エピローグ★

 紅の髪の少女が一人、あるビルの屋上の端に腰掛けていた。気紛れな風がひょうと吹き、彼女の髪と、胸に光る銀色の花を揺らした。ここは見晴らしが良くて、誰も入って来れないからチームの皆が一人になりたい時によく来るのだった。紅恋くれんも、あれからチームに加わっていた。ひかりたちの仲間になったのだ。

 屋上を見つけたときも、みんなと一緒に教えてもらった。

 あの日から、三年が経っていた。紅恋は、ダイヤモンド・グローリーの一員として、過ごしている。勉強と、風を操る力を使いこなすコントロール、トラウマを乗り越えるためのリハビリテーション……あっけないくらい、日常だった。

 多くの仲間がいる状態、そして、セキュリティの行き届いた住居にいて誰かに襲われる不安もない。背も伸びたが、彼女の紅い髪はさらに長く伸び、行動の際に邪魔になってきたので少しだけ切ろうかと考えていた。

 青く高い空を見上げた。

 ふんわりと泡立てられたクリームのような白い雲が、少しだけ浮かんでいる。

 きれいだ。洸の髪の毛と同じ、青だ。彼女がこの空の下に立てば、同じ色が溶け合って、きっと凄く綺麗なはず。

(だけど、あたしの髪の毛はきっと、凄く目だってるんだろうな)

 紅恋はぼんやりとそう思った。満たされた生活の中で、どうしても足りないものがあった。

 黒衣こくいはまだ、帰って来ない。

 今度は少なくとも黙って行ってしまったのではないし、黒衣のお父さんがちゃんと帰すと言ってくれたから、前よりはいい。

 でも、こんなに長く離れていると、不安になる。

 もう二度と、彼は戻ってこないのではないか。自分のことは、いらなくなったのではないか。待つ意味なんて、もうとっくにないのでは―――――。

 目を伏せて、溜め息を吐いた。

(早く会いたい)

 その時、ふと、目線の先が暗く翳った。

 まさか。

「どうして溜め息なんか吐いてるんだ?」

 紅恋は驚きに目を見開き、振り向いた。声の主を見つけると、次の瞬間何も言わずに彼に抱きついた。

「待たせてごめん。大きくなってて、驚いたよ」

 別れた時と全く変わらない姿で、黒衣は優しく頭を撫でてくれた。懐かしかった。その手つきも、声音も、体温も、ひと時たりとも忘れられなかった。

「そうだよ……あたし、大きくなったの。背も伸びて、髪も伸びて」

 黒衣から体を離した。彼の目を見つめるためだった。

「ずっと待ってたんだから」

「ああ」

「辛かった」

「ああ」

「悲しかったよ」

「……ああ」

 紅恋は目の前の青年をきっと睨み付けた。

「ああ、ばっかり言わないで。もう。もっと、ちゃんとしてったら!」

 そう言うと、黒衣は驚いたような顔をした。

「随分、強くなったんだな」

「そ、そうだよ? 大丈夫だよ……だって、洸とリタが一緒だもん。二人とも、気が強いんだよ!」

 紅恋は笑った。目じりに滲んだ涙を懸命に堪えて。

 黒衣は、ポケットから小さな箱を取り出した。

「え、それ……」

「お詫びに。戻って来れたら、これだけは絶対に、君に渡そうと思っていたんだ」

 紅恋は箱を受け取って、大きく速く打つ心臓を押さえるように、ゆっくりとそれを開いた。

「紅恋が気に入ったみたいだったから、わざわざ同じ店に行ってきたんだ」

 箱の中には、紅恋の胸元に輝くペンダントと同じ銀色の花があった。少しだけ違うのは、花が小ぶりで、輝くリングについていると言う事。

 顔を上げて、彼を見た。

 愛しい人は柔らかな微笑みを浮かべていた。眩しいものでも見るように、目を細めていた。紅恋は、また黒衣に飛びついた。今までで一番の笑顔だった。

 自分の事も話したいし、黒衣の話も聞きたい。だけど、今は全て忘れていよう。

 彼がいる幸せを、少しの間、感じていよう。


 ねぇ、神様っているのかな?

 だったらあたし、お礼を言わないと。

 ありがとう。だってあたし、今凄く幸せだから。

 仲間がいて、一緒に笑える皆がいて、

 そしてなにより―――

 見上げると、偽りの無い優しい笑顔。

 大好きな、あなたがいる。

 広い青空、見上げて行こう。

 皆と一緒に、あなたと一緒に、あたしは行くの。


 もう絶対、放さないからね。


 紅恋は、黒衣が迎えに来たという意味を本能的に理解していた。とても穏やかな、安らいだ気持ちで受け入れることができた。いつまでも、どこまでも、何を失っても、自分はこの人についていく。この人と共に、あろう。

 つかの間の友人に心の中で呟いた。別れの言葉と、感謝の言葉を。

 わたしは、償いをするのだ。

 全身全霊をかけて、自分の罪を償う。

 黒衣の魔法が作り出した大きな深い闇色の渦が、空中に浮かんでいる。彼が手を差し伸べている。愛と、決意を胸に抱いて、紅恋は手を取った。固く抱き合った二人の体がゆっくりと穴の中に倒れ込んでいった。屋上を乗り越え、空中に生まれた穴に呑まれた二人、そして、最後に晴れ渡った青い空と吹き抜ける風だけが残った。

 


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

青い髪の少女-A blue heir girl- 紺乃遠也 @knoto8

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ