第4話 王侯貴族令嬢達の一夜

「御気になさらないで、ミクトラ様。私、いつか貴女様とお話ししたいと思っていたのです」

 王女エルデスタルテは、白百合を思わせる微笑みをたたえて客人を迎える。

 連合五華随一、王国の宝石、神の血のみならず美をも引き継いだ、と言われる美姫である。国外でもその評判は高く、求婚の申し込みが絶えない。


「は……はいっ、このような無骨な格好で、誠に申し訳……」

「いえ、良いのです。冒険者としての貴女様をお呼びしたのですから」

 かちこちに固まった状態で、女冒険者ミクトラ・クートはどうにか「ひゃい」だの「ふぁい」だのと聞こえるような返事を絞り出した。


「ふふ。本当に、どうか、ご遠慮なさらず。ミクトラ様は大事な私の御客人なのですから」

(な、何故こうなったのだ……!)

 それでも染みついた貴族式の所作で、品良く座して。ミクトラは困惑の瞳を王女へと向けた。


  〇


 時は数日、遡る。

 実家に帰省中のミクトラの元へ王族からの招待状が届いたのは、王都を騒がす幽霊騒ぎを片付けてしばらく後のことだ。


「あ、あわわわわわわわわわわ………………………………」

 招待状を掴んでぷるぷる震えるミクトラ。


「どしたのあれ」

「なんかな、王女様に呼ばれたんだと」

「エルデ姫に?」

 そんなミクトラを眺めるのは、彼女の仲間である二人……いや、一人と一体だ。一人は黒髪の少女、名をハルベル。一体は人骨……昔勇者で今は骨、スケルトンのアルだ。


「ま、気をつけてなミクトラ」

「お土産あるかなー?」

 そうして話を締めようとする二人の仲間を、

「冷たくないか!?」

 半泣きでミクトラが呼び止める。


「いやだって。流石に呼ばれても無いのに王城に俺等行けないよ」

「いーなー、王室御用達のおかし」

「君、茶菓子の味しめたな……ちゃんと歯磨きしてるか?」

 呆れたように、白い骨の指がハルベルの頬を突っつく。


「うぐぐぐぐぐぐぐ。一体、何で私個人が……しかも、本名で無くミクトラの方で」

 ミクトラの実家は王仕貴族――領地を持たず、王へ直接仕える貴族だ。本名はミク・ト・ランテクート。訳あって家を出て冒険者稼業をしていたのだが、この度は仲間達と共に里帰りして滞在している。


「まあ、普通に考えれば貴族の君じゃなくて、冒険者の君に用があるんだろ」

 ミクトラ達は幽霊騒ぎを解決したことで王から褒賞を受けている。覚え自体は良い。

「俺はこんな体だし、ハルベルはまだ冒険者としては見習い以下だし。呼ぶならそりゃ君だよ」


「な、何か失礼があったとか……」

「それなら招待状じゃないのが来るんじゃない?」

「君じゃなくてお父さん――マクドナル氏の方に来るわな。まあ、お叱りじゃあるまいよ。……王女によろしく」


 その声に静かな暖かさを感じて、ミクトラははっと息を詰めた。アルの生前は、その名も高き勇者アルヴィス・アルバース。彼はかつて、エルデ王女の婚約者とされていた。

(自ら望んだ関係では無いからと、彼は言うが……)


 その内心は語らぬ骨だ。当然、死した今では婚約も何も無い。むしろ勇者は天上にあるとされ、神として奉られる計画まで出る始末だ。当人は天上どころか、すぐそこで綿棒を使って骨と骨の間に入ったゴミ掃除をしている。


  〇


 そのような訳で、ミクトラは現在、エイン王国の第一王女、エルデスタルテ・ア・エインへアルの居室に在る。


 ミクトラは貴族の出とはいえ世間には秘されている。一冒険者が王女の部屋へと招かれる、というのはまあ、異例だ。ミクトラが女性でなければ、さらにはそこそこに名の売れた冒険者でなければ、あれこれと口さがのない噂が飛んだことだろう。


「ミクトラ様とお話しがしたいばかりに、無理を言いました。申し訳ございません」

「は、は。いえ、しかし、何故私を……?」

 もっともな疑問を、ミクトラが問う。それに、ほう、とエルデスタルテは息を吐いた。


「聞けば……ミクトラ様はかつてアルヴィス様の婚約候補の一人であったとか」

 びくーん! とミクトラの肩が跳ねる。なにせ、目の前の王女は婚約者筆頭である。

「しかも、アルヴィス様死して後、その御遺志を継がんと冒険者に身を投じた、と」

(なにその噂ー!!)


 確かに勇者に憧れて冒険者になったのだから、全くの間違いではない。無いが、あまりにもな話だ。

「御父上がそう言っていた、と。お父様が」

(父上ー! 国王陛下に何を言っておられるのか父上ー!! 家出したのは悪かったですけど! 言い訳にしても!!)

 びくびくーん! とミクトラの上半身が跳ねる。


「どうかなさいましたか、ミクトラ様?」

「い、いえ……そのように仰られると、未熟の身ゆえ、面映ゆくて……」

「まあ……ミクトラ様は、慎ましくていらっしゃるのですね」

(お、お怒りになっているわけでは無いのか……?)


 恐る恐る、ミクトラは王女の様子をうかがう。花咲く様な笑顔が、エルデスタルテのかんばせに浮かんでいた。

(美しい――)同性ながら、そう魅惑される。

「私は、ミクトラ様が羨ましかったのです」


 王女の言葉に、ミクトラの意識が引き戻される。

「勇者様の生き様に、己の地位を捨ててまで添う。それは貴族としては褒められたことでは無いかも知れません。ですが」

 私には、眩しく見えました。そう、エルデスタルテは呟いた。


「か、過分な御言葉……!」

 予想外の展開に、慌ててミクトラは目を伏せる。

「お顔を上げてください。私は、愚かにも哀しみに沈み、皆様に御迷惑をおかけしました。挙げ句の果てには、天上のアルヴィス様の手を煩わせた始末。本当に、王女失格でした」


 先の幽霊騒ぎの顛末に、ミクトラは内心苦い味を覚えた。

(そうか……エルデスタルテ様は、アルを――勇者の今の姿を知ることはないのだ。なんとお労しい……)

 一国の王女ともなれば立場が違う。彼女はああ言ったものの、実際にはミクトラのように実家を出るなど出来ようも無い。そして、アルの正体も知られるわけにはいかない。


「ですから、ミクトラ様。他ならぬ貴女様と、勇者アルヴィス様について、一度語らい合いたかったのです」

「え」

「貴女様となら、心ゆくまであの方のお話が出来る。そう思ったのです。フブル先生とも勇者様のお話しは出来ますけれど――想いを同じくした方は、ミクトラ様しか」

「エルデスタルテ、様……」


 駄目ですか? と、白百合の化身のような王女が首を傾ける。

(ああ……この方は、寂しかったのだ。王女という立場故、恋心など語り合う機会も無く。ひとりで。たったお一人で、彼を失った哀しみを抱えるしか無かったのだ。この私で、慰めになるのなら)


 ミクトラの胸が燃えた。

「そういうことでしたら――――。エルデスタルテ様。いついつまででも。お付き合い致します」

「嬉しい……! 許可は取ってあります! 是非夕食もこちらで! 復帰したばかりですから、ワガママも通るのです! うふふ」

 悪戯っぽい顔でエルデスタルテが笑う。

 こうして、地獄の蓋が開いた。


「勇者様の最終装備――『神聖剣スカットゥルンド』『破邪の冠兜』『神望の白鎧』『中天の外套』『龍革の靴』ですね?」

「お見事です。……素晴らしいですエルデスタルテ様。よもや五十問全て正解とは」

「ミクトラ様こそ。実に質の高い設問です」

 いやいや、とミクトラが勇者様クイズの冊子を懐に戻す。

「皆はもっと知るべきなのです。あの御方のことを」

「全くですね……! 私もこのクイズの普及を目指します」

 迷惑な決意だ、とアルが聞いたならば確実に答えたであろう。


「ああ、つまりダンダル海峡を、抜けて……!?」

「そうです。よってこういった経緯でアルヴィス様は堕海王への道を開いたと推察出来るわけです……!」

 二人が開いているのは、ミクトラ自前の世界地図に勇者一行の旅路を詳細に示した秘蔵の品だ。

「なんて深い考察――! こんな知見は史学者にすら。ミクトラ様、尊敬いたします! これからは私をエルデと呼んでください!」

「私の方こそ! どうぞミクトラとお呼びに! 遠慮は要りません!」

 がっし、と、同好の士と認め合った手が手を掴み合う。


「ゆ、勇者アルヴィス様の! 旅の始め頃の使用済み装備!?」

――――ミクトラ独自の技術で鑑定中。詳細は秘す――――

「ま、間違いない、本物――!」

「流石の眼力。勇者様がお売りになられた店から買い取りました。無論、洗ってはいません。これ以上汚れてもいけません。保存には最新の注意を払わねば」

「なんと見事な……。博物館には収めないのですか?」

「葛藤しているのです……独占する浅ましい私、さりとて失いたくない私……嗚呼。何故、この世は――」

「分かります。分かりますよ」


「くっ! なんと輝かしいひと時。湯浴みの時間すら惜しい……!」

「いいえミクトラ、退屈はさせませんよ――他人をここに入れるのは、初めてですが」

 がらり、とエルデスタルテは私用の浴室を開けた。

「おっおぉ……! 壁一面にアルヴィス様の絵姿、ですと……!? しかも王国の様々な人気画家のタッチ……エルデ! これは!?」

「完成には数年を要しました」

(――――恐ろしい御方だ……!)


「これは……! なんと精緻なんでしょう。手乗りするアルヴィス様人形なんて、素敵……」

「最近は実家に腰を落ち着けているもので。手慰みに。未だ素彫りではありますが」

 特に体格の正確さにエルデは目を剥いた。まるで骨格を間近で確認しながら作ったかのようだ。

「これは、是非型を残すべきと思います、ミクトラ。必要なものがあったら言ってくださいね。この細やかさならば市販まで行けます」

「おお……。よもや、趣味の品がそんな評価を頂けるとは――」

「ゆくゆくはこれを素体に可動人形など……夢が広がります」


「堕花王を撃破した際のアルヴィス様の意図は、通説の史書とは違うように思うのです――」

 ミクトラが、本人(骨)から聞いた話をこぼす。それに、エルデスタルテは大きく身を乗り出した。

「あぁ……! 確かに! その解釈ならば、不可解とされてきた天眼山へ堕花王の苗を植えたという話も頷けます!」

 ミクトラは聞いたままの話をしたまでのため、少し恥ずかしそうにしている。

「そうなると、この先だって発行された勇者アルヴィス伝記の記述も――」

「ああ、そうですね。確かに。少々意味が違ってきます」

「ふむ。由々しき事態ですね。国文書省へ後で書状をしたためましょう」

(とんでもない大事になってしまった……!)


「ところで、ミクトラ……貴女も一つや二つ、作っているのではないですか?」

「な、何を……ですか?」

「とぼけてはいけませんよ。曲がりなりにも淑女として歌舞音曲を修めたのならば。そして勇者アルヴィス様に焦がれたのならば。当然あるでしょう!」

「ぅあぁっ…………!」

 秘密の扉へ手を掛けられたが如き悲鳴が、ミクトラの口より走った。

「そう――アルヴィス様に捧げたポエムを!」

「ご――御勘弁を! それだけは、それだけは!」

「いいえそれはなりません、私もお見せします、貴女の心の声が聴きたいのです、ミクトラ!」

 純潔を奪われかけたとてこうは出まい、というようなミクトラの嘆声が、王女の部屋にこぼれた。


「あうう……もうお嫁に行けない……」

「ふふ……互いの秘奥をさらけ出し合ったミクトラにならば、私の宝具を開帳しても、良さそうですね……」

 ず、と禍々しい音すら伴い、エルデスタルテが一冊の黒表紙の本を取り出した。表題には『勇者アルヴィス艶態絵集』とある。

「こ、これは……! カランタンにて行われた即売会で五十部のみ出回り程なく禁書となった、東国の渡り絵師オーエイ伝説の……! よくぞ手に入ったもの……!」

「流石は。お分かりになりますか」

 触れるのも畏れ多いとばかり、ミクトラの手が震えている。

「これが王族の力です――どうぞ、ご覧ください」

「おぉぉお…………アッ! これは! これはいけない! いけませんよ!! 不敬で、不道徳で、不埒な……!」

 叫びながら、ミクトラの血走った目は紙面から離れることがない。


 あれやこれやそれや。


 宴は朝まで続き、ミクトラがランテクート邸へと帰ったのは翌朝のことである。

「まさか朝帰りとは。よっぽど気が合ったんだ……な……」

 彼女を出迎えたアルが、その顔を見て徐々に声を小さくする。


「すごいクマなんだけど……寝てないの? 大丈夫?」

 ハルベルも心配そうに声をかけるが、

「むしろ肌はつやっつやしてるな……」

「ああ、うむ。気分は冴え冴えとしているとも。ふはは」

 ミクトラは凄味を滲ませて笑った。その異様に、人骨と少女がおののいて一歩退く。


「時にアル」

「――嫌だ」

「何も言ってないだろう、まだ! ちょっと骨格を正確に、肩幅から腰つき、隅々まで、測らせてもらいたいだけだ!」

 巻尺を持ってじりじりと、ミクトラ。


「なんでだよ! 怖いわ!」

「約束したのだ! さらなる品質向上を! 王室に献上できるほどの!」

「だからなんのだよ怖いって! 君な、俺が怖がるって相当だからな! 分かるか!?」

「はわわ……先食堂行ってるね」


 まあ結局。大体いつものことかな、とハルベルは朝食へ向かう。玄関では令嬢と白骨のせめぎ合いがしばらく続いたと言う。

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