第7話
「アンタ。やっぱり家に帰すワケにはいかんのや」
目の前に立ちはだかる上役の男が放つ威圧感に岡村は気圧されていた。
「上役さん。ええでしょ。帰したってくださいよ。こんなんオカシイですわ」
「おうヒロユキ。誰に物いうてるか分かってんのか。ちゃんと考えて喋れえ」
体格のいい若い男は「ヒロユキ」という名前らしい。この特異な状況下で最初はみな意識して名前を伏せていたが、彼に関してだけそれがなくなったようだった。それだけでも、彼の現状の立場の悪さがうかがえる。
「さあかて。イマドキ時代遅れですやろ。そんなカビの生えた儀式で、人の命奪うなんて馬鹿げてます」
「もうそれ以上。儀式を馬鹿にする言葉を吐くな。次はオマエを殺すど」
上役の物言いはごく冷徹で、少しも冗談めいたところがない。それ故に恐ろしかった。
「すんません。でも」
「やめろ。でももクソもないんや。なんも知らんクソガキが。今までこの儀式のおかげで何人の命が救われて、何人の命が犠牲になったか。それを知らんクセに軽々しいことを言うなや」
「…」
「時代なんぞ知るか。この土地に生まれ、ここで生きてくことを余儀なくされてる人間の前で、知った風な口を叩くなよ」
「そんなに苦しいなら、出ていけばいいじゃないですか。こんな所」
その瞬間、上役の男がヒロユキに詰め寄った。胸ぐらを掴んで、怒りの余りでかわなわなと打ち震えている。
「おう。ホンマに殺したるわ。オマエの親父なんざ屁でもねえ。ただのロクデナシのクズやき。ワシがオマエをブチ殺したわ言うても、アイツは『へえ、さいですか』ちゅうてヘラヘラしとるやろうなあ」
「ぐっ…」
「オマエだって、あの親父のせいでここらで肩身の狭い思いしとるから志願したんやろ。チャンスを、わざわざ棒に振ってどうする。アホが」
膝をつくヒロユキの仮面の下からポタポタと涙が落ちていた。
それを見て岡村は彼が心底悪い人間ではないと知ることができ、同時にやはり自分の死は逃れられ難いものだとも悟った。
「でも上役さん。どうするんです?ジブンもヒロユキもこん人に声聞かれてます。上役さんだって…」
先ほどから痩身の男が言っている「できない」という言葉がどうにも岡村には疑問だったが、図らずともそれには上役の男が答えてくれた。
「そうだな。儀式の最中は
「確か、見られた聞かれたバレたモンが無理に切り役をやると祟りがあるって…」
「ああ。死んだ頭の霊の祟りや。子供でも孫でも、切り役の家に赤ん坊ができた場合は牛の頭をした子供が産まれてくるって話やんな」
「げぇ…」
岡村は牛の頭をした赤ん坊を想像してにわかに背筋が寒くなった。だが上役の男は、あまり信じていないような口ぶりである。
「あくまで話や。オレはそんな奴見たことないし、聞いたこともない。まあそれでも、こういう儀式をやる以上、ルールを遵守しないというのは元も子もない。そうでしょ?祭礼さん」
上役の言葉に祭礼と呼ばれる男は黙って腕を組んでいる。先ほどから言葉も発さなければ身動きもしない。面の表情を含め、不気味な出で立ちである。
痩身の男が首をかしげる。
「というと?」
「そもそも、普通なら信じ難いことを信じて儀式を行うんや。儀式に関しては何もかもを丸々信じないと、やる意味がない。信仰ちゅうんはそういうもんや。コレ、全て祭礼さんの受け売りやけどな」
ははは、とから笑いをし上役の男が岡村に近づいてきた。
「さて、スマンな。アンタには死んでもらう。村の為や。恨まんでな」
ヒロユキも痩身の男も俯いたまま言葉を発さない。
しかし上役も若い二人も切り役から外れているのに一体誰が岡村の首を切り落とすのか。岡村の中には恐怖と混乱の異なった感情が渦巻いていた。上役が岡村の手足を再び拘束し始める。鬼気迫る上役の雰囲気に、岡村は成されるがままであった。
「さて。祭礼さん。お願いします」
そうだった、と岡村は合点がいった。
この部屋で唯一岡村が顔も知らず声も聞いていない者がいた。それが祭礼である。
「スマンな。ホンマにスマン」
上役がぽんぽんと肩を叩いて立ち上がると、祭礼が音もなくゆらゆらとこちらに向かってくる。
岡村のすぐそばに「死」が舞い戻ってきたのである。
「い、嫌で、です!お、おね、お願いします、す!た!助けて、てくだい、ください!」
涙が、岡村の頬を伝う。鼻水やヨダレがだらしなく顔中に溢れている。
「ど、どうし、て、僕なんで、ですか!どうし、て!」
手足を拘束している鎖をギシギシと揺らしながら岡村が叫ぶ。誰に言うとでもない叫びが部屋中にこだましている。
「売られたんやで。アンタ。借金のカタに」
「え?」
「確か、加藤ちゅうたかな。アンタ、金借りてたやろ」
耳を疑う言葉だった。確かに岡村は加藤から金を幾ばくか借りていたが、それが命の値段になるとは到底思えない額であることはよく知っていた。
「い、いくら、らで売った、んですか?」
「ん?」
「か、加藤、さんは、い、いくらで僕を、を売ったんですか?」
上役が少し考えてからごく軽い言い方で口を開く。
「三百万。それがアンタの命の値段」
岡村は憎らしかった。散々尽くしてきた自分を三百万程度で売り飛ばす加藤が。
岡村は虚しかった。そんな程度の男に、抱かれ、翻弄され、消耗し続けた自分の人生が。
岡村は情けなかった。そんな卑劣な加藤に対し、一矢報えず黙ってここで死んでいくしかない自分が。
「おああああ、おあああああ」
牛も、人も、やはり死ぬ前は同じような叫び声をあげるものだなと、痩身の男は思っていた。
無表情の仮面をつけた祭礼が岡村に向かってくる。手には大ぶりの鉈を握っている。
「やめて!やめてください!お願いします!お願いします!」
祭礼に向けて何度も懇願してみるが、相手はまるで岡村の言葉が聞こえていないような素振りだ。ゆっくりだが、淡々と左手で岡村の髪を掴み、鉈を振り上げる。
「お願いです!なんでもします!助けてください!絶対、絶対誰にも言いません!ここのことも皆さんのことも!お願いです!お願いです!」
祭礼は小さく首を左右にだけ振り、そしてゆっくりと息を吐いた。
「うあああ!やめてええ!嫌だ!殺さないでええ!死にたくない!まだあ!死にたくないぃ!」
もうすぐそこまで、喉元まで死が手を伸ばしてきていた。その寸前の瞬間、岡村は妙なことに気が付いたのだ。自分でも不思議なくらい冷静で、どうしてこんな考えが浮かんだのだろうと思った。
先ほどから岡村の言葉が、どもっていないのだ。
正確に言えば二人の若い男や上役との会話ではどもっていたのに突然それが無くなった。つまりそれは、この三人が岡村にとって初対面であり同時にこの祭礼と呼ばれる男が前に会ったことのある者だという証拠でもある。
もしかすると、これが生存の突破口になるかもしれない。もう他に、岡村に頼れるものはなかった。藁にもすがる思い、というのだろう。
岡村は慎重に言葉を選び、ゆっくりと相手の目を見て口を開いた。
「アンタ誰だ?」
続く
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