コルクの発表

会場の人々のざわめきが徐々に静まり、やがてピーン…とした空気が周囲に漂った。


カルキは、自分が発表している訳でもないのに冷や汗が背中を流れる感覚を味わった。いくら地方の小さな図書館とはいえ、観客という名の生き物が与えてくるプレッシャーは、とてつもなく重い。


カルキがもし人前に立つタイプの人物であれば、或いは慣れていたのかも知れない。例えば学級委員。例えば生徒会長。幼い頃から観客の前に立つことを宿命として来たピアニストやスケーターでも良いだろう。一人で多くの視線を集める際の圧力は、チームスポーツや参観授業の比ではない。


そしてカルキの目線の先、コルクもどうやらカルキと同じく「慣れていない側」の人間のようだ。


「皆さん、こんにちは」


その第一声は微かに震えていた。コルクの両手は固く握りしめられていて、目線も落ち着きなくさ迷っている。


「今回、僕の紹介する本はこの『図書館戦争』です」


そしてテーブルの上に置かれた本立てに寄りかかる、大判の本を強ばった右手で指し示す。


作:有川浩 『図書館戦争』


恐らく自分の学校から借りてきたのだろう。表紙は若干黒ずんでいて、背表紙には番号がラベルが張り付いている。だからこそ、その本が何度も人に借りられて読まれてきたという一種の存在感がある。


「まず、ストーリーを説明しようと思います。この本ではまず、最初に主人公が図書館を守る自衛隊の一員に救われる所から始まります――」


初めは強ばっていた顔が、段々真顔になっていく。それと同時に声も落ち着きを取り戻してきていて、一見すると調子付いてきたように感じる。


しかし、カルキは気づいていた。


(五分…だぞ?ペース速すぎないか?)


コルクの発表は例えるならアナウンスだ。恐らく、事前に決めておいた原稿のようなものがあって、それを丸暗記しているのだろう。ビブリオバトルではメモは許されているが、原稿は許されていない。メモ程度では原稿を思い出す切っ掛けになるかも知れない、という気休め程度の効果しかない。


つまり、コルクは恐らくメモを用意せず必死に原稿を暗記したのだろう。だからこそ表面上の緊張を抑えた後に、流れるような発表がこなせている訳だ。


そして…その予測が当たっていれば、カルキが予想している通りの事態が起きるのもまた必然だった。


「――みなさんも是非、本を護る闘いを読んでみてください」


コルクの顔はそこで少し安心したかのように緩んだ。恐らく事前に用意していた原稿を言い切ったのだろう。直立不動だった姿勢も若干崩れている。


「コルクさん。まだ時間はありますよ?」


その顔が、凍りつく。


司会役を務めていた女性職員の、控えめな声。もちろんこれはルールに基づく勧告であり、職員にコルクを責めるつもりは無かったのだろう。


それでもコルクにとっては致命的なミス。コルクが青ざめた顔で左奥を見るのに合わせて、カルキもそちらを見やる。


【残り時間 01:34】


「――あ」


壇上のマイクがコルクの微かな声を拾う。おおよそ1分半。その時間はビブリオバトラーにとっては余りにも長すぎる時間である。


そもそもルールとして記された「五分の発表時間」には、実はそれ程拘束力はない。得点制なら減点があるだろうが、厳格なルールとして定められている訳ではない。


しかし、五分の時間を大量に余らせてしまえば気まずい沈黙が会場を満たす事になる。その沈黙を、一人一人が投票権をもつ観客はどう解釈するだろうか――どう転んでも、いい方に解釈する事は無いだろう。


「あ、えっとですね、そのぉ」


流暢に発表してきた分、その反動は大きかった。コルクの声は途端に情けない調子になり、発表を始めた時よりも更に震えが増している。


(これが…ビブリオバトル?)


カルキはすっかり怯えていた。ビブリオバトルの真の恐怖に、怖気付いていた。


カルキが見た全国大会に出場していた選手は、みなサクサクと簡単そうに話していたのだ。それも当然。その選手達も、初めは皆こうして緊張の中で発表していたのだ。素人が簡単に発表できる場では、無かった。


しどろもどろに「そ、そう言えば作者の有川さんは、他にも本を」「そう言えば同じクラスに」と話題を繰り出していくが、それらも焼け石に水でしかない。居た堪れない空気がジワジワと広がっていく。


「あ、そ、そのぉ、つまり主人公は本を護るために」


チリンチリーン。


「これで発表は終了です」


タイマーが【残り時間 03:00】に切り替わり、発表時間が終了する。会場の雰囲気が一気にリセットされて、コルクの様子に息を詰めていたカルキも一息つくことが出来た。


「それでは質問タイムに移ります。どなたか質問はありませんか?」


ビブリオバトルのルールでは、五分の発表の後に二、三分の質問タイムが設けられている。カルキによれば質問タイムが二、三分と曖昧なのは、どんな質問が来るのか予想がつかないからだそうだ。

つまり、質問タイムは「観客が質問できる時間」であり「発表者が質問に答える時間」では無い。長々と質問に答えていれば顰蹙を買うだろうが、多少の時間オーバーがあっても大丈夫なのだ。


カルキは固唾を飲んで会場を見守った。誰が、どんな質問をコルクに投げかけるだろうか……。


「あ、ではそこの方、どうぞ」


まず最初に当てられたのは、スヤスヤと眠る子供を抱えた主婦の人だ。「は、はい」と小声で返事しながら、我が子をそっと抱いたまま器用に立ち上がった。


「あの、コルクさんがその本を読んだキッカケが分からなかったんですけど、教えてくれませんか?」


「え、はい。分かりました」


コルクの顔にはまだ少々強張りがのこっていたが、流石にこのままでは拙いと思ったのか、傍目にも分かるほど力が入っていた肩を落とした。


「……僕がこの本を読んだのは、戦争に興味があったからです。元々は、本を読んだりする趣味なんてありませんでしたし、この本を読むまでは図書館なんて単に本を管理するだけの施設だと思っていました」


発表時間とは打って変わって、冷静かつ穏やかな口調にカルキは眉をあげた。プライベートな本との出会いは世間においてありふれたモノだろうが、その語り口と相まって、誰か特別な人との穏やかな思い出のワンピースの様に感じられる。


「でも、この本は自分の想像していたようなモノとは全然違ったんです。戦争っぽい所もあれば図書館っぽい所もあるというか。ともかく僕は、この本にとても驚かされたってことです。質問ありがとうございました」


コルクがぺこりと頭を下げると同時に、会場内に柔らかく小さな拍手が響いた。まだ質問タイムは終わっていないが、拍手する価値は確かにあったとカルキは感じていた。


「では、他に質問のある方は」


心做しか微笑んでいる司会者が次の質問を呼びかけると、1本の手がピンと上がった。その手を辿って見ると、上下まだら模様の妙なスーツを来た男だった。黒と濃い紫の取り合わせには微妙なセンスを感じさせる。ボサボサの髪の毛。鼻筋は通っているけど他に目立つ特徴がない顔だ。


「えー、では失礼して」


ガタリ、とパイプ椅子がズレて、男は若干猫背気味で立ち上がり、正面からコルクに向き直る。


「名前はコルク君、だっけ。僕は理解出来なかったんだけどさあ、その本の面白い所って結局何だったか教えてくれる?」


コルクの顔が再び凍りついた。

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ビブリオバトル界に僕なんて要らない 鷹宮 センジ @Three_thousand_world

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