人生は二回だけ 第三話

 その部屋に踏み込むと、外観は中世の貴族の邸宅にみられるような豪華な造りになっていた。部屋の真ん中に大きなマホガニー製の机があって、向かい合って座れるように、部屋の奥側と入り口側の双方に椅子が備え付けられていた。壁には大きなポスターが貼られていた。そこには見たこともない言語で、十行ほどの文章が書かれていて、それについては、女性にはあえて尋ねてはみなかった。おそらく、そこにはこの審問の世界で生活していくための最低限の作法や規則が書かれているのだろうと推測した。ただ、その内容を知ったところで、この世界のことをまるで知らない私にとっては、マイナスにしかならないようだった。ただでさえ不慣れなこの世界で、この上、無駄口を叩くなとか、部屋に入るときには必ず敬礼をせよ、などと書かれていたらたまらないので、詳細を尋ねるのはやめて、ここは黙っていた。部屋の左隅には、大きな黒檀の本棚があって、そこにも様々な惑星から取り寄せてきたと思われる言語不明の蔵書が並べられていた。私はそれについても質問を避けておいた。どうもこの世界は主という特別な存在によって運営されていて、内部の詳細について、この女性に尋ねてみたところで、確かな返事は得られないように思えた。


「さあ、お座り下さいな」


 丁寧な口調でそう言われたので、落ち着いた気分で椅子にゆっくりと腰をかけた。それと同時に、机の上には大きな、そう、直径50㎝ほどもありそうな水晶玉が乗っているのを見つけた。そこにはこの館の外の景色が鮮明に映し出されていた。


「なるほど、この水晶を見て、私がこの世界を訪れたことを知られたわけですね」


「それがなくても、私に備わっている能力だけで、侵入者の存在を感じ取ることは出来るんですよ。ただ、この世界に訪問者があるのは数万年に一度のことですのでね、私以外の魂の来訪という出来事(イベント)を、この目でしっかりと確認しておきたいと思いまして」


 女性は半ば強がるようにそう述べた。無機質な魂といえども、自分の力を誇示したいという感情を、ある程度は持ち合わせているらしい。しかし、自分の仕事が来るまで数万年も我慢強く待つとは……。私のような純粋な地球人と比較すると、想像を絶する時間的感覚のズレである。


「少し、無駄なことに時間を使ってしまいましたかね」


 彼女は今度はそんなことを言い出した。


「私のようなちっぽけな存在から話を聞くという程度の簡単な任務で、あまりぐずついていると、創造主と呼ばれる輩から、警告のようなものが来るのですか?」


 先ほどの台詞の意図がつかめなかったので、そのように聞き返してみることにした。


「いえいえ、この世界で起こる現象については、すべて私に任せられておりますので、この世界の中であれば、どのような複雑な経過を経て、死後の魂と意志の疎通を果たそうとも、私の裁量に委ねられております。この審問には成功とか失敗とかいう概念はありませんのでね。ここへ訪れた魂の行動、つまり、この世界に降り立った瞬間からの行動のことですが、それはすべて後で書面にまとめられまして、主の元にお届けするようになっております」


 この女の説明的な話に今のところ興味はない。私は視線をせわしなく動かして、何度も部屋全体を見回した。右手の壁の側にある棚の上には金や銀をはじめ、色とりどりの宝石で造られた、きらびやかな印鑑がいくつも並べられていた。あれはいつ、どのような局面で使うのだろうか。テーブルの上には奇妙な浮き彫りのされた銀のカップが置かれていた。


「この部屋だけは、人間の世界と少しも違わないようです。なるほど、この場所で私を落ち着かせてから、人間界での話を聞こうというのですね」

私はこの立派な部屋の威厳に、少しも心を乱されていないということを伝えるためにそんなことを呟いてみた。


「すでに死後の存在である、あなたの現世での記憶がいまだに残されているのは、すべてこの世界での審問に、滞りなく答えられるようにとの配慮です。くれぐれもそれを忘れないようにして下さいね」


 女性は少し慌てているのか、私の質問には答えずにそう言った。だが、口調は穏やかなままだった。もっとも、この女性の形をした半透明の魂には、怒りや驚きといった人間らしい感情がインプットされているとは思えなかった。こちらがこれまで発してきた台詞に対する反応として、驚きや悲しみや好みや喜びや恥ずかしさといった、人間らしい感情を見せたことは一度もなかった。人間の言葉で言えば、まるで面白みのない反応しか出来ない魂だった。生前も死後でも同じだが、無口な存在とは意思の疎通を取りにくいものだ。


「先ほどの西欧の労働者のように、私の口もいずれ嘘をつくと?」


「そう思いたくはないですが、あなたも彼と同じ地球人ということで、仲間意識といいますか、まあ、あまり使い慣れていない言葉ですがね、そういうくだらない感情を持ち出されまして、『よし、どうせここは死後の世界なんだ。何をしても罪にはなるまい。自分もこの世界でいい加減なことをして管理者を困らせてやろう』などと思われてしまいますと、あなたの魂をせっかくここへ運んできて下さった主への冒とくにもなりますのでね」


「私は彼のように複雑な人間ではありませんよ。聞かれたことには何でも正直に答えます。他人をバカにしたり、けむに巻いたりはしません」


「それなら、いいのですが……。まあ、主も含めまして私どもは人間の心を読むことも出来ますから、あなたが説明のどこかで嘘を交えたとしましても、たちどころに分かるのです。なぜ、これほどまでに私が嘘を嫌うかと申しますと、時間のことなのです」


「この世界にも時間の概念があるのですか? 魂がここに滞在できる時間が決められているのですか?」


「いえ、いつまでいていただいても結構ですが、問題は記憶の細部についてなのです。主の配慮によって、あなたの記憶を人間の時のままにしてありますが、あなたの現生での肉体はすでに消え去っておりますから、記憶をそのままの状態で維持しておける期間にも、やはり限界がありまして、それほど長い時間は維持していられないのです。もう少し時間が経ちますと、今ははっきりと思い出せるあなたの記憶も、少しずつ失われていき、子供の頃に体験した本当に強烈な出来事や、あらゆるトラウマや、妻や恋人、父母の名前程度しか思い出せなくなるでしょう。さらに時間が経ちますと、あなたの記憶は完全に失われまして用なしとなり、魂そのものがこの世界から離脱していくことになります」


「記憶が消えてしまうと、おそらくは知性や感情も無くなってしまうでしょうから、それを良いことに、あなたたちがどんな残酷な行為に及んだとしても、それを止めることも非難することもできず、ただ、何の希望も受け入れられないまま、次の世界へと送られてしまうか、あるいは最悪の場合、約束は反古にされて、魂がこの世から抹消されてしまうのを待つだけ、かもしれませんね」


 それを聞いて女性は少し微笑んだように見えた。だが、目の前の女性の姿はどうやら幻影であり、幽霊やロボットと同じように表情を持たないはずなので、やはり、気のせいであったのだろう。


「そこまで悪い方向に考えなくても大丈夫ですよ。記憶が消えてしまった場合は、次の人生の記憶を差し替えで入れます。自動的に次の世界へと送られることになるでしょう。ただ、この世界で審問を受けるという、当初の目的がまったく果たせなくなってしまいますのでね。罰こそありませんが、なるべく、嘘は交えないで、ここからの問いかけには正直に答えていって下さいね」


「さっきまでは、自分がすでに死んでいるという現実が、とてもじゃないが受け入れられずに戸惑ってしまいましたが、ようやく、あきらめがついたようです。今では私も、前世のあらゆる所有物や記憶は、すっかり失う覚悟ができましたよ」


「そろそろ、魂の状態でいるという、現在の感覚にも慣れて頂けましたか?」


「ええ、もう大丈夫です。しかし、ここに実際に来てみると、不思議な感じがするものです。私は今、地球で過ごしていたときの人間の感情と、中間の世界で生きる凄然とした魂の心持ちという、二つの思考を兼ね備えているわけです。思えば、人間界にも死という概念がありましてね。人間たちは死ぬということを、ほぼ毎日のように(主に夜眠る直前ですがね)、頭に思い浮かべまして、いつか必ず来るであろうその現実に脅えながら暮らしているわけです。今日は身体の調子は良かったが、明日は心臓発作を起こして倒れるかもとか、道を歩いていて、運悪く衝突事故に巻き込まれるかもとか、ですね」


「それは、魂が、自分もいつか必ず消滅するということを心の奥底で認識していて、今の世界、まあ、あなたの言葉で言えば地球での日常ですか、そこになるべく長く留まっていたいと日々念じているということですか?」


「ええ、そうなんです。人間の心から死の影を消し去ることは絶対に出来ません。しかし、毎日死を思いながら暮らすというのも苦痛ですからね。普段はそれを忘れているように心がけています。何かことあるごとに自分の消滅の日のことを思い出して落胆していたら、仕事も遊びも面白くありません。そこで、人間界にはそれを和らげるための、様々な組織や制度があるんです。保険会社や宗教や立派なお別れ会といったものですけどね。いや、私はそれだって馬鹿馬鹿しいと思っていましたよ。だって、ちゃんと思い通りに身体が動くうちから、死を思ってたくさんの余計な奉仕をして、次の世界での栄光のことまで考えながら暮らすなんてね。コインを入れれば即座に回りだすメリーゴーランドとは違うんですよ。信憑性のないものにお金は使いません。


 目に見えない、あの世に存在する場所に対して、どれほどの労力や資金を投資したところで、自分に対して確実な成果が返ってくるかはわからないのに、目に見えないものにまで祈りを捧げるなんて私には出来ませんでしたね。中にはね、自分のお金、ああ、現世で生きたことのないあなたに言ってもわからないでしょうね。自分の人生の価値を定めるもっとも重要な基準(ファクター)、これを財産と言うのですが、これを寄進してまで、あの世での、つまり、この世界での栄光を勝ち取ろうなんていう考えの人までいまして、しかも、人間の世界ではそういう人の方が崇められる傾向にありました。私はそういう結果を伴わない無意味と思えるような抽象的な行為は、一切せずに、自然のままに人生を終えたつもりです」


 そこで一度言葉を止めて、あの世の人間に出会ったら聞いてみたかったことについて質問をすることにした。


「それで、実際はどうなんです? やはり、人間界にいた頃に善行を重ねていた人の方が、死後の世界では良い目に会えるんですか? それとも、善人や悪人に限らず、役割を終えたすべての魂は皆同じように扱われるのですか?」


「それは魂の価値についての質問ですか? あなたもこの中間の世界に来られて感じていらっしゃるように、魂には一切の差別はありません。ここは中間の世界などと呼ばれておりますが、長い時間を暮らしていけるような世界ではありませんでね。先ほど申し上げました通り、次の人生への単なる通過点でしかありません。損も得も、その両方の概念がありません。ここの管理者に以前の人生の感想を述べて、それが終われば、ただ、見送られるだけです」


 この中間世界に仕える女性は、まるで営業マンが視点を動かすことなく、マニュアルでも読み上げるように硬い口調でそう答えた。


「すると、やはり、英雄だろうが、貧民だろうが、善行者だろうが、不心得者だろうが、死んでしまえばみんな同じように扱われるということですね?」


「ええ、その通りです。そんなことは地上の世界でもとっくに周知のことだと思っていましたけどね。英雄というものが地上でどれだけ偉いのかは知りませんが、ここではどの魂もまるでちっぽけな存在なのです。少しの思考をしてこちらからの問いに応える以外は何の権限も持っておりませんからね。『生きていた頃には英雄だった、政治家だった』と偉ぶられても、暴れても、騒がれても、何の特権もお渡し出来ません。まるで道化です」


「なるほど、やはりここは無機質ですね。熱い感情や競争の入る余地がまるでない。実は、人間界では魂の世界に対する認識はまったくないんです。つまり、どういうことか、人間には死後の世界のことをまるで考えられないようにしてあるんですな。人間の思考が考えられる限界というのは、人が死ぬまで、つまり、坊さんや司祭が枕元まで来てくれて、ありがたいお経を唱え始めるまで、どの人間に対してもそこまでしか評価はされないのです。きっちりとした区切りがあるわけです。心臓が停止して、火葬されて肉体が灰になったら、かつての権限のすべてはお取り上げになります。あの世まで新聞記者に追いかけられた人はかつてありませんからね。ですから、人間どもは口を揃えて、『この世では善行を施さねばいけない。さもないと、あの世で報いを受ける』とか『あいつはろくでもない人間だ。あんなやつは死後の世界で地獄に落とされるに決まっている』などという脅し文句が横行していましてね。まあ、一種の貧乏人の負け惜しみにも取れるのですが、みんなで想像力を働かせて、この死後の世界というものを神格化していくことで、それを生とはまるで異なる抽象的な概念に変えて、自分の今が少しでも優位になるように使っておるわけです。誰も知らぬことをいいことに、死後についての自分の考えを分厚い本にまとめて大儲けを企む輩まで後を断ちませんでね」


女性は私の説明を聞いて機械的に二度ほど頷いた。


「そうでしたか。人間界に降りてしまいますと、魂の世界での記憶はまっさらに消えてしまいますのでね。そこで、失った記憶を取り戻すべく、人間である皆さんは様々な想像を働かせまして死後の世界をより良いものとして脳内に創りあげ、自分の肉体が間もなく消滅してしまうという、精神的な苦痛を少しでも和らげようとしていらっしゃるわけですね。ですが、先ほども申し上げました通り、魂というものは無数の世界の中に無数に存在しておりまして、その一つひとつが地上でどのような善行を施そうと、あるいは目も当てられぬような悪行を働こうと、それをいちいち主の方で称賛したり裁いたりとしておりますと、とても管理しきれませんのでね。


 あなたもその辺りはすでに理解されていると思いますが、ああ、無限という概念はいかんともしがたいものです。人間の方々は抽象的にその意味を理解しているだけでしょうが、我々天上界の存在にとっても、その壮大な意味をとても把握しきれないのですよ。ですから、ここを訪れる各々の魂が、それぞれ口を開かれて、『私は地上で何人を救った』あるいは、『残酷にも何人を殺してしまった』などと申されましても、ここでは星が一度瞬くたびに無数の魂が人間界に降り立ちまして、また、星が次に瞬く時には、同じほどの数の魂が人間界から戻って来られますのでね。そこには、一切の優劣の概念はありません。ここから見れば、行き過ぎていく魂たちは、みんなにこやかに笑っているようにも、また、さめざめと泣いているようにも見えます。様々な表情の魂が通り過ぎて行かれるわけですが、ここにおりまして、我々の目からその光景を見ますと、それらは絶え間無く降り注ぐ雪景色のようにも見えまして、それはもはや一つの抽象的な絵画のような景色です。ですから、この中間の世界では大多数の魂には存在意義を見出だすことは、もはや出来ません。魂の価値に優劣を付けたいのであれば、それは人間界の中だけでやって頂きたいものです」


「そう、その通りなんです。確かにこの中間の世界ではどの魂の価値も一緒なのです。強い者も弱い者もいない。みんな、死後は同じように卑屈な態度を取っていることでしょう。身体という強固な概念を失ったわけですからね。しかし、人の世界では生まれた境遇、才能、貧富などによって、生命の価値に大きな差があるのです。まかり間違えて、いったん、貧困や孤独の世界に生まれ落ちてしまいますと、そこからはい上がるのは至難の技です。人類の九割九分は貧民です。言い換えますと、ほぼすべての人間が貧困に生まれ、不運を背負い続けながら生きて、自分のものにした女のささやかなる微笑みの中に、ようやくちっぽけな幸せを見出だし、いや、いずれはそれにすら満足出来なくなり、貧困のままに苦労に苦労を繰り返して、やがては死ぬということが人類の歴史上では、まさに延々と繰り返されているのです。人間の歴史とは、まさに大多数による不運の歴史です」


「ふむ、それはあなたが生きていた地球という世界が、魂の価値という概念において、大きな差別があり理不尽に思えたというわけですね?」


 女性は私の説明が半ば納得出来ない(もちろん、理解できないのは当然だ。彼女は現世に生きたことがないのだから……)というように、そっけなくそう聞き返してきた。


「いえ、人間の世界はいつの時代も同じです。どの星で生まれようが、行われることは常に一緒です。つまり、搾取と殺戮。そして、力を持つ者による弱い者いじめ。そんな短絡的で情けない考え方(システム)が、何百年の時を経ても進化できずに続いているのです。成長がまるで見られないということです。時代を巡っても次々と必然的に起こる、富を巡る争いは、結局のところ、貧富の差を拡げていくだけです。生み出された魂は、互いに認め合うことをせず、互いの優位点や欠点を見つけては妬み合い、憎み合い、生命のある限り永遠に種族間での戦いを続けるでしょう。まあ、私もここまできちんとしたことを言えるようになったのは死んでからです。生きている間は支配者に操られるがまま、まったく筋違いの理由で他の国に生きる人間を妬んだり、恨んだりする凡庸な人間でした。


 しかし、死んでから気がついたのです。そうか、魂が地上を離れ、自分の存在が星の世界に紛れてしまえば、人間とはなんてちっぽけなものなんだ。一度死んでしまえば、元の純粋無垢な魂へと戻ってしまえば、英雄だろうが凡人だろうが皆同じだ。死を間際にして、大勢の人が自分のために流した涙も、どうせすぐ地面に染み込んで忘れられてしまう。どんなに悲惨な死も、時に流されて夜空に輝く水晶のような、一粒の涙に変わってしまう。ああ、私は土だ、砂だ、水だ、石だ、虹だ、涙だ、そして、ほんの一瞬の星の光だ」


 話しているうちに、思わず感慨にふけってしまった。そのうちに我に返り、一つのことを思い出して女性に話しかけた。


「そういえば、この屋敷の外に一匹の黒い猫がいましてね、何をする気もなさそうに、のんびりと歩いていたのですが、あれも一つの魂ですか。もしかすると、あなたが飼っているんですか?」


「猫……、猫というのは聞き慣れませんね。黒くて歩くと申しますと、四つ足で歩く生物のことですか? ああ、あれはロペッタといいまして、そうですか、地球にもあれに似たような生物がいるのですか。あれは魂ではなく、魂の型紙だけで動き回る存在なんです。存在するのは外観だけなのです。中身は入ってません。この世界においては、あれだけは私が想像したものですね。四本足で歩く生物を形式的にロペッタと呼んでいるんですが、あれはこの世界に新たな侵入者があったときに、その人をここまで案内する役目を担っているのです」


「ロペッタというのですか。四本足で歩いて、人の言葉を話さず、人間によくなつくのであれば猫とさして変わりませんね。地球では黒猫は魔性の存在なんです。人に呪いをかけてみたり、主人の不幸を他人になすりつけたりするのです。他の動物とは本質的に異なる特別な存在です。あなたの好みであのような色と形に創ったのですか?」


 もしかしたら、死後の世界にも、黒い猫から美的なセンスを感じ取る人がいるのかと思い、私はそう尋ねてみた。


「私は人間のような複雑な感情を持ちませんから、好みというものはありませんが、この世界の暗い色に馴染むように外観を仕上げてみました。もちろん、感情を持たせることも、言語を話すようにも出来るのですが、この世界は私一人の住家です。どんな印象的な出来事も私だけの感想しか得られません。私が動物と戯れようと、それを眺めるものがおりません。ですから、他の生物との意志の疎通は必要ないと考え、あのような状態にしてあります」


「では、あのロペッタというもの以外はすべて創造主が作ったのですか? この館も? 庭に飾られていた、たくさんのバラの花も? 空に光る星々も?」


「その通りです。ここは主が必要に応じて創られる、無数の箱庭のうちの一つです。この館も、その周りの風景のすべても主がデザインされました。もちろん、この私という存在も主が考えられて、お創りになられたものの一つですね」


「では、結局のところ、あなたは何者です?」


 私は身を乗り出して、唐突にそう尋ねてみた。ここまで来たからには、記憶のすべてを消されて次の世界に送り込まれる前に、せめて、この女性の正体だけでも突き止めたいと思った。


「私は主によって特別に選び出された魂から、直に事情を聞くために作成された模擬体です。ミミックとも呼ばれています。主は大変に忙しい方ですから、主の代わりに死後の人間の相手をするための存在と言った方が良いでしょうかね」


「では、あなたを創った、この世界の主人にあたる人物はいったい何者ですか? 彼はいつどのように生まれて、どこに住んでいて、どうやって一人で成長して、その無数の世界とやらを創ろうとまで考えたのですか?」


 こんな無作法な質問をしても、女性の顔は怒りや憎しみで赤くなったりしないし、目を尖らせたりしないし、感情を乱すようなところもなかった。彼女はどんな質問にも表情や声色も変えずに、淡々と答えてくれた。


「あなたも主によって創りだされた一つの魂に過ぎないのに、どうして、それほど主の正体や主のなさることに興味を持たれるのかはわかりませんが、我々一介の魂には、主がどのような生命体なのかを推測できるような知性は備わっておりません。それは地上に住む人間たちも、この世界にすむ魂も同じことです。私にそのような質問を投げられても、何もお答えはできません」


 私はその言葉を素直には信じなかった。私のようなちっぽけな魂に死後の世界の真実を簡単に語るわけはないし、この女が嘘をついていて、主人から自分のことを尋ねられたらそのように答えろと教え込まれているのかもしれなかった。


「しかし、あなたは少なくとも地球や他の天体に生きる生物よりは、その主という人物に近いところにいるはずですよ。何しろ、我々地球の生物は生きる目的も与えられないまま、『さあ、これからは独りでがんばって生きろ』とハッパをかけられまして、地上に放り出され、自分で生きる意味を探し、自分の使命を探し、居場所を探し、結局のところ、それがわからないままに生き絶えてしまう者さえ多数にのぼることでしょう。それでも、そんな不幸な生物が同じ場所に蟻のように、塵のようにいる中で、人間たちは競争を重ねて懸命に人生を送っているのですよ。


 ところが、あなたには一応の使命が備わっている。ここを訪れる魂から現生においての事情を聞くという使命がね。いわば我々より後の世界を統べる魂です。生まれてからずっと独りで生きているというのも特異なことです。それは、私とあなたが同列ではなく、あなたが主により近い場所に生きていることの証明ではないですか?」


「いえ、それはあなたの思い違いです。私とあなたは生きている場所や役割こそ違いますけれど、元々の型紙は同じです。私もあなたも主の意志によって同じように生まれたのです。それぞれの魂には存在する理由があります。あなたにも主から授けられた目的があったはずです。生きている間にそれを果たせたかどうかは分かりませんけどね」


 このような特別な権限を与えられた魂と、凡庸な人間であった私のような存在が、同列だとはとても思えなかった。ここでようやく気づいたのだが、彼女の話が脳の中心にたどり着くまでに時間がかかるようで、人間界にいた時よりも他人の話を理解するのにかなりの時間がかかるようだ。

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