12.

「お前さぁ、DIDの本もいいけど、たまにはユキの本も読めよな」

 耳雨が東雲志彦の新刊をぼくに手渡す。

「まだ一冊も読んでねーんだろ? 俺に対してもちょっと失礼だぞ」

「失礼って、何故?」

「何故…って、そう、何となくだ。読めばわかるから」

 耳雨と夜のカフェでご飯を食べている時である。

「耳雨は、こういうの、志彦さんが書いてるから内容知ってるの? それとも耳雨になった時読むの?」

「えーと、企業秘密」

 耳雨はひとことでかたづけてオニオンスープを啜る。

「何それー! ぼくは真剣に耳雨達のことをもっと知りたいんだよ、なのに」

「お前最近ユキを苛め過ぎだから」

「あなたたちがぼくに気を許してくれてないからだよ」

 ぼくが膨れっ面でオムライスをつつく。

「お前が俺たちを理解できてなくても、俺はましろを充分愛せるよ」

「ぼくは耳雨を好きになるほど、二人のことを知りたくなるんだよ」

「なめらかプリン、デザートにつけてやろうか?」

「食べる。けどそんなのにごまかされない」

「仕方ない。物で釣るか」

 ため息をつきながら耳雨がかばんから包みを出した。

「早いけどホワイトデーのプレゼント。チョコ、まじウマかった」

 黒地にゴールドの小さなドットが入った包装紙に、ゴールドのリボンをあしらった長方形の包み。

「開けてみ」

 促されて開くと、中にはラベンダーの紙パッキンに包まれた革紐のペンダント。先には蜜色の石。

「ブルーアンバーって言うんだ。」

「アンバーって琥珀? 青くないよ」

「光にかざしてご覧」

 つまんでテーブルを照らすライトを通して見ると、青緑色の光を放つ。中に小さな虫の翅(はね)が封じられている。

「キレイ」

「黒地の布に置いてブラックライトで照らすともっとすごい青が出る。今度見せてやる」

「耳雨…ありがとう。嬉しい」

 彼のプレゼントからは言葉で表現できない、だけど心の籠った愛が感じられる。

「でも、何でそんなに宝石に詳しいの?」

「実はユキの知人の雑貨屋を手伝っていて、アンティークの天然石アクセをいつも見てる。いわばアルバイトかな?気が向いた時だけだけど」

 そうか。いつも遊び歩いてるわけじゃないんだ。意外な一面を知った。

「じゃ、ガーネットもブルーアンバーも耳雨のバイト代で?」

「ガーネットはそう。今回は…ちょっとユキに頼った」

 志彦さんはそんなこと言わなかった。何故? やっぱり気を許してくれてないの?

「ブルーアンバー、そんなに高かったの?」

「そういうことは気にするな。ユキも俺もましろに感謝してるから」

「でも…」

 ぼくが困っていると耳雨がペンダントヘッドをつまんで言った。

「この翅の持ち主はさ、ずっと昔に生きてたんだよな。何千年、何万年かはわからないけど、今、こうしてここに姿を残してるんだ。何かこう、時間の超え方がすごい。そういうこと考えてしまう。ましろにもそんなこと考えてほしくて。記憶もきっとこんな形で遺していくこともできるんだ」

「…すごいね」

「すごいよ。今度昼間着けてこいよ。陽の光にも青く光るんだ」

 耳雨に手渡され自分の首にかけてみた。淡いピンクのモヘアニットに青緑色が映える。

「…耳雨、ぼくたちって、いちゃいちゃしてるバカップルに見えてるんだろうね」

 ぼくはニコニコして言ってみた。

「気にすんな。俺たちにはそんなこと気にしてるヒマはない」

「ご飯、一緒に食べられるようになってよかったね。こんな風に外ででもゆっくりと、ね」

「わからないぞ。実はユキにいつの間にか戻っていて、耳雨のフリしてる、とか」

「ぼくにはわかるもん」

 添え物の茹でブロッコリーを頬張って言った。

「でもさ、ぼく思ったんだけど、耳雨も志彦さんも他人にわからないように互いの芝居が出来るってことは、二人はもうそのままでいいんじゃないの?」

 耳雨がぼくの言葉にじろりとこちらを見た。

「バカ言え! 俺はユキの芝居をするのは簡単でも、ユキが俺の芝居をたやすく演じてるを思うのか?」

…ああ、そうなのか。ぼくは口をつぐんで視線を落とした。

「いつも四苦八苦してるんだぞ、あいつは何とかこなしているけど、脳内では」

彼は腕組みをしてナナメ上を見た。

「お前にばれる程度には苦労してるんだぞ」

「じゃ、志彦さんになりきってる耳雨を、ぼくは見破れないと思う?」

「当たり前だろう? 絶対にバレない自信があるぞ、俺は」

 その自信に溢れた顔にぼくは噴き出してしまった。

「確かに」

 一通り笑いを抑えたあと、

「でも、耳雨自身は志彦さんと統合されることを望んでるみたいで不思議」

と、さりげなく言うと、

「俺はもうユキには必要ないように思うから。独り立ちできる大人にそろそろなって欲しいんだ、あいつには」

と、普通に言う。

「でも、そうなったらもうぼくは耳雨と一緒にいられない」

とても悲しいことをぼくも普通に言ってみた。

「あのなあ、俺は消えるわけじゃないぞ。統合っていうのはユキが自分の中の俺を受け入れて一つの人格になるんであって、俺もユキの中にいるようになるってことなんだ」

「でも、ぼくは志彦さんは嫌い」

「あのさ、お前どうしてそんなに頑なにユキを拒むんだ? あいつはあれでもお前に歩み寄ろうとしているんだぞ」

 何とも複雑な表情で耳雨が言う。

「そうなの?」

「そうなのってお前…頭カタいなあ」

 耳雨は呆れながらコーヒーをホットとアイス追加注文した後、

「ほんっとうにお前、その小さな頭は俺でいっぱいなんだなあ」

と、ため息をつく。

「最近のユキの態度の軟化に気づいてないのか? マジで」

あ…思い当たることがある。

「ぼくのこと、『ましろちゃん』って呼んだ」

「かなり前からあいつの脳内ではお前は『ましろちゃん』だぞ。ずっと心配してるんだ。お前の病状に、自分が、俺たちが、悪影響を及ぼさないか、を…それが自然に表面に出るようになったんだ。言葉遣いだって変わったろ?」

「…ふうん」

そう言うしかなかった。本当にぼくは頭がカタ過ぎる。一つ思い込んだら一直線、周りが見えなくなるんだ。

「ふうん、ねえ」

 耳雨は、何か続けて言いたそうだったが、そのうちに、運ばれてきたホットにブラックのまま口を付けた。ブラックコーヒーの香りが立っている熱いうちに飲める彼が羨ましい。

「まあ、いいや、そういうとこはそのままで。取り敢えずユキの本だけは読んでやれよ」

「気が向いたらね」

 ぼくは脇に置いた本の包みを恭しく両手で軽く上げた。


 二人でカフェを出ると、ちらほら粉雪が舞ってきた。

「名残雪だね」

 手袋で受け止めると雪の結晶の粒がまだ表面に残る。

「そんな季節かな」

 耳雨が答える。

「ましろ、もうすぐ桜の季節だな」

「そうだね。耳雨はお花見なんてするの?」

「毎年、したりしなかったりだな。一人で歩いてたら街路樹の桜吹雪に遭遇したり、その時一緒にいる奴とか奴らとかと、公園の桜の樹の下でプチ宴会したり。…今年はましろと一緒に観たいな」

 言われてぼくの頭の中はほわぁ、となった。頬が熱を持つ。

「いいな。耳雨と桜並木の下を歩きたい」

「屋台も出るくらいの規模がいいな。花見酒も欲しいし」

「ぼくはりんご飴がいいな。…約束だよ。絶対一緒に行こうね。ああ、早く春が来ないかなあ」

 ぼくが笑うと

「ましろといるといつも春みたいなもんだよ」

 耳雨も微笑んで言う。

「ぼくもだよ。耳雨といるといつもいつもあったかーい特別の時間」

 ぼくは手を合わせて粉雪のひとひらを目で追った。そして、春の日に二人に降り注ぐであろう花びらの舞いを思った。



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