会いたい

(全く、本当についてくるとは……)


 磯羅は少し前を歩く迦楼羅に聞こえぬように小さく舌打ちをした。


(そんなに心配しなくても今はまだ、あなたの大切な禊に危害は加えません。今は、ですがね。その時が来るまでは、ちゃんとお世話させていただきます……)


「禊さん? 迦楼羅だが、開けてもらえるかい?」

『開いてるぞー!』

「お邪魔するよ」


 迦楼羅が扉を開けた瞬間、柔らかいクッションが飛んできた。


「おっと……」

「遅いぞ! 迦楼羅、待ちくたびれた!」

「待たせて悪かったね」

「お食事ですよ?」

「――なんだ、お前もいたのか」


 禊と呼ばれた彼女は、磯羅の姿を見つけると目を伏せた。


(――全く、相変わらずですね。この方は……。最初から私には何も反応しない。そんなに私のことが気に入らないのでしょうか。この美しい私が……!)


「禊様? そろそろお食べに……」

「迦楼羅!」

「なんだい?」


 禊は人差し指をくいくい、と動かし、迦楼羅を呼んだ。そして、迦楼羅に耳打ちを始めた。


 最初はふむふむ、と聞いていた迦楼羅だったが、徐々に渋い顔へと変化していった。


「……それを私が言うのかい?」


 禊は、迦楼羅の言葉に返事することなく、ただただ黙ってうなづいた。


「はいはい。えー、こほん。“お前の作ったものなど食いたくないと言っているだろう! どうせ何か入っているに決まってるからな! お前は顔だけではなく、頭も悪いのか? 私はお前には負けないぞ。この猿顔!”――だそうだ」

「なっ!」


 わなわなと震え始める磯羅に、迦楼羅は必死の弁解をした。


「違うぞ? 私が言ったわけではないぞ? お前は猿顔、とはいっても醜いわけではなく、少々特徴的な顔をしているだけだぞ?」


(何だとこの小娘! 麗しい、美しいとそれはそれは可愛がられて育てられたこの私の顔を! 猿顔だと!?)


 磯羅は思わず口から零れてしまいそうな言葉たちを必死に我慢し、胡散臭い笑みを浮かべた。


「お心遣い感謝いたします、迦楼羅様。――では、代わりの者を連れてまいりますね。そろそろきちんと食事をとってくださいね? それでは、失礼いたします」


 パタンと扉を閉めた磯羅は、すぐに持っていたトレイを床に叩きつけた。


(あの女、本当に使い道などあるのか? いくら閻羅様のご命令とは言え、私ももう限界だ……!)


「くそっ! 邪魔だどけ!」


 その頃禊は、部屋の中まで響く、怒りつつ離れていく磯羅の声を聞いていた。


「ふふ、あいつは本当に面白いな」

「だめだよ、磯羅にあんなことを言ってしまっては。いつ殺されるかも分からない」


 心配そうな表情を浮かべる迦楼羅を他所に、禊は勝ち誇ったような笑みを浮かべた。


「平気さ! 私には利用価値があるのだろう? それに、私は弟に会いに行かなければならないのだから、こんなところで死んではいられないのだ!」

「まだ、諦めていないのかい? 君の弟さん、祓くん、といったかな? 彼は例の術が使えないのだろう? なら、君と彼が会う方法はただ一つ、君がここを出て行くしかないんだよ?」


 迦楼羅はじっと禊を見つめた。


「――そんなことわかっている。こんな状態で出て行くことなど不可能だということも」


 禊は迦楼羅から目を逸らし、手首に目をやった。禊の両手両足には長い鎖が繋がれている。その端はベッドの足から伸びており、ギリギリ部屋のドアノブを握ることができる長さになっている。


(わかってはいるさ、こんな手足を拘束されている状態じゃ、出て行くことも、何もできない。でも、祓。一目でいい、祓に会いたい。もう10年も会っていない。いつでも私の後ろをついてきた祓は元気だろうか……? 母さんは……? みんな、元気だろうか)


「それでも会いたい。知りたいんだ、何をしているのか、元気なのか……」


 禊は目を伏せ、呟くように言った。


「すまない、今は少し、1人になりたいんだ……」

「――分かったよ、また夜ご飯のときに来るからね」


 そう言い残し、迦楼羅は部屋から出ていった。


 この部屋の鍵は内側にしかない。「外からいつでも開けられては落ち着かない」とそういう構造にしてもらったのだ。


 迦楼羅が出ていき、静かになった部屋の中、禊はベッドから降り、鍵を閉めた。

 そしてまたベッドに戻った。


「祓……。大丈夫、姉ちゃんは、元気だよ」



 そんな黄泉の混乱など知る由もない現世では祠・阿玖斗・祓の3人が雨夜から話を聞かれていた。


「と、言う感じでした」

「つまり、お前があちらの世界にいたのは長くても4日ほどだったということか」

「はい、まさか時の流れが違うとは……」


 呟いた祠に蛟が尋ねた。


「ところで、そっちにいるのが今回の首謀者か?」


 そっち、と蛟が目をやった先には祓同様、寝息を立てている乱の姿があった。


「あぁ、首謀者と言えば首謀者ですね、祓をさらった張本人です。ちょうどよかったので連れてきました」

「そうか。敵の本陣にいるというのに寝ているとは、なかなか面白いやつだな。こいつは私が預かろう」

「よろしくお願いいたします」

「八神、鳴沢とともに、もうしばらく休職扱いとしておく。もう少し落ち着いたら、また黄泉について教えてくれ。ここには近寄らないように言っておくから、もう少し休んでいるといい。では、私はこれで失礼するよ。」


 蛟は、乱を抱き上げ扉の向こうへ消えていった。

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赤瑪瑙の絆 涼井 菜千 @c-cyan

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