雨と男

 確かに今日の降水確率は高かった。

 だから俺はビニール傘を持って家を出た。

 先週借りたDVDを返却しなくてはならないからだ。


 なのに。


 DVDを返却し、さらに旧作をいくつか借りて店を出ると、俺の傘は忽然と姿を消していた。


 目印を付けていたわけでもないし、名前を書いていたわけでもなかったから、まぁ盗られたんだろう。


 人の物を盗ってはいけない、というのは物心ついた時から親に叩き込まれていたし、大抵の良い大人ってのはそういう倫理観ってやつを持って然るべきだと思うのだが、雨というシチュエーションとビニール傘の組み合わせというのはそれを崩壊させるほどの力があるらしい。

 そんなわけで俺はもう何度も、見ず知らずの他人に身銭を切ったその傘を無条件で献上するという事態に陥っているのである。


 かといってまさか同じことをするわけにもいかない。

 俺は仕方なくレンタルDVDの袋を鞄の中に入れ、家までの道を濡れながら歩くことにした。


 アパートまであと200mというところで、シャッターのおりている個人商店の軒下に、女の人が立っているのが見えた。


 おぉ、あそこ雨宿りにちょうど良いじゃん。


 そうは思ったものの、先客がいるのだ。

 これが例えば若くてきれいなお姉さんだったりしたら積極的に声をかけるなり、会話を膨らませて電話番号を交換するなり、意気投合しちゃったりしたらこの映画一緒に見ませんかなんて言ってウチに連れ込むんだけどなぁ。


 いまどき白いワンピースに黒髪ロングなんて、ホラー映画でしか見たことねぇんだけど、俺。

 髪もさ、長けりゃ良いってもんじゃないと思うっていうか、そういうのこそ手入れが大事なんじゃねぇの、って感じに野暮ったいわけ。湿気で膨らんでてさ、艶もなくて。まじホラー。

 それでも顔が可愛けりゃ、なんて思ったけど、げげっ、ブスじゃんか。うーんでもあれくらいなら、化粧で化ける、か? いや、きびしーなぁ。


「濡れませんか」


 なっ、何? 話しかけてきたんだけど! ホラー女!


「け、結構濡れてます」


 やべぇ、じろじろ見過ぎたかな。


「こちらに来ませんか」


 ホラー女はそう言いながら自分の隣を指差した。まぁ確かにもう3、4人は入れそうなスペースはあるけどさ。


 どうしようかと一瞬悩んだが、雨足がふいに強まり、俺は仕方なくそこへと入った。


 ホラー女はそれから一言もしゃべらなかった。


 う、わ――……、よく見たらこのワンピースめっちゃレースじゃん。一昔前? 100年前のトレンド? いやでも、これがあのコンビニの今野さんだったら可愛いんだろうな。やっぱ顔って大事だわ。


 あーあー、後から来て何だけど、この人どっか行かねぇかなぁ。こんなどんよりした雨の日にホラー女と2人きりとかまじやべーじゃん。


 ――ん?


 ていうか、あの鞄に引っ掛けてんのって傘じゃね?

 何でこの女傘持ってんのに差さねぇの? 壊れてんのかな。

 とりあえずちょっと聞いてみるかな。


「あの、その傘、壊れちゃったんですか?」

「いえ、壊れたわけではないんです」


 何だよ、やっぱり壊れてねぇんじゃん!

 とっととその傘差してどっか行けよ!


「じゃあどうしてここに――」


 そこで俺は気が付いた。そういやここで待ち合わせする人が多いんだっけ。


 なぁんだ、人を待ってんのか。


「いえ、別に待ち合わせというわけでもないんですけど、わたしここで雨を眺めるのが好きで」


 ――は?

 待ち合わせでもねぇの?


 何か怖いよアンタ!

 あのね、そういうのはそれこそしっとりした映画とか小説の中でやるから様になるんであって、リアルでそういうことすんの、結構痛いと思うけど? ましてやアンタ、完全に見た目がホラーだから!


 まぁでもその雰囲気にひたってるんだろうし、俺がとやかく言うことでもないしな。ただ、俺はそんな趣味は持ち合わせてねぇから一刻も早くここを立ち去りたい。


「成る程。あの、もしよろしければ、なんですが」


 俺は一か八かで言ってみた。


「実は友人の家がここから近くて、あの、そこで傘を借りて戻って来ますから、ちょっとの間、その傘を貸してくれませんか」


 もちろん嘘だ。俺の友人はこの辺りに住んではいない。


「良いですよ。近いんですか?」

「はい。あの郵便局の裏なんです」


 わざと逆方向にある郵便局を指差す。確かあの辺りには学生向けのアパートがたくさんあったはずだ。


「あぁ、あの辺りって学生さん向けの賃貸物件たくさんありますもんね」

「そうなんです」


 やましい気持ちがあるからか、声が震える。きっとバレない。そう思っていても。


「では、どうぞ」 

「ありがとうございます。助かります」


 よっしゃ! ミッション・コンプリート!

 

 さーって、こんな陰気くせぇところはとっととおさらばおさらば――……って、ええええぇっ???!!!!


 手! 手ェ捕まれたぁっ!! バレた?! パクるつもり満々ってバレたぁっ??!!


「わたし、菅原牧子と言います。傘、急がなくても良いですから。そこの――郵便受けのところに立て掛けてもらえれば」

「郵便受けに?」

「はい、この2階に住んでいるんです」

「あぁ、そうなんですね。わかりました」


 ――こっわ! 何で?!

 何で自分ちの軒下で雨眺めてんの?

 窓から見りゃ良いじゃん! 怖い! 何この人!


 もーまじ怖ぇわ。

 何なのまじで。


「俺、佐藤ユウキと言います。では、その郵便受けに」


 もちろん偽名だ。

 おかしな呪いかけられないようにとりあえず愛想笑いだけはしとかないとな。


 その後、俺は隣人とちょっとしたトラブルを起こし、引っ越しを余儀なくされたのだが、それからも大なり小なりの良くないことは続いた。

 絶対あの女の、あの傘のせいだ。捨てる前にお祓いしてもらえば良かった。



 雨が降ると、あの白いレースのワンピースを思い出す。


 あの傘を返さなかったことが悔やまれる。

 

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雨の日の2人 宇部 松清 @NiKaNa_DaDa

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