五章
戦いの道・後方
「セリスよ……。その者は中央への道に迷い込んだ。止めようとしたが、かえって驚かせてしまった。このままでは、金剛門のある中央の間までたどり着いてしまうかも知れぬ」
氷竜達の言葉に、セリスは苦笑した。
「私がはじめて訪れた時は、そこまで至るのにかなり時間を要したものなのに……。皮肉なことだな」
***
セリス・二十三歳の冬、エーデムリングの迷宮をさまよう。
すでに十二歳の頃、この迷宮に足を踏み入れていた。角もなく、正気も保たず、めくら滅法に逃げまくっていた。
何から? 自分の犯した罪の重さ、恐ろしさから……。
しかし、あの時、自分を生かしてくれたのはこの迷宮だった。
――選ばれていない者であり、属していない者であるならば、私はあの時死んだはず。
それが、セリスの一つの確信だった。
だが、金剛門を開けることができるかは別問題だ。そして……本当にたどりつけるのか?
かなり長い時間歩き、セリスはさすがに一休みした。不安がよぎる。母の血が不安を運んでくる。
「氷竜達よ、私を金剛門へと導きたまえ……」
呪文のようなセリスのつぶやきが聞こえたのか、どこからともなく唸り声が響く。
セリスはその声に導かれるようにして先を進んだ。
一頭の竜が、中央間の入り口に立ちふさがった。
「セリスよ。私を覚えているか?」
銀色の竜は、青い氷のような目をセリスに向けた。凍る息に、セリスは記憶が蘇った。
「銀竜よ……。かつて私を救い、私の運命を定めた者」
銀竜はいなないた。どうやら笑っているらしい。
「そなたの迷宮は、そなたが選んで歩んだ道。私が定めたわけではない」
確かにそうともいえる。
だが、運命がそう歩ませたともいえる。
あの日……あの夜以来、セリスは自分であることを捨てて生きてきた。
「私をそのまま死なせてくだされば……」
「それでは、私の友人・私にすべてを託した者に、申しわけがたたぬわ」
「友人?」
銀竜は冷たい息を吐いた。
「そなたの父・アル・セルディンのこと」
「父ゆえに……私を助けたのか?」
セリスは衝撃を受けた。
――父が……私を助けたのか? あの時……。
「おまえは黒曜門を抜けて逃げなさい」
父は道を示してくれた。
そして……。
「そなたは心が弱い。鈍感である。血もよどんでいる。父の足元にも及ばぬものを……」
竜の言葉に、セリスはぐっとこらえた。一番つかれたくないところだった。
父と比較されるのは、自分を否定されるのにひとしかった。
「だが、そなたはエーデムリングに属している者。父がとくにすぐれていただけのこと。単純なワナに引っかかるようなことがなければ、あのような死は……」
「そのことは言うな!」
セリスは蒼白になって怒鳴った。息が上がっていた。
銀竜は、面白そうにセリスを見つめる。
「そなたは金剛門を抜けることができよう……。ただし、金剛門をのぞけたなら」
すべての過去を見せるという金剛門。
あの時の……あの瞬間を、もう一度越えて行けとというのか?
セリスは戦慄した。
まだ息も凍る寒い中、フロルは毎日白亜門の前に立っていた。時間が許す限り……。
まだ優しかった頃の兄の姿が目に浮かぶ……。
『フロルは大きくなったらお嫁さんになってくれるんだね?』
フロルは何度もうなずいた。本当に兄を尊敬していたし、大好きだった。
でも……。
大きくなって、いろいろなことを知るようになると、兄が結婚したがっているのは、フロル自身ではないと気がついた。
――私じゃなくて、私の中に流れている血。
それからそれから、まるで幕が落ちるかのように、兄のすることなすこと、裏が見えてしまうようになった。
それがフロルをどれだけ傷つけたのか、おそらくセリスには想像もつかない。エーデムのために、自分も自分の愛する者さえも犠牲にしてしまう男なのだ。
「兄様なんか、大嫌い!」
そうつぶやきながらも、フロルはこの場所を離れられない。
エレナはセリスがいなくなっても、いつでもセリスが帰ってきてもいいように、掃除をし、花を飾る。もっとも、この時期いい花などない。砦下の花屋から、自分の小遣いで小さな花一輪……これが限界。
――今日もお戻りにならない。
この花も、セリス様に見てもらえぬうちに枯れてしまう。
エレナは小さく溜息をついた。
その時だった。
何やら下のほうが騒がしい。
――何事? 誰かが怒鳴っている。フロル様?
「どけて、どけて! そんなことはあと! 今は、早く、早く兄様を!」
――まさか? セリス様が?
エレナは喜びいさんでドアを開けた。だが、その顔はすぐにひきつった。
セリスの意識はなく、衛兵が三人がかりで運びこんだ。
力なくたれた腕は、まるで死人のようで、エレナは声を飲みこんだ。
「まったく、兄様。まさか一ヶ月、断食したんじゃないでしょう?」
フロルが怒りを込めて怒鳴る。でも、その目には涙が潤んでいる。
いったい、どこへ行っていたものか……悲しいくらいにやつれている。
「あぁ……エレナ、あなたがいてくれて助かったわ。何か食べるもの……ただし、形が残らないくらい柔らかく……」
エレナはフロルの言葉に、うんうんうなずきながら、泣きながら食事を作った。
セリスは意識を取り戻しても、朦朧と夢の中をさ迷っているようだった。
『本当に……今までありがとう。お休み……』
あの夜、セリスがエレナにかけた最後の言葉。
エレナはどうしても気になって、翌日、フロルに相談した。それが……こんなことだったとは……。
エレナは、眠っているセリスの手を握り締めた。
「手に……触れないで……」
――え?
一瞬聞き間違えたのかと思い、エレナは手をはなさなかった。
「手に……触れないでください。私の手は……汚れています」
エレナは手を放しかけた。セリスはいやがっている――そう思ったからだ。
だが……。
触れないでという言葉と裏腹に、指先は何かすがるものを求めて震えている。
「私の手は……血に染まっている……」
「何をおっしゃるのです? セリス様」
その言葉にぞっとしながらも、エレナは、手を再び強く握り締めた。
「セリス様、手は汚れてなどいません。エレナは放しません」
セリスは回復した。
それを聞いて、ブレイン達がかわるがわる見舞いに来た。
民人たちにも、希望が見て取れた。セリスがエーデムリングに行って帰ってきたことが、噂で砦中に広がっていたのである。
「これで、新しいエーデム王が誕生するわけですな!」
セリスを平民の血の分際とバカにしていたブレインまでも、大口を開けて笑っているのを、セリスは無言で見つめていた。
セリスの顔に笑顔がないことを、エレナは気になっていた。
瑠璃門が見える広場で、砦の人たち、エーデム村の人たちを集め、セリスが演説をする。
何でもエーデムリングの中で見てきたことを、国民に知らしめるためという。いよいよ、エーデムにも王が戻ってくるのだ。人々は、喜びいさんで集合した。
演台に昇ったセリスは、一瞬よろめいた。まだ、体調が充分ではない。顔もやつれて見る影もない。
それでも澄んだ眼差しと、優雅な立ち振る舞いが、人々の目を引きつけた。
人々はセリスの言葉を、今か今かと待ちわびた。
「私は、エーデムリングの迷宮を進み、金剛門まで達した」
人々は歓喜の声を上げた。これで、エーデムは復活する。誰もがそう思った。
「私は金剛門を開け、その先に進もうとした……。しかし、その力はなかった」
人々の歓喜の声は、トーンダウンし、ブレイン達は顔をみつめあった。
「私にエーデムリングを解放する力はなく、王たる資格もない」
人々は絶望に浸り、声を発する者はいなかった。が、ホルビンが突然叫んだ。
「エーデムリングに行って戻ってきた! それさえもできなかった王はいた。セリス様! あなたは王だ!」
その声につられて、一部の民も叫びはじめた。その声はざわざわと広がった。
「待て! 私は王ではない。王たる者は、すでにいる!」
人々は再び静まる。
「私は、エーデムリングの中で、唯一この世界に属する方が存在することに気がついた。それは……」
そのようなお方がどこにいる? みんなは顔を見まわした。
ブレイン達の中に、そんな力があるものがいるのか? それとも……?
「その方は、まだ自分が誰なのかも判断できず、遠き地にいる。だが、やがてこのガラルに至り、エーデムリングの力を解放し、我らをエーデムの故郷の地へと導くだろう!」
セリスの言葉に人々は注目した。
だが、その方とは? 摂政の作り話ではなかろうか……?
セリスには人々の不安は承知の上だった。その方の名をより効果的に使うために……。
「その方は、大いなる力を持つ。その方の父は、偉大なる王。その方の名は……エーデム王・ファウルの息子・セラファン・エーデムなり!」
人々は一瞬静寂し、再びどよめいた。
近年まれに見る結界の力で、エーデムを守り続けた王・ファウルの息子! さらに王族同士の間に生まれた純血の王族! セラファン様が生きている!
「私はセラファン様を迎えるまで、エーデムリングを垣間見た摂政として、我が民を導く。セラファン様がこの地に至るまでの道のりは長く、我々がしておかねばならないことは山済みである」
セラファン様、セラファン様……。
人々が呪文のようにその名をつぶやいている。
このタイミングを、セリスは見計らっていた。
「我々は、セラファン様のため、ガラルに攻めこもうとしているウーレンを叩く! 彼の者たちが、ガラルを脅かす限り、セラファン様はここにはたどり着けぬ!」
セリスの声は、痩せ衰えた体のどこから出てくるのかわからないほど、ガラルの地に響き渡った。
「武器をとれ! セラファン王子の名のもとに!」
セラファンの名のもと、エーデムの民の希望は繋がった。
この春、ウーレンが攻めてきた時、この団結がものをいうだろう。
セリスはやっと微笑んだ。
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