038 - 彼
ここ游骸町では、ブレスされたものはゴミだろうが人間だろうが、総じて分解されリネットに送られる。
町中にリネット・ブレスシステムが完備されているため、どこにいようがこのシステムから逃れることは出来ない。
ただ、例外的な場所が一つだけ存在する。
FHIが設置されていた地下室。
その地下室は、リネットからの還元をリサの身体に直接行う為の場所だった。
それゆえ、ブレス対象を地中に漂わせ、分解もリネット送りもしないという、例外的な環境が整備されている。
その空間――桜色の花を咲かせる大木の真下――で、一つの意識が己の存在を自覚し始めていた。
その意識は奇妙な、感覚といっていいのかも分からないものだけを感じ取っていた。
五感ではない。抽象的で、心の内側だけが浮かび上がるような、そんな感覚。
『――おや、意識を留めることが出来たのですね』
誰かの意思が伝達される。
声ではない。音ではない。ただ、伝えられる内容が、理解できる。
『ここでは話す事が出来ません。ただ、思えばいいのです。それで、伝わります』
内心の疑問が相手に伝わったようで、応答が返ってくる。
『ここは……それに、おれは……』
『ケイトさん、あなたもあの地下室でブレスされてしまったのですね。わたしの事は分かりますか?』
ケイトは段々と記憶を辿っていく。地下室であった騒動のことも。
『お前……カリナ、か?』
『その通りです』
『ここは、あの地下室の……下か?』
『その通りです』
自分の疑問に、カリナは間髪入れずに応答を返す。
ケイトの思考は自然と、自分の現状に向けられた。
『おれは――まだ生きているのか?』
『……その通りだと、言っておきましょう。ですが、時間の問題です。我々もいずれ、リネットに送られるでしょうから』
意思の疎通に段々と慣れ始めた。そして、己が知覚出来る情報にも気付き始めた。
今まで感じた事もない情報量に触れている。
元町長の葬儀や、疑似四次元分析のデバイスを使用した際にも得られなかった、膨大で複雑な情報の大海。それをいま、自分は受け止めている。
まるでリネットの全てを把握できているような感覚だ。
意識を自分の周囲にフォーカスすると、この特殊な空間に存在するものを把握できた。
ケイトとカリナ、そして、
『町長……FHI……リサもいる』
『あの地下室でブレスされた、人間と、元人間と、人間に成り損なった人形は、この空間で漂っているようですね』
カリナらしい、返答。
『町長とFHIがこの空間に居るのは、当然でしょう。自らもリネットに送ってしまえば、町中のブレスは行えなくなりますから。それと、娘と思っていた人形も、リネットに送りはしないでしょう。……私とケイトさんまでここにいる事は、おそらく意図していなかったと思いますが。そこまで繊細に操れなかったという事でしょう』
カリナはそこまで返答し、黙った。
内心で思ったことが伝わってしまうこの空間において、沈黙が意味するものは、思考の停止という事だろうか。
ケイトは、意識をもう少し遠くに飛ばしてみた。
現在の游骸町の惨状が、手に取るように分かる。
游骸町があった筈の場所には、元から何も無かったかのように、ただただ平坦な土地が広がっている。
つい先程まで存在していた町が、丸ごと無くなっているのだ。
その光景を感じ取り、夢を見ているような錯覚に捉われる。
『町が……游骸町が、すべてブレスされている……』
『……ああ、そういえば、あなたはヅィーの人体物質を宿しているのでしたね。この町の状態を把握出来るという事は、あなたもFHIと同調し始めているのでしょうか』
黙っていたカリナの推測が伝わる。
FHIと同調を始めている事は自分でもうっすらと自覚できる。だが、FHIを利用して状況を変えることはできそうになかった。
自分が今どのような状態なのかを知る事は出来るが、それをうまく思考にまとめる事は出来なかった。
あまりに抽象的で、概念的なイメージが、ただ伝わってくるだけだ。
ただ、町の惨状が伝えられるだけなのだ。
『もう、この町には何もない……何も……』
悔しい、という思いが自分に生まれる。
悲しい、という感情が自分を包み込む。
*** ***
游骸町に一つの突風が吹き荒ぶ。
遮るものなど何もない土地で、その風力が減退することはなかった。
そして、この町に唯一そびえ立つ巨木を揺らす。
無数の枝が揺れ、桜色の花びらが舞う。
*** ***
まるで巨木に呼応するように、新たな意識が目を覚ました。
その意識は、瞬時に状況を理解する。
自分のことも。周りのことも。町の惨状についても。
戸惑いはない。あるのは、生前と変わらぬ信念・正義が突き動かす、意志だった。
その意識は、ケイトに呼び掛ける。
『おいおい。何もないわけじゃあ、ないだろう。灯台下暗しってやつか? もう一度確認してみろ』
誰のものか分からない、突然伝えられた意思。
『――まさか。あなたは……』
驚愕が伝わってくる。驚いた様子など滅多に見せないカリナのものだ。
『よう。久しぶりだな、カリナ。相変わらず、よく分からん事を仕出かしやがって』
『ヅィー……あなた、なのですね』
『ああ、そうだ。お前には色々と言いたい事があるが……まぁ、今はよしといてやる』
游骸町の現状に対するヅィーの悲哀が、ケイトにも伝わってくる。
しかし、同時に疑問が出てくる。
『ヅィーだって? なぜ故人がこんな空間に……。FHIに格納されている遺体が、意思を持っているのか?』
『そうじゃねえ』即座の否定。
『お前だ、ケイト。おれは、お前の中にいる』
『おれの、中?』
『そうだ。この空間、この状況。何の因果か、おれの意識がお前の中で目覚めちまったらしい』
『ど、どうゆう事なんだよ?』
『ケイト、考えてみろ。この空間は、なんだ?』
『……ブレス対象を分解せず、リネットと深く関与できる……場所らしい』
『FHIは?』
『元はヅィー、あんたの遺体から造られた特製のAIだ。町長の人体物質を有し、同調する事で、その能力を更に強大なものとしている』
『お前は?』
『おれは……生前のあんたの人体物質を宿している』
これらの要因が、今は亡き男の意識を目覚めさせたというのか?
『ケイト、考えられる要因は、まだある。周囲をもう一度確認してみろよ。おれらの真上だ。そこに、何がある?』
自分の真上。そこに意識を集中する。そして、そこに存在するものを見つけた。
綺麗な桜色の花を咲かせた巨木が、そびえ立っていた。
『木だ。巨大な木がある。……でも、何でここに? ビルが建っていた場所なのに』
『お前はまだリネットの海を泳ぎ慣れてないようだから教えてやる。ついさっきの事だが、あの植物の種が投げ込まれたんだ。ビルが全て飲み込まれた後の、ただの地面にな。誰がそんな事をしたのかは、地中からじゃ分からねえが。投げ込まれた種は、色んなもんをブレスし溢れんばかりの栄養を蓄えたこの土地で、急速に成長しちまったみたいだ』
ヅィーの思考と、心の内が伝わってくる。
これは……懐かしんでいる?
『あの植物の種は、おれが生きていた頃にスカラへ渡したものだな。リネットとブレス、両方のシステムを整備させた土地に咲かせようと思ってよ。ちゃんと見えてるか? 綺麗な色、してるだろ? 思い出深い種だ。……あの小さな種のおかげで、こうしておれの意識が表層に出てこれるとは、これも巡り合わせってヤツかね。まさにリサイクルネットらしい運の巡りじゃねえか』
『ヅィー、おれにはまだ分からない。あんたの目覚めと、あの巨木、どう関係するんだ?』
『その説明をするには、お前にとって残念な知らせを伝えなきゃならん』
『いいよ。話してくれ』
『いいかケイト、お前の身体は既にブレスされ続けている。少しずつだがな。お前の身体は段々と崩壊しつつあるんだ』
『そうか――。おれも、もうブレスされてるのか』
『これから死ぬってのに、思ったより平気そうだな』
『既にその覚悟はしていたからな』
博士たちが脱出できるよう、自らを犠牲にする。選んだのは他ならぬケイト自身だ。後悔はいまなおしていない。
『格好いいじゃねえか』
ヅィーの感情がケイトにも伝わってくる。友のため死地に残った行動が、ヅィーの信頼を得るに至ったようだ。
『話を戻すぜ、ヒーロー。複合人間の身体、つまりはケイト、お前のことだが、表層意識は一つの人格としてまとまるよう設計されていた。複数の人格が一つの身体を同時に操ろうとしたら不都合極まりないからな。だが、お前の身体の一部がブレスされ、その仕組みも機能不全を起こしちまった。その結果が、おれという意識の表面化だ。』
いまのところおれ以外の人格が現れないのはラッキーだ、とヅィーは付け加える。
『そして、あの巨木の成長には複合人間としてのお前の身体が関係している。種から巨木への成長、それに費やされる糧は、当然リネットにある物質だ。だが、その辺にある普通の物質じゃダメなんだ。種を渡すときにスカラにも言ったが、通常の還元では使用されにくい特殊な物質が成長の源となる。いまの状況では複合人間たるケイトの生体データがその源だな』
ヅィーが作り出した種を博士が受け取り、第零次実験で作り出された複合人間の自分がその種の肥料となっている。
ケイトは運命めいた循環を感じた。
『ケイトの身体はブレスされ、木は成長していく。木が成長すれば肥料を欲し、更にケイトはブレスされる。その結果が、あの巨木とおれの目覚めだ。どうだ、納得したか?』
そこまで説明が終わっても、ヅィーの思考は止まらない。そんな彼の思考はケイトに絶えず流れてくる。
『――しかし、あの町長とやらは、町中をブレスした途端に大人しくなっちまったな。何も思わず、何も考えず。……暴れ疲れて、寝ちまったかね』
カリナの思考が差し込まれる。
『ヅィー、あなたは何をしようとしてるのですか? 伝達される情報が複雑すぎて、私でもうまく理解できません』
『お? 何だ、期待してんのか? こんな状況で、おれが何か始めようとしてるのを』
『……』
『この空間じゃ、内心を隠すことなんざ出来ねえよ。まあ、待ってな。もしお前が生きて帰れたら、驚く光景を見られるかもしれないぜ? お前がその光景を見て、面白く感じるかは知らねえけどな』
カリナが歯痒い思いをしている。彼女は、ケイトやヅィーのようにリネットへ深くアクセスする事が出来ない。
この空間にいることで、彼女にもヅィーの思考は伝達されるが、あまりに大規模で難解な論理を理解することが出来ない。
ヅィーに、彼女は追い付けない。
『FHIといったか。妙なものを作ったもんだな。おれの遺体をおれが利用するってのは、変な気分だぜ』
『……ヅィー、あんたがやろうとしてる事だが、本当に出来るのか?』
ケイトにはうっすらとだが、ヅィーの意図に推測が立っていた。
『まあ、恐らくな。こんな事、第零次実験でもやろうとしなかった。しかし、この町中の権限を有している今のFHIを利用すれば、不可能とは思わん』
ヅィーの実体は見えない。ケイトの中にいるというなら、見えるはずはない。
だが、彼がふてぶてしく笑う顔が、見えた気がした。
『完璧にいく、とまでは楽観的に思っていない。――ただ、こんな現状よりはマシだろう?』
ヅィーの言葉に、その心強さに、ケイトの絶望が溶けていく。
同時に、失意の底に沈んでいたかつての博士が、この男との出会いにより変わったことを思い出していた。
ケイトから消えた絶望は、ヅィーの思考に触れることで、いつしか希望に変わっていた。
『いい感じだな、ケイト。それじゃあ、始めるとするか。このシステムの『希望』を見せてやるよ』
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