ビブリオバトル界に僕なんて要らない
鷹宮 センジ
ビブリオバトル界に僕なんて要らない
実行委員会公式ビブリオバトル地方大会。全国に幾つか存在する施設の一つに彼の姿があった。彼の名前はカルキ(仮名)。高校一年生(当時)。この仮名は僕と相談した時にカルキ自身が「自分は水道水のカルキ並に意識されなかったり、意識されても邪魔がられるから」という理由で付けられた。
然しながら水道水のカルキは消毒の過程で必然的に紛れ込む、必要とされた過程のある成分だ。それならカルキという名前を選んだ彼は、ひょっとすれば地味に周囲から必要とされている存在なのかも知れない。
そのカルキは栄えある地方大会の場に立ちながら、実はこんな事を考えていたらしい。
(どうしてこうなった)
そう、彼は確かに本が好きだった。ビブリオバトルもまあ嫌いではないし、自分から小さな大会に出場した事もある。だが流石に優勝すれば全国レベルの大会に出れる地方大会に参加するつもりは、これっぽっちも無かったのである。
そんな彼が何故ビブリオバトルに興味を持ち、そのつもりも無いのに地方大会に出る羽目になったのか。話は昨年度に遡る。
~・~・~・~
カルキは幼い頃から本が好きで、本を読んで育ってきた。両親からは「カルキは本が好きだから将来頭が良くなるよ」というお呪いだか呪いだか分からないセリフを聞きながら。
そのお陰かカルキの成績はそこそこ良かったそうだ。カルキの得意教科は国語で、国語だけはどんなに予習しなくてもクラスでも上位の成績が取れた。本人が本気を出して勉強した時は言わずもがなである。
そしてそのまま高校まで特に何もなく進学した。苦労らしき苦労は無かったとカルキは語ったが、僕は知っている。カルキの英語の成績が絶望的に悪く、その件でかなりの苦労を強いられていた事を。
高校生になる過程で英語の点数に危機感を感じながらも、彼は辛うじて合格しQ高校(仮名)に進学した。Q高校はその都道府県でもそこそこの学力がある者が進学する所である。ちなみにプライバシーを保護するために全然関係ないQを高校の仮名とした。
そのQ高校ではカルキなんて目じゃないほど頭の良い人ばかりで、カルキは「こいつは危ない」という焦りを抱いたそうだ。カルキはもちろん必死に勉強……しなかった。しかし毎週出される課題は当然……しなかった。
つまり彼は、学に対する熱をすっかり失ってしまったのである。笑って誤魔化そうとしたカルキだが、彼の友人は憐れみを込めた瞳でカルキを見ていた。当然彼の大学進学は危うい。とても、危うい。
……話が逸れてしまった。そう、彼がビブリオバトルに興味を抱いた切っ掛けはその地方にあったZ図書館である。このZ図書館では小さな張り紙で地味に「ビブリオバトル」なるものを宣伝していた。
当時理由もなくムシャクシャした気分だったカルキは、本を借りる為にカウンターで並んでいる時、その張り紙に目が止まったという。
カルキは「ビブリオバトル」なるものの存在をその時初めて知り、そして舐めてかかったという。こいつ馬鹿である。
「すみません、このビブリオバトル……?って奴に参加したいのですが」
カルキはカウンターに座っていた女性に声を掛け、申し込み用紙に気軽な気持ちで自分の名前や住所をつらつらと書いた。ちょっとした憂さ晴らしになると考えていたらしい。彼の想像では、ほんの数人の前で好きな本についてサラッと喋るだけだと誤解していたそうだ。
もう一度言う。こいつ馬鹿である。
~・~・~・~
彼がビブリオバトルについて誤解していた事に気づいたのは、家に帰ってからだった。
親に一応「ビブリオバトル」なるものに参加する旨を伝え、自室にのそのそ上がりダラダラ過ごしていた彼は、小一時間後に階下から聴こえてきた呼び声に苛立ちを感じた。
「ちょっと、カルキ!降りてきなさい!」
この声の主である母親はカルキにやれ洗濯しろだのやれ風呂洗えだの色々押し付けてくる存在である。やれやれと首を降った彼は階下に降り、直に母親からビブリオバトルに関する真実を伝えられた。
「アンタが参加するビブリオバトル、大層なものじゃない。張り切って参加しな!」
そう言われてから見せられた動画は、さる本屋がスポンサーとなって催された規模の大きい公式ビブリオバトルの動画である。
『――それでは次の参加者は、○○からお越しくださいました、△△大学の――』
うわ、めっちゃアナウンサーだ。
『それでは、タイマースタート!!』
うわ、めっちゃ制限時間だ。
『やあ皆さん。僕の紹介する本はこちらの――です。この本はさる統計学の権威である――』
うわ、めっちゃインテリだ。
『では次に質問タイムです。どなたか質問は――』
うわ、めっちゃディベートだ。
『最後に○△賞を受賞した作家である●●さんに講評を――』
うわ、めっちゃ有名人だ。
「えっ、ナニコレ」
カルキは絶句した。当然である。自分がちょっとした息抜き気分で参加することにしたビブリオバトルが、これ程までに確固たるジャンルとして成立していたとは思いもしなかったのだから!
横ではカルキの母が嬉しそうに頷いていた。母親からすれば、行事に積極的な参加をした試しのない息子が、こんなにもインテリな大会に参加を表明したのである。喜ぶのも当然といえよう。
しかし、当のカルキはこう考えていた。
(いやいや、確かにどうやらビブリオバトルとやらはちゃんとした大会らしい――でも、自分の本好きは筋金入りだし、地方の図書館主催の小さな大会だ。楽勝楽勝)
ここで僕は三度目となり読者も少し飽きてきたであろう台詞を書く羽目となった。
こいつ馬鹿である。
~・~・~・~
かくしてビブリオバトルを舐めてかかった憐れなカルキ少年は、本番まで練習らしい練習を一度もせずに過ごした。もちろん紹介本――本番で紹介する為に用意した本の事――の読み込みだけは欠かさなかった。
そしてもちろんの事、そのしっぺ返しは早々に訪れた訳である。
─────────
カルキは緊張に汗ばんだ手をズボンで拭い、会場に入った。会場は確かにカルキの予想していた通りこぢんまりとしていた――ビブリオバトルの会場としては、こぢんまりとしていた。その広さは凡そ一般企業の忘年会会場用に使われる座敷程で、そこに椅子が優に百はひしめき合っていたのである。
また正面にはきっちりとスペースが設けられており、よく学校の校長先生が使うような縁台の金属バージョンみたいなものが設置してあった。さらに右隣には長いテーブルと移動式の(刑事ドラマで事件内容を整理する時に使うような)ホワイトボード。そして左隣には観客用と同じパイプ椅子が六脚並んでいた。
(やべぇ)
カルキは一気に緊張してしまった。実のところ、カルキが例の動画を見ても「大したことは無い」と思っていたのは当人の計算もあってのことだった。本人曰く、
「必要以上に緊張したくないが故の策だった」
らしい。真実は本人しか知る由はないが、一応弁護として初めから大したことはないと思い込むのも緊張への一つの対抗策だと記しておこう。勿論この場合は逆効果だが。
ともかくカルキは開始時間の20分前に到着した訳だが、当然観客席はほとんど埋まり、参加者も自分以外は集まって既にクジを引いている。
ちなみにクジやジャンケンで順番を決めるのは公式ルールである。
「えっと、君がカルキ君であってるかな?」
ボンヤリとカルキが会場の入口に立っていると、専門の受付と思しき人が声を掛けてきた。
「あ、ああ。ハイソウデス」
受付の人はカルキの緊張した顔に若干心配そうな顔で反応した。それ程までにカルキはビクついていたのだろうか。カルキは自分がどんな顔をしているのか心配になった。
カルキにとっては全てが初めての事だ。カルキは受付の人に導かれるまま残った一本のクジを引き、紹介本を縁台右側の長テーブルに置かれた本立の一つに置いて、ギクシャクした足取りのまま縁台側から数えて3番目のパイプ椅子に腰掛けた。
目の前には幾人もの人がパイプ椅子に腰掛けていた。近所で朗らかな挨拶をしていそうな御老人。五六歳の子供を連れた若いポニーテールの母親。自分の左側に座っている黒髪ロングの女子高生を正面から睨む男性(多分黒髪ロングの人の父親)。Z図書館の広報に載せる為かカメラを構える青年(そんな申請書が事前にあったらしい。本人談)。
それらの織り成す一つの『観客』という生き物に、カルキはすっかり萎縮してしまった。カルキはこっそりと周囲を見渡し、自分の隣にいる黒髪ロングさんは勿論のこと、自分以外の出場者が結構平然としている事に驚いた。少なくとも見た目上では緊張している様に見えない。
(とんでもないイベントに参加してしまった)
カルキは興味本位で参加を決めた過去のお調子者を殴り飛ばしたい気分だった。
それでもカルキには、情けない姿を晒したままバトルで負ける訳にはいかなかった。何故なら、カルキには応援してくれる人が付いていたからだ。
カルキが会場を見渡すと、隅の隅の方に、こじんまりと椅子に腰掛ける姿があった。母親である。カルキはマザコンの類ではなかったが、家族が見に来ているとなると緊張でグダグダの発表をするのは大きな恥だった。
そしてその隣には、カルキの兄がいた。生意気な兄で、カルキより背が低いくせにカルキより真面目に人生を生きている。当然勝手に一方通行なライバル心を持つカルキは、兄を前にしてへこたれる訳にはいかない。精神力を極限まで振り絞り、カルキは必死に表面を取り繕った。
お陰でなんとか見た目は他の参加者同様に緊張していない感じになり、それを見計らったのではないだろうが、先程案内してくれた人とは別の職員が司会となり大会が始まった
「それでは第○回Z図書館高校生ビブリオバトルを始めまーす!」
パチパチパチパチパチパチ。
まばらな拍手が聞こえてきて、そこからカルキは気持ちを切り替えて集中に入った。自分の欠点、つまり練習不足を補うに足りるイメージを補完するために。
周囲の音が段々聞こえなくなる。自分の心臓の音に集中して、今までに何十回も読み返した本の内容をつぶさに思い返していく。
「――まずZ図書館長の△○氏からの挨拶です」
現実を流れていく川を散歩がてらに眺めるような気分で見つめつつ、何故その本を好きになったのか、ビブリオバトルで勝てると思ったのは何故かを考え、考えついた端から脳裏に焼き付けていく。
「今回紹介される本は次の5冊です。まず――」
その本にまつわるエピソードは何か。大衆がその本に抱く第一印象は何か。どんな人が特にこの本を気に入るか。
「――では、1番のコルク(仮名)さん、お願いします」
そこで一気に現実に引き戻された。
(危ない……もうお決まりのあいさつとか色々終わったのか)
そう、本人が一生懸命紹介する本の内容を思い出しているうちに、関係者のあいさつに今回紹介される本のざっとした説明、ビブリオバトルのルール説明等が終わっていたのである。ちなみに出場者のあいさつは名前呼ばれて頭下げるだけだが、カルキは自動操縦で行っていた。本人曰く「記憶飛んでた。証言は母と兄から取った」そうだ。
そう、カルキは生でビブリオバトルという物を知らないし、ここは経験者(かも知れない)他の出場者の様子を見ておく必要がある。カルキはそんな事を考えながら一番を引いたコルクの発表に見入った。
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