魔術師の矜持②
「それではみなさん。祈りを捧げましょう」
教会の果樹は撤去され、今は広々とした空間に百三人もの信者が集まっている。ほとんど満席ともいえる状態だ。それぞれが長椅子に腰をかけ、祭壇の前に立つジルジルを中心として、祈りを捧げた。
それは静かで荘厳な時間であるはずだった。
「……どなたでしょうか」
乱暴に、入り口の戸が軋みを上げて開かれた。
現れたのは一人の男だ。その場に似つかわしくなく、彼は右手に剣を握っていた。外には警備もいたはずだが、キズニアの前にはなんの意味もなさなかったに違いない。
「これはこれは、キズニア・リーホヴィット様。あなたも救いを求めていらしたのですか」
タス・マキレーンは死んだと聞いた。
今、王城側は代わりにキズニアという男を中心に動いており、議会を再建しようとしているらしいとも聞いている。
ジルジルも彼の噂くらいは聞いたことがある。アイゼル皇国の騎士団、その団長を務めた男。いわば暴力の権化ともいえる。
だが、ジルジルにおそれはない。
キズニアが秩序の信奉者であり暴力装置であるならば、おそれるものなどはなにもなかった。ジルジルは穏やかな笑みのままこれを迎えた。
「今は祈りの時間でした。いかがでしょう、キズニア様も――」
「剣牢」
一瞬の出来事だった。
キズニアの右手に持つ剣は急速に刃を伸ばし、床に突き刺さる。地の下で無数に枝分かれして、多頭の蛇のように再び地上へと顔を出す。
一見して大雑把な、しかし精妙な技量によって初めて可能な魔術。
その一瞬で、剣牢は百三人の信者と、一人の教祖を剣牢の中へと閉じ込めてしまった。
「んなっ、これ」
「剣? 剣が、なんで」
「動けな……なんですかこれは!」
「てめえ! なにしやがる!」
「いきなり何事ですか! 離しなさい!」
祈りを邪魔され、信者たちは慌てふためく。一人一人が丁寧に服を貫かれ、関節を固めるようにして一切の身動きができないよう拘束されていた。そのうえ刃先は潰され、肌を傷つけることもない。
「キズニア様。お気持ちはわかります。私はあなたに同情します。このような――」
ジルジルにとって最悪の展開は、このまま信者もろとも皆殺しにされること。
だが、それは「ない」と彼は知っていた。キズニアは正義と秩序を信じる人間であり、その不殺主義を彼は知っていた。剣牢による拘束も、単なる脅しか。あるいは。
「――!」
予想だにしていなかった展開が続いた。
信者をそれぞれに拘束していた剣から、細く長い剣が派生した。そして、信者たちの腹部を貫いたのだ。百三人、すべての信者を突いたのである。
「ぐぁっ!」
「うぅ……いぎっ」
「ああああ!」
「ぎぃぁぁああぁぁ!」
死にはしないだろう。ただ、腹を深く突き刺しているのだ。痛みはただごとではない。教会は阿鼻叫喚の地獄絵図となり、こうなってはジルジルの声も通らない。
「まさか、あなたは……」
キズニアの動きには一切の迷いがない。あらかじめ計画した流れに沿って動いているのだろう。ジルジルもその一端を察するには至ったが、「次」までは予想できない。
剣牢はさらに蠢く。ジルジルを覆う剣の密度は増し、剣の帳がジルジルを覆い隠してしまった。信者とは視覚的にも聴覚的にも分断されたことになる。
――なにをする気だ。
ジルジルは急速に思考を巡らせていた。
人間を観察することにかけては長けているという自信があった。キズニアのような人間にも覚えがあった。正義を信じるあまりに暴走しがちな危険な人種だ。
ジルジルの固有魔術〈犠牲愛〉は、彼に及ぼされる死傷のすべてを彼の愛するものに肩代わりしてもらうという魔術だ。今なら信者のうち数十人は間違いなくこれに該当する。誰かに愛され続けるかぎり、彼は無敵だ。
ただ、弱点も明確である。そんなことを気にせずに彼を殺し続ける邪悪がいたならば、数十回の死の果てに彼自身の順が回ってくるだろう。
そんなことを平気でできる人間などそう多くはない。それこそ、この狂国内においてはジルジル本人くらいなものだ。そして、キズニアにそれはできない。「そこまでする相手ではない」「彼がもたらすのは害悪ばかりではない」ジルジルはそんな絶妙な
――しかし、これは。
躊躇がなさすぎる。不殺主義ではあるが、暴力は厭わない。信者らの腹部を一斉に貫いたのは、胃に残る果樹の種を刺すためだろう。だが、その「次」は?
キズニアの目的はタスと同じものだろう。傲慢にも人々を救おうと考えているに違いない。すなわち、「
――あるいは、自らの不手際で解き放ってしまった“闇”を私が退治したと知り、立場を取り戻すために力を誇示しにきたのか? キズニア・リーホヴィットとはそれほどに向こう見ずな人間だったのか?
そのような愚かな相手ならいくらでも言いくるめられる。いくらか言葉をかけて反応を見ることでそれはハッキリする。まさかこのまま衰弱死するまで拘束するつもりでもないだろう。
やがて、幕が開くように剣の帳が下りる。ジルジルは再び信者の前に姿を見せた。
「これでよいな。ジルジル」
はじめてキズニアが口を開く。あたかも、すべて打ち合わせ通りだったかの口振りだが、当然ジルジルはそのようなことを関知しない。
「はい。ありがとうございます」
その様子に信者たちは戸惑う。突然に剣の牢で拘束され、剣で刺された。その理不尽が、すべてジルジルの思惑通りであったのならば、彼らはただ次の言葉を待って傾聴するほかない。
だが、最も戸惑っていたのは他ならぬジルジル本人だった。
――誰が話した? 私か?
なにかが覆い被さってきた。それはわかる。それで声が出せなくなった。一方で、信者たちの表情を見るに、驚きこそあるものの不自然さは感じていないらしい。ジルジルはいまだ身動きできぬまま、思考だけを巡らせていた。
「申し訳ありません。突然ではありますが、私たちは“夢の果樹”と訣別するときが来たのです。キズニア・リーホヴィット様はこのたび果樹によらない食糧供給体制を確立されました。もう、誰も死ななくてよいのです。よって、強引ではありましたが、あなたがたの飲み込んだ種を残らず処理させていただきました。
痛みはあったかと思います。それは“生”の痛みです。生きるということは痛みを伴うものなのです。そのことを、どうか忘れないでください。この痛みに耐えた皆様に、祝福の雨を」
彼は癒しの魔術を発動させた。それは“癒しの雨”と呼ばれるものだ。魔術雲が宙を揺蕩い、文字通りに雨を降らす。傷つくものに降り注いだ雨は自然とその傷口へと浸透し、雨の体積と同じだけ患者の体内と同化し傷を癒していく。
もとより広域を対象とした治癒魔術ではあったが、百三人もの相手を同時に行き渡る治癒を叶えるのは、彼ほどの魔術師でなければ困難な業である。
すなわち、
剣の帳でジルジルの姿を信者から隠している間に、ペスタはジルジルの頭部へ覆い被さった。そのうえでジルジルの顔へと〈変容〉し、声も模す。ジルジルが築き上げてきた「愛の城」を、彼はそれだけで乗っ取ってしまったのだ。
「おお」
「ジルジル様……!」
「なんと寛大な!」
「まさに神の御業……」
「これが生きる喜びなのですね……!」
信者たちは、思考を停止しジルジルを盲信することで安寧を得たものたちだ。ジルジルが右へ倣えといえば右へ倣う。死ねといえば死ぬ。生きろといえば生きるのだ。
ジルジルの教会を抑え、狂国に秩序を取り戻すには、頭から乗っ取ってしまうのが手っ取り早い。グラスによってペスタを紹介されたとき、キズニアはすぐにこの光景を思い描いた。
ジルジルは危険だ。彼が“夢の果樹”を扱うかぎり、この国で死者が絶えることはないだろう。“闇”を払ったことでジルジルの影響力はさらに増していた。果樹によらない食糧が得られても、ジルジルがそれを拒むよう信者にいうだけで混乱は続く。
だからこそ先手を打った。
これからはペスタがジルジルを頭から乗っ取り、議会の傀儡とする。
――馬鹿な。まさか、こいつは……!
ジルジルもようやく状況を理解する。自身が、乗っ取られてしまっていることを。剣牢による拘束が解かれ、自由になったはずなのに、身体を動かせない。だというのに、身体は動いているのだ。
――「ホテル」とやらの大量入居者のなかにそういった魔術師がいたのか? めぼしい魔術師は一通り確認していた。固有魔術を秘匿していたものまではむろん把握できないが、それはキズニアも同じ条件であるはず。なら、そいつがこの狂国の状況を見て自らこれを思いつき、キズニアに擦り寄って提案し……?
ありうるシナリオの流れを思い描くが、後悔先立たず。事前にこれを想定できなかったジルジルの負けだ。いや、仮に想定できていたとして、どう対策できたのか。キズニアの暴力に抗う術はなく、ペスタの乗っ取りにも同様に抗う術はない。
なにより、急襲によってジルジル本人も拘束されていたという不自然な状況があったにもかかわらず、ジルジルの言葉一つで信者たちはそれを疑いもしない。ジルジル自身がそのように築いてきたからだ。
「さて、あとは頼んだジルジル。残る在庫の種も処分しておいてくれ」
「わかっております。時代は変わったのですから。狂国は生まれ変わるのです」
そして、キズニアは嵐のように去っていく。
――狂っている。
ジルジルは内心震え上がった。
自身の正義に対し、疑念が一欠片もない。それは狂気というものだ。
もしかしたら相手にも言い分があって、彼には彼の正義があるのでは?
そういった考えが頭を過ることすらない。自身の正義を強引に暴力によって押しつけてくる。
不殺であるならば、なにをやってもいいと言わんばかりに。
***
「戻ったか。で、どうだったよジルジルは」
「首尾よく片づけた」
王城へ戻り、メイリに迎えられながら、キズニアは気を休めることがない。
彼にはやるべきことがあった。それは人々を守ることだ。過ぎたことを悔いる暇はないし、手段を選んで葛藤している暇も惜しい。
いずれ、魔術師は勝利する。
そう信じているからこそ可能な横暴である。
勝利のあとの復興のためにも、可能なかぎり人々を守り続けるほかなかった。
皇王ヴェヒター・ブランケイスト・アイゼルによって、いずれ術殺機兵群は討ち滅ぼされるのだから。
術殺機兵群 饗庭淵 @aebafuti
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