第5話 わたしだけの、一方通行(偽)

『オリシス(オリブロ)』という、最近若年層で流行っている言葉がある。「私だけの姉妹(兄弟)」という意味で、血縁の親や兄弟姉妹とは別、肉親には使わない、自分だけが絶対の信頼を向ける相手に送る呼び名だ。


 寝台から降りて、靴につま先を入れる。学園の制服を身にまとう。あてがわれた部屋を出て、顔を洗う。

 やってきた頃につきまとった、「これ一着、一足で実家だと何ヶ月分の食費になるかな」という思いは、近年ようやく薄れてきている。

 鏡に映った自分の顔を見た。時間は早朝。まだちょっと寝ぼけてる。ぱし、と軽く頰を叩いた。そばかす(ちょっと気にしている)の上、蒼い髪の下にある目が、少しはマシに開いた。


「さて、ペリネ起こさないと」

 将来の『ご主人様』の愛称を口にして、わたしは階上のペリネの部屋へと向かう。執事さん達は別棟で暮らしているのだけど、わたしはペリネの将来の従士兼側近として、彼女のお世話も仰せつかっている。緊急時の護衛も兼ねる、ということで家令のベラントスさんと同じく――と言ったら大げさだけれど、本邸の一角に部屋を与えられていた。


 こんこんこん、と杖型のノッカーを打つ。

「……はぁい。少しお待ちになって」

 毎朝のことなので、部屋の向こうのペリネも誰何することなどない。でも声は眠そう。昨日遅くまで魔法指南書でも読んでたのだろう。あの娘が旅立って後、ちょっと根を詰めることが多くて少し心配。

「どうぞ」


 部屋に入る。豪華なベッドに腰掛ける彼女の顔は、やっぱり少し眠そう。でもペリネのこういう顔、見れるのはわたしだけなんだよね。

「何時まで起きてたの~?」

「う、す、少し日が変わっただけですわ」

 2時くらいかな、と検討をつけて。ペリネの燃えるような赤髪を梳る。濡らした布で顔を拭く彼女が、頭を預けて聞いてくる。


「今日の予定は?」

 髪留めを取り付けつつ答える。

「午前中に私達のパーティごと学園長室。また課外授業かな」

 腕を上げさせて、制服の上着に袖を通させる。わたしはなんとなく動きやすさ重視で上着は着ないことが多い。


「となると、ダイスくんを迎えに行かなければですわね」

 呟かれた名前に、わたしはやれやれと肩をすくめる。ご主人様に対しては非礼だけど、まあ後ろだから見えないしへーきへーき。

「……今なにか失礼なことを考えておいででなくて?」

 ばれた。誤魔化すためにぱぱぱと準備を終える。


「はい、朝ごはん食べにいこ~」

「全くもう……」

 本来ならばわたしは、主であるペリネの食事を待って後から食事をする立場なのだけど、彼女と共に行動する必要があるために同じタイミングで隣室で食べる。

 ぱくりと、ナイフで切り分けた卵の塊をフォークで口へ持っていく。今はもう慣れたものだけど、この食事の作法を覚えるのも昔はたいへんだった。


 んん、ミラニアさんのオムレツ、相変わらずおいしい……。古い王仕貴族――領地を直接は運営せず、王様に直接仕える貴族――だけあって、ペルナーダ家の料理人さんの腕はすごい。食材も新鮮で、使ってる卵なんて今日の朝獲れたものだ。怖くてやらないけど、生ですら食べれそう。

「では、行きますわよ」「うん」

 玄関で合流し、わたし達は王都の街並みへ向かって歩く。


 ――王都エイエラルド。

 大陸中央に位置するエイン王国、そのさらに中枢を担うのがこの街だ。ペルナーダ家は当然貴族街に位置していて、わたしの実家は街壁近くの下町だ。


 そもそも、なんでわたしが王仕貴族様のご令嬢であるペリネの側近なんてことをしているのかというと、十年以上前まで遡らなきゃいけない。

 その頃、戦争が始まった。魔族と人間の、大陸中を巻き込む大戦争。たくさんの人が死んだ。ほんとうに、たくさん。

 この王都だって、一度は魔王軍に襲われて、わたしの住んでる下町がまあ勢いよく燃えた。わたしはその頃五歳だったけれど、あの混乱と、悲鳴と、炎の赤は未だに鮮明に思い出せる。一家が無事だったのは、幸運と騎士の人たちのおかげだと言う他ない。


「大分この辺りも復興が終わりましたわね……」

 貴族街から出た辺りで、ペリネが立ち並ぶ商店を見回して言う。王都が襲われたのも、戦争の初めのころだからもう十年ほど前になる。

「この前実家行った時見たけど、下町ももうほとんど終わってるよ~」

「それは結構なことですわ。私は中々そこまで見に行くことはできませんから……ご両親はお元気ですの?」


 ペリネの気遣いが嬉しい。まあそもそも彼女は特別優しい方ではある――本人は認めたがらないが――のだけど、貴族がこうして平民とまともに交流するようになったのは、やはり戦争がきっかけだ。

 たくさんの人が死んだ。もっと言うなら、戦場に行った貴族の人もたくさん死んだのだ。

 元来騎士階級を支えていた貴族の子弟が、それはもう、ものすごい勢いでいなくなってしまった。


 困った国は、まず冒険者さん達に目をつけた。連合国家の成立には、国をまたいで活動している冒険者組合が貢献したこともあって、彼等に戦争関連のお仕事が任されることも増えた。中には、軍隊の仕事を請け負ってそのまま将軍さんになった凄腕の冒険者さんもいるって話。


「ていうか、フブル学園長もそうだしね」

 漏れた呟きにペリネが振り向いたので、なんでもないよと笑う。

 そして、国は失った戦力の補充に、平民から魔力の素養がある人たちを募った。身分差から来るあれやこれやの軋轢があったけれど、かつてはほとんど全ての生徒が貴族だった『学園』も、今では2~3割が平民だ。


 わたし――そう、わたし。平民のわたし。王立騎士養成学園の生徒のわたし。ペルナーダ家の次期当主ペリネーテス・ラ・ペルナーダ側近見習いのわたし。わたしゲルダも、そのひとり。

 ペルナーダ家の現当主様に魔法の素養を見出され、長女の補佐として幼い頃から育て上げる目的で取り立てられた。

 六歳の頃に親元から引き離され、同い年のペリネと引き合わされて。最初はひどく困惑した。けど、


「いやほんと、当主様には感謝してるんだよ~?」

「なんですの、急に」

「わたしの実家に援助もしてくれるし、そのおかげで早めに家も直ったし。わたしの学費まで出してくれるんだもの」

「貴女を人生ごとお預かりするのです。当たり前でしょう。それが貴族として最低限の責任ですわ」

 さらりと言ってのける彼女が、どれだけ希少か。


 厚遇と、まるで姉妹のように接してくれるペリネと御家族の優しさ。それに加えて、わたしが積極的にお役目に向かいあう理由は、もうひとつ。

 ――ペリネは、昔は次期当主ではなかった。

 彼女には、兄がいた。当時は既に引退していた現当主さま――父親の跡を継いだ、兄が。

 ペリネとは年の離れた嫡子であった彼は、王の近衛兵団の部隊長として活躍していた。


 ――わたしがあの方の姿を見たのは、一度だけ。

 燃える街並みの中、民衆を逃がして魔王軍に立ち向かった、その後ろ姿だけ。

「立派になったね~、ペリネも」

「こっ、こらゲルダ! そういうことを外でしてはなりませんわ!」

 後ろから抱きつくわたしに、ペリネが慌てる。そう、本当に彼女はすごく立派になった。


   ●


「よ、よろ、しく、おねがい、しま、す!」

「ええ……」

 初めての御貴族様のお屋敷で、緊張でがちがちになって挨拶するわたしの目の前にいた少女――六歳の頃のペリネは、降って湧いたお兄さんの死と次期当主の座に、はっきり言って押し潰されかけていた。

 今はペリネに弟さんも妹さんもいるけれど、まだまだ赤ちゃんに近い。その頃の彼女は、歴史ある家の未来を一人で背負ったに等しかった。


 わたしは、といえば。かたかたかみ合わずに鳴る歯の根を聞きながら、それでも決意はしていた。

 これからの、わたしの基本方針。


   ●


 もがもが暴れるペリネの髪に鼻を寄せて、わたしはその馥郁たる香りを吸い込む。あれはいつごろだっただろう?


   ●


「ゲルダ。お兄様の最期の姿を、教えてくださいますか?」

 たしか、三年以上前。学園への入学を控えた夜だった。

 わたしの部屋までこっそりと屋敷の暗闇を歩いて現れたペリネに、わたしは罵られることも覚悟して、それでもあの方の最期を話した。わたしの、わたし達の感謝も一緒に。

 わたしのオリブロの姿。貴族のあの方に畏れ多くて、言葉には出せないけれど。


「そうですの」

 結局。その夜の彼女は、一滴の涙も見せず、一つの罵声も上げず、ただ一度だけわたしの手を取り、その温度を確かめるようにしてから、部屋へと戻った。

 あの夜の話が彼女にどう影響したのかは分からない。ただ入学してからのペリネは凄まじかった。


 元々、複属性を持つ優れた魔法の才能があった彼女は、すぐさま学年主席を獲り、そのままに三年間保持し続けている。正直、大半が貴族の中でわたしはペリネに恥じない成績を保持するのがやっとだ。

 挑み、乗り越える。それが、今の彼女の基本方針。


   ●


 そんなこんなで、三年だ。

 戦争はまだ続いてる。けれど、神の祝福を受けた勇者様がその身を犠牲にして魔王を倒してくれたおかげで、一大決戦に人間の連合国家側が勝って、今は奪われた領土もかなり取り戻せたって授業で習った。


「はーなーしーなーさーいー! ですわ!」

 ばっとペリネが腕の中から逃げる。残されたわきわきするわたしの手。

「もう! 遊んでいたら遅刻しますわよ! 早くダイス君の家に向かいましょう!」

「だから~。ダイス君しっかりしてるから平気だって……」

「いかにそう見えても、引っ越してきたばかりの三歳ですわ。我々がしっかりと面倒を見なければ」


 最近のペリネは特待生で編入してきたダイスという少年がお気に入りだ。僅か三歳ながら、魔力で異常成長したというフブル学園長お墨付きの才能。最近のわたし達は、彼と、もう一人のクラスメートと一緒に行動することが多い。

 彼女は才能ある人が好きだ。少し前まで学園にいたハルベルも、ライバルと認定して共に行動していた。


「仕方ないな~も~」

 ちょっとだけ寂しい気もするけれど、ペリネはその表面的な性格から、憧れを向ける人は多くても友達が多い方ではない。仲良く出来る人が増えれば良いな、と思う。


「おそらく、学園長の用事はまたしても難題ですわ。何があっても対応できるよう、万全を整えませんと」

「そうだねえ」

「ゲルダ、緊張感をお持ちなさい! まったくもう」

 ぷりぷり前を行く背中を見る。あの日の決意を思い出す。


 この娘を、わたしの主を絶対に守る。あの日さみしがって震えてた、ペリネーテス・ラ・ペルナーダを。

 わたし達を守ってペルナーダ家の前当主は亡くなった。なら、次の当主の彼女は命をつないだわたしが守る。最低でも彼女を守り先に死ぬ。そう決めた。

 


 そんな我ながらひどく重たい内心をおくびにも出さず、わたしはペリネをなだめるように声を上げた。

「まままま。わたしだって新しい魔法覚えたんだよ~中級! もし怪我した時は期待しておいて~!」

「怪我することを期待などしたくありませんわよ!」小さく悲鳴を上げて、ペリネはくすりと笑った。「でも、頼りにはしてますわ。――私の、オリシス


「へ」


 最後に小さく付け加えられた言葉に、わたしは目をぱちくり。その反応を見て、ペリネは微かに顔を赤くした。

「や、やはり流行り言葉など軽薄ですわね……今の、ナシで」

 すぐに返事はせずに、鼻歌交じりに彼女の横に並ぶ。


「ちょ、ちょっと、ゲルダ?」

「どっちかというとさ~、わたしの方が姉じゃないかな? 毎朝起こして髪梳かしてるし~」

 それに、むっとペリネが目を見開いた。


「いーえ! 私は同時に貴女の主なのですから! 当然私が姉ですわ!」

「え~」

 二人の姉妹が街を行く。この度の課題が如何な困難を秘めているか、未だ知らずに。


(昔勇者で今は骨 4巻へ)

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