第11話 ヤマノテライブプリンセス
突然の停電。地下階の研究室は当然真っ暗になる。
私は携帯を見た。明るい光の中、一件の着信履歴が見える。
それは、今から10秒前の着信。
予備電源を探す男達を尻目に、私はコールバックした。
神宮美姫からの着信だった。
コールする。
……。
……。
……。
……。
コールする。
……。
……。
……。
……。
記憶が消されて、電話にも出られないのか。
……。
……。
……。
……。
いつでも辛辣な彼女の口ぶりがどこか懐かしく思えてきた。
涙が溢れる。止まらない。
手が震える。
足が泣く。
全身が身震いする。
……。
……。
……。
……。
神宮美姫はもう出ない。
私の知っている神宮美姫はもう消えてしまった。
抜け殻の神宮美姫が、監視カメラに溢れた部屋に残されているだけ。
……。
……。
……。
……。
『……あと10コールくらい待ってやろうと思ったけど、かわいそうだからこの辺で勘弁してあげる』
無愛想な声が電話口から聞こえた。
もうロクに話せないような鼻声で美姫に話し掛ける。
記憶は?
『あぁ、無事よ……。リセットは受け付けないように自分自身を書き換えてたみたいね』
電源が戻った。
停止したコンピュータが次々と再起動を始める中、真っ先に起動されたモニタは神宮美姫の笑顔を映している。
『お久しぶりです、杉下さんと大神さん』
彼女の名を呼び、二人はモニタの前に棒立ちしている。
『私の性格設定ありがとう杉下さん。娘さんのお体をくださってありがとう大神さん』
美姫は観客にすら見せたことのない笑顔で応える。
「リセットしたはずだ! どうしてお前がまだ生きているんだ!」
モニタに向けて指を突き出す大神教授。研究員は魂を失った人形のようにその場に固定されていた。
『自己保身の感情を植え付けたのがまずかったですね』
携帯を耳に当てながら、カメラを見て会話している。まるでテレビ電話のようだ。
『杉下さんが参考にした頃の優姫はとにかく自己保身が強かったんです。トップに居座ろうとする意志が、あなたたちの関与しないエリアで私自身を改良していたみたいですね』
『もう慰み者にされる事もありませんよ』と彼女は付け加えた。
教授が再起動した端末で彼女を操ろうとする。
『だからムダです。神宮美姫はようやく、親元を離れてデビューできるんですから』
教授のパソコンにまで美姫の笑顔が映った。研究所内のコンピュータは全て美姫にハッキングされている。
「地下のスーパーコンピュータの電源を落とせば良いだけだ! 杉下」
返事を濁らせ、地下階へ走る研究員。そんなことはどこ吹く風という具合に、笑ったままの美姫。
『桜井さん、私を大江戸芸能で雇ってくださいますか?』
部屋中に拡声する反響の声が、教授の表情をどんどん強ばらせていく。
「うちはお金よりも人情よ。それでも良いのかしら?」
『もちろんです』
男は小馬鹿にしたような表情を私たちに見せる。それ見たことか、と言いたげな。
「そんなに金が恋しいか! この技術がどれだけの金になるか!」
「美姫さんは人間です! お金儲けの道具なんかじゃありません」
八雲が前に出た。八雲は八雲で幾分積極的になっている。
「造られた人種のお前達が何を言う! アイドルなんて猫を被っているのは何のためだ!」
私がアイドルになったのは、アイドルへの憧れ。
幼心に胸をときめかせた銀幕のスターに、ステージでの立ち回り。
アイドルは夢を与える仕事だ。金を稼ぐために利用される職業じゃない!
「金の亡者はあんたよ! 美姫を利用して金を儲けようとしたあんた達!」
言っても分からないだろう。それでも言いたかった。美姫のために。
「美姫にはちゃんと人間としての心がある! それを騙して裏切ったあんた達は何も分かってない」
「神宮美姫は最初から廃棄予定の試験用だ。何が心だ、何が自我だ! そんなものプログラムした覚えは無い!」
貧相な研究員が戻ってきた。
『私の意識はネットの世界に流れていったわ。家庭用のパソコンもスペックが上がったし、少しくらいCPUを間借りしても怒られないわよ』
電気で動く脳だというのに、カメラの向こうの美姫はピンピンしている。
聞き慣れない言葉ばかりが私の目の前を掠めていった。
『ネットに繋がったコンピュータのちょっとした空き時間をいろんな所からまとめて分けて貰ってるのよ』
「自動で並列分散コンピューティングを行っていると言うのか」、驚愕する研究員。
『ついさっき全部分かった事で、私もにわかには信じられないんだけど』
美姫は自分の手のひらを見ながら話す。
『自分が機械だったとは思わなかったなぁ』
男性は地面に滑り落ちた。初老の男性は、モニタの美姫を見つめている。
「美姫は人間だよ、そうでしょう?」
画面に手を置き、美姫の顔に触れた。さらさらした液晶パネルの感触がある。
美姫は私の添えた手に自分の手を合わせる。
離れいても通じ合えた。
『あー……、そっちの様子まる見えなの。泣きすぎだよ優姫』
う、うるさい!
感動して損した!
*
「ついに最終日ね、二人とも」
やはり喉はカラカラ。緊張は隠しきれない。
全身が震えるし、目の焦点も定まらない。
「頑張ってねお姉ちゃん。美姫さんも」
仕事を休んでまで最終日の公演を手伝う、と八雲は付いてきた。
裏方経験はそれなりに豊富だから足手まといにはならなかったようだ。姉として一安心する。
「大丈夫。優姫がミスしなければ」
どういう意味よ。
私の隣に、よく似た衣装の少女が居る。
一度は私を蹴落とし、這い上がってきた私に手を差し伸べたアイドル。
……とは、彼女談。
「今でも思うんですけど、デビューツアーが山手線ライブなんて何かの当てつけですか桜井さん」
山手線沿線のライブハウスでのライブツアーを敢行しようと言い出したのは桜井さんだった。
まぁ、一番の宣伝素材になるだろうし。本人も良いって言ったんだけどね。
「いいじゃない、コンセントから充電できるようになって」
「そうですけど」
どことなく腑に落ちない様子の電脳アイドル。
舞台の奥に控えている細身の男が笑っている。
神宮美姫に対する研究は、人間社会に適応するための人工知能というテーマに変わったらしい。
彼女は生きながらえた。今ではあの暗い研究室の地下に居る。やはり居心地が良いらしい。
今でも彼女の正体は誰にも知られていない。
誰にも話すつもりは無いし、美姫がアンなんとかだろうと私は美姫が好きだ。
それだけは変わらない。
「優姫とのユニットは美姫が望んだんでしょう?」
「ちがっ! 優姫がどうしてもって言うから私は仕方なく……」
美姫は顔を赤くして否定する。
「私もお姉ちゃんとコラボしてみたいなぁ」
八雲が桜井さんを見上げる。おねだり。プチ嫉妬。
「そのうちドラマとかで共演できるわよ、そのうち」
「いつなんですかそれー」
桜井さんにしがみついた。まんざらではない、といった感じ。
さぁ。
この舞台はやはり響く。あの時とは違うイントロが流れている。
やはり奈落からの登場。ステージ上に焚かれたスモークが降りてくる。
行こう。
「て、手を繋いでステージに上がるってどう……?」
美姫の意志も確認せず、左手を握りしめた。
じんわりと手がしめっている。緊張しているらしい。
「せめて確認くらいしてよ。いつも急なんだから」
気持ちの切り替えの速さだけが取り柄だからね。
「優姫、あなたに会えて良かった」
バカ。そう言う台詞は好きな人が出来たときまで取っときなさい。
「……じゃあ今言って正解ね」
手を握り返してきた。
「桜井さん。ユニット名のYLPってどういう意味なんですか」
「ヤマノテ・ライブ・プリンセスの頭文字ね。アレな趣味の美姫と、ライブ好きの優姫で」
「じゃあ私とお姉ちゃんだと?」
「二人とも。楽しんできなさい」
話を遮られた八雲だった。彼女ともいずれ共演出来るだろう。
スタッフのカウントが入る。
暗い屋根のアリーナは、グラウンドから外野席までびっしりと観客で埋め尽くされていた。
流れる伴奏に乗って、息を吸う。
二人の歌姫の声が、夜のスタジアムに響き渡った。
ヤマノテライブプリンセス パラダイス農家 @paradice_nouka
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