花迷路・右


 気がつくと暗い世界だった。

 門はいったいどこにあるのだろう?

 レイラは後をふりかえったが、そこに門は見あたらなかった。

「ど、どうしよう……」

 半べそをかきながら、少女は門があったのではないかと思われる壁をドンドンたたき出した。

「レイラ様。ここは迷宮です。お待ちください。はぐれないほうが……」

 半狂乱になって、走り出そうとしたレイラの手を、エレナは捕まえた。

「あなたなんかといたくはないわ!」

 少女はいきなりぺたんと座り込むと、わあわあ泣き出した。

 銀の巻毛は、セリスの妹・フロルを思い出させる。エレナはふと懐かしく思った。


 ――フロル様も小さな頃。

 セリス様を恋しがって、よく泣いて困らせてくれた。


「ごめんなさい。こんな私で……。でも、きっとここにいたら、誰かが門を開けてくれる。動かずに待っていましょう」

 その誰かは……たった一人しかいない。この迷宮に属することを許された者・セリスしか。

 エレナはレイラの横に座ると、ハンカチを取り出した。

 エレナはにっこりと笑っていたが、ハンカチを差し出した手は震えていた。


 時間は止まりそうなほどゆっくりと流れた。

 耐えきれないほどの変化のない空間で、黙って待つのはつらいことだった。

 やっと落ち着いたレイラも、この静寂に耐えかねて、また騒ぎ出すかも知れない。

「何か……お話しましょうか?」

「話なんかしたくないわ……」

 レイラは鼻をすすりながら、つっけんどんに返事をした。

 が、その言葉とは裏腹に、次から次へと話し始めた。

 砦のことや、父のこと、そしてセリスのこと。

 セリスのことを話終えると、レイラはまた涙を流した。

「私……こんなつもりじゃなかったの! ごめんなさい」

 レイラはエレナの胸にすがって、ワンワン泣き出した。

 エレナは少女の髪をなでた。


 ――本当にセリス様に憧れているのね。


 エレナは幼い日を思い出していた。

 自分の気持ちを素直に出せるか、出せないか? 心に秘めた思いというのは、同じなのかもしれない。

 でも、素直に出せるほうが、きっといいことのように思う。

 喉元まで上がる想いを常に秘めて、ただ見つめているしかできなかった日々。

 エレナはレイラがうらやましかった。


 ――私の性分?

 それとも劣等感がなかったら、もっと素直になれたのかしら?




***



 エレナ・七歳。

 はじめて入ったイズー城の中庭で、彼女は父を待っていた。

 父にせがんでお城見物していたのはいいが、突然、セルディン公からのお呼びが父にかかってしまったのだ。

「すぐに戻るからね」

 父はそういうと、城の中に消えてしまった。

 さすがに、心細かった。

 ベンチで大人しく待っていたが、やがて涙がわいてきた。

 ここは初めての場所……。何も見覚えのない場所。

 このまま、父に見捨てられるのではないだろうか?

 エレナはしくしく泣き出した。


「どうしましたか?」

 いつのまにか、一人の少年が立っていた。

 涼やかで優しそうな緑の瞳と、銀糸のような滑らかな髪。屈託のない微笑み。

 エレナは、人見知りするタイプだった。

 返事もできずに、うつむいたまま、もじもじしていた。

「……この庭は、とってもきれいなところですよ。もしよかったら、一緒にみましょう」

 その言葉とは裏腹に、少年はもうエレナの手をとっていた。

 エレナの返事など待つことなしに、二人は庭を探検してまわった。


 時間はあっという間に過ぎ去った。

 中庭に咲き誇る色とりどりの花・花・花……。

「ほら、こうすると王冠みたいでしょ?」

 少年の器用な手先が、花冠を作っていた。

 内気なエレナの瞳が輝くのを見て、少年は花の冠をエレナに掲げた。

「え? いいの? 私がもらっても……」

 はにかみながらも、うれしそうなエレナの顔を見て、少年は目を細めた。

「もちろん。私は、いつか本当の王冠を手に入れるから」


 やがて、父が戻ってきた。一人ではなかった。

 父の主人でもある尊い王族の一人、アル・セルディンも一緒だった。

 エレナは、よくセルディン公を見かけていた。

 父とアル・セルディンは、友人ともいえる仲だった。

 当時、エーデム貴族に平民の友人というのは考えられないことであったが、セルディン公は、貴族には珍しく、よく平民とも交流を持った。

 しかも、アル・セルディンは平民女性と正式に結婚したのだ。

 その女性がエレナの母・ベルの義妹でもあることから、セルディン公と父の繋がりは強かった。

 お忍びで遊びにきた時などは、エレナは抱き上げられたことさえあった。

 父よりもさらに背が高い。豊かな銀の髪は柔らかく背で踊っている。

 不思議そうに銀の角に触れるエレナに、アル・セルディンは怒ることもなく、代わりに微笑んだ。緑の瞳はすがすがしいほどに澄み渡っていた。

 エレナは、このおじ様が大好きだった。


 少年は、セルディン公を見つけると、摘んでいた花を落としてたち上がった。

「父上、お話は終わりですか?」

「待たせたな。セリス」

 王族としての気品が漂う。だが、明らかに最近のセルディン公はやつれた感がする。

「どうやら、息子のおもりをエレナにさせてしまったようだ」

 ホルビンが恐縮する前に、セルディン公は先手を打ってお礼をいった。

「お、恐れ入ります」

 エレナの父は、深く頭を下げた。


 それが、エレナとセリスの出会いだった。

 帰る道々、父は語った。

「エレナ、これからどんな時代がくるかわからない。セリス様の時代には……」

 まだ幼いエレナには理解ができなかった。ただ一つの言葉しか。

「エレナ、おまえはこれから何があっても、セリス様をお守りしなければならない」



***



「エ、エレナ! あれは?」

 突然のレイラの声に、エレナは我に帰った。

 ヒューヒューと音がする。地響きがエレナの鼓動と共鳴する。

 何本か見える通路の一番右端から、長い首がこちらを見ている。青く冷たい目が光った。

「キャアアアアアァァァァァ!」

 一番はじめに悲鳴を上げたのはレイラだった。

「ギャァァァァァァ……」

 その声に反応して、氷竜が泣き叫んだ。

 エレナは硬直して声も出なかった。

 動くこともできなくなった二人の方に、氷竜はゆっくりと近寄ってきた。

 レイラは、エレナに抱きついていた。

 エレナも震えが止まらなかったが、やがてしがみついているレイラの腕をほどき始めた。

「い、いや! エレナ」

 少女は完全に半狂乱になってすがってきた。

「レイラ様、大丈夫です。きっとセリス様が迎えにきます。ですからここにいて動かないで! あの竜は、私が何とかしますから……」

 そういうと、エレナはレイラの頬にキスをして、たち上がった。

 震えているレイラをおいて、エレナは一番左の通路に向かって走り出した。

「こちらです! こちらに!」

 氷竜は一瞬躊躇した。

 エレナは一度止まり、もう一度叫んだ。

「どうしたの? こっちよ! こっちへいらっしゃい!」

 氷竜は、首を上げ、ヒューーーーッと声を上げると、ものすごい速度でエレナをおった。


 エレナは怖かった。

 ひたすら走り続けた。竜は追いかけてきた。もくろみ通りとはいえ、その先をどうするか、エレナは考えていなかったのだ。

 何度も何度も曲がることで、竜を振りきろうと必死になった。

 ついに足がもつれて転んだ。そのまま這って、横道に隠れた。

 息が苦しい……気がつくと泣いていた。

 運良く氷竜はエレナが曲がったことに気が付かず、そのまま真直ぐ走り去っていった。

 エレナはあまりの恐怖に、しばらく動けなかった。

 やがて、竜の気配がないことを確信すると、おそるおそる来た道を引き返そうとした。

「……?」

 違う?

 エレナは驚いた。

 確かにここに道があったはず……。

 エーデムリングの迷宮は、一つ角を曲がるとはじまってしまう。エレナは走り出していた。

 闇雲に走り回る。恐怖がどんどん足を速くする。

 だが、どんなに走っても叫んでも、レイラのもとには戻れなかった。

「なぜ? なぜこんなことに?」

 エレナはその場に座り込んでしまった。


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