第8話

僅かだが、仮面の奥にある目動揺が走ったのが見えた。岡村は必死だ。決してそれを見逃さない。


「アンタ、僕の知ってる人だ。間違いない。絶対に。アンタ誰だ?」


祭礼の動きが止まる。鉈を持つ手が微かに震えている。


岡村は続ける。


「少なくとも最近。この村に来てから会った人だ。県外の知り合いがこんなところにいる可能性は低いよな」


「祭礼さん!聞くな!やったれや!」


上役が言葉を遮ろうとするが岡村は屈しない。


「でだ。僕がここで会ったのは数人だけ。まず武田村長。村長の家の婆さん。だがその二人じゃない。体型が違い過ぎる」


鉈を持つ手の震えが大きくなる。恐れというよりも、なにかを躊躇しているような、そんな動きである。


「村人にも何人か会った。だけど、さっきあの上役がアンタに話しかけている感じ、アンタは民俗学こういうことに詳しい、ないしそれに準ずる職業に就ているんじゃないか?少なくとも牛久茄子を作ってる農家の人じゃない。そうでなきゃ。儀式に対してただの村の人間があんな捉え方をしない」


信じ難いことを信じてやるからこの儀式には意味がある。先ほど上役は確かそう言った。祭礼の受け売りだとも。


「僕の会ったことのある人間で村人でない、でも村のことに詳しく民俗学にも明るい。そうなってくると自ずと限られてくる」


「祭礼さん!それ以上聞いちゃなんねえ!」


祭礼の手の動きは完全に止まっている。


岡村は背中の辺りにいた何かが、さぁっと過ぎ去って行くのを感じた。


「アンタ、濱口はまぐち先生だろ?」


その場にいた全員の呼吸音すら止まったように感じた。まったくの無音だ。空気の音すらしない。


岡村にとって、大きな賭けだった。百パーセントの確証ではなかった。むしろ不安の方が大きかったが、今の岡村にとっては手札はこれだけだったのだ。


ゴクリ。


という自分の唾を飲み込む音で我に返る。やはり、間違っていたのだろうか?もう死なねばならないのか。そんな風に考えた。


「あーあ。ったく。だから俺は行きたくねえって言ったんだ。学長に行けって、そう言ったのによ」


仮面から漏れてきたのは懐かしい濱口の声だった。


「ああ、ああ」


自分を殺そうとしていた人間から、自分が一番聞きたい男の声が聞こえた。


深い。深い安堵のため息が漏れた。岡村の頰には音もなく涙がつたっていた。


「祭礼さん…」


上役の男がのそのそと歩み寄る。もはや先ほどまでの殺気や緊張感はない。


「もういいや。上役さん。もうしまい。やめよう。この人は外そう。俺が責任もつわ。今日はここまで。さあ。学生連中は帰ってくれ。今日のこと、他言無用だ」


「はぁ」


「はい…」


若い男たち二人は足早にその場を去った。


帰り際に二人は面を外しその場に置いていったが、痩身の方は顔が見えなかった。ヒロユキ、と呼ばれた体格のいい男だけが岡村の方へ向き直り少し疲れた笑みを浮かべて「よかったな」

と小声で呟いた。ヒロユキは田舎の若い者らしい、精悍で素朴な男の顔だった。岡村の思っていた通り、彼は心底悪い人間ではなかったのだ。彼のおかげもあって、助かった。


「さて。少々面倒なことになってきたなあ」


岡村の拘束が解かれた後、男たちは面を外し座って煙草を吸い始めた。先ほどまで殺す殺されるのやりとりをしていた間柄には見えない、それぞれに不思議な関係性ができつつあった。


「まあ、つまりさ。来るとき車の中で話した内容だよな。人柱の代わりに、件獣を作っていたわけだ。この村では。飢饉や凶作が多かったんだよ。仕方ねえよな。しかし、戦後のどさくさでその風習は廃れてしまった」


「しかし五年前。再びどうしようもない不況が村を襲ったんですわ。信じられますか?平成の世に、飢え死にしかけたんです」


上役の男も仮面を脱いで正座している。色が浅黒く、ほりの深い男だった。どことなく昔の加藤を思い出させた。上役の方がいくらか優しい目をしている。


「それでカルト宗教の儀式に見せかけて、信者を殺して件にしたんですか?」


「ご明察」


濱口の言い方は軽い。人の命を明らかに軽んじている物言いだ。


「でも。結局儀式なんて意味なかったんじゃないですか?なんでまた繰り返そうとしてるんですか?」


上役と濱口が顔を見合わせて笑う。残忍で、恐ろしい顔だった。


「それがあったんだよ。ご利益」


「え?」


「いや。あの殺人事件がきっかけで村が悪い意味で有名になったやないですか。そたら、マスコミとか含めて野次馬どもが村にわんさか来よったんです。おかげで村は潤いましてね。宿とか飯屋とか大繁盛。金が落ちまして。救われたんですよ。考えてたのとは違う形でしたけど」


「経済効果があったんだ。しかも完全犯罪。バレるわけねえよなあ。駐在も含めて、村長まで全員グルだ。おまけに殺したのは宗教の勧誘に来てた余所者。絶対誰も口を割らねえ」


「あん時はよかったすよねえ。毎日美味いもんがしこたま食えた!」


嬉々として人殺しの話しをする男たちを見て岡村はこの村のおかれている状況がいかに切迫しているかを理解した。濱口も上役も、正気の目をしていない。だが異常で鬼気迫るこの状況から岡村は脱出した。それだけで、岡村の中に言い知れぬ自信のようなものが生まれ始めていた。この異常さにも、全く恐怖を感じない。


「けどよ。すぐにバブルは弾けちまった。世間には飽きられまた人も来なくなりまた村は枯渇した」


「一度満腹の幸せを味わっちゃうとね、前よりも飢えるのが辛いのですわ。ずっとずっと辛い」


「だからまた、儀式をやろうと?」


「俺は学長に頼まれてってのもあるし、借金を帳消しにしてもらえるからかな。競馬で負け過ぎてな」


みなひと通りに色々な問題を抱えてここにいる。岡村だって、生きる為に借金をし、そして売られた。彼らを非難する気持ちにはなれなかった。


「しかしどうするかなあ。アンタを頭にできないとなると、儀式はまた降り出しだあ。アンタの売り主にも金を払えねえ。八方塞がりだ」


濱口の言葉を聞いて、岡村はふと閃くものがあった。少し前の彼ならこんな残酷な発想は思いつかなかっただろう。だが今は違う。岡村は変わった。


「ねえ濱口先生。その加藤さんに払う予定の礼金。振り込みかなんかですか?」


岡村に対し、濱口はなんでそんなこと聞くんだという顔をした。


「ニコニコ現金払いの手渡しだよ。銀行には振り込めないだろ。なんて申告すればいいんだ?『首切り役あっせん手数料』とは書けないだろ」


「じゃあまだ渡してないんですね?」


「ああ。いずれ取りに来てもらおうと思ってるけどな」


「そうですか…」


岡村の中で加藤へ対する憎悪の感情がメラメラと再燃していった。自分を売り飛ばした加藤。かつて愛していた男。自分をこの世界に引き込んだあと、放り出した男。岡村は、加藤と鈴木がかつての自分たちの様な恋仲であることも察していた。だからこそ鈴木が自分に対しやたらキツくあたるのも。自分は捨てられたのだ。あたら男に乗り換えられたのだ。だから、心底加藤が憎らしかった。


「濱口先生。加藤さんをここへ呼び出せますか?金を払うから来てくれって」


「ええ!?まあ…できるけど…」


岡村の冷徹な表情を見て、濱口はなにかを察したようだった。


「まさか…アンタ」


「『おかげさまで儀式も上手くいきました。お礼がしたいので温泉でもつかって一泊されてはいかがですか?』とかなんとか言ってください。 頭も手に入るし金も払わなくていい。一石二鳥だ」


「しかしなぁ…」


「大丈夫ですよ。僕が切り役やりますから。いえ、やらせてください」


上役も濱口もなんとも言えない顔をして、黙りこくってしまった。反対だとも言い切れず、かと言って賛同もし兼ねている。コイツらはこうやって、自分の時も役を押し付けられたんだなと岡村は推測した。


「僕なら大丈夫。加藤さんの半額以下で倍働きますから」


そのとき岡村の頭の中では温泉宿にやってきた同性カップルが痴話喧嘩の末に片方が片方の頭を切り落とし、その後自分も自殺を図った凄惨な事件、という筋書きが出来上がっていた。数年前に同村でおきたカルト宗教の殺人事件への模倣か、というマスコミ好みのオマケつきだ。


自然と笑みがこみ上げていた。岡村にとってのこれからは甘美な復讐を遂げる為の楽しい毎日に違いなかった。その想像をしているときの岡村はまるで嫉妬に狂いながらも微笑む恐ろしい般若のような顔をしていた。


鬼というのは元来ヒトの心の奥におり、環境や状況に応じて外に出てくる。それを時に神と崇めたり鬼として恐れたり、それも全てヒト次第なのだ。結局のところ、ヒト以外に神も鬼もいない。濱口教授は微笑む岡村を見てそんなことを考えていた。



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クダンの件 三文士 @mibumi

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