雨の日の2人

宇部 松清

雨と女

 わたしと彼の間に雨があって、それはずっとしとしとと降っていた。

 厚いカーテンのようでもあり、薄い膜のようでもあった。


「濡れませんか」


 とわたしが聞くと、


「結構濡れてます」


 と彼が言うので、


「こちらに来ませんか」


 とわたしの隣を指差した。


 シャッターがおりっぱなしの、とっくの昔につぶれた個人商店の屋根の下は恰好の雨宿り場所なのである。


 飲み物の自動販売機や、定期的に中身の変わるガチャガチャは、近隣住民の強い希望でそのままになっている。だってこの辺りにはコンビニがないから。


 あちこちが錆びているそのシャッターの前に並んで立ったわたし達は、ただひたすら前を向いていた。少しでも身体を横に向ければ肩が濡れてしまうからだ。

 この菅原商店は軒先に品物を並べるような店ではなかったので、屋根とはいっても、ほんの飾り程度、軽い日除け程度のものなのである。それも本当は『オーニング』なんていうらしいんだけれども、そんなハイカラな名前を知っているような人はこの辺りにはいなかった。わたしも含めて。


 だからここはあくまでも『菅原商店の屋根の下』という名前がついていて、雨の日には雨宿りスポット、晴れの日には待ち合わせ場所となる。

 他にも郵便局や学校などわかりやすい建物があるにも関わらず、ここが待ち合わせ場所に指定されやすいのは、先にもいった日除けが出来る屋根があるということと、安めに設定されている自販機が設置されていること、そして、いまはとても座れた状態じゃないが、ベンチが置いてあるからである。

 

 どんよりとした空からは絶え間なく雨が落ちて来ていた。

 決して強くもなく、一粒一粒もそう大きくはない。けれども、次から次へと一定のリズムを保って、雨は降り続いていた。


「あの、その傘……」


 ぽつりと、彼が言った。


 傘。


 この状況下において、最も必要なものである。


「壊れちゃったんですか?」


 首だけを動かしてちらりと彼の方を見る。彼はわたしのショルダーバッグに引っ掛けているビニール傘を指差していた。


「いえ、壊れたわけではないんです」

「じゃあどうしてここに――」


 そう言ってから彼はここが待ち合わせスポットであることを思い出したのだろう、「ああ」と小さく呟いてから頷いた。


「いえ、別に待ち合わせというわけでもないんですけど、わたしここで雨を眺めるのが好きで」

「成る程。あの、もしよろしければ、なんですが」


 彼は眉をしかめ、ものすごく困ったような顔をして、上目遣いにわたしを見た。


「実は友人の家がここから近くて、あの、そこで傘を借りて戻って来ますから、ちょっとの間、その傘を貸してくれませんか」


 おずおず、恐る恐る、といった感じで、彼は言った。

 肩を竦めるその様が何だか少し可愛らしくて、わたしは自然と笑みがこぼれてしまう。


「良いですよ。近いんですか?」

「はい。あの郵便局の裏なんです」

「あぁ、あの辺りって学生さん向けの賃貸物件たくさんありますもんね」


 勝手に学生と断定してそう言うと、彼は何だか照れくさそうにはにかんだ。


「そうなんです」

「では、どうぞ」

「ありがとうございます。助かります」


 では、と彼が傘を開こうとした時、わたしは自分でもほとんど無意識にその手に触れていた。彼の身体がぴくりと震えた。


「わたし、菅原牧子と言います。傘、急がなくても良いですから。そこの――郵便受けのところに立て掛けてもらえれば」

「郵便受けに?」

「はい、この2階に住んでいるんです」

「あぁ、そうなんですね。わかりました」


 彼は少しホッとした顔をした。こんな雨の日にわざわざ傘を返すためだけに行ったり来たりするのはやはり面倒なのだろう。


「俺、佐藤ユウキと言います。では、その郵便受けに」


 そう言って、彼は爽やかな笑顔を返してくれた。




 雨が降ると、彼のあの少しはにかんだような笑顔を思い出す。

 

 まだその傘は返って来ていない。

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