第3話 ぼっち冒険者、墓場に向かう
「この辺りのはずなんだが」
馬上で、鎧を身につけた女が周囲を見回しながら呟く。
荒野である。さらには、闇がひたりひたりと迫る夕刻だ。もう数十分もすれば、周辺の見通しは悪くなる。
「むう、早めにセクメルへと戻りたいのだが……」
奇妙な女である。風貌凛々しく体格にも恵まれ――戦士としても、女性としてもだ――、鎧姿に馬上のその姿自体は、それなりの地位を持った女戦士か何かを思わせる。だが、馬にくくりつけられた荷は黒くすり切れた布きれに含まれた何かだ。
「これを抱えたまま宿を取るのは流石になあ」
加えるならば、結び目からわずかに除くその中身は硬質で白く、先には瘤のような丸みを帯びている。有り体に言えば――白骨である。
漏れた言葉の通り、それを抱えることの異常性は彼女自体認識はしていた。友人(?)の頼みでなければ、流石に引き受けはしなかっただろう――とはいえ、その友自体も白骨……いわゆるスケルトンと呼ばれる存在ではあるのだが。
『面倒をおかけして申し訳ない』《すいませんんんんん》『ミクトラさんがんばれー』
「分かっている、分かっている」
胸の内から聞こえる声に、ミクトラと呼ばれた女戦士は答える。貴重品入れの中の水晶に封じ込まれているのは、積み荷の魂――骨や襤褸布を触媒としてこの世に留まっている死霊達だ。
「あなた方を無事に廃棄墓地に届けるのは、アルとの約束だからな。きっちりとそこで解放してやるとも」
先日、アンデッド討伐の仕事を請け負った先で出会ったのが、彼女が現在抱える荷物――死霊達だ。理性を残した彼らを殲滅するのは忍びなく、仲間のスケルトン、アルはアンデッドの動力源である魔力が豊富な廃棄墓地への引っ越しを提案した。その運び役を任されたのがミクトラというわけだ。
「教えて貰った場所には、もうすぐそこまで来ているはずなんだがな」
アルに印を付けてもらった地図を広げ、再びミクトラは周囲を探る。魔力が潤沢な竜脈地であれば、
(魔力の探知で方角が探れないか――――――む!?)
目を閉じ、感覚を澄ませようとして――しかし、兆候は聴覚から来た。足音だ。
後方を振り仰ぐ。そこにいたのは、
「たくさんの魂抱えて、変な人ね。死霊術士には見えないけれど」
裸足の、ミクトラと同様に豊かな胸の女性だった。しかし、空洞を覗かせる片目。薄く青白い肌。少々の擦り傷。それら全てが、彼女から生気を奪っている。
「ゾンビ!」警戒態勢を取りかけるミクトラだが、瞬時に思い直す。「……いや、そうか、貴女がアルの言っていた――」
「え? アルの知り合い?」
生気に欠ける相貌が、それでも驚きの表情を表した。
「なるほど。正気な死霊の引っ越しを手伝うため、と」
馬から下りて手綱を引くミクトラを先導しつつ、女ゾンビが振り返る。
「物好きだねえ。みんな倒しておしまい、の方が早かったでしょうに」
『なんてこと言うんだ』《ひどーいいいいい》
「ごめんごめん。別に墓場の土地なら余ってるから、お好きにどーぞ」
ミクトラの懐からの死霊抗議に、女ゾンビはへらりと笑う。
「馬、乗ってて良いのに」こちらはミクトラへの問い。
「アルの友人に対し、それは失礼に当たるだろう」
生真面目にそう返すミクトラへ、女ゾンビは一瞬きょとんと表情を停めた。
「はは、こりゃ本当の物好きね……私、トレーシー」
「ミクトラ・クートだ。よろしく」
死者と生者が自己紹介して、再び荒野を行く。
○
「おお、これは……」
そうして日が落ち切る前に、一人と一体は放棄墓地へとたどり着いた。流石に馬は居心地悪そうにし始めたため、近隣の木へと繋いでいる。つまりは、生者はここにミクトラ一人だ。
そんな彼女の目に映るのは、墓地の各所に灯るゴーストの鬼火、歩き回るスケルトンとゾンビ。少数だが亜人の骨や死体もいる。流石にミクトラの頬に緊張の汗が流れた。
「大丈夫大丈夫。みんな気の良い奴らだし――」言葉を切って、トレーシーが声を上げた。「おーい、アルの友達が来たよー」
ぴくり、と死者達が一斉にミクトラ達へと振り返る。そして、
「! ちょ、一斉に――」ででででで、と死者達が集まってくる。仮にミクトラと彼らが敵対していたとすれば、とてもでは無いが対処出来ない数だ。
「だから、だいじょーぶだって」トレーシーが苦笑する。
「え? アルの友達!?」「討伐隊とかじゃないのん?」『人間?』「生きてんじゃん」《うっそあいつ彼女いんの?》「骨のくせにー。俺もだけど」『オイ馬鹿トレーシーに殺されるぞ』《いや俺ら死んでるるるるる》
すぐに、ミクトラ達の周りへと人垣ならぬ死霊垣が出来上がる。ミクトラが気圧される。
「お、おおう……よ、よろしく、みなさん……」
「ほおら、散りなさいよあんた達。ミクトラさん引いてんでしょ」
「えー」《エー》『えー』
トレーシーに怒られて、ぶつぶつ言いながら死霊達が三々五々に散っていく。残ったのは言葉も操れる、かなり年期の入ったスケルトンだ。
「すまないな、生きてる客人は珍しくてね。普段はもっと離れたところで追い返してしまうものだから……」
「いや、生者にこの場所を気取られれば面倒もあろう。気にしないで欲しい」言いながら、ミクトラは眼前の人骨を眺める。(同じスケルトンとはいえ、アルとは違うものだ……むう、私、スケルトンの目利きが出来るようになってるな)
あまりうれしくないスキルではある。そうこうしている内に、トレーシーがスケルトンへ耳打ちしていた。
「……はいはい、なるほどね。引っ越しかあ。賑やかになるのはいいことだな。で、どこに?」
スケルトンの問いに、ミクトラは懐から水晶玉を取り出した。内部は白く光り、中から『だしてー』だの《まだー?》だの声が聞こえてくる。
「では……」
アルより伝えられていた解錠の呪文により、十ほどの魂が水晶より抜け出た。そのまま、ミクトラの傍らに置かれた布風呂敷の中身へと取り憑いていく。
「おおー」「あー、前にアルが自慢してたやつだこれ」
感嘆する先住死霊二体。解き放たれた方の死霊達は、「出られたー」《こりゃいいとこだななな》『おいそれ俺の大腿骨』などと姦しく自らの再構成を行っている。
(これで平気なのだから、私も彼に染まったものだな、全く)
死霊に囲まれて、ミクトラは軽く苦笑した。
夜の廃棄墓地は、運動会とも宴会ともつかぬ有様であった。
「いやはや、なんとも……」
ミクトラが呆れたように、死霊達の燐光によって照らされる墓場の様子を見ている。
枯れ木の枝に渡された垂れ幕には「新規入居者アンドミクトラ殿歓待の宴」などと大書されていた。
「まあ一杯、飲んで飲んで」
用意された席に座るミクトラの杯へ、対面の墓石に腰掛けたトレーシーが林檎酒を注ぐ。
「これは」
「アルが味覚再現の魔法の訓練用に買ってたやつ。あいつが帰るの待ってたら悪くなっちゃうから。気にせず飲みなよ」
ミクトラもアンデッドに慣れたとはいえ、流石に墓場に一泊はどうかと思ったものである。しかし、死霊達は歓待ムードであったし、夜に馬を走らせるのも危険だ。……結局、ミクトラも覚悟を決めたというわけだ。
「しかし、賑やかなものだな。何というか……」
「アンデッドの巣らしくないって?」
ミクトラは反射的に否定しようとしたが、嘆息する。
「……不快に思ったならば謝罪を。だが、そうだな。珍しいアンデッドと思っていたアルのように、皆が明るく過ごしているものだから」
ミクトラの視線の先では、戦駒盤に向かい合うゾンビとゴーストに、自分の頭蓋骨を転がすボール競技に興じるスケルトンなど、思い思いに夜を楽しむ死霊達の姿がある。
彼らの姿は、彼女に友人の白骨を思い出させた。
「自慢じゃないけど。アルもここでアンデッドとしての生き方……じゃないな生きてないし。心構え? みたいなのを学んだのかもね。心臓無いやつ多いけど」
トレーシーは微笑する。ミクトラが視線で意味を問うと、
「あたしらは――正気のアンデッドなんてのはね。常にこうして何かやってないと、すぐに『消えようかな』なんて思っちゃうわけよ」
ミクトラの目に驚きのようなものが浮かぶ。くい、とトレーシーは林檎酒を煽る。ゾンビは弱いながらも魔力による代謝がある。飲食も出来るのだ。
「小さなもんだけどね。でもやっぱね。後ろめたさみたいなもんがあるんだよね。何に対してかなんて知らないけどさ。世間? 神様?」
「トレーシー殿……」
ミクトラの気遣わしげな視線に気づいて、トレーシーは残った片目を笑わせた。
「やーだ。そんな深刻そうにしなくていーよ。楽しくやろうねってだけなんだから。だからさ――」
一旦言葉を止めて、呼気をひとつ。彼女にとってはある意味で賭けのような心持ちで。
「と、友達は、多い方がいい、から」そう言った。相手を、窺う。
「……………………!」
トレーシーの思惑はさておき。この言葉が大変にクリティカルするのがミクトラという女性である。ぐい、と杯を飲み干し、トレーシーへ向き直る。
「任せてくれ! 私が彼の友として、外の世界で万全にサポートしてみせるぞ!」
感涙せんばかりの勢いである。ちなみに内面はこうだ。
(うう、麗しい、美しい……! アンデッドといえど、これが友情と言うやつなのだな……! その中に私がいる。嗚呼……すてき)
友達少ない――というか、現状ほぼアルだけの人である。
「あ、ああうん、よろしく……?」
トレーシーが少々あっけに取られつつ、しかしほっとした表情で、林檎酒を互いの杯に注ぐ。
「かんぱ「私たちとアルの友情に、乾杯!」
食い気味。最早出ないはずの汗がちょっと出る錯覚を覚えつつ、トレーシーは杯を打ち付けた。
(やっぱちょっと変な人だわ。ま、アンデッドの友達なんだしそれくらいで丁度いいか――)
○
翌朝。去って行くミクトラを見送るアンデッド達の先頭で、年長スケルトンがつぶやく。
「良かったのかねえ、アルの正体教えないで」
「しょーがないよ。アルも教えて無いみたいだし、あいつの正体なんて生者の世界じゃ刺激が強すぎでしょ」
「まあ、そーだな。……しかし、墓場に連れて来るまでの会話だけでそれを見抜いていたとは、流石はトレーシー。アルのことはお任せだな」
顔があれば、にやにやという笑顔が浮かんでいただろう調子で、スケルトンは傍らの女ゾンビを見る。
「…………何よ、それ」
「いや? ライバルって感じじゃなくて良かったな、って」
「うるさい」
「ま、そもそも心配することも無いか。人間とスケルトンじゃな」
「だからうるっさいって……」
ゾンビなので赤面などはしないが、明らかに照れた様子でトレーシーが墓場へと戻っていく。歩きながら、トレーシーはぽつりとこぼす。
「それに、分かんないわよ、あの娘も。生者なんて、ちょっとしたことで変わっちゃうんだから。――――生きてるんだもの。体も、心も、さ」
それは、自分たちにはもう無いものだ。それが少し羨ましくて、トレーシーは振り返り、去って行くミクトラの後ろ姿をもう一度、その死んだ瞳に焼き付けた。
昔勇者で今は骨・特別編 おしまい
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