吼えろ、剣-食客商売-
碓氷彩風
吼えろ、剣-食客商売-
「いい天気ですねぇ」
のんびりと船頭は言った。
「そうだな」
船客は前を向いたまま、小さく頷く。
小さな渡し船が運河をのんびり下る。船頭が一人、客も一人だけ。
注がれる春の陽気に、二人はじんわり汗をかき初めていた。
笠を被り直しながら、船頭は身じろぎ一つしない客を見た。
まだ若者だが、年不相応に落ち着き払っている。しかし、よく観察してみると、つくりの良い小顔には若干の幼さが残っていた。
すらりとひきしまった肉体を藍色の着物に包み、癖のある黒髪を肩の辺りにまで伸ばしている。
船頭はこの客が女なのか男なのか、見当がつかなかった。
船に乗り込むまでの所作は男のものだが、細い体や秀麗な顔つきは未成熟な女。どっちつかずで、両方の利を持ち合わせている。
不思議な生き物を乗せてしまったと船頭は思った。
しかし、その考えもすぐに頭から振り払い、彼は船を前に進め続けた。
「静かで平和そのものだ。ついこの間まで、大きな戦であっちもこっちも大騒ぎだったんですよ。信じられます?」
船頭は相変わらず間延びした物言いをする。
「信じられない」
客の薄い唇が動いた。声色は高く、それでいて怜悧だ。
知的な女なのかもしれない。
あるいは、気高い少年なのかもしれない。
ますます判断し辛くなった。
「相変わらず物騒な世の中ではないか」
「ええ。ええ。まったくです」
客の言葉に、船頭は相づちを打った。
「落ちぶれた騎士が野盗に成り下がり、悪さばかりしている。戦争のせいだ、きっと」
「だろうな」
客は船頭の質問に答えているが、猛禽のような目は、先ほどからずっと前を向いたままである。
「……ところでお客さん。河を越えてどちらまでお行きになる?」
「ザハン」
客はぶっきらぼうに街の名を呟く。
「ほう。そいつぁいい。でっかい街だ」
船頭は歯の抜けた口を広げて笑う。
「失礼ついでに、お客さん。もう一つ訊かせておくんなましぃ。ひょっとして、そのずだ袋の中身は武器じゃあないかい?」
船頭の目が、客人の持ち物へ移った。
「雰囲気で分かったよ。御宅が武芸者だってこたぁ」
と、得意げに話す船頭を、武芸者はちらりと見やった。
「手矛だ。時代遅れのな」
自嘲気味に客は言った。
手矛は杖ほどの長さを持つ柄の先に、幅広の刃を備えた長柄武器だ。
槍より短く、刀より長い。大人が簡単に振り回せる程度の大きさである。
「へぇ……手矛。手矛といえば、サチャの街の、セスパタって道場が有名かな?」
船頭は急に笑い出した。
「そうだ、そうだ。そこには手矛使いで有名な剣士がいた。ラグディオ・アディカだ!」
「そう。セスパタの怖い師範」
つられたように、客も薄く笑いだした。
「しかし船頭。お前、やけに詳しいな?」
「……へへへ。舐めてもらっちゃあ困りますぜ、お客さん」
船頭がゆっくり櫂の先端を回すと、音もなく先端が外れた。
「あっしは、御宅のような間抜けの首をね」
中から白光りする刀身が引き抜かれる。
「後ろから斬り落として来たのさァ!」
鬼の形相で船頭は仕込み刀をふり落した。
船頭の正体は卑劣極まる野盗。この戦法で幾人もの旅人を殺害しては、金品を剥ぎ取ってきた。
そして今日も、彼はいつものように、憐れな犠牲者の頭を真っ二つにする筈だった。
「え?」
船頭は首を曲げる。いつまで経っても、必殺の刃が客の頭に刺さらない。
どこへ行った?
右を向く。見つけた。仕込み刀は、ぼしゃんと水に落ちてしまっていた。
船頭の両手と一緒に。
「……え?」
手元を見る。手首から先が消えて無くなり、傷口から、しゅうしゅう血が噴きこぼれていた。
「え゛え゛え゛え゛えぇぇぇ~~っ!?」
ようやく、船頭は悲鳴と疑問と苦痛とを煮詰めた絶叫を発した。
「前口上が長い」
憮然と言い放つ客は、片膝をついたまま、血濡れた手矛を握っていた。
一瞬で袋から手矛を抜き、卑怯者の手首を切り飛ばしたのだ。
船頭は痛みで感覚の失せた口を動かした。
「ら、ラグディオ……」
「人違いだ!」
客は両目をつり上げて怒る。怒りながら体を捻り、手矛を振るう。
腰の回転に着物が引っ張られ、しなやかな曲線が浮かび上がる。
その輪郭は明らかに、女のものだった。
「私はクーゼ・フォシャールだ!」
女剣士のクーゼは吼える。
手矛の分厚い刃が船頭の胴を薙いだ。
斬られた船頭の体は上下に分かれ、船から転げ落ちていった。
二つの肉塊が水面を叩き、やがて川の水が赤く彩られる。
それもほんの僅かな時間だけ。すぐに赤く染まった水と白い泡は流され、消えてしまった。
また、静かな世界へと戻った。
クーゼは呼吸を整えながら、刃の血を手拭いで拭き落とした。
それから静かに、流れる動作で、袋の中に手矛を納めた。
ここで女剣士はようやく気づく。
櫂が見当たらない。
船頭の死体と共に、川の中に落ちてしまったらしい。
クーゼはキョロキョロ辺りを見渡す。襲われかけた時より、彼女は切迫していた。
どこにもない。
クーゼは床にへたり込んだ。
「そんなあ」
少女のか細い声が、クーゼの口から漏れた。
故郷を離れて二ヶ月。
女剣士クーゼ・フォシャールは、まだ目的地にたどり着けないでいた。
(了)
吼えろ、剣-食客商売- 碓氷彩風 @sabacurry
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