戦いの道・中央
春が来た……。エレナは花を摘む。
どうにか冬を乗り越えたものの、寝たきりになってしまったフィラ様のため。そしてもう一人、まるで戦いにとりつかれたかのような、摂政・セリス様のため。
エーデムの民は髪を結ばない。もともと角を持つエーデム族に髪を結うのはきつい事であり、角の感度を下げるとまで言われている。
しかし、セリスは弓を射るときに邪魔になるといって、髪の中断あたりを紐で結わえた。
エーデムらしからぬいでたちである。
フロルはその姿を苦々しく見つめる。エレナも悲しく思う。
あの夜、母に突き刺さった矢を震えながら引き抜いてくれた人は、戦闘で弓を引き、ウーレンの民を射殺すのだ。
ムンクの情報によると、シーアラント皇子率いるウーレン軍は、ガラル渓谷手前の草原に大々的にテントをはり、集結している。
結界を小隊で突つき、破っては渓谷を越えて、砦手前の荒地に再集合する計画らしい。
いずれにしても、大軍団が集結できるほど荒地は広くなく、まとまっては攻撃できない。ガラルが難攻不落といわれる所以だ。
しかし、ガラルまで軍隊を入れるつもりはない。だが、今回は結界のみに頼るつもりもない。ウーレンの大軍を渓谷におびきよせ、弓矢を用いて高所から攻撃する。
うまく結界を使えば、大軍を分断し壊滅することができる。力のみで攻撃してくるカラッポ頭のシーアラントのこと、この作戦はうまくいく。セリスはほくそえんだ。
「フィラ様に……あの、お会いにならずに行くのですか?」
セリスの身支度を整えながら、エレナはつい口にしてしまった。
差し出がましいとは思いながら、フィラの最近の状態からして、このまま戦場に赴けば、セリスはきっと 母とは二度とあえないだろう……そうエレナは思った。
フロルは、例の一件から、フィラがどんなに危険な状態になっても、兄に伝えるつもりはないようだ。セリスがフィラの状態を知らない可能性は高い。
「……差し出がましいな……」
エレナの言葉に、セリスは冷たい一言で答えた。
「申し訳ございません……」
蚊の泣くような震える声で、エレナは無礼を詫びた。
――私としたことがなんということを……。
セリス様はそうしたくても、そうできないお方なのだ。
それを私のような、平民ごときが進言するなんて……。
エレナは苦い思いに口篭もった。
砦を出発する時間となった。ウーレン軍よりも先に、目的の場所に着かなければならない。
しかし、いざ砦を出ようとした時に、セリスはうつむいた。
「……」
出発の号令がかけられない。セリスの喉は干からびていた。
「しばし、待て! 私に時間を……」
セリスはそういうと、兵士たちに頭を下げた。ざわつく者もいたが、大概のものはそのもの達を静め、座り込んでくつろいだ。
皆、摂政がどこへ行ったのか、よく知っていた。
春、のどかなエーデム村。フロルの家の前には、たくさんの花が咲き乱れている。セリスはイズーの中庭を思い出す。
フロルがあそこを知っているはずはない。母の希望に添って花を植えているのに違いなかった。あの庭で語り合っていた両親の姿を思い出して、セリスの胸は痛んだ。
「兄様? いったいなぜ?」
突然の訪問に、フロルは驚いていた。
「出兵の挨拶を、母上にしに来た」
手短に用件を言うセリスに、フロルの眼差しがきつくなる。
「挨拶ですって? そんな恰好で挨拶されたら、お母様の具合はますます悪くなるわ! お見舞いに来るならば、そんな鎧なんか着て来ないで!」
激しい言葉で兄を追い払おうとした時、奥からかすかな声がした。
「セリス? セリスなの? フロル、セリスが来てくれたのね」
フロルの顔がみるみる沈む。こんな兄の姿を見せたくはなかったのに。
「フロル……悪いけれど、セリスと二人で話をさせておくれ」
フロルはしぶしぶ家を出た。反対にセリスは母の元へと家に入った。
「確かにあなたには似合わない姿だわ……。でも、会いに来てくれてうれしい」
「申し訳ありません。母上……」
セリスは顔をそむけた。この人には、申し訳ないことばかりしてきている。
「どうしたの? あなたは謝ってばかり……。謝りたいのは、この母のほうなのに」
フィラは、力ない手をベッドから持ち上げた。セリスは思わず走りより、その手を握り締めた。
「私が、エーデム王族の血を少しでも引いていたらよかった。そうしたら、こんなにあなたを苦しめなかった」
「いいえ……母上……」
「アルが不幸にも命を落としたのも、もとをただせば私のせい……」
セリスは驚いた。
母が父を呼び捨てにしたのをはじめて聞いた。
子供の前でも、母は父を『アル様』もしくは『我が君』と呼んでいた。母は、妻とはいえ、平民だったから。
だが、二人きりのときは、たぶんこうして呼び合っていたのであろう。
セリスの知らない両親の姿が、きっとそこにはあったのだ。
「父上が亡くなられたのは、母上のせいなどではありません」
それは……私のせいです……と言いかけて、セリスは口をつぐんだ。
母は小さな溜息をつくと、自分の指にある指輪をはずした。
「ねぇ……綺麗でしょ? アルがくれたの。あの人はね、私が捨て子だったって知っていたのだけど、ムテの尊い血を感じるとかなんとかいって、プロポーズしてきたの。おかしいでしょ? そんな血なんて、誰も信じちゃいなかった。でもね、あの人は、かまわなかったみたい。自分が信じていればそれでいいって」
緑色に輝く指輪の石を見つめながら、フィラは微笑んだ。
父は天才肌で自信家だった。
どのような妻を娶ろうと、自分は自分。
エーデムの血の大事さを、知っていたのか無視していたのか? いずれにしても、セリスにはそのようなまねはできない。
血の力をないがしろにするほど愚かではないし、無視して過ごせるほど自信家ではない。いや、むしろ血にすがらないと何も出来ない。
だから、常に王族の血を求めて止まないのだ。
それが、たとえ虚構の魔法であったとしても、永久の魔法なのだ。
「セリス、この指輪をあなたにあげる。小指にならはめられそうよ」
「母上……これは父上から、あなたがもらったものですよ」
「いいのよ……。もうすぐ、あの人のもとにいけそうだから……」
「母上!」
セリスは動揺した。
フロルの言う通り、親不孝だった。本当は、父上の分も合わせて、この人を幸せにしてあげなければいけなかったものを……。
「セリス……いいのですよ。あなたはあなたの信じたように……。あなたの信じたことを、私も信じます。あなたが申し訳なく思っていることは、私はすべて許している。悩んだときは、その指輪を見て、私があなたを愛していることを思い出してね」
フィラはそっと目をつぶった。
母の指輪を小指にはめて、セリスは複雑な思いにかられていた。
母は……あのことを知っているのだろうか? そして許すといったのだろうか?
まさか? まさか?
指にはめた母の愛情が、セリスにはひどく重く感じられた。
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