039 - 再生

 ケイトは煙草をふかしていた。紫色に揺れる煙は、すぐにその色を失う。

 人を待つ間に煙草を吸い続ける癖は治っていなかった。


 ふと視線をずらすと、一人の女性が物思いにふけっていた。

 その表情は寂しげだ。

 もしかしたら、交際していたパートナーがいたのかもしれない。

 しかし、それはケイトにも、もしかしたら彼女自身にも、分からない事だ。


 彼女が飲み終わったコーヒーカップを無造作に放り投げた。

 地面に落ちたコーヒーカップは、衝撃で弾むことはなく、そのまま地面に吸収されていく。


 いつもの光景だ。

 ケイトも吸い終わった煙草を足元に落とし、ブレスさせる。


 *** ***


 あの時ヅィーがとった行動は、町そのものの再生だった。

 町中に起こった無差別のブレスにより、リネットに送られたもの全ての再構築。


 天文学的なデータの濁流を、元の形になるよう丁寧に。

 それは、時間と空間を操る魔法のような、けれどシステムによる厳格な操作。


 ヅィーの操作は完璧だった。少なくとも、ケイトはそう実感している。

 しかし、町は、完全に元通りとはいかなかった。


 復元できたものは、およそ三分の二。

 それは、三分の一もの犠牲は、救えなかったということを示す。

 失ったままのものは多い。


 復元され生き返った者は、あの騒動の前後の記憶を無くしている事が多かった。

 騒動前後だけではない。救えなかった人と親しかった者は、まるで記憶の整合を取るかのように、それ以前の記憶まで捻じ曲げている事もある。


 ――家族がいないのに、何故こんな大きな家に住んでいるのか。

 ――ああ、そうだ。ぼくは元々広い家に憧れていたんだ。

 ――一人には多すぎる家具は、買った覚えはないけれど、散財癖が働いたせいだろう。


 そんな歪な整合が、今のこの町には蔓延っている。


 中には、整合された記憶の違和感に耐え切れず、町を離れる者もいた。

 仕方ないことだと、ケイトは納得している。

 捻じ曲がった記憶を持たされる辛さは、ケイト自身がよく知っているものだった。


 けれど、ケイトはこの町で以前と同じように生きていた。

 『希望』。

 それを、あの男が望み、残し、託してくれたから。


 ヅィーの言葉を思い出す。

 ――完璧にいく、とまでは楽観的に思っていない。

 ――ただ、こんな現状よりはマシだろう?


 今の游骸町の現実は、あの惨状と比べれば、奇跡が起きたとしか思えない状況だ。

 それを与えてくれたヅィーを知る者は少ない。だが、それでいいと、ケイトは思う。


 *** ***


 コツコツと、金属がアスファルトを叩く音が近づいてきた。

「やあ、待たせたね。今日は何本ほど待ってくれたんだい?」

「……十を超えてから、数えてねえよ」

「すまないね。まだこの足に慣れてなくてさ」

「健常な足を持ってても、いつも遅刻してたじゃねえか」


 相手は笑ってごまかす。

 飄々とした態度、見慣れた白衣、そして両足――膝から下にかけて―に義足を付けた博士が傍に立つ。


「フィオナはどうしたんだい? 彼女にも会っておきたかったんだけどね」

「あいつは今、葬儀屋として仕事中だよ」


「おや? 葬儀の仕事を、もう彼女だけに任せられるのかい?」

「まあ、一応な。あんな事があってから、せめて葬儀の仕事は一人立ちしたいと、最近は躍起になっててな。それに、今日はおれの代わりに自分が仕事に行くと言って聞かなかった」


「立派になったもんだねえ、あのフィオナが」

「泣き顔をまた博士に見せるのが、嫌だっただけかもしれねえがな」

「たしかに。フィオナが見送りに来てたら、絶対泣いてただろうね」


 のんびりとした会話を交わす。

 こんなやり取りを出来るのは、もしかしたらこれが最後かもしれない。

 そんな考えが頭をよぎる。なるべく普段通り振舞えるよう、冷たい風に身を任せた。


「そういえば、博士に渡すものがあったんだ」

 ケイトは、一つの小さな包みを差し出した。


 博士がその包みの中を確認すると、

「これは……ヅィーからもらった、あの種かい?」


「そうだ。博士の仕事場で、その種を見つけたからさ。渡しておこうと思って」

「ありがとう……。仕事場の整理といい、色々と世話になったね」


 博士の最近は、義足の調整やらリネット関係者としてのゴタゴタやらで、仕事場に戻る暇すら無いほど多忙を極めていた。

 ケイトはというと、あの事件の中心にいた一人のはずなのに、不思議といつも通りの生活を送れていた。そこで、博士の仕事場の整理をケイトが買って出た。


「世話になったのは、こっちの方だ。博士には感謝している。出会ってからというもの、色々と生活をサポートしてくれたし――」


 それに、

「複合人間のおれに、初めて、一人の人間として接してくれた」

 その接し方に、自分はどれほど救われただろうか。


 博士は苦笑する。

「殊勝な事を言ってくれるね。ぼくとの付き合いが長くなるにつれ、段々と小生意気になっていたケイトが」

「茶化さないでくれよ。……最後だから、おれでも感傷的になってるんだ」


「この世から消えるわけでもないのに、大袈裟だなぁ」

「博士……心配してるんだ。あんな事があった後に、御上の根城に異動を命じられるなんて……何が待ち受けているか」


「まあ、そうだね。普通じゃない異動だ。次はいつ君たちに会えるのか、分からない」

 博士は諦めたように一つ、溜息を吐いた。


「悪かった。ごめんよ、ケイト。茶化したりなんかしてさ。お詫びといっては何だけど、僕も正直な気持ちを白状しよう」

 コホン、と咳払いを一つ。

「いま僕は、寂しいと感じている。この町から離れることが。君たちと離れることが」


 博士がそう言った直後、傍らの地面が急変した。

 何か妙なものが生えたと思った矢先、それは急速に縦に伸び、ケイト達の身長を超えていく。

 三メートル程の高さに達したと同時、全身が捻じれ、元に戻る反動と共にその姿を全く別のものに変えていた。

 桜色の花を咲かす木が、そこに立っていた。傍らのケイトと博士はもちろん、周囲の通行人も唖然とする。


「これは、あのときの巨木……に似たものか? あれより随分小さいし」

 ケイトの疑問に答えるように、木が頷くようなしなりを見せる。

「……どうやら、カリナの仕業みたいだね。あいつめ、ちゃっかりぼくらの会話を盗み聞きしていたらしい」

 木は、愉快に笑うよう身をしならせ、桜色の花びらを舞わせる。


「まあ、カリナなりの送別じゃないのか?」

「そうだろうね。彼女らしいユニークな別れ方だよ。……それにしても、だ」

 博士の目が怪訝なものに変わる。


「最後にもう一度だけ確認するけど、本当に彼女でいいのかい?」

「ああ、いいんだ。彼女が最適だと、おれは判断している」

「ケイトがそう言うなら止めはしないけど――」

「博士が心配するのも無理はないが、この町は早急に復興が必要なんだ。その為に、カリナの力は不可欠だ」


 御上の根城に博士が異動すると聞いた晩、おれはカリナに一つの依頼をしていた。

 博士が今までいたポジションに、カリナが収まってくれという依頼だ。


 游骸町の復興には、優秀なリネット関係者が不可欠だ。

 博士が居ないとなると、あの騒動についても知っているカリナが後釜として適任だと、そう判断した。


 おれの依頼を聞くと、カリナは「面白いものを見せてくれますか?」と聞いてきた。おれは「もちろん」と即答。すると、その場で彼女は快諾してくれたのだった。


 現在、おれはカリナとよく連絡を取り合い、カリナは博士の所有だった仕事場を使用している。

 今も仕事場から、この木をリネットから還元させたんだろう。


「これでも上手くやってるんだ。……今のところは、ね」

「今のところ、かい?」

「まあ、あのカリナだからな。おれ自身、不安がないとは言い難い」


 くっくっ、と博士は笑いを漏らし、「精々、気をつけるんだね」という、助言ともならない助言をくれた。


 ケイトは傍らの木を見上げる。

 舞い散る桜色の花びらがケイトの眼前で揺れると、ある記憶が蘇った。


「そうだ、博士。あのとき、町がすべて飲み込まれたときに、ヅィーの思考だけじゃなく、記憶も一部流れ込んだんだ」

「ヅィーの記憶の一部?」

 博士は興味深そうな、怪訝そうな、左右非対称の表情をつくる。


「博士がヅィーと初めて出会った日の記憶だ。ヅィーが博士に指導をつける約束しただろ? その理由って聞いたことあるか?」

「いや……理由は聞いたことがなかったな。なんせ、突然色んなことを始める奴だ。ぼくへの指導も、特に根拠はない気まぐれの一つだと勝手に思っていたけど」


「根拠はあったみたいだ。博士、あのとき分厚い紙の資料を持ってただろう? ブレスとリネット、両方の」

「ああ、そういえば、そうだね。あの頃はわざわざ資料を印刷して勉強してたから。それが指導の理由なのかい?」


「分厚い紙の資料を持ち歩くという時代錯誤な博士に興味が湧いたのもあるけど、その紙に記入された無数の書き込みが、指導の理由らしい」

「ふーん、なるほど。その書き込みから、ぼくの優秀さを垣間見たわけだね。こいつなら、上級技術者になれると」

「いや、逆だよ、博士。あまりにセンスのない書き込みに、ヅィーは呆気に取られていた」

「……本当かい? いや、あの頃のぼくは、今ほど優秀ではないけど、そこまで酷くも――」


「見苦しい言い訳はよしてくれ。過去の話だろ? それに、そんなセンスのない書き込みのおかげで、ヅィーは指導をしてやろうと思ったんだから。結果オーライだろ」

「……それは、哀れなぼくに、ヅィーが同情したって事じゃないか……。聞きたくなかったよ、そんな真実」


「ついでにもう一つ、聞きたくない記憶を知ってるぜ、博士」

「もう勘弁してくれないかい? 最後かもしれない別れに、この仕打ちは酷いじゃ――」


「サクラ」


 ケイトが発した言葉に、博士は硬直した。

 桜色の花びらが、まだ宙を舞っていた。


「博士の本名は、サクラ、なんだってな?」

 博士が溜息をつく。


「ケイトには隠しても無駄だね。そう、それがぼくの本名だ。きみに以前話した通り、スカラという名は、ヅィーが付けた偽名だ」

「ailsといい、リネット関係者は簡単なアナグラムが好きなのか?」

 博士は、さあね、と首を振る。


 サクラ(sakura)とスカラ(sukara)。リサとailsよりも簡単なアナグラムで、博士は本名を偽っていた。


「何故本名で呼ばわると嫌なのか、ヅィーも知らなかったみたいだが」

「……昔、本名のせいでからかわれた事があったんだ。幼稚な理由だよ」

 ふーん、とケイトは頷く。

 そして、二人の間にしばしの沈黙が訪れた。


 どちらも口を開かぬまま、気付くと傍らの木に咲いていた花は、そのほとんどが散っていた。


「……それじゃあ、フィオナと、まあカリナにも一応、よろしく言っておいてくれ」

「ああ」

「それと……ファーストの事なんだけど」

「分かっている。いつか必ず、救ってみせる」

「うん、頼むよ」


 フィオナを守るため、自ら犠牲となったファースト。

 彼女は、博士と同じ場所でブレスされたが、再生はされなかった。

 救えなかった、三分の一に含まれたままだ。


 ケイトは現在、あの騒動でブレスされた人々の救済という、途方もない方法を探している。

 それは、FHIを使用したヅィーにすら実現できなかった、町中の『再生』という『希望』だった。


 博士が頭をかきながら、言葉に悩んでいた。面と向かっての別れに、慣れていない様子だった。

「えーと……そうだ。別れの挨拶代わりに、煙草をもらっていいかい?」

「それは代わりになるのか? まあ、いいけど」


 ケイトから一本の煙草を受け取る。この銘柄を吸っているケイトの姿を、博士は何度見ただろうか。

 博士の煙草に火を付けてやると、ケイトは自分も吸い始める。


 お互いに煙草を吸う間、また沈黙が流れる。

 人通りの多い道端で、二人の男と、彼らの口先で赤く燃える灯りだけが動かない。


 同時に、吸い終わり、

 同時に、吐き捨て、

 同時に、ブレスさせた。


 何も言わずに博士が背を向け、歩き出す。

 右手を軽く掲げ、気怠さすら感じさせるようにその手を振った。


 ケイトはその背中を、ただ見つめていた。

 この町から、博士がいなくなる。


 不正ブレスに気付き、その対応に奮闘した優秀な技術者がいなくなるのだ。

 多くの人や施設を失った游骸町は、今日も慌ただしく何とか日常を送ろうとしている。

 町の上層部、そして町民も、この町を臨時的にでも統制できる人材を求めていた。

 町長はあの空間から戻っていない。彼は、救われなかった。


(いや、記憶が偽物と知り、最愛の妻も娘も奪われた町長にとっては、この方が救いだろうか――)


 傍らの木から、最後の花びらが離れた。

 その桜色の花びらは、ケイトの鼻先に止まる。

 花びらを摘み、その色をじっと見つめる。

 一度握り締めると、持ち帰ることはせず、宙に投げた。

 ゆっくりと落ちていく花びらは、やがて地面に達し、ブレスされた。


 ケイトは、博士とは反対の方向に、歩き始める。

 やるべき事は山ほどある。

 全てが、難儀だ。

 けれど、突き進む。

 己の信念と正義を貫いた、ヅィーと博士のように。




     ― 完 ―

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呼吸する町 四万一千 @tetra_oc

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