昔勇者で今は骨・番外編

佐伯庸介

第1話 現代パロディ・昔勇者で今は骨学園

 桜が、もうすっかり緑色になった。

 新しい年度。四月も終わりかけ。新入生もある程度落ち着きを得て(ある者は早めの五月病を得て)、また進級した者達も新たな学年に慣れ始めた頃。


(いつもの日常が戻ってきた、ってやつだよねえ)

 県立英印学園高等部二年生のレヴァは、自らの机の上で、はわわと欠伸を手のひらで隠した。すっかり暖かくなって、どうにも眠い。


 そう、変わらない日常だ。平和で、穏やかで、これまでの十六年の人生と、何一つ――

「せんぱ―――――――いっ!」

 いや、一つだけ違う。最早聞き慣れてしまった新入生の声に、レヴァは首を重たげに廊下側へ向けた。


 そこには、モーセがいた。「彼」の歩く先、割れる海のように生徒達が廊下の左右へ退いていく。

 いや、聖書の聖人はその姿に似つかわしくは無い。たとえかの聖人のように、畏敬をその身に受けていたとしてもだ。


(やー、畏敬でもないわね)

 それはかつての話。今はどちらかと言えば、畏怖だ。

 歩く姿は颯爽と、身にまとうのは一年時から変わらない生徒会長の証の白ラン(代々の伝統らしい。アホか)。肩で風切るその姿。ただその顔色は、身につけた白ランと同じく真っ白だ。


(そりゃそうだ。骨だもの)

 レヴァの心中通り。詰め襟の上に乗っているのは髑髏である。白ランを着た白骨。それが、英印学園高等部二年、生徒会長アルヴィスの姿である。


(どーしてまあ、ああなっちゃったんだか。我が幼馴染よ)

 レヴァが嘆息した。当たり前だが、昔はそうではなかった。かつてのアルヴィスは精悍な面に蒼い髪をなびかせ、生徒達――いや教師もだ――の羨望の眼差しを受けていたものだ。文武両道、万才を持ち、異例の一年生にして生徒会長就任をはじめ、数々の伝説を作り上げた。


 だがしかし、前年度末! 不良同士の小さな諍いからエスカレートして巻き起こった、真応工業高校との抗争へ、彼は一人立ち向かった。

 結果、我らが生徒会長アルヴィスは、真応工業の番長・オルデンの倒れ際の呪いにより、あのような呪わしき姿になってしまったのだった……!


(…………ええと)

 レヴァは思わず眉間に指をやる。頭痛だ。

 学校同士の抗争て。ていうか呪いって。

 これ現代物じゃないの? 何時代だよ。

 え? 平成? マジで? 世界観おかしくない?


(黙ってろ地の文ぁ――――!)

 ごめんなさい。


「アルヴィスせーんぱいっ!」

 再びの声に、レヴァの意識は廊下へと戻る。そこでは、声の主――新入生のハルベルという女子がアルヴィスの頸椎へと後ろから抱きついていた。


「こら、ハルベル君。女の子が気軽に後ろから抱きつくもんじゃない」

「気軽じゃないですよっ。本気ですから!」

「う――――ん、なおのこと悪い……」

 どん引きする周囲を気にもせず、一年生の女子は笑う。


(相変わらず押しつえー……)

 やや呆れて、レヴァは廊下のきゃぴきゃぴした空間を見る。そう、彼女――ハルベルはアルヴィスを恐れない。

 怖くないの? と訪ねた際に、

「だがそれがいい! です!」

彼女はマジ顔で言ったモノだ。正直、レヴァもちょっと引いた。


「は~この頭蓋骨の形と香りがまた……ふひひ……」

 予鈴が鳴る。丁寧に骨指に剥がされたハルベルは、名残惜しそうに白ラン人骨へと別れを告げ、一年の教室へと戻っていく。


 再び人の波を割って教室へと入るアルヴィスの姿には、相変わらず微塵の気後れもない。

 いわば、勇者の気風だった。


 放課後だ。アルヴィスは己の役職に従い生徒会室へと向かう。

「何してんだかなあ、あたし……」

 レヴァは、距離をとりつつその後を追う。幼馴染がああなってからも、彼女は特に態度を変えることもなく友人をやっている。しかし、その他大勢の生徒からは、彼はやはり恐れられている。


(気にはなる……よね。アルヴィスのやつ、ちゃんとやれてんのかしら)

 しかし生徒会長としての仕事ぶりは変わらず見事なもので、何よりもあの白骨姿も、真応工業との諍いを治めた結果だ。彼を生徒会長から下ろそうと言う声は一つも上がらなかった。ならばつまり、


(尊敬されてはいる……のよねえ)

 その筆頭が、生徒会室の中にいる。アルヴィスが部屋に入るなり、

「お疲れ様です、会長!」

 声を張り上げたのは、燃えるような赤い髪を持つ長身の女生徒だ。抜群のスタイルは、同性のレヴァですら見惚れざるを得ない。


「――ミクトラはいつも元気だな」

「はいっ! もちろんです! アルヴィス会長の補佐を務めねばならぬ身ですから! 不調など以ての外!」


「呆れられてるんだって気付けよ」

 かけられた言葉に感動しつつ答えるミクトラに対し、冷めた調子なのは髪を立たせた少年だ。

「なんだと、こらガルム、大体君は言葉遣いが――」

 言い合いを始める二人を、アルヴィスはやれやれと眺めた。


 生徒会副会長にして剣道部主将であるミクトラ、そして学園の数少ない不良にして現生徒会庶務のガルム。彼らは、変わり果てたアルヴィスに対しても以前と変わらぬ調子で接する者達だ。


 ミクトラは昨年度にアルヴィスに剣道で破れて以降、その隔絶した才覚に心酔しており、ガルムの方は真応工業との諍いの一因にもなったところをアルヴィスに救われ、現在は生徒会で更生中だ。


「お前はいちいち暑苦し――」「君が気を抜きすぎているから――」

「はいはい。そこまで」

 骨手の仲裁に、不承不承二人が従う。


「ミクトラ、君の熱意が生徒会には必要なんだ。それを仕事に向けて一つ頼むよ」「は……はいっ!」

 ミクトラは感動の面持ちだ。髑髏が翻ってガルムを見る。

「ガルム。お前の落ち着きも大事だ。二人で補い合って仕事しような」「……おう」

 髪をがりがりかきつつ、ガルム。


「ほら、部活動の決済文書、片付けちまおう。新しい部活や同好会だってにょきにょき申請来てるんだし」

 手骨をからころと打ち合わせて、アルヴィスが発破をかける。二人は、「はっ!」「へいへい」とそれぞれに返事をして仕事に取りかかる。


「お疲れー」

「おー、またな」「お疲れ様でした!」

(ふえっ!?)

 戸を引き開ける音、そして声。レヴァはうとうととしていた頭を慌てて覚醒させ、上層への階段に隠れてアルヴィス達をやり過ごす。


「危ない危ない、寝てた……」

 やはり春はいけない、とレヴァは季節へ責任転嫁し、階下へと降りる人骨を追う。

 部活の生徒達が青ざめて道を空ける中、彼が向かったのは、一階の保健室だ。体がああなってしまった関係上、彼は定期的にこの場所を訪れる。


「おじゃましまーす」

(保健室に白骨……不吉って言えばいいのか合ってるって言えばいいのかだよねえ)

 白ランを脱いで骨格標本の真似事でもされたならば気付く者はそうそういまい。

 レヴァはそーっと、戸の隙間から中をうかがう。保険医と会話を交わすアルヴィスの座姿が視界に入った。


「……体の調子はどう? どこも痛くない?」

 巻角のような髪型をした保険医イザナが囁く。あでやかな黒髪をたゆたわせる大人の女性だ。


(ううむ、相変わらずおっぱいも大き……って近い近い近い! イザナ姉近いよ!)

 レヴァがあわわとその光景を眺める。イザナの距離感は明らかに生徒と教員のそれではない。レヴァとアルヴィス、両者の近所に昔から住んでいる女性であるが、幼少時から彼らを見ているせいか、イザナはこの二者にとにかく甘い。それはアルヴィスが骨になっても変わらず、だ。


(というか……むしろああなってから余計に近いというか。いや分かるけど。心配なの分かるけど。ちょっ! 胸当たってない!? わ! わっわ!)

 赤面しつつ目が離せない多感なお年頃である。


「……はい、おしまい。何かあったらすぐ言うのよ?」

「ずいぶん慣れてきたところだよ。首とか一回転して案外具合いいんだこれが」

「……慣れた頃が一番危ないの」

 ふあさ、とアルヴィスの後ろから白ランを羽織らせたイザナが、そのまま後ろから白骨を抱く。


「……次からは黙って無茶するのは許さないから」

「はいよ」

 嘆息(したように見える)骨である。立ち上がる彼に、レヴァは慌てて保健室から距離を取る。


 生徒会長骨は昇降口へと向かう。途中、校長室に軽くノックして「ほね帰りまーす」とだけ告げる。中から「あいよー」と高い声が返ってきた。

 英印学園のフブル校長は一度も生徒の前に姿を現さぬ存在である。訓示やら講演やら、校長らしいことは声のみでこなす。

(声からしたら女の人だと思うんだけどね)


 靴を履き替え帰路につくアルヴィスを、レヴァもこそこそと追う。二つほど角を曲がったところで、

「ほねさん! ほねさん!」

「おープーチさん、お元気?」

「げんき! みゅふふ! だっこ! だっこ!」


 帰路の途中、付属の幼稚園前だ。骨になってからさらに人目に付くようになったアルヴィスは、恐れ知らずの幼稚園児からは注目の的である。

 中でも年長のプーチちゃんは彼が大のお気に入りだ。付属の高校生とはいえアルヴィスは部外者なのだが、彼の見た目に保育士達は愛想笑いと汗を浮かべるのみである。


(わー、かわいいねえプーチちゃんは。髪の毛どかーんってなってるのもかわいい)

 骨手に抱き上げられて満面の笑みを浮かべるプーチは、レヴァも思わず相好を崩してしまう愛らしさだ。


「ちっ……さっさと帰れ、骨が」

「おーなんだ、やんのかちびっ子。ふんっ」

「面白い。お互い変わり果てた身だ。決着を着けるか」

 飛んできた悪態に、プーチを抱いたままアルヴィスが鼻を鳴らす(ような音を出す)。


(あら今日はダイス君も出てきた)

 端正な顔に険の強い目をした幼児だ。体は大きいが三歳児である。姉に連れられて行き帰りする様子を、レヴァも良く見る。

 アルヴィスとは仲が悪く、誰にでも愛想がいい白骨が、何故だかこの子供だけには態度が厳しい。


「だーめーだーよー、だいすくん。ひとにそんなこといったら!」

 抱っこされたままのプーチ(五歳)が、年長組らしく年中のダイスを注意する。

「ちっ――人では無かろうが」

 彼はそっぽを向き、無視である。


「もー。しょうがないなー。いっしょにあそんであげるから! ほねさん、またね!」

 アルヴィスから降りて、てててとプーチはダイスへと歩み寄る。「そんなもの頼んでなど……おい、引っ張るな」彼は苦い表情でされるがまま、幼児らが園へと引っ込んでいく。


「やれやれ」

 再びアルヴィスが一人、行く。もう白骨に近づく者はいない。今日は珍しく、今の彼に接し続ける人々のフルコースだった。

(なんか心配だったけど、こうしてみると結構いるよね……うむむ、骨のくせに)

 何故だかレヴァはそれが腹立たしい。それが良いことだと、彼女の理性は安堵を得ているというのに、だ。


 意味の分からない憤懣にかられて、レヴァは歩を早めて、白一色の幼馴染に並んだ。

「お・つ・か・れ」

「お、おお……おつかれ。なんで怒ってんの?」

「べ・つ・に」


 言葉にトゲを含みつつ横を歩くレヴァに、アルヴィスは首を九十度横に曲げてから、まあいいやと気になっていた話題を振った。

「んで、なんだったんだよ今日は。ずっと後ろつけてて」

「うえっ……気付いてたの?」

 思わず頬を赤くするレヴァである。


「そらまあ。バレバレ。マガツ爺ちゃんに鍛えられてる俺を舐めて貰っちゃあ困るな」

「うぐぐ」

 歯ぎしりする彼女へ、言葉が降ってくる。

「何か用あるんなら遠慮せず言ってくれよ。怖がられるのはもー慣れっこだけどさ。お前にまで引かれたら俺ぁ寂しいよ」

 その、からからと朗らかな、笑い混じりの言葉に。


「……っ……そっ……」

 赤色が顔全体に広がった。白骨が気配だけは気がかりそうに、聞いてくる。

「? どした?」

「なんでもないっ!」

 真っ赤になった顔を見られたくないとばかり、顔を背けてレヴァが叫ぶ。


(そういうこと言うからさぁ~…………! こいつは~…………!)

 半ば怒りつつ、レヴァは心の中でさらにぎりぎりと歯ぎしりする。

「真横向いて歩きづらくない?」

「ないっ! アルのばーか、超鈍感。いっぺん死んじゃうといいよ」

「死んだ死んだ。骨だし」

 白ラン白骨と少女が、夕日の中を歩いて行く。


昔勇者で今は骨特別編・現代パロディ 終わり

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