貌の無い仏
蜂蜜 最中
貌の無い仏
近所の赤村屋という茶屋で団子を頬張っている時の事だった。駿河殿の話を聞きたい、そう言って俺の前の席に男が腰掛けてきた。腰には刀をぶら下げており、よく日焼けした健康的な肌をしているもののニヤけた貌が張り付いたような御仁だ。
この辺りでは見ない貌をした男で、そんな奴がなんだって駿河殿の話を聞きたがるのか。見るからに怪しい男であったが団子を五本も奢ると言われちゃ口も滑る。大体、話した所で誰も信じちゃくれねえだろうし、法螺話としか思わねえ。そんな法螺話を話すだけで団子を五本もくれるってんだ、逆にお釣りが来る。
俺は接客しているお鶴に団子と茶を二人分頼んでその御仁に
――――――――――――――――――――
天気雨っていうものは本当に空気を読まない。
師走の小春日和。朝から天気がいいものだから庭先に布団を干してせっかく今晩はお日様の匂いに包まれて眠れると思っていたのも束の間、青いはずの空が急に泣き出した。お陰で買い物を中途半端に帰って来なくちゃならなくなった。家に帰ると、兄の助蔵が押入れの中をひっくり返して何か捜し物をしているようだった。
助蔵はこちらを見るやいなや、バツが悪そうに笑った後、俺を押し退けて出ていってしまった。どうせ何か質屋に持っていけそうなものを探していたのだろう。父の形見の刀は俺がぶら下げることでなんとか死守しているが母の
愚兄は年がら年中博打ばかりをしていて一向に働きに出ようとしないうつけ者だ。以前俺が必死に貯め込んでいた金に手を付けてあわや刃傷沙汰に発展仕掛けたというのに懲りもせず、先週も盛大に負けて無一文どころか全裸で帰って来たのだ。褌は情けだったのだろうがそんな情けをかけるくらいならいっそどこぞかの島にでも流して欲しかったというのが本音だ。死ねばいいのに、とは思わないがいつか縁を切りたいとは思っている。思ってはいるが、中々踏ん切りがつかないでいる。宙ぶらりんだ。理由は縁を切った時、この家から出ていかなくてはならないのは俺の方だから。腐っても長兄。この家の所有権は兄にある。住み込みで雇ってくれるところを探してはいるものの、世の中的には俺はまだガキらしい。早く元服を済ませたいものだ。
おっと、下らないことを考えていないで布団を取り込まねば。庭先の竿にかけた布団を急いで取り込むとむわりと雨の臭いにおいが立ち上り、ジメジメとしていた。家にいたのなら取り込んでくれればいいものを、本当にどうしようもない兄だ。
ため息をついてゴロリと寝転ぶと押入れの奥に何か、見慣れぬ木彫りの像のようなものが見えた。それも三つも。
手に取って確かめてみればそれは黒漆で艶のある仏像のようであった。よう、というのには理由があって、先ずその仏らしきものが座っているのが蓮座ではなく何か別の花のように見えたこと。次いで光背――後光ともいうそれが何ともおぞましいこと。言の葉で説明できぬ程不気味で、神々しさの欠けらも無いものだったのだ。そして、何よりもその仏には貌がなかったこと。
俺はそれに言葉に出来ぬ恐怖を覚えた。仏ではない別の何かが仏の振りをしてこちらを見ていると思うと俺は今日から仏に手を合わせることができそうになかった。
しかし、なんだってこんなものが我が家の押入れの中で眠っていたのだろう? そういえば先程助蔵が押入れの中をひっくり返していたか。もしかして、これを入れようとしていただけだったのか?
それにしたってこんなものを家に持ち込まれても困るのだが。不気味に過ぎるし、出来ることなら一秒たりとも家に置いておきたくなかった。兄ではないが質屋にでも持っていくとしよう。ほら、丁度良く雨も上がった様だし。
大通りから少し離れたところに駿河屋という質屋がある。うちから一番近い質屋で度々利用しているのだがこの店の主、駿河観柳という男のことが俺はどうにも苦手であった。物腰は優雅で貴人と言われれば信じてしまいそうになるが、目つきは鋭く辛口で知られる偏屈な老爺なのだ。そんな彼は店の暖簾をくぐってきた俺の姿を見るや否やこう投げかけてきた。
「遂に親父の刀を売る気になったか?」
俺がここを訪れるたびに言ってくる決まり文句。俺はそれに対してこう投げ返す。
「遂に
初めて入店してから何度も言ってくる為、確か五度目の入店辺りで俺も毒を吐いたのだ。だって鬱陶しいだろう?
彼は俺の毒をそよ風が如くながして次いで腰に差した刀から手に持った風呂敷に視線を移した。そして、ぷかぷかと煙を浮かべていた
俺もとっととこんなものとは縁を切りたいので彼に仏像のようなものを渡してやる。少しばかり渡し方が雑だったせいか観柳の爺さんは少しばかり文句を言いつつ風呂敷の包みを解く。
どうせろくな値段はつかないだろう。そう思いながら観柳の爺さんの鑑定が終わるのを待っているとやがて彼は一言、こんなことを俺に聞いてきた。
「弥七よ、こいつをどこで手に入れた?」
特に口を鎖す理由もなく、兄が持ち帰ってきたものだと答えると観柳の爺さんは難しい顔をしてみせた。その不気味な仏像はやはりなにか曰く付きのものなのだろうか? そんなことを胸の内で過らせていると彼は仏像を風呂敷に包みなおして店の奥に行ってしまった。
そのまま彼の帰りを待つことにする。物はどうあれ売りに出したのだ。貰えるものは貰いたい。それからややあって観柳が戻ってきて、彼は開口一番に、
「あのボンクラ兄貴に気を付けろと言っておけ」
いまいち意図を掴めないままでいると彼は付け加えるようにこう述べる。
「これはとある寺の仏像だ。私はこれを明日その寺に返してくる」
「待ってくれ、それってまさかあいつが盗みをしたってことか!?」
「そうかもしれんし、所縁の者が落としたものを偶然拾った可能性もある」
「いや、多分あいつのことだ。盗んだ違いない。金もないのに毎日のように博打をうちにいってるんだ」
「どうであれ、これは返さんとならん。早く返さねば大変なことになる」
凄みを以って語る観柳の爺さんの様子に背筋が凍る思いだった。そして同時に我が兄がしでかした所業に怒りが湧いた。いっそ死んだ方が世のための様に思ってしまう程度には。
「俺も連れて行って欲しい。身内のしでかしたことだ。謝りたい」
「お前のような餓鬼が謝ってどうなるわけではないだろう」
「両親はもういないんだ。あいつの縁者は俺だけしかいない。どこに行ったか分からないあいつを探して連れて行くよりも俺がとっとと謝りに行った方が良い。あいつには後日頭を下げさせる」
俺の言葉に観柳の爺さんはまた難しい顔を見せる。そのまま視線の激突が幾許か続き、最終的に観柳の爺さんが折れるようにそれを認めた。
早速出発しようと思ったのだが観柳の爺さんは準備があるからと明朝出る旨を俺に告げ、店じまいしてしまった。
結局、じめじめと湿った布団に包まれて朝を待つことになった。今日あの愚兄が帰ってきたら一発殴って、明日連れて行こうと思ったのだが、その晩、兄は帰って来なかった……。
――――――――――――――――――――
翌朝、すぐに観柳の元に出向いた俺は観柳先導の下、本山という案刻寺に向かい始めた。
案刻寺までかなりかかるらしく道中四度ほど休憩を挟んだ。俺は一度でも良かったのだが観柳の爺さんはそこそこ歳だ。休みを挟まねばならなかった。それに足も遅く、おかげで寺についた頃には日は大分暮れ、今にも沈んでしまいそうになっていた。とはいえ、案内してもらった手前文句は言えまい。
案刻寺の手前には長い階段があり、俺は観柳の爺さんを背負い上り始める。そのまま十分弱登る。道場に通っている為足腰には自信があったが流石に人ひとり背負ったまま階段を登るのは中々の重労働で、上にあがった頃には息が上がっていた。
観柳の爺さんはそんな俺を労わりもせずに先にすいすいと行ってしまった。俺は小声で悪態を吐きつつ彼の後を追うと爺さんは既に寺の住職と話し始めていた。どうやら二人は知り合いらしく、和やかに談笑していた。
俺はそこに割って入り、住職と顔を合わせると同時に仏像を渡す。そのまま額を地面につけた。住職はそんな俺の肩を叩いて良いのですよと笑いかけてくれた。柔和の笑顔だった……と思う。この背筋に走る寒気はきっと汗をかきすぎたのだろう。
住職の薦めで今晩は寺に泊まることになった。日も沈み、薄暗く、光は不安定な灯篭の光のみなせいもあるのか、寺院内は酷く不気味だった。俺達はひえとあわ、味噌汁、漬け物、山菜の煮物をいただき、床に付いた。
布団を被りながら、ふわりと挿す月明かりに浮かぶ天井を見つめていると観柳の爺さんが、
「明日は夜明けとともに出るぞ」
「そんなに早く出るのか?」
「ここは……危険なのだ」
寺が危険、という言葉をうまく呑み込めずにいると彼は更に述べる。
「いつでも刀を抜けるようにしておけ、弥七」
「……、」
余りにも真剣な眼差しが突き刺さる。俺はその眼差しに緊張して、一応腹をくくることにした。確かに、不気味ではあったから。
ふと、尿意を感じて目を覚ました。厠はどこであったか? 提灯に火を灯し、部屋を出て回廊を歩く。広大な寺院内は灯篭の明かりを失い、より一層不気味さを感じた。
しばらく回廊を歩いていると、声が聞こえてくる。それは経のように聞こえた。こんな夜更けに経を唱えているとは修行熱心な坊さんたちだ、なんて感想をもらしつつ更に回廊を歩く。その声は徐々に大きくなり、彼らの修行場に近づいていることがわかった。
邪魔をしないように音を立てないようにしないとな、と小さく零しつつその部屋を横切ろうとした時、襖の一つが空いていて、その経の内容をはっきりと耳にしてしまった。
――苦頭流不・不多群 似也流羅止手不・津賀
――朱滅誅 朱滅誅
――似也流羅止手不・津賀 苦頭流不・不多群
経のように……聞こえる。でも、これはそんな神聖なものじゃない。本能が囁く。これは聞いてはいけないものだと。しかし、俺の体は独りでに開いた襖に近づいていってしまう。
見てはいけない。見てはいけない。見てはいけない。見てはいけない。見てはいけない。見てはいけない。見てはいけない。見てはいけない。見てはいけない。見てはいけない。見てはいけない。見てはいけない。見てはいけない。
本能が警鐘を叩き鳴らしているのに、俺は、その中を、見て、しまう。
中には、あの不気味な仏像と同じように、貌のない大きな仏が見下ろす中、坊主たちがひたすら経を唱える様が見えた。そして、坊主たちの前で一人、木魚を叩く住職のその前に、何かが吊るされているのが見えた。
それは、木刀か何かでひたすら殴り続けられたような、青痣だらけの一人の男の姿。そして、その男が、生ぬるい風に乗ってゆらりとこちらに顔を見せた。
兄の助蔵だった。助蔵は、顔全体が青く膨れ上がっており、口や鼻、目から赤黒い血を垂れ流し、うめき声をあげていた。
助けてやらねば、そう思って中に入り込もうとした所で口を抑え込まれて後ろに引きずり込まれる。眼球を動かすとそれをやった下手人の顔が見える。観柳の爺さんだった。彼は俺に一言「静かにしろ」と耳打ちし、俺はしぶしぶ頷く。そうしてようやく放してもらえた。
「説明してくれ。ここはなんなんだ!?」
「ここは寺ではない。仏教の皮を被った邪教の巣窟だ」
「じゃあ俺の兄――助蔵に何をしようとしている? 大怪我をしてつるされていたぞ!」
「……兄のことは諦めろ」
「なんで!?」
「……もう間に合わん」
「あんたの言ってる事はよくわからん。俺は助けに行くぞ」
枕元に残してきた刀をわざわざ持ってきた爺さんから刀をひったくって俺は本堂に飛び込んで――
からり、
何かが音立ててこちらに転がってきた。提灯の明かりの元まで転がってくると、ようやく、わかる。白くて、肉片がついてて、真ん中が黒い、アレ。
口の中が一気に乾いてく。零れる息は熱く、荒い。
提灯の明かりで映し出されるほの暗い室内の中で、ゴリッゴリッっと硬いものを無理矢理噛み砕いている、或いは削り砕いている、音がして、やおら背筋に汗をかく。
今ここでそれを見上げれば、この後俺はどうなるか、想像が――
ぼとり、
何か、目の前に、落ちてきた。それは足、みたいだった。足首だけだった。思わず、見上げてしまった。
――兄がいた。
青く腫れ上がった顔と空っぽになった片方の眼窩と首から下が無いことさえ除けば、俺のよく知る兄だった。
貌の無い、真っ黒い、得体の知れない巨大な何かが、兄の髪の毛をそばを啜るように呑み、大きく口を開け、
バリバリゴリゴリ――
いやに耳にこびりつく生々しい音。瑞々しい音。
ぴゅるっと赤黒い何かが飛んできて、そこで、もう無理だった。
俺は提灯を頬り投げて絶叫した。
慌ててそこに飛び込んできた爺さんに手を引かれて俺は寺院から逃れ出た。
息を吐く間もなく走り続け、気が付くと日が傾いていた。斜陽に照らされた赤村屋の暖簾を見て、俺はどうしようもなくほっとして、双眸から零れる涙を拭う事無く、元来た道を見つめ返した。
――――――――――――――――――――
「まあ、こんなもんだ」
結末を話し終えた頃、丁度五本目の団子を食い終え、串を皿に転がした。
ひたすら話を無言で聞き続けていた浅黒い肌の御仁は満足そうに頷き、俺に向かって一言礼を言うと、お鶴に勘定を支払うと最後にその御仁は、
「君の勇気を称えよう」
そう言って、貌の無い仏像を一つ、手渡してくれたのだった。
……ああ、どうやら神も仏もいないらしい。ああ、本当に。
貌の無い仏 蜂蜜 最中 @houzukisaku0216
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