037 - そして

 フィオナは地下室のあった場所を目指しながら、最高速で飛んでいた。

 眼下には、ブレスされた光景が広がっている。


 町並み――だったもの。

 元は高層であったビルですら、大半の部分が飲み込まれている。かろうじて確認できる残骸は、冷たいジュースの水面にうっすらと浮かぶ、氷の一角のようだった。


 高層ビルでも、その有様だ。

 ほとんどの建物は、既に地面の下に吸収されてしまっている。


 遠く先まで見通せてしまう。視界を遮るものが一切ない。

 あまりに見晴らしがよい景色に、背筋が凍る。


 博士と別れたとき、その期待は既に捨てていたが、見渡して、改めて確認する。

 人影は、一つも見当たらなかった。


 フィオナは、手首に巻いたデバイスを確認する。

 地下室のあった建物は、高層とは言えない一般的な高さのビルだった。既に、ブレスされきっているだろう。

 目視では、どこが目的地なのか判別できない。

 デバイスの座標データを頼りに、飛行を続けた。


 程なく、データが示す場所に到着した。

 町中を襲っているブレスが始まった場所。周囲にブレスされていないものは存在しない。

 全てが、平坦となっていた。


 フィオナは、博士から受け取った種を取り出す。

 たった、一粒の種。

 これを地下室のあった場所にブレスさせる事で、何が起きるのか、フィオナは何も知らない。あの場では聞く猶予などなかった。


 だから、彼女は博士を信じるしかない。

 既に、町のほぼ全てがブレスされた最悪の状況だが、それでも、何か少しの救いが生まれると信じて。


 フィオナは一度、両手で種を握り締めた。

 静かに目を閉じる。

 握った拳は、顔の前に。

 その姿は、祈りを捧げているようだった。


 フィオナが目を開ける。

 そして、種を真っ直ぐ下に、落とした。


 風はない。

 種はフィオナの直下、その地面に落ち、数刻も待たずに吸収された。


 博士の最期の願いは、これで果たしたことになる。

 種をブレスさせる事で何か起こることを、見守っていたかった。


 けれど、飛行ユニットの燃料には限りがある。

 悠長にここで浮遊している余裕はない。


 後ろ髪を引かれる思いで、フィオナは再び移動を始める。

 自分だけでも、この町から脱出しなければならない。


 それが、ケイトや博士、そしてファーストに対して自分が唯一出来る行動だと思った。


 *** ***


 フィオナが飛び去ってから数十秒の後、地面に一つの動きがあった。

 種がブレスされた場所――そこから、一つの植物が生まれていた。


 始めは小さかった。

 次第に、少しずつ成長していった。


 そして、成人の膝ほどまで大きくなったその植物は、その成長を加速させた。

 伸びる、伸びる。そして、幹も太くなる。


 枝が生え、その先にまた枝が生えた。

 縦に、横に、縦横無尽に成長していく。


 やがて、成長は止まる。

 その頃にはもう、巨大な一本の植物となっていた。

 高さは、数階建てのビルほどであろうか。


 成長の止まったその植物は、周囲に何も無い土地で、悠然とそびえ立つ。


 少し、風が吹いた。

 その風に呼応するように、植物はまた変化を始める。


 無数に分かれた枝、そこから新しく生まれるものがある。

 幹や枝の――くすんだ赤みの黄色に近い――茶色ではない。


 綺麗な、桜色。

 無数の花が、咲き誇り始めていた。


 *** ***


 用事を終えたフィオナは、町の外へ出るべく飛んでいた。

 方角としては、博士の仕事場に向かうため、とんぼ返りする形となる。


 游骸町の名残りを失った景色を瞳に映しながら、フィオナはこの町での日々を思い返していた。


 複合人間であるケイトが暴走したため、監視担当を増やす案をカリナが出した。

 そこで、二人目のお目付け役として、博士が自分を指名した。

 ケイトと初めて会った時、彼は泣き崩れていたから動揺したものだ。

 それから、博士とケイトと三人で、不正ブレスについて調べた――自分は技術面で何か役に立ったわけではないけれど。

 そして、不正ブレスの本拠地であるあのビルで、まさかのファーストとの再会。

 地下室では、カリナの手の平で踊っていたと知った町長が暴れ、町中がブレスされることになって――。


 自然と、涙が溢れてくる。

 また、泣いてしまっている。

 覚悟を持って、博士と別れたはずなのに。


 だが、どうしても考えてしまう。


 この結果は、変えられなかったのか。

 どこかで、変えるチャンスがあったのではないか。


 だが、どうしようもないと分かっている。


 過去は変えられない。

 この町の全てが、ブレスされてしまった。

 建物も、植物も、ヒトも。何もかも。


 地下室に向かうときにはかろうじて地面から突き出ていた建物の一角も、もはやどこにも見当たらない。


 全てが、無くなってしまった。

 ただ、平坦な土地が広がっている。


 ――プスッ


 突然、小さな異音が聞こえた。

 背中からだ。

 背中にあるもの、それは――。


 高度が次第に下がっていく。

 フィオナは懸命に上昇を試みるが、無駄だった。


 飛行ユニットは物理的に壊れていた。

 巨大なコードがフィオナを襲い、壁に激突したあの時、既に故障は始まっていた。


 フィオナは焦る。

 いまや自分の命には、親しい人達の想いが詰まっているのだ。

 彼らが身を挺して繋いでくれたこの命を、こんなところで枯らしたくはなかった。


 けれど、ただの機械に、そんな想いは伝わらない。

 飛行ユニットが限界を迎えた。


 フィオナの身体が急降下する。


 恐怖はなかった。

 ただただ、悔しかった。


 技術も何もない自分は、一人で逃げる事も出来ないのかと情けなかった。


 フィオナの身体が、地面に到着する。

 衝撃で、四肢が折れ曲がった事を理解した。


 まもなく、フィオナの身体が地面に吸収されていく。

 涙と呻き声を共にして、彼女がブレスされる。


 そこは、奇しくも博士の仕事場だった場所。

 ファーストと博士がブレスされた場所。

 しかし、フィオナはそれを知らず、地面に消えていく。


 游骸町の地表から、彼女が消え、


 *** ***


 そして、誰もいなくなった。

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