第6話

「なんとや?」


「上役からや。電話。…電話!」


「何度も言うなや。わぁっとるわ」


「どうする?」


「出ろ。ええから」


呼び出し音が止み、一方の男が何かボソボソと喋っているのが聞こえる。全ては聞き取れないが「すみません」や「気をつけます」を連呼していた。


上役うわやく、という言葉を先ほどから何度も耳にしている。やはりこの男たちは何らかの組織に属しているのか。だとしたら何が目的なのか。くだんとはいったいなんなのか。岡村の頭の中で処理できないことがぐるぐると回り続けていた。


ようやく男の電話が終わった時には、煙草を吸う話も目隠しを取る話もすっかりなかったことになってしまった。


「上役、なんやて?」


そばにいた男が緊張した声を発している。よほどその上役が怖いらしい。


「くるて。今から。すぐくるて」


「そうか。…オマエ、どれくらい話した?」


「なんが?」


「いやだから、コレのこと」


コレ。というのは恐らく自分のことだろうか。なにぶん目が見えないというのは不便だし、緊張感に欠けると岡村は思った。


だが岡村の闇は続く。


「全部やて」


「はぁ!?」


「ったりまえやろ。オマエアホか?上役に嘘なんかついてみい。それこそ殺されるわ」


「しゃあかて、それは…」


「ココで煙草吸うのとワケ違うぞ」


「クソっ。エゲツないわ」


そばにいる男がイラついて何かを蹴飛ばしたような音がした。このタイミングで話すことは得策でないだろう。今岡村にできることはない。


正確な時間は分からなかったが、五分とたたず上役と呼ばれる者がやってきたようだった。


「なんやオマエら、ていの方はできてるやんな。はよとうもやってまえや」


上役と思しき男の声は、中年の荒っぽいもので最初の二人に対して相当に威圧的だった。


「あ、いや、上役さん、ダメす、ここで…喋ったらあかんのです…」


「あん?なに言うてのや?喋らなどうす…」


男の言葉が止まる。


「あ、…の」


「おい。アッチのアレなんや。おい、まさか。起きとるとちがうんか?」


それは、間違いなく岡村のことを指している言葉だった。上役の男の口調に怒りが混ざる。


「おい!オマエら。何したんや。何で頭が起きとるぞ」


「違うんです!聞いてくださあ。俺ら言われた通りやったんです。体作ってたんですわ。そたら、いきなり話しかけてきて」


「あん?話した?」


「はい…あの…」


バタバタと音を立てて、気配が岡村に近づいてくるのが分かった。人の温度を近くに感じ、じろじろと見られているような気がした。


「オマエら。コイツの耳栓はどうした?なんでしてんのや?」


「えっ…」


先にいた若い男たちが凍りついたような声を出す。漂う空気の温度が急激に冷えていくのが肌で分かる。


「コイツのぉ!耳栓は!そう聞いてんのや」


「いや、…その。目隠しは…し」


「みみせんはぁ!」


大きな音がして、若い男の呻き声がした。


「すんません、すんません、忘れて、忘れて」


「忘れたぁ!?おい!おい!殺すぞぉ!わらあ!」


「ひぃいぃぃっすま、すんません!すんません!」


「おい!おい!おい!クソガキがぁ!大事な儀礼をぉ!舐め腐ってぇ!ブチ殺すどぉ!」


「げぇっ」


嗚咽おえつと共にびちゃびちゃと気持ちの悪い音がする。おそらく、誰かが何かを吐いている。


「おい。アンタ。起きてんのやろ。返事せえ」


「は、は、はい!」


突然に上役の意識が自分に向いたので岡村は飛び上がらんばかりに驚いた。相手がどんな風体かは分からないが、少なくとも温厚でないことは確かだった。


言葉や選択を誤れば、岡村にも危害が及ぶ可能性は高い。背筋には冷たいものが走っていた。


「ちっ…やっぱり聞こえてるんか。そうなるともう俺もあかんな」


「え、そうなんですか」


「だらぁ!説明したやろ!声とか顔見られたらあかん言うたや。クソアホ。オマエもドつくぞ」


「すんません。あの、そうするとオレらは…」


「あかんなぁ」


「はぁ」


若い男はガッカリしたと同時にホッとしたようなため息を漏らした。


「おい。いうとくが最後までやれんと恩賞はナシや」


「ええ、そんなぁ」


「だらぁ。当たり前やろ。生きとるだけも感謝せえ。じい様たちの代ならオマエらが代わりに頭の役やど」


「…」


岡村には今だに話の全容は掴めていなかった。だが彼らの会話の端々を拾う限りでは、どうやら自分かもしくは相手連中が、何らかの儀式の対象から外れてしまったようであった。それもあって彼らは今、揉めているということだ。


祭礼さいれいさんに電話してくるわ。おい、コイツから目ぇ離すなや。おい!汚ったないのぉ!いつまで泣きべそかいてんねん。テメエのゲロくらいテメエで掃除せえ!」


「へぇ」


目を離すな、ということは今すぐどうこうというわけではないが、決して状況が好転したというわけでもない。そんなところだろうと推察できた。


「おい、大丈夫か?」


「触んな。ええから」


先にいた若い二人の間にも妙な空気が流れてる。岡村は再度彼らに話しかけるべきか迷っていた。


「祭礼さんくる言うてたな」


「おう」


「また、ドつかれんのかな」


「オマエやないやろ。俺や。もうええ。なんもかんも」


そう言うとまた気配が岡村の元へ近寄ってきたかと思うと、予想外のことが起きた。


「うっ」


光がやってきた。突然の光だった。どうやら今まで視界を遮っていた目隠しを外してくれたらしい。


岡村が最初に見たのは獣の面をつけた体格の良い男だった。犬なのか狐なのか定かではない、見たことのない面であった。


「うぇ」


仮面の造りがあまりに精巧だったので、一瞬獣の顔をした化け物が目の前にいるのかと思って怯んでしまった。


「おい、あんた落ち着けや。大丈夫やて」


男は聞き慣れた声で岡村を気にかけた。


「おい!オマエ!何してんや!アホ!」


奥にいたもう一人が慌てて駆け寄ってきた。この男も同様の仮面を被っていたが、こちらは幾らか痩せていて貧相だった。


部屋を見回すと石造りの洞窟のような場所で、薄暗く湿った小さな部屋だった。岡村が寝かされているのは木の長机で、少し離れた場所に同じ形の机があり、そこに大きな黒い肉塊が横たわっていた。血生臭い、嫌な臭いがした。


「もうええやろ。こんな儀式。おかしいわ。今の時代でやることやない。イカレとる。おいアンタ、もう逃げえ。はよ」


「え、ええ?」


「アホ!殺されるど!ホンマにイカレるのはオマエやて!いいから!目隠し戻せ!」


「どっちみちもう俺らもこん人も儀式はできん。上役もできん。なら逃してもええやろ」


「そんな。声きかれたら頭やれんて。そんなことあるかいや。大丈夫やて。古い慣習や」


「どアホ!その慣習の塊やんけ!今やっとること自体が!分からんか。それで牛やこん人を殺すんやど。そんなことで殺すんやど。せやから言われんねん。ボンボンやな」


「なんやと!」


二人はまた口論を始めたがそれよりも明確に「殺す」という言葉を聞いてしまった岡村は途端に恐怖に襲われていた。


今まで何となくフワっとした気持ちで何処か無意識に否定していたのだが、ここにきて明確な言葉を耳にしてしまったことで、背後からいきなり死神に肩を掴まれた気がした。


そうか。やはり自分は殺されようとしてるのか。


怖い。嫌だ。死にたくない。


「殺す」という言葉がこの状況も手伝って相当な現実味を帯びている。日常的に冗談めかしていうそれとは明らかに違う。恐怖感が桁外れだった。


「なあアンタ。すまん。ホンマすまんな。許してや。恨みもなんもない。オレらは頼まれただけなんや」


「な、な、なんで、こ、こんな、なことを」


いつもの癖に増して、恐怖で声がなかなか出てこない。


「儀式や。くだんの儀式ちゅうのでな。あっこに牛の死体あるやろ。あれにな。アンタの首をつけて、御神体ごしんたいを作ろうとしてたんや」


「ご、御神体!?」


「そ。でもな。それを作るもんら、ま、オレらやけど。首役の奴に顔見られたり声聞かれたりしたらあかんちゅうキマリあんのや」


「は、はぁ」


「オカシイやろ?なんでも、顔見られたり声聞かれたりすると、そのあと祟られる言うてな。しゃあから顔見知りとかでもあかんねん。バレたらダメ」


「そう、なん、で、すか」


自分がひとまず殺されない理由は判明したが、ではどうして上役は「目を離すな」と言い残したのか。そして自分はこの後どうなるのか「早く逃げえ」と男は優しい声で言ってくれていたが、岡村には何故だか不安がよぎってしまい、身体が震えてどうにも腰が持ち上がらなかった。


「おい!勝手すんなや!」


「うるさい。オマエはすっこんどれ」


痩身そうしんの方が語気ごきを強めるが、体格の良い方には全く気負いする気配はない。力関係がはっきりしているのだろう。


岡村の拘束が解かれていく。手と足首に僅かな痺れを感じるが、特に目立った外傷もない。すぐに走ることもできそうだ。


あとはこの心中にわだかまっている不安だけを蹴散らせばいい。そういう状況ではあった。


だがその不安は不幸にも的中してしまう。


「オマエら。なにしとるんや」


上役の男が帰ってきてしまった。


男は中年の様だったが、若い男よりもひと回りほど体格がよく、声だけでは分からないほど、圧迫感のある雰囲気をまとっていた。顔には彼らと同じように獣の面をつけていたが、若い連中のは白い安っぽいものなのに対して、上役のそれは使い込まれた黒い木のものだった。


「いや、その…」


「逃がそうとしてんのか?こん、だらぁ!」


「オレは止めたんです!ホントです!」


痩身そうしんの男が上役にすり寄る。


上役の視線が体格のいい方に注がれる。


「オマエ、分かっとるよなあ」


「さあて、どうでしょうか」


張り詰めた空気の中、上役の後ろからもうひとつの影が顔を覗かせた。


「祭礼さん。やられましたわ。ヒロユキが頭の目隠しとってやがります。喋らん方がええ」


祭礼さんと呼ばれた男は、コクリと頷いてそこからひと言も口を利かなかった。


彼は中肉中背で中年か壮年かの判別は難しかった。どんな人間か見分けることができなかったのは、見てくれが平凡だったからというよりも、彼のつけている仮面にあった。


彼らや上役と同様に祭礼と呼ばれる男も仮面をつけていたのだが、何故かその男の物だけが異質であった。


それは獣でなく、人の顔の面である、無表情に虚空を見つめる不気味な仮面でありそれをつけるものが特別な立場にいることを揶揄やゆしているようでもあった。


その仮面を見た時に岡村の中でごく小さいはずの言い知れぬ不安が、とてつもなく大きく膨らみはじめた。



続く

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