15.
初めて東雲志彦の小説を読んでみた。耳雨が持ってきてくれたもの。
あまり小説を読む方ではなかったが、不思議な印象を残す本だ。赤いコートを着た少女と彼女を見守る少年の身辺で起こる出来事を書いた短編集だった。大きな事件が起こるわけでもない生活を平明な文体で書かれているが、表現が綺麗で、二人のいる場所はいつもきらきらしていた。
ファンになってしまうというわけではないが、魅力的な世界観だ。
何故この本を耳雨は読めと言ったのだろう? 読まないと耳雨に失礼だと。きっと作者である志彦の視線の中に耳雨の眼差しがあるからだろう。世界を輝かせるマジック。それは寄る辺ない思春期を送っていた志彦に耳雨が与えたものだろう。
ゴールデンウィークのある一日、耳雨とピクニックに行った。その時、もらった本を読んだと伝えた。
「小説は耳雨も志彦さんと一緒に書いてるんだね。そう思った」
「ユキが書くとき、俺はユキの視線の一部なんだと思う。ユキの文章力が無いとまとまらないけどね」
小説の登場人物は志彦の分身なのだろう。それらを俯瞰で見下ろす耳雨の視線。それを紙の上に定着していくのが、志彦ということだ。
「小説を書く作業上では、志彦さんと耳雨は統合されているのかな?」
「感覚的にはそんな感じかな。ユキが小説を書き始めた時、俺、ユキを精神的に支えていたし。その時の名残が今も残ってる感じ」
「じゃ、小説書いてる時が志彦さんと耳雨の理想的な状態と言えるのかも」
水筒に入れたミントティーを紙コップに分け合って、二人の間に置く。表面が風に揺れて水紋を作るのを見ながら、ぼく達は不思議な話をしている。
「統合された耳雨と志彦さんをぼくが好きになれるかしら」
「努力するよ。ましろに今よりもっと好きになってもらえるように」
耳雨が熱を帯びた目で言う。嬉しい。泣きたくなるくらい。
小雨が落ちてきて帰ることにした。
電車の中でお弁当の大きなバスケットは耳雨が持ってくれる。やはり男性の手はありがたい。
「耳雨、重いでしょ? 大丈夫?」
「行きにお前が持ってきたより軽くなってるよ。気にするな」
耳雨が二コリと笑う。
「やっぱりうまかったな、お前の作るサンドイッチ。デザートのブルーベリージャムのサンド絶品だったぞ」
「耳雨って意外と甘党だよね」
「意外とってどういう意味だ?」
そんなことを言い合い、笑いながら駅に降りる。上がった雨空の下、志彦の仕事場に向かった。
志彦の部屋の前に人影が見えた。淡いピンクのポロシャツ、白のチノパン、大きなトートバッグの耳雨より少し小柄な青年。こちらを一瞥してひとこと
「耳雨か」
と言った。悔しそうな表情。
「野口さん、何の用ですか?」
「東雲先生と次回作の打ち合わせがしたいんですよ。電話が通じないと思ったら、あんたになって遊び回ってたんだ」
冷たい言い方。この人は耳雨があまり好きじゃない。耳雨も同じだろう。
「入って」
耳雨がドアの鍵を開けた。先に入る野口に小さくお辞儀をしたが、彼は僕を無視した。ぼくも嫌われてる立ち位置か。
居間に入ると耳雨が言った。
「この人、ユキの編集の担当の野口裕太さん。俺たちの事情をよく理解してスケジュール管理をやってくれている。野口さん、こちら野々村ましろさん」
「おせち料理を作った方ですね。どうも」
無表情のまま軽く会釈した。
「素人の作ったおせちじゃ口に合わなくなかったですか?」
「いえ、味は良かったですよ。とても」
“味は”、ね。この人も“素朴”と思ったクチだろう。
「耳雨と一緒に作ったんです。筋が良くてすごく頑張ってくれました」
「そうですか」
関心なさげに相槌をうって、野口は部屋を見回した。
「最近、先生はどうですか? 次回作のアイデアとか少しでも片鱗とかありそうですか?」
「…まだ前の作品の疲れが残ってるようですよ。切り替えがうまくいかない時期なんじゃないかな」
「成る程、その間はあなたたちの天下というわけですね」
野口が嫌味を言う。
「僕は仕事をいただきたいだけですよ」
「あの、お茶淹れましょうか」
割って入ってみた。
「結構。仕事が無いのならすぐ帰社します。東雲さんへ、戻ったらすぐ連絡するように伝えて下さい。では」
野口は席を立った。
「そうだ。野々村さん、連絡先交換していただけませんか?」
不本意ながらLINEのIDを交換した。
「masiro0112…フツーですね」
失敬な。ぼくは思った。
「yuta0314も相当なものですよ」
「ホラホラ、ケンカしてるんじゃないよ」
耳雨が止めて入った。
「まったく、いい年して何やってんだよ。25歳と23歳なんだから言い争ってるんじゃないよ」
「はあい」
ぼくは身を翻した。こんなのに構っていられない。
「帰ります」
野口はドアを開いた。ドアの向こうに姿を消した時、耳雨が言った。
「悪いねえ、変な奴に絡まれて」
「いいよ。気にしてないから」
「あいつ、いつもああなんだよな。何が気に食わねえんだか」
耳雨は引き出しから小さなライトを探し出した。
「ブルーアンバー付けてるよな」
「うん」
ぼくはペンダントを胸元から引っ張り出した。外してテーブルに置くと、下に黒い布を敷く。
「見てごらん」
ブラックライトを当てると、ブルーアンバーが青く光った。
「これを見せておきたかったんだ」
「キレイ」
ぼくは耳雨の胸にもたれた。耳雨は背中越しにぼくを抱き締めた。
「離さないよ。もう。」
「うん」
耳雨がぼくに頬ずりをした。
「くすぐったいよ」
その言葉には応えず、耳雨がぼくにくちづけをした。舌を絡め合うキス。歯がぶつかり軽く音を立てる。
ぼくは抱きあげられて、ソファに転がされた。
ぼくは両腕を広げて耳雨を迎えた。
耳雨が親指でカットソーに包まれた乳首を擦り刺激する。ぼくの息が荒くなる。
「耳雨…」
甘い悲鳴が漏れてしまう。
耳雨は両胸を弄びながら、唇で脇腹を辿った。カットソーをめくり、おなかの辺りを愛撫する。羽毛の先のような愛撫に身をよじってしまう。耳雨の右手が少しずつ下の方へ辿る。デニムのジッパーを下ろし、下腹部分を舌先で刺激されて頭の中が裏返った。今までとは異質の快感が突然来た。
「耳雨、何これ、こんなの知らないっ」
「だろ?鼠径部っていうんだ」
そう言いながら熱心にその辺りを舐り続ける。やがて足の付け根に舌は移り、腰を抱きながら内腿を舐め始めた。
ぼくは耳雨の後頭部を触りながら、目をつぶった。瞼の裏がチカチカする。自らの泉に甘い蜜が溢れ始めている。
「助けて…」
両手で目を覆い、ぼくはつい零してしまった。
耳雨の舌が性器に移った。舌先が泉に沈む。中の形を確かめる。
「耳雨、耳雨、死んじゃう」
「愛しているよ、ましろ」
そう言いながら、唇に戻ってきてくれた。ぼくの下唇を唇で挟む。
耳雨の長い指の先が首筋をなぞる。
「壊してしまいたい位、可愛いひと。」
と彼が言う。首に回した両手の指先の、十の点に力がこもる。
「いっそ壊してください」と、少し顔をしかめてぼくは言った。
しばしの躊躇い(ためらい)の後、指がそっと離れた。
「…止めた。…壊してしまうのはカンタンだけど、一度壊したらもう、可愛いあなたに触れられなくなるから」
殺人未遂チックな発言など一切無かったかのように微笑む彼。
天使の純白の羽根が広がるような笑顔。
「うん。」
何回でもキスしてあげるよ。
ぼく達は今生きているんだから。
ぼくがあなたを愛し、あなたがぼくを愛し、二人で愛を確かめるいろんな過程の中で、二人はいつも新しい発見をする。
今も、さっきまであなたが望むなら命なんてどうでもいいと思っていたぼくが、もう今ではこの人を愛したぼくがこの人の生きた証として残るなら躰が朽ち果てるまで生き続けたいと切に願ってる。
あなたもそうなんでしょう?
目の前で起きる一つ一つの現象を噛み締め、胸に刻むように生きている。
ぼくの首筋に残った内出血の痕を唇で辿りながら。
たくさん、何かを感じてね。
たくさん、思い出を作ってね。
いつか存在が消える時が来てもきっと何かは残る筈だから。
ぼくがずっとそばにいるから。その、瞬間まで。
ぼくが耳雨の名を何度も呼び、耳雨が挿入ってきて二人はとうとう一つになった。
怖くない、もう何も。
ぼくは耳雨の左耳にキスした。耳雨が少し震えた。
このままどこまでも逝きたい、と思った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます