第6話 白百合の追憶

 あれいつだったかな。


 ああそうだ、堕獣王を倒した後だ。やられっぱなしだった人間側がようやく魔王軍の一角を崩せたってんで、エイン王城で貴族集めて酒宴が開かれたんだ。

 当然、俺達も呼ばれた。主賓だった。正直面倒だったけど、連合側の戦意高揚とか、そういう目的のために出ざるを得なかった。


 気の合う奴らとならともかく、あんまり喋ったこともないお偉いさんとの会話は、まあ疲れる。礼法はフブルさんに叩き込まれたけど、だからって好きなわけじゃないからさ。

 自然、適当なところで隠密技能使ってスーッとバルコニーとかに逃げるわけだ。


 そこで、白百合のような女の子に会った。


「勇者様……ですか?」


 あの時の彼女は、十を少し過ぎた程度だったか。宝石のような瞳を大きく見開いて、その子は俺を見ていた。まるで、眠る前にお気に入りのお話を親に語られるのを待つような。そんな表情で。


 当時からその容姿にはある種の完全性があった。それから成長するにつれ、彼女はその完全さを更新していくように思える。損なうものなど何一つなく。


「エルデスタルテ・ア・エインヘアルと申します」エイン王国第一王女。


「えーと、まあ、そう言われることもある。アルヴィスです。はじめまして、王女様」


 ぱあっ、と花開くような表情に、俺は慌てて人差し指を立てる。お静かに。


「ちょっと疲れて、逃げてきたんですよ」俺の言葉に、幼いエルデは一瞬虚をつかれたようにした後、嬉しそうにした。


「わたくしと同じですね」


 喧騒から離れて、俺たちはたわいもない話に興じた。敬語は禁じられた。エルデは外界の話を喜んだ。今は魔王軍の支配地になって行けない大草原の話に、宝珠の双眸を輝かせた。


「すてき……わたしも、いつかそこへ行けるでしょうか?」


夢見るような彼女に、つい口が滑った。


「いつかね。魔王軍を押し返して、安全に行けるようになったら」「なったら?」


 あんまりに楽しそうにするものだから、もうひと滑り。「一緒に行こうか。連れてくよ」


「やくそくですよ! 勇者様!」


 飛び跳ねんばかりの快哉に、とうとう大人たちに気付かれた。


「友よ。其方、娘を婚約者にせよ」


 酒宴から明けて数日。呼び出してきたエイン王からの唐突な言葉に、流石に開いた口がふさがらなかった。


「何言ってんですか王様」

「こないだから、其方の話ばかりらしくてな。やれ次はどこに行く、また王都に来るのはいつだ、と」


 ほのぼのとした会話に見えるけど、実情はもう少しシビアなものだ。

 壊滅寸前にまで追い込まれた人類連合。起死回生で打倒した堕獣軍。当時、人間側はギリギリだった。連合軍中核のひとつであるエイン王国としては、この機に出来うる限りの手を打ちたい。


 俺への連合ぐるみの支援体制。狙いはそこだ。エイン王女の婚約者となれば、ほかの連合国や有力貴族も黙ってはいない。先のことはとりあえず――何せあるかもわからない先だ――、空手形のひとつも打っておこうと考える。王は言外に架空のコインを押し出してこう言っていた。


 其方に全部。


 出立の前。もう一度、エルデと会った。まだ話は聞かされていないのだろう。無邪気な笑顔でお茶菓子を上品に摘まんでいる。俺の視線に気づいて、にっこり。


「は……ははは」にっこり。少し引きつったかもしれない。


 十やそこらで国の思惑に使われる。王家とはそういうものとはいえ。やるせなさはある。


 ただ。人類が滅びれば、未来も何もない。か細い効果だろうが、打てる手は打つ。こういう時、無駄に冷える俺の思考は我ながら嫌いだ。


「……エルデ」「なんですか? 勇者様」花咲くような笑顔に後ろめたくなる。


「いつか……いつか、もう少し君を自由にするよ。そうしたら」首を傾げる彼女へ。


 もうちょっとだけは自由に、相手も選べるよ。こんなろくでなしじゃない奴を。


「素敵な恋をするといい。もっとかわいくなるぞ~」結局、出たのはそんな言葉だ。


「やだもう、勇者様ったら!」弾けるように、白百合がほころぶ。

「……わたし、そんな気の多い女の子ではありませんよ」


 まあ、そんなこともあった。なんとなく思い出した。


「……そうね。似たような話が、ほかにもいくつもね」


 うわっ。「い、イザナ」横からすっと出てきた仲間の一人に、俺は身をすくめる。


「いい加減にしないと刺されるわよ本当に」不吉なことを言う。


「うう……意図してるわけじゃないのに。そりゃまあ魔王に勝ったら色々しなきゃだけど、平和になればもっといい相手が出て来るよ。だってお姫様とか貴族令嬢だぞ?」


 こちらの予想は嘆息で一蹴される。


「死ななきゃ治らないのかもね……」


「お、お前な、転職前のキャラまだ残ってない? ねえ?」



 ――これは俺が、この先の運命をまだ知らない頃の。

 馬鹿みたいに能天気だった頃の。

 もう二度と、彼女との約束が果たせなくなると知る前の話だ。

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