備え付けのテレビ、机や椅子が視界の中に入ってくる。
旅館の4階にある自分の部屋、そのベッドに仰向けになっていたことを把握する。
「会議室で扉を開けようとして、それからどうなった……」
ベッドから起き上がると、部屋の灯りをつけるためにベッドの脇にあるスイッチを入れる。天井に見えた照明灯が、暖色系の色を帯びて輝いている。
「その前に、今はいつだ」
どうやって部屋に戻ってきたのかも気になるが、まずは、今現在が何時何分か確認しないといけない。風呂に入る前に腕時計は外してしまっている、ということで机上にあるデジタル時計を見る。
5月2日の月曜日、午前0時12分。
会議室で時間を確認したのが午後10時半過ぎだったことを思うと、1時間ちょっとの間、自分の記憶が抜け落ちているということになる。
次に自分の身体の確認だ。クローゼットを開いて備え付けの鏡で全身を確認してみる。服の汚れとか、見た感じは何も変わったところもない。ポケットに入れてある部屋のカードキーとか、会議室の金色の鍵も確認出来た。
机の足下に置かれているバックからノートパソコンを取り出すと、机の上にあるLANケーブルと接続し、電源スイッチを入れてからパソコンを立ち上げる。
「……会議室、鍵は閉めてあるのか、
パソコンが起動するまでの間、バックの中にあるものを一度机の上に取り出してみる。家で
「ん、姉貴が入れてくれたのか」
バックの内側、小物入れのために仕切られた脇ポケットの部分、そこに何か入っていた。
「……石?」
眼鏡拭きに使うような肌触りの良い生地、その生地で創られた
そこには、赤色に近い紅色という色合いをした透明な石が入っていた。
宝飾品だけで無く占い関係にも使われそうな石、アメジストとか何とかの同類っぽい感じの、多分『鉱石』という奴に分類されそうなモノなのだろう。顔を近づけてみると、何か匂いっぽいものを感じる。
(この匂い、さっき感じたもの……か!?)
そうしている間にもノートパソコンが起動したので、マウスを操作してSNSを立ち上げてみる。が、しかし、何らメッセージらしきモノは届いていなかった。
「
もし、何か手がかりがあるとしたら、それは作業をしていた会議室なのだろう。
中に入れていたモノを全て出して空になったバック、その脇ポケットに巾着袋を戻すと、俺はそのバックをクルクルと棒状にした。武器代わりではないが、何も持たず丸腰で出て行くよりマシだ。
部屋を出てエレベーターホールに向かって歩いていく。館内照明が深夜モードになっているためか、廊下が
無機質な音がエレベーターの到着を告げたので乗り込んで下に降り、入口のカウンター前を通り過ぎて会議室を目指し歩くのだけど。
(……誰もいない!?)
泊まっている4階の部屋もだけど、館内に誰か人が居るという感じがしないのだ。
部屋の割り振りにしても、気を利かせたのかどうか分からないが、俺の部屋と
だからと言っても、同じフロアーには1人用だけで無く2人用の部屋もあるし、景色の眺めが良い端っこの部屋は4人部屋だったように思う。
しかも、
そう思いつつ歩いていると目の前に会議室が見えてくる。いくつかの電飾看板(無論、消灯されている)が並ぶ中、俺たちが使っている部屋が近づいてくる。
「……
入口の扉の前で体育座りをしてした人影が視界に入る。
薄暗い照明の中、うつむき加減で座っているのが
「
その表情も、少しこわばったモノから安心したかのような顔に変わっていく。
「
「何か気になってしまって。
俺の気持ちを知っているかのように、
「扉は……閉まっていた?」
「うん、押してみたけど開かなかった」
軽く首を横に振って、開いていないことを告げる
俺はポケットから鍵を取り出すと、会議室の扉、その鍵穴に差し込む。
カシャン。
乾いた音が廊下に響き渡る。
立ち上がって俺の隣りに来ていた
誰が扉に鍵をかけ閉じたのか。自分なのか、それとも他の誰かなのか、それも含めて俺と
「中に入るけど、廊下で待っているか」
扉を開ける前、念のため
「ううん、一緒に入る。というか、入らなければいけないみたいな気持ちかも」
そして深呼吸をして、一旦間を空けると。
「行くよ」
「うん」
そこに求めているものの答えがある。
その気持ちを確認するかのように、俺と
「うわっ」
顔の前でカメラのストロボを
目の前の明るさが落ち着き、
「やっぱりね。来ると思ってた」
耳に覚えがある声が輝きの中から聞こえてくる。
「………えっ、
俺よりも先に
目の前に現れた声の主は俺たちの知っている
そうではあるのだが。
見た目というか外見や声は
確証は無いのだけど、『
その彼女が
「で……何処だ、ここは」
旅館の会議室だったハズの場所が、映画か何かの場面転換のように一瞬の間に変わってしまっている。
洋風の図書館というのか、西欧の中世ファンタジー世界を舞台にした作品に出てきそうな、木で出来た床や柱、天井、本棚、そして収納されている年代物の古書。
映画やアニメでしか見たことが無い景色に囲まれた場所、そこに自分自身がいることを信じる方が難しいのだろう。おまけにスウェットだったはずの俺と
「……どうして私たちも制服なの」
「説明するから、まずは座ってくれるかな」
そんな俺たちの戸惑いとか気にしていないかのように、彼女は俺たちの後方を指で示しながら言う。言われるまま振り返ってみると、いかにも古風な木製の学習机とイスがある。
部屋の様子が変わったときに「もしかしたら」と思ってはいたのだが、後ろにあったはずの扉は跡形も無く消え去り、壁一面天井まで続く大きな本棚に変わっていた。
推理小説に出てきそうな出入口の無い密室状態になってしまったのだが、さすがにこれでは逃げることも無理そうだ。しかし、だ。彼女が「説明する」というのであれば、俺たちに対して何かを仕掛けてくることも無いだろう。
ふと、隣りに立つ
(ああ、
「まずは……わたしのことから、だよね」
その
「わたしは、そうね……普段は現れない『もう1人のわたし』というのかな。でも、『二重人格』とか『ドッペルゲンガー』とかじゃなく、1人でいることもあれば」
そう言うや否や彼女の横に姿形が全く同じ女の子が現れ、「見えているかな?」と言いたげにながら俺たちに手を振ってくる。そして、役目を終えたような表情でほほえむと、横に居た女の子は再度その場から姿を消したのだった。
それこそ「消えていく」という言葉そのままに、身体の色の濃度が徐々に薄くなり見えなくなったのだ。
「隣りにいたでしょ、これもわたしなの。あ、どっかの小説にあった『
可能性からすれば、『二重人格』も、『
「で、これを見てくれるかな」
天井方向に広がった空間を指差す彼女、すると。
「これは……さっきの俺たち?」
「私たちだよね、これ……」
何も無い空間の一部が映画の画面のように変化し、そこには先程、会議室を出ようとする俺と
俺たちには見ることが出来ない監視カメラが部屋にいる俺たちを撮影していた、言葉にすればこう表現するのがおそらくは正しいのだろう、そのような視点からの映像が映し出されている。
ちょうど扉を開けようとしてその場に倒れ込む俺たち2人の姿が見える。そう、ここで俺の記憶は途切れてしまったのだが。
倒れ込む寸前、薄いピンク色の気体みたいなものに包まれたかと思うと、その気体が2つの人の形となり、1つは俺に、もう1つは
薄いピンク色の気体を吸い取ったというのか、気体と同化した俺と
多分、俺が感じた甘い香りというのは、あの薄いピンク色の気体が発したものなのだろう。
ここまで映し出すと映像は消え、空間は再び西欧風の木造建物に戻った。
「見てもらったのが、
「……それは分かります。でも、あの……」
「ピンク色っぽい気体のことでしょう、
俺の言葉を遮るかのように、落ち着いた言葉で彼女が答える。
「あのピンク色っぽい気体、そこから話さないとわたしのことも説明しづらいかも」
そう言うと彼女は、休日の朝とかに放送している女の子がアイテムを使って魔法使いとなり、敵対する悪者と戦うという内容のアニメ作品、それを例にして話し始めた。
一言で言えば、女の子に変身する力を与えるのが薄いピンク色の気体であり、変身後に女の子が来ている服装が
じゃあ、変身に必要なアイテムは!?
「自分の意思だけでは、この姿になることが出来ないのだけど」
そういうと、彼女は制服の上着、そのポケットから何かを取り出す仕草をした。
「それは……石?」
俺は急いで棒状に丸めていたバックを開くと、内ポケットから石が入った
「反応している……のか」
持っていた石を机に置いた
彼女の手のひらにある石片、
「2人共、石を持っていてくれたんだ。よかったぁ」
その顔だけ見れば
そこで思い切って彼女に尋ねてみる。
「……あの、すみません」
「なぁに?
「俺たちは
「ああ……そっか、そうだったね。夢中になって忘れていたわ」
本当に忘れていたのだろうか、「ごめんね、気づかなくて」とぺこんと頭を下げる彼女のその仕草を見ていると、
「でももう少し待って。この石とピンク色の気体、そして、わたしが2人の前に姿を見せることになった理由、その話の流れで説明するから」
そう答えて、話を再び始めようとした彼女だったが。
「待って下さい」
これまで聞き役に徹していた
「わたしたちが今ここで聞いていること、
確かに
ここで聞いたことを
自分のことだけに気がいってしまい、2人のことをすっかり失念していた。いかんいかん、
「そうね。
彼女が「ここ」と言ったとき、彼女の身長から少し高いところに、何やらルネサンスの時代に出てきそうな、少し古めかしい地球儀っぽい機器が浮かび上がってくる。
「
一度、確かめるかのように言葉を句切った彼女は、真剣な眼差しを俺たち2人に向けながら話し始める。
「結論から言えば4人全員の力が必要となるのだけど、特に
彼女の呼びかけに、無意識にその顔を見つめ直してしまう。
「あなたたち2人が『鍵』となってくるの。だから、あなたたちとは顔を見て直接話さなきゃ……って、そう思ったから、強引だったけど来て
「わたしたちが……『鍵』?」
ただでさえ
隣りに座っている
「ごめん……わたしも座らせて貰うわね」
俺たちには理解出来ない力を使う彼女でも、ずっと立ったまま話し続けるのは疲れるのだろうか。身体の後ろにあったイスを(いつからそこにあった?)俺たち2人が座っている机に近づけると、彼女は片足を組む形でイスに座った。
数秒間なのか数分なのかは分からないが、沈黙に包まれた時間がこの空間に流れていく。が、この無言の時間の間に、俺はどうにか頭の中を整理することが出来た。無論、理解したとかいう深いレベルでは無く、言われたことを受け止めたというレベルではあるが。
「
少しホッとしたような笑顔を見せる彼女。本当に、その表情は
「あと少しだから、我慢して聞いてね」
その息づかいが分かる距離にいる彼女からは、俺たちに話さなければならないという覚悟らしき雰囲気も伝わってくる。
「で、ね……あななたち4人」
言葉を一度句切った彼女は、俺と
「わたしたちに
真剣な眼差しをした彼女の言葉には、『有無を言わさぬ』という言葉以上の力が感じられた。それだけ彼女も真剣だということは理解出来る。
「力を貸す……」
「それって……」
俺と
彼女が言う『力』とは何だろう。
俺たちがピンク色の気体によって与えられた魔法のような不思議な能力なのか。それとも、元々の俺たちが持つ人間としての能力なのか。または、両方なのか。
「本来のあなたたちが持っている力も、そして、わたしたちが与えた『もう1人の自分』としても力も」
俺たちが問いかける前に彼女は言う、その言葉からは嘘偽りは感じられない。
さっき彼女が例えに使った魔法使いの女の子のアニメ、その設定を借りるなら、魔法使いとして敵を倒すとか、変身しない女の子のまま問題を解決するとか、そういうところまでを俺たちにして欲しいという、そう言っていることは理解出来る。
が、理解出来ると言っても、それこそ、頭の中では「そういうものだ」と分かるという程度で、感情とか心とか、そこも理解しているというのは程遠い状態だ。
これは俺だけで無く、
「突然聞かされて、すぐに納得とか出来る訳ないよね……『元のわたし』もそうだったから」
少しだけ表情を緩めて、しかし、真っ直ぐに訴えかけるトーンはそのままに、彼女は俺たちに向けて話し続ける。
「本当なら、こうしてあなたたちに話をするのは『
「
「一神教とは違うよね、きっと。考え方というか、上下関係で言うならカトリックっぽい感じなのだけど」
小声でつぶやいた俺の言葉に反応してか、彼女は「手短に話すね」と語り始める。
俺たちに変な能力を与えたりこの空間に引き込んだりした張本人、それらを決めた
これら神様たちの指示に従って代わりに動くのが各大陸にいる『
そして、聖職者たちの指示とかで動く魔法少女っぽい役割を負わされた俺たちは、言ってみれば『神官戦士』という役どころなのだろうか。
で、肉体を持たない神様たちや聖職者たちは、実際の人間を『
目の前にいる彼女も『
「あなたたちに力を貸して貰う時、あなたたちが変身するタイミングとか問題へのアドバイスとか、そういう指示したり助けたりするのは、さっきも言った通り
これまでキリッとした感じで語っていた彼女ではあったが、
「今回の指示というかお願いというか、それにはわたし、
『
「あなたたちに助けて欲しいの、
「ちょっと待ってください」
いち早く気づいたのは、またしても
「『今回の』ということは、これから先、何度かこういうことがあるのですか」
「そうね、あなたたちが
簡潔に彼女は答える。
でも、なぜかは分からないが、彼女がこう答えるような気がしていた。
本当に「1回だけ」というのなら、わざわざ俺たちを呼び出して、魔法みたいなものを見せたり直接話をするということはしないだろう。それこそ、
しかし、それを目の前にいる彼女はしなかった。
そればかりか、彼女は「顔を見て直接話す」と言って姿を現した。俺たちが魔法みたいな力を得る瞬間も見せた。それだけ、彼女としては俺たちに覚悟をして対面した以上、1回限りということはないと感じていた。
一方で、永遠にこの不思議な力を持つという訳でもない、そんな風にも思えてならなかった。根拠みたいなものがあるという訳ではないが、不思議な現象が永遠に続くとも思えなかった。そう思う俺は楽観的すぎるのだろうか。
「
身を乗り出すような形で
が、それ以上に、俺という存在を信じて良いのか、当てにして良いのか、いや、誤魔化さずに言えば、俺と一緒に問題を解決してくれるのか、その姿勢というか決意みたいなものを見極めたい、
この時、思い出した。
俺が感じていた『
偶然なのかどうなのか、そんなことは分からない。しかし、
改めて姿勢を正して、そして、軽く息を吸って気持ちを落ち着かせると、
「神様たちの都合で巻き込まれたことには、俺自身まだ納得はしていないですし、俺以外の3人も俺と同じだと思いますが」
心の中にある気持ちをそのまま伝えることにした。
「俺たちの日常生活に負担とならないのであれば
「
「その代わり、全てが終わったら俺たちの身体を元通りにしてください。あと、これから先、こちらから質問したいことがある場合は出来る限り答えて欲しいですし、その時には、俺たち4人には隠しごと無しで答えてください。今、言えるのはこれだけです」
目の前に座って俺の言葉にじっと耳を傾けていた彼女、
再び訪れる沈黙の時間。
おそらくは上位にいる
顔をこちらに向け直した彼女が口を開く。
「……
その言葉を聞いた
「あなたたちが聞きたいことがある時は、
座っていたイスから立ち上がった彼女は、俺たちに向けてペコッとお辞儀をする。
「じゃあまた明日、今度は4人で会いましょう。その時には、連絡方法とか、能力の使い方とか、その
何か呪文のようなものを唱えた彼女は、空間の中から砂時計を取り出した。上にある砂は流れ続けていて、あと少しで下に落ちきってしまうみたいだ。
しかし、どのような原理で砂時計が空中に浮かんでいるのだろう。ニュートンが居たら「信じられない」という顔をするのだろうか。そんなことをふと思ってしまう。
「今日は、ありがとう。
彼女のその言葉を最後に、
「……戻ってきたの……」
「そうみたいだな」
光が消え去った俺たちの目の前に見えたモノは、薄暗い非常灯に照らされた会議室の室内そのものだった。会議机も、パーティションも、昼間使ったままの位置に置かれている。
「緊張しすぎて何かノドが渇いた。
「あ、わたしも飲みたい」
会議机の横にあるクーラーボックスを開けて、天然水と書かれたペットボトルがあったので手渡す。
「ありがとう」
そう言って受け取った
俺もペットボトルを取り出して飲み始めるが、普段は味とか気にしないペットボトル入り天然水なのだが、「生きているなぁ」と感じさせてくれる味に思えた。で、気がつくと、俺もボトルの半分以上を一気に飲み干していた。
ガラガラッ。
真夜中なだけに、扉が開く音がより大きく響いてくる。
こんな時間に
「大丈夫だったか」
先に
「魔法の力で変身……というのも、あながち嘘じゃ無いんだな」
そんなことを言いながら俺の肩をポンと叩く。もう既に、俺も
「あ、
身体全体で「安心した」という気持ちを表現しているかのような
天然水を飲み終えた俺は、会議机にある時計、その時間を確認する。
午前0時25分。
その時刻表示を見て、意外に短いというのが俺の素直な気持ちだ。
体感時間では10分どころではない、20分から30分は軽くあの空間に居たとしか思えないのだが、時間を
だが、さすがにもう眠らないと明日の作業に響いてくる。
「詳しいことは明日、話そう」
「そうだな。俺らよりも
3階で女子2人と、そして4階のエレベーターホールで
さすがに色々なことがありすぎだよ……今日は。
倒れ込んでから睡魔に身を委ねるのに、ものの5分と掛かることはなかった……。
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