帰還と混乱

 ただひたすらに落ちていった行きとは違い、帰りはエレベーターのように上に昇っていた。


「祓、大丈夫か?」

「僕は大丈夫です。阿玖斗さんはどうですか?」

「どうしたもこうしたもないな、急がないとヤバイかもしれない……」


 祠の焦りだすような声に祓の顔は引きつった。

 そんな祓の表情に、今まで静かについてきていた乱が言葉を発した。


「ヤバいことなんてないよ~、ただちょこっとだけ血液を頂いただけだもん! 急げばまだ間に合うよ~」

「い、急ぎましょう! なんなら僕は置いていっていいですから、八神さんだけ先に……!」

「そうだよ~。僕だっておいてってもいいんだよ~?」

「それはダメだ。祓は絶対に連れて帰る。それが黄泉に行く条件だったからな。鳴沢だってそんなに弱くはない。大丈夫、局には雨夜さんも待っててくれてるしな」

「――じゃあ僕はいなくなってもいいんじゃない??」


 乱が間の抜けた声で言った。


「馬鹿だろ、お前。お前こそ絶対置いていかねぇよ。絶対ついて来いよ? 逃げたらどうなるかわかってるだろうな……」


 祠の凄みに乱は小さく悲鳴を上げ、「はい……」と返事をした。


「――あの、雨夜さんってどなたですか?」

「ああ、俺の上司だ。黄泉に送り出してくれたのもその人なんだ」


 そう言った祠は前方にきらりと光る筋を見つけた。


「祓! 着いたぞ」

「本当ですか!?」


 扉を開け、地上へと続く階段をかけ上がった祓は、まさに力尽きたように倒れこんだ。


「だ、大丈夫か?」


 祓を気遣う祠だったが、阿玖斗を背負っているため手を差し伸べることが出来なかった。


「は、はい……」


 肩で息をしつつゆっくりと立ち上がった。


「よし、もう少しだぞ」


 祠は阿玖斗を背負い、祓を引き連れ、蛟の部屋へと向かっていた。


「八神さん、ここは?」

「さっき言ったろ? 雨夜さんの部屋だ」


 祠はコンコンコンと三回ノックをした。


『はい』

「雨夜さん、八神です。今戻りました!」

『八神!?』


 扉はガラッと勢い良く開いた。

 そこには目を見開き、驚いた表情をした蛟がいた。


「無事だったのか!」

「おかげさまで。鳴沢が著しく衰弱しています。祓も鳴沢ほどではないですが、体力が落ちているようです」

「そうか、2人とも医務室へ!」

「はい、祓」

「あっ、はい!」


 祓はベッドに横になるとすぐに寝息をたてはじめた。


「疲れてたんでしょうね……」

「無理もないだろう。しかし、よく無事だったな。君が出て行ってからもう既に2週間経とうとしていたんだ」

「2週間!?」


 祠は思わず声を荒げてしまった。


(俺があっちにいたのは確か3日程……。それがこっちでは2週間、となると?)


「私が黄泉に滞在したのは3日のはずです」

「3日? ――おかしいな。もしかしたら黄泉とこちらの流れが違うのかもしれない。もっと詳しく教えてくれないか?」

「はい!」



 一方その頃、黄泉では大混乱が起きていた。


「乱がいない!?」

「は、はい! 乱が攫ってきた司神のガキと男もいません!」

「なんてことだ……! せっかく迦楼羅様によいお知らせができると思ったのに……!」


 昼食の準備をしていたキッチンはパニックに陥っていた。その渦中で怒号を飛ばしているのは、迦楼羅の側近である磯羅だ。


(全く、面倒事を増やしてくれる……。禊様が全く仲間になりそうにないから、脅す材料として攫ってこさせたというのに……!)


 磯羅はストックしておいた阿玖斗の血液を取り出した。


(ひとまずこれを、食事にいれてみるとするか……)


「磯羅?」


 背後から名を呼ばれた磯羅はビクッと反応し振り返った。


(この声は?)


「はっ! どうなさいました、迦楼羅様」

「いや、珍しいと思ってな。お前もこんなところに来るのだな」

「私にも、気分というものがございますから……。それにしても、迦楼羅様こそ、何故このような場所へ?」

「ああ、禊さんに『一人にして欲しい』と言われてね」

「――それで、お散歩に?」

「ああ、いやぁ、気持ちのいいものだな」


 両手を広げ大きく深呼吸をしている迦楼羅を横目に、磯羅は深いため息を吐いた。


(やはり、この方は優しすぎる。閻羅様の弟様だが、お兄様には似ても似つかぬ性格をしておられる……)


 磯羅はほわほわとした雰囲気を纏う迦楼羅にすっかり呆れ果てていた。



「しかし迦楼羅様、禊様に逃げられるとも限りません。一旦戻りましょう」


(この方に黄泉を任せていたら、黄泉はいつか司神職に潰される。それはなんとしてでも避けなくては……)


 磯羅は迦楼羅の背を押し、誘導していった。


(それにしても、この方は一体いつまでここにいるつもりだろうか。――監視されている気分だな)


 いつまで経っても戻ろうとしない迦楼羅に、痺れを切らした磯羅は無意識の内に口を開いていた。


「――迦楼羅様、禊様がお待ちなのでは?」


 磯羅の声に、迦楼羅はハッとした様子で顔を上げた。


「ああ、そうだった! 君を探していたんだよ、磯羅!」

「はい? 私を、ですか?」


 磯羅は予想だにしていなかった返答に戸惑っていた。


「そう、禊からの伝言だ。『私に変な事をしようとしたらこの場で舌を噛み千切って死んでやる』とのことだ。私には一体何の事かさっぱりわからなかったんだが、『あの猿顔に伝えてくれ』と言われてな。猿顔とは、と尋ねたら磯羅だ、と言われた。というわけだ」


(猿顔……!? この私の顔を猿顔と……!? あ、の小娘が!!)


 手を固く握り、ワナワナと震える磯羅の姿を見て、迦楼羅は尋ねた。


「それで。――君は一体何をしようとしているんだい?」


(っ!)


 聞いた事のない、地を這うような低い声の迦楼羅に磯羅は悪寒が走った。


(ダメだ。ここでバレては、様とのお約束が……!)


「何を、とは……?」


 絞り出した声はわずかに震えていた。


「生憎、私は鼻が良くてね。その懐のものを、一体どうするつもりだったんだい?」


 懐のもの、とは阿玖斗の血液の事だろう。迦楼羅が来たため、磯羅が急いで隠したものだった。


「別にどうするつもりもありません。もちろん、禊様に危害を加えるつもりも。私はあまり、人間には興味がないので……」


 磯羅の言葉に迦楼羅は納得していない様子だった。


「もうよろしいですか? 私は禊様のお食事をお持ちしなければいけない時間ですので」

「ああ、時間を取らせてすまなかったな。私もともに行こう」

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