第10話 イレギュラー

 研究施設の地下に、神宮美姫が居た。

「驚かせてすまない」

 初老の男性が美姫の後ろから出てきた。白衣を着た、いかにも博士らしい博士。

「神宮美姫と仲良くやってくれてるようで、生みの親としても嬉しいよ」

 「ありがとう」と博士っぽい人の隣の美姫が言う。

 何か違う。私の知っている美姫はこんなに素直じゃない。もっと不器用だ。

 ひょっとしたらここが美姫の本当の事務所?

「事務所だけど、目的が違うんだ。これを」

 部屋の奥にあるモニタを指さして男が言う。


 愕然とした。

 息を呑む。


 モニタに映っていたのは、様々な角度から録られた美姫の私生活風景。

 何かを握りしめてじっとしている。携帯かな。

 それにこれは……盗撮?

「少し悪ふざけが過ぎるようですが」

 桜井さんが私と八雲の前に立ち、男を睨みつけた。腰の低い男はそれだけで萎縮する。

「そう怒りなさんなお姉さん。これは神宮美姫の様子を監視するためのリアルタイムモニタ」

「リアルタイムって。ここに美姫ちゃんが居るじゃない」

 目の前の美姫は、じっと微笑んだままあらぬ方向を向いている。

 八雲がしがみついてきた。震えている。

「正確にはモニタリングされてる方が神宮美姫だ」

 モニタの中の美姫が携帯電話を耳に当てた。途端に私の携帯が鳴る。

 リアルタイムなのは本当だ。間違いない。

『……ちょっと聞きたいことがあるんだけど』

 モニタに映る口の動きと、電話口から聞こえる美姫の声がシンクロしている。

 部屋に居る美姫は間違いなくいつもの美姫だ。

 すかさず私も質問を返す。

「さ、先に質問していいかな」

『何よ』

 美姫が不機嫌そうに足をばたつかせている。

「あなた妹とか姉とか居たっけ?」

『居ないわよ。どうしたの』

「いや……。何でもない……」

 じゃあこのうり二つな女の子は一体。

『私さ、夢遊病の治療を本格的に受けようと思うんだけど、仕事空けるとしたらどれくらいまで大丈夫かしら? あんまり開けすぎると忘れられちゃいそうで不安なの』

 卓上カレンダーを持って電話している美姫が見えた。

 やっぱりコレは盗撮。

 電話が切れた。向こうも同じように切れたらしい。

 かけ直そうとしているが、美姫の動きが止まった。

「彼女の部屋の電波は遮断した。とりあえず話そう」

 初老の男性は厳かに話す。


「神宮美姫は人間じゃないんだ」


 何を言ってるのこのおじいさんは。

 人間じゃなかったら彼女は何だって言うの。

 少し不器用だけど血の通った人間に違いない。人間じゃないなんて信じられない。

「アンドロイドって言葉を知っているかな、お嬢さん」

 アンドロイド、何それ。美姫がそれだとでも言うの?

「そうだ。彼女は我々が造ったアイドル。アイドロイドとでも呼ぼうか」

 腰の低い眼鏡男が大量のファイルを机の上に置いた。

 その中でも一番薄いファイルを持って私の所に来る。

「神宮美姫は殆ど人間です。血も流れているし、ご飯だって食べられる」

 何度か食事に行ったのを覚えている。

 ほとんど会話をしないけれど、楽しかったからまた誘えと不器用に意志を伝えてきた。

「彼女には脳がない。正確には、彼女の脳はこの部屋の地下にある」

 男はまた私たちを連れ出した。先ほどとは違う専用エレベーターで下る。

 扉が開く。

 その先には、大きなブロックが所狭しと鎮座していた。


「この部屋、この階層のコンピュータ全てが神宮美姫の全思考と全記憶です」

 低い音が鳴り響くこの部屋は、碁盤の目のような通路によって区切られている。

 それぞれがチカチカと光り、大きな鉄の塊はよく見ると小さな塊で形成されていた。

「壊さないでくださいね。神宮美姫がバグっちゃいますから」

 男は茶目っ気たっぷりに言う。

 何故か腹立たしかった。

 なんでこんなバカげたことに付き合わないといけないのか。タチの悪いドッキリなのだろう?

 美姫もなんでこんな連中に協力なんかしているの。

「神宮美姫の意識はすべてこのコンピュータで計算されて送信されています。人工知能ってヤツです」

 突然降って湧いたそんな話を信じられるとでも思っているのか。

「にわかには信じられませんね、そんなヨタ話」

 男はニヤリと笑う。

 「それならば」と一台だけ置かれた普通のパソコンに手を伸ばした。

 この部屋にも美姫の様子をモニタリングしているテレビが置かれている。

「今から、神宮美姫の右手を挙げます」

 男が何やらコンピュータで操作すると、画面の中の美姫が右手を挙げた。

「首を回してみます」

 同じように首を回す。

「ラジオ体操、だいいち~」

 笑いながら端末を操作した結果は、画面に現れていた。

 美姫はあられもない姿でラジオ体操を踊り始めている。

「他にもいろいろできますけど……」

 手が動いていた。平手が研究員の顔面にクリーンヒット。眼鏡もろとも地面に落ちた。

 ドッキリだろうが何だろうが、美姫にそんなことをさせないで。

「事実なんですけどね」

 男は眼鏡を拾って這い上がる。コンピュータを弄って美姫の運動を止めさせた。

「この端末は、神宮美姫の制御系に直接アクセスして彼女を意のままに操れるのです」

 監視カメラに近づいて、笑顔で手を振る美姫が見える。

 本当にそうなのだとしたら、美姫とのやりとりやコレまでの全ては筒抜けだったって事?

「だからこそあなたをお呼びしたんです」

 男は上階層に戻るように促す。

「その件に関して、大神教授よりお話があります」


 階下の状況を見た私には、この後の展開が容易に想像できた。

 美姫は機械だった。体こそ生身だが、彼女の思考そのものは機械。


 それでも信じられない。それなりにでも心を通わせることが出来た人間が、人間ではないなんて。

「我々にとって、人工知能は偶然の発見だった」

 教授が、目の前に立ちっぱなしの神宮美姫を見つめながら言う。

「社会への応用を考えたとき、アイドルのような象徴的存在が最も適していると私は判断した」

 画面の中で雑誌を読んでいる神宮美姫に目がいく。

 感情の起伏も人並み以上で、人間くさい彼女が機械だとは思えない。

「そして造られたのが彼女、神宮美姫。脳死した私の娘の体を利用して彼女は活動している」

 教授は胸元からロケットを取り出した。幼い少女の写真が入れ込んである。

 見まがう事なき、神宮美姫だ。若い頃の彼女の姿がそこにある。

 こんな事って……。

「彼女の頭は空っぽだ。これだけは紛れもない事実」

 嘘だ、そんなの。

 信じられない。

 美姫が……そんな。

「冗談を言うためにわざわざここまで呼ばないよ、お嬢さん」

 もう何も分からない。

 私の周りはみんな機械かもしれない。私自身だって機械かもしれない。

 人間じゃないのかもしれない。

「落ち着きなさい優姫。あなたも私も八雲も人間よ」

「そ、そう……だと思いますよー」

 「その点は安心してください」と男が付け足した。

「美姫の性格付けは下川優姫、キミの性格を綺麗にトレースするように設計した」

 似たもの同士で、初めての友達だと思ったのに。そりゃ似てて当然じゃない。

「バッテリーの充電は、山手線三周時に発生する電磁誘導で補っている。夢遊病などバカバカしい」

 彼女は本気で自分の妙な病気、アレな趣味に悩んでいた。

 私に対しては怒りしか見せなかった美姫が、助けを求めるようになるほど深刻な問題だったにも拘わらず。

「シングルも初動分は1枚も作っていない。後はマスコミとネットの力で販促し、チャートの売り上げを誤魔化した。少々高く付いたが1位をプレゼントできたよ」

 チャートの買収は本当だった。

 美姫を持ち上げるような姑息な手段で彼女をその気にさせたと言うの。

「その通り。神宮美姫は自分が人工知能だとは気づいていない」

 後ろから強い一撃を食らわされたような衝撃を受けた。

「レッスンの記憶も幼少期の記憶も全て作り物の記憶だ」

 私に誇っていたあの2年間の下積みも嘘だと言うの?

「そう。彼女に社交性や人間関係は不要」

 美姫の携帯を思い出した。今では私がアドレスにあるが、それ以前は誰のアドレスも無かっただろう。

「我々が確かめたかったのは、アイドロイドが社会にどれだけの経済的影響を与えるか」

「へぇ、所詮売り物ってワケ。研究成果と売り上げの上前を跳ねて後は好きなようにって事かしら」

 桜井さんが噛み付く。等身大の神宮美姫にそっくりな何かの頭に手を置く。

 何の感情も示さない美姫人形はとうとう止まったまま動かなかった。

「失礼だが、君たちがやっている事も同じ事だ。資本主義の奴隷め」

 老齢のまぶたが釣り上がった。

「現在は生体パーツだが、将来的には完全な機械に思考を載せる事ができるだろう」

 再び動き出す美姫人形。この人形は完全に機械化したアイドルの体のようだ。

 動きもどこかぎこちない。

「今よりもっと楽に、大したレッスンも要らないし不祥事も起こさない。後は自動で稼いでくれる」

 「キミもマネージャーなら分かるだろう」と付け足し、押印された書類を差し出した。

「神宮美姫の移籍契約書だ。これにサインすれば、時代の最先端技術で荒稼ぎ出来るぞ」

 桜井さんは受け取った途端に破り捨てた。私を殴った時と同じ顔で、男二人を睨みつける。

「情に流されるような中途半端な拝金主義者に用はない」

 付け加えるように爺が言う。

「社交性の開発も行おうと思ったが……。まぁいい、神宮美姫の全記憶をリセットしてやり直そう」

 記憶をリセット? どういう事……。

「今度はお前というイレギュラー無しで、しっかりと実験を行いたいからだよ。下川優姫」

「神宮美姫の記憶を無くして、新しく作り替えるんです。今度は八雲ちゃんをモデルにしましょうか教授」

 「うむ」、教授は高笑いを一つ、端末を操作し始めた。美姫人形が静かに笑っている。

「やめなさい! 彼女にだって人権が」

「機械に人権など無い!」

「美姫ちゃんに手出しするなんて許しません!」

 美姫の記憶が消されるなんて、絶対にあってはいけないこと。

 あなたを殺してでも、美姫を守る。

 だって私は、美姫の友達だもの。


「消去だ!!」

 端末に灯がともり、黒字の背景にDELETEと白抜きの文字がくっきりと浮かび上がった。

 遅かった。

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