エピローグ

 ――二ヶ月後


 ユミが部屋を去った現実を和也は受け容れている。だが、やはり和也のユミへの想いは強く、ユミの面影を連想させる女性を見かけると、つい目で追いかけてしまう毎日を続けてしまっている。

 和也は土曜日の昼食を、自宅マンション向かいのコンビニエンスストアに買いに行った。シーズンが近いこともあって、町並みはクリスマス用の装飾でいっぱいだ。さすがに食事を作ることはまれだったが、栄養のバランスを考えた食事を、和也は摂るようにしている。

「まあ、こんなもんだろう」と、弁当、サラダ、惣菜と野菜ジュースを買い物かごに入れて、和也がレジに向かおうとしたところ、『新発売 激うまプリン』なるPOP広告が目に映った。

「ユミがいたら、大喜びしただろう」和也はプリンを買物かごに入れて、会計を済ませた。


 買物を済ませた和也が青信号を渡ったところ、左手に松葉杖をついた女性らしき人影が見えた。松葉杖の動作がぎこちない。杖に慣れていないのか、それともよほど状態が悪いのか。心配になった和也は一〇メートルほど小走りして、松葉杖の女性に駆け寄った。女性は、バッグを持ちながらの、松葉杖を使った歩行に苦労しているようだ。


「大丈夫ですか?」和也は声を掛ける。

「あ、すみません」緑色のコートに黄色っぽいマフラーを巻いたショートボブの女性が、振り向いたときに和也に電撃が走る。

 和也はまじまじと女性を凝視して、

「ユミ!?」と思わず口走ってしまった。髪型は違うものの、顔立ちはユミにそっくりじゃないか。

 女性は一瞬驚いたが、怪訝そうな表情で、

「は? 人違いではないでしょうか。私はあなたのことは存じ上げません」と、さらりと答える。残念ながらユミではなかった。再度和也が女性の顔を見ると、ユミに瓜二つな気もするし、だが微妙に違う気もする。元気で明るい口調の多かったユミと違って、女性はかなり丁寧でおしとやかな雰囲気だ。

「知人とあまりに似ていたので失礼しました。歩くのが大変そうなので、荷物を持ちましょう」人間違いを取り繕うように、和也が提案した。

「あら、そうですか。まだ松葉杖が慣れないだけで、すぐ近くですし。ご面倒でしょう?」女性が丁寧に答える。

「すぐ近くならば、なおさらお安い御用です」と、和也は手を差し出す。

 女性はすこし考え込むように首を傾げた末に、おずおずとトートバッグを差し出した。

「では……申し訳ありません。お言葉に甘えさせていただきますね」

 女性の声質はユミに似ているが、やはりユミと異なるお嬢様風の口調だ。ユミではないと分かっているが、そっくりな女性と仲良くなりたい。そう和也は願った。


 女性の荷物を持って、道すがら会話を重ねる。

「脚は怪我ですか?」

「ええ。事故でまだいささか不自由です……」

「早く回復するといいですね」

「はい……ありがとうございます……」

「……」

 女性との会話が続かなくなってしまい、和也は大いに焦った。だがうまい言葉が見つからず、さらに焦る和也。手の平の汗がじっとりするのを和也は感じた。


「もうこちらで結構です。すぐそこなんで。ありがとうございます」和也の願いは虚しく、女性はほがらかな笑顔で言って、和也から荷物を受け取るために、手を差し出した。

「はい。気をつけて……」和也はバッグを彼女に渡す。


 ――だめか。

 ユミの面影がある女性と、仲良くなりたかったが、無理なのだろうか。和也は諦めかけたが、

「俺は珍しいセキセイインコを飼っているんです。興味ありますか?」ダメで元々と、若い女性に声を掛ける。

「やだ、それ新手のナンパですか? あはははは」なぜだか女性はウケて笑っている。明るい笑い声はユミとそっくりじゃないか。

「ナンパではないですが、あなたと仲良くしたいな、と思ったんです。俺は坂口和也といいます」

「あはははは。それってナンパですよ? ナンパにはまったく興味ありません。でも……インコには、私も興味ありますよ?」女性は目をキラキラさせながら満面の笑顔だ。

「え!?」

 女性の予期せぬ好反応に、和也は声を失った。

「だってえ、ほらっ!」

 ユミそっくりの女性が、バッグの中身を和也に見せる。そこには小鳥の餌のパッケージがあった。


 ◇◇◇ 一〇年後


『――次はS学園』

 車内アナウンスが耳に入って、和也は、はっと目覚めた。久し振りにユミの夢を見た。随分前のわずかな期間だったけれど、和也はユミには感謝しても、し尽くせない。和也もユミとは、もう夢の中でしか会えないと分かっているので、次回みる夢を楽しみにするしかない。和也はユミと暮らした部屋にまだ住んでいる。ただ和也の名刺の肩書と扶養家族が増えた。扶養家族の妻との出会いも、ユミのおかげだ、と和也は信じている。頭脳明晰なユミと暮らしたわずかな期間で、和也の考え方が変わった面も多い。


 約一〇年前のユミとの悲しい別れの数カ月後、和也は妻と知り合った。妻は出会ったころから、容姿はさほど変わらない。若々しくて聡明で素敵な、和也が最も愛する女性だ。妻は三年前に、和也との間に長女を出産した。長女は母親に似て、美しく育つ可能性は充分。和也は、目に入れても痛くないほどの親馬鹿ぶりを、ときおり妻にも見せてしまう。寂しがり屋で甘えん坊の妻には呆れられるほどだ。


 妻は和也の九歳も年下で、才色兼備。病院経営をしている実家もかなり裕福。なので和也は、周囲にうらやまれることも多い。妻は交際当初から、変わらずに和也に深い愛情を注いでくれる。和也に惚れた理由を妻に訊ねても、『和也さんに熱心に口説かれて優しくしてくれたから』としか答えない。和也自身、妻が自分に惚れる理由が分からないので、ユミの加護によるのだろう、と考えている。


 和也の妻は、大学に入学した夏にった事故で負傷してしまった。和也が妻と知り合ったのは事故の負傷が癒えた頃だ。妻は事故のショックで以前の記憶を失ってしまっている。全生活史健忘けんぼうというらしい。

 だが、妻はハンディキャップに関わらず、父母をはじめとする家族の支援と、持ち前の頭脳を活かして勉学に励んで再び大学に入学し、卒業後に和也と結婚した。妻は和也と結婚後、周囲に受け容れられにくい児童を支援するNPO団体にも参加している。大学受験前に交際し始めた和也も、妻の一助になったと自負している。


 長女に手があまり掛からなくなった最近は、妻は趣味で小説も書いているようだ。和也が見せてくれとせがんでも、完結してからね、と拒まれてしまうので、和也は妻が書いている小説の内容は分からない。妻は小説コンテストに応募するつもりらしい。先ほど妻から、『執筆に集中しているので出迎えできないかもしれない』とのメッセージが送られてきた。いつもと変わらずメッセージの最後には、妻の名前とハートマークがついている。


 自宅最寄りのS学園駅に電車が着いたので、和也は傘と長女へのプレゼントを忘れずに下車する。妻へのお土産のプリンも購入した。あいにく雨模様の天気で、荷物もあるので、普段は徒歩で帰宅するのだが、タクシーを使おう。

 和也の前に数人のタクシー待ち客がいたが、時間が遅いため、スムーズに乗車していき、和也も数分でタクシーに乗車できた。

『桜田病院交差点まで』タクシーに乗れば、和也の愛妻と長女が待つ自宅へは五分程度だろう。


 和也が七階の自宅ドアを開けると、カレーの匂いが漂ってきた。和也も妻も好物で、妻は機嫌のいい時にカレーをよく作る。残念ながら妻の迎えはなかった。

 いつもなら『和也さん、お帰りなさいっ!』と満面の笑顔で妻は迎えてくれる。恒例行事がないので、和也は一抹の寂しさを感じるのだが、妻の好きに任せた方が、万事がうまくいくことは分かっている。


 ◇◇◇


 長女を寝かしつけた後の時間を有効に使い、小説の執筆がはかどったので、妻は満足していた。

 「やったあ」思わず妻が叫ぶ。

 残る推敲すいこうを終えれば完成だ。妻がデスクに向かって推敲を始めようとしたところ、ドアが開いて夫の和也が入ってきた。


「由美、ただいまっ」まったく帰宅に気づかなかったのは済まない、と妻は思う。だが、夫に明るく愛情表現をすれば、必ず機嫌が良くなるのは分かっている。

「和也さん、お帰りなさいっ!」

 妻は夫に抱きついてキスをした。やはり。夫は機嫌良さそうに顔をほころばせている。


「いい加減に読みたいんだけど……。ほほう。もふもふインコの恩返し? 童話かい?」

 PCを操作している妻の脇に夫が歩み寄ってきて、画面を覗き込んだ。

「見ちゃダメ! 恥ずかしいでしょおー?」

 妻は夫を押しやる動作ついでに抱きついて、今度は舌を絡ませた激しいキスをする。決して見せかけの愛情ではなく、自分でも不思議に思うが、交際してから何年経っても、一見平凡な夫に恋をしているといっていい。

 ヒナ鳥のように、最初に優しくしてくれた相手に懐いているのか。夫にも絶対教えないが、二回出会って恋をした、、、、、、、、、、効力だろうか。


(やっぱり二回の出会いと恋は大きいわよね……)

「ん? 由美、何か言った?」

 しまった。独り言のボリュームが大きすぎたようだ。

「カレーを一緒に食べようね、って言っただけ」

「楽しみだ。由美、愛してるよ」

「わーい! ありがとう。……私もよ」

 和也の愛情表現に、由美は赤く頬を染めて照れ笑いをした。


(了)

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僕とあの子の10日間 里見つばさ @AoyamaTsubasa

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