11.
年が明けて、宅配便がぼくの手許に届いた。送り主は東雲耳雨。住所はデタラメだ。
小さな包み。くすんだ黄色い包装紙に金のリボンで飾られた箱。中には小さな指輪が入っている。赤い宝石が王冠をかぶり、銀の両手で支えられているデザイン。ガーネットはぼくの誕生石だ。
宅配便は期日指定で届けられていた。1月12日、誕生日。
小さな紙が同封されている。開くと耳雨の荒い筆跡で、
『クリスマス、できなかったから、ちょっと頑張った。大事にしろ』
「大事にするに決まってるでしょ!耳雨ゥ!」
独り言を言いながら箱ごときゅーっと抱きしめた。
おせちを作った日の夜、ぼくが気絶してしまった後の朝、ベッドの中で耳雨が愛おしそうにぼくの頭を撫でて、
「もう大晦日まで泊まってけよ。二年参りしがてら送ってってやるから」と、優しい笑顔で言った。
「正月は体をユキに渡さなきゃならないからな。来訪者が多いから」
事情を知らない来客のとき、耳雨の人格が表にいても、志彦の芝居をしなくてはならないと笑う。
「耳雨もちゃんと食べてね」
ぼくはタッパーを借りて、自分の分のおせちを詰めた。耳雨と一緒に作った思い出があれば、独りの正月もさびしくない。
大晦日。二人で紅白を見て、一緒に歌ったりした。除夜の鐘を聞きながら二人で電車に乗り、ぼくの家の近くにある神社に初詣をした。大混雑の中で抱き合うように体をくっつけて歩いた。御手洗所で、ぼくが正しい清め方を教え、ひとつのハンカチで手と口を拭った。本殿で耳雨の大きな手が二拍、響く。
耳雨は何をお願いしたんだろう? 尋ねずに、ぼくは(耳雨とずっと一緒にいられますように)と祈った。
駅のホームで初日の出を見て、帰りの電車に乗り込む耳雨を微かなキスで見送った。
正月以来、連絡が来ない。
「まだ志彦さんのままなのかな」
そう思った矢先に、耳雨からのガーネットのリングは届いた。右手の薬指にはめてみた。サイズがぴったりだ。
(どうしてサイズわかったんだろう?)
耳雨のことだから、寝てる間に糸か何かで測ったんだろう。
「大事にするよ、耳雨。絶対大事にする」
独りごちたら目頭が熱くなってきた。期日指定が切なかった。こういう手段を取るのが、会う約束をするより確実だったのだ。ぼく達はそんな不安定の中で恋をしている。それでも、ガーネットの熱い赤さが、ぼく達の想いを確かな形にしてくれている。
夜、LINEで電話が来た。耳雨だ。
『よかった。俺の声で言える。ハッピーバースデーましろ。23歳おめでとう』
『…ありがとう。すっごく嬉しいよ。指輪もありがとう。届いたよ。薬指にぴったりだったよ』
『パイロープ・ガーネットっていうんだって。お前に似合う赤だな、と思ったら、誕生石なんだな。炎の赤なんだ、それ』
『炎? ぼくに似合ってる?』
『うん。冷めてるようで、内面は情熱的な感じがするから』
『だとしたら、それは耳雨が灯してくれた火だよ』
『そうか。嬉しいな。俺も何か』
一瞬、沈黙があった。温かな沈黙。言葉がなくてもすべて伝わってしまう、そんな静寂(しじま)。
『ごめんな、今日会えなくて』
『いいよ、大丈夫』
きっとのっぴきならない事情があったのだろう。そういうことにはもう慣れてしまった。
『耳雨に出会ってから毎日が誕生日みたいだもの』
また少しの沈黙があってから、
『ましろ、可愛いな』
『ふふふ』
耳雨の呟きに、ぼくはつい笑ってしまった。
『節分、できるといいね。耳雨が鬼だよ』
『お前、愛しい俺を鬼にできるのか? いいじゃないか二人とも人間役で適当な方向に投げれば。…それとも鬼役で互いに豆ぶつけ合うか?』
『あはは』
こんな電話での会話が思い出になる。実際は節分は出来なかったけど、記念日でも何でもなくても、耳雨と会える日、話せる日、耳雨を想う日々、すべてが記念日みたいだった。
2月14日。ガーネットの指輪を身に着けて、ミトンで包み、積もった雪の中をゴアブーツを履いて、志彦の仕事場に行った。
インターフォンを押すと、志彦がおでこ全開で、すまなそうに出て来た。
「やあ。僕ですまないね」
執筆中の志彦は前髪をかき上げる癖がある。
「いいんです。志彦さんにも用があったから」
寒いからあがって、と言われ、キッチンに通された。床暖房が心地よい。
「冷えただろう? 熱いココアを淹れたから、冷ましながら我慢して飲んでくれ」
ありがとうございます、と作り笑顔で言えたと思う。
「これ、バレンタインのチョコレートです。志彦さんにはいつもお世話になっているから」
「これを? 僕に?」
開けていいかい?と訊き、志彦は緑の包装紙を開いた。ぼくが買える範囲で一番高額な生チョコ、ブランデー味。
「ありがとう。無理をしなかったかい?」
「いえ、…耳雨が誕生日にくれたこの指輪、スポンサーは志彦さんでしょ?」
「そんなこと気を遣わなくてもよかったのに。でも選んだのは耳雨だよ」
「すごく嬉しかったです」
「それはよかった。似合ってるよ。綺麗な赤だね」
小さく微笑む志彦の視線が、もう一つテーブルの上に置かれた、淡いピンクの包みに止まった。
「そっちは、…耳雨のだね」
「はい、渡してあげて欲しくて」
「手作り?」
ぼくは小さくうなずく。頬が熱くなる。昨夜作った、ビターチョコの中に甘いミルクチョコのガナッシュが入った、トリュフ。
「このまま冷蔵庫に入れた方がいいかな?」
「そうですね。よろしくお願いします」
志彦は立ち上がり、冷蔵庫の扉を開くと、思い出し笑いをするみたいに、頬を緩ませた。「正月はびっくりしたなあ。耳雨のメモ見て冷蔵庫開けたら、今まで見たこともないおせちが堂々と並んでいて」
「おせち料理は初めて作ったんです。お客様にお出ししても大丈夫でした?」
「みんな喜んでいたよ。事情を知ってる人ばかりだったから、『あの耳雨がこんな素朴な料理作る、甲斐甲斐しい女の子をねー』とか」
「素朴、ですか」
“素人くささ”も言いようだな、と力なくぼくは笑った。
「実際美味しかったよ。温かみのある料理だった。義母さんのとは違った意味でね」
志彦は柔らかい笑顔で言う。
「本当にありがとう、野々村さん」
心のこもった言葉。
「…来年もお願いできたら」
「来年…」
「…すまない、つい。来年のことを言ったら鬼は笑うけどきみがつらくなるね。本当にすまなかった」
志彦が慌てて大真面目に話を取り繕う。
「志彦さん、ぼくは今年の年末にも耳雨と、おせちを作れると思います」
「きみはまだそんなことを」
「ぼく、今、DID(解離性同一性障害)の治療の本を読んでるんです。統合っていうのだけが結末じゃない。そういうことが書いてあって…難しくてなかなか読み進めないけれど、頑張って読んでいます。だから」
ぼくはできるだけ笑顔で言ってみたつもりだ。
「それで?」
「それでって、あの…志彦さんのお義父さまお義母さまも、志彦さんと耳雨の別人格をどちらも尊重なさっていたのは、そういう考え方をご存知だったのではないかと思ったんです」
志彦は一瞬目を見開いた、が眉間の皺を一本増やして深いため息をついた。
「今、志彦さんの生活に、耳雨っていうイマジナリーフレンドはどう支障を起こしているんですか?それを解決する方法をぼくにも一緒に考えさせてください。お願いします」
「…ましろちゃん…それはきみにとっても苛酷なことになりますよ」
「志彦さんはもうぼくのことを『ましろちゃん』って呼んでくださるんですね。それは志彦さんと耳雨の世界にぼくを今までより受け入れてくださっているって取ってもいいんですよね」
「あ、いや、その、…僕はまだきみが僕たちに関わらせるのを躊躇しているんですよ。きみにはきみの持病があって、危険なことだと知っているから」
志彦さんこそ、まだそんなことを言ってる。
「とにかく、待っててください。ぼく頑張って勉強しますから」
ぼくは立ち上がり、精一杯の作り笑いで言って、まだ困った顔をしている志彦の仕事場を後にした。
積もっていた雪が解け始めている。ぼくはミトンをコートのポケットから出して、ガーネットの光る薬指のリングの赤を見た。
このリングを、耳雨との思い出を、耳雨の“形見”になんかしない。これは耳雨とぼくの恋のお守り。
そう思いながら、炎のような赤をミトンの中にそっと収めた。
「さあ、頑張って勉強、べんきょう!」
小さく声に出し、駅への雪道をがしがしと歩き始めた。
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